33.骨の魔神と……
「シーア、骨の魔神ってどんなやつ?」
「確か、魔法を込めた武器でしか傷つけられず、火の魔法はまったくの無効、ほかの魔法の効きも悪かった……と思うよ」
魔法陣から出てきた魔神を前に、シーアと小さく言葉を交わす。
“骨の魔神”は、身の丈が人間の倍近くある大きな魔神だ。後ろで振り回される長い尾の先に生えたひときわ大きな刺からは、ぬらぬらと嫌な色の液体がにじみでている。「それと、尾の刺には猛毒があるんだ。気を付けて」と、キーランが囁くように警告して、そのまま、対毒の防御魔法の詠唱を始めた。
そうする間にも、魔神は宙に向けて右腕を伸ばし、何か言葉を放って長柄の槍……先に大きく張り出した鉤のついた槍を呼び出した。あれに引っ掛けられたらきっとただじゃ済まないだろう。
魔神の少し後ろでは、リベリウスが「殺してはいかん。だが、殺さなければ何をしてもいい」と魔神に命じ、口の端に笑いを浮かべ……今度は魔法を詠唱し始めていた。
樹はすぐに気づいてリベリウスの詠唱を止めようとしたが、障壁のせいで近寄ることすらできない。このままでは為すすべもなくリベリウスの魔法とこの魔神にいいようにされてしまうのではないだろうか。
「スカイエ、この障壁なんとかして」
「それじゃ間に合いません。アウスはまず魔神をお願いします」
スカイエは樹に首を振り、リベリウスに集中し始めた。スカイエが何をするつもりかはわからないけれど、任せても大丈夫だろうと考え直す。自分ひとりではないのだから、もっと仲間を信用しなければいけない。
「シーア、牽制と援護はやる」
「了解。槍を頼む」
シーアは魔神の槍をかいくぐり、背中側へとまわった。樹が交代するように魔神の正面に出て、槍を止める。
しかしその間にリベリウスの魔法は完成し……だが、発動せずに消えた。
「──対抗魔法か」
ギリリと、リベリウスが唇を噛み締めた。
「魔法使いが完全にひとり塞がりますし、普通はなかなかこんなことする機会がないんですけどね」
他人の放った魔法に対となる魔法をぶつけて効果を消し去る“対抗魔法”を、スカイエはやってのけたらしい。
魔法に魔法をぶつけて消し去るというととても簡単なことに聞こえるが、その実、相手の唱えている魔法を詠唱開始とほぼ同時に見極めて、すぐに対抗する魔法を詠唱しなければならないという、相当に大変な技術だ。読みが外れたらもちろん魔法は止められない。何より習得している魔法の数と知識、それに判断力が必要で、しかもスカイエの言う通り、対抗魔法なんかで対応しようとすると有能な魔法使いが最低ひとりは完全にそれに集中することになってしまう。だいたい、そんなことをするくらいなら別なことをやれというのが普通の感覚だろう。
「こちらは魔法使いが3人もいますからね」
ひとつだけ息を吐いて、スカイエはさらに魔法の詠唱に入った。
防御魔法を唱え終わったキーランとグウェンも、さらに別な魔法の詠唱を始める。こちらの魔法使いは3人がかりなのだからリベリウスは大丈夫だろう。樹は魔神に集中した。
魔神の身体はとても硬かった。“骨の魔神”とはよく言ったものだ。白く滑った質感の皮膚はその見た目に反し、まるで骨のような硬いものを斬りつけているような手応えだ。魔法を付与しているはずなのに、どれだけ斬れば倒せるのだろうか。かなりの速度で振り回される尾と槍を辛うじて躱しながら、何度も何度も斬りつけつつ考える。
……躱してはいるけれど、何度も槍から突き出た鈎に引っ掛けられそうになり、身体中に浅い傷ができている。このまま尾か槍のどっちかをどうにかできなきゃ、ジリ貧なんじゃないだろうか。
「硬い!」
「刃の通りが悪いみたいだ。槍のほうが効くのかも」
「槍なんて、持ってないよ」
「わたしもだ」
愚痴っぽくやりとりをしながら、それでもひたすら斬りつける。このまま、剣が折れるかこいつが倒れるかなんだろうか。そもそもここに槍があったとしても、樹もシーアも剣ほど使えるわけではない。
その間にもリベリウスは何度か魔法を唱えたが、その度にスカイエが止めてくれていた。さすが傭兵として鳴らしただけあるベテランの魔法使いだ。
「時間、かかり過ぎ」
剣を振りながら樹がそうこぼした時、シーアの「よし」という声があがった。目をやると、ようやく千切れた毒尾がどさりと床に転がっていた。“骨の魔神”が怒ったような雄叫びをあげ、ますます激しく振り回される槍を、樹はどうにか潜り避ける。
「槍は、このまま、任せて」
そうシーアに返すと、彼は改めて猛然と“骨の魔神”本体を斬りつけ始めた。
「……解けた」
さらには、キーランの呟きと同時にリベリウスを守っていた障壁も消えた。ようやく、風がこっちに向かって吹いてきたように感じる。
「シーア!」
「任せてくれ」
シーアが頷くのを確認して、“骨の魔神”が突き出す槍を避けつつリベリウスのもとへと向かう。剣を構えて走り……そこで初めて違和感を感じた。
なぜ、やつはこんなにも余裕なんだ?
考えてみたら、魔法使いが3人に剣士が2人相手なのに、リベリウスはと言えば、魔神を一体呼んだだけ。自分は障壁の向こう側に引っこんで、ちょこっと魔法を唱えていただけだ。しかも、今、障壁が壊されたというのに何の対策もしていない。何を企んでいる?
訝し気に眉を顰めたとたん、それに気づいたリベリウスはにやりと笑った……気がした。
「待っていましたよ」
「な……っ!」
リベリウスを狙い、足を踏み込んだその床にぼうっと魔法陣が浮かび上がった。慌てて退こうとしても間に合わない。
「樹!?」
「お前は特別だからね。そこで見ているといい」
魔法陣から強い魔法の気配が立ち上がり、身体が……身体が、まるで、この場所に縫いとめられなようにまったく動かない。
「な……」
何をするつもりだ、と言おうとして、声すらもあげられないことに気づく。指一本すら、眼球すら、動かせない。息をすることしかできない。
「……本当は、魔神を使おうと考えていたのだよ。だが、魔力の消費がどうにも抑えようがなくてね……どうしても数年で尽きてしまうか、始終魔力の補充をしなければいけないものしか作れなかった」
リベリウスは困ったものだと肩を竦め、やれやれと首を振る。
「それさえなければ、魔神の身体の頑健さと魔力量は理想的だったのだが、数年では話にならなくてね」
それから、リベリウスはシーアを見る。
「次に考えたのは魔族だ。だが、長命さと魔力量はいいのだが、頑健さが人間に比べ少々劣る。さらに言えば、“真名”の扱いが少し面倒だし、数が少ない上になかなか隠れるのも上手で、捕まえるのも手間がかかる。他の種族は扱いもめんどうなうえに能力ももっと劣るので、問題外だ」
こいつは、何を言っているのかと思う。まるで、野原で次々と虫を捕まえては、欲しいのはこれじゃないんだと殺してしまう子供のような口ぶりだ。
「魔力量、寿命、頑健さ……そして存在に魔力は必要だが消費は少なく老いがない。お前の体は私の求める条件に本当にぴったりなのだ」
「樹!」
シーアが魔神と斬り合いながら叫ぶ。リベリウスはまた嫌な笑みを浮かべて魔法の詠唱を始めた。
「私が集めたものをほんの少しだけ使って、お前を縛るものを断ち切ってあげよう。今度こそお前の本当の……“魂”の“真名”も手に入れて、私に相応しい“器”を作るのだよ」
ぞわり、と背筋を何かが這い上がる。辛うじて視界の端にある球に意識を向けると、その明滅は早くなっていた。激しい運動をした後の心臓のように、ドクドクと脈打つように明滅を繰り返している。あの中にあるものは……。
何をするつもりだ、と口に出そうとするが、やはり身体の自由が利かない。せめて、声だけでも、口だけでも動いてくれれば……必死に、無理やり、音を作る。『ひと……ふた……』息だけで、どうにか詞を紡ごうとする。音にできれば、詞にさえなれば……『み、よ……』間に合え。間に合ってくれ。神様、お願いです。『いつ、む、なな、や……』十種の神宝よ、力を貸してください。少しでいいから、この戒めを解く力を。『ここの、たり』
──ほんの少しだけ、本当に少しだけ、身を縛る力が緩んだ気がする。
『ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ』
樹が動いた。完全に虚を突かれた形のリベリウスに剣を投げつけ、怯んで詠唱が止まった隙にぱあんと手を打ち鳴らす。あの、明滅し脈打つ球の穢れさえ祓えれば……。
『掛けまくも畏き伊邪那岐大神……』
「させない」
集中を始めた樹の背を、リベリウスの放つ赤い光が貫いた。




