32.“召喚魔法”
「“来訪者”……だから、リベリウスはアウスに拘ったんですね。では、以前アウスの使ったあの魔法は、アウスの世界の魔法ですか?」
「……そんなとこだ」
スカイエがなるほどという顔で頷くと、シーアがちらりとスカイエに目をやった。
「もっと早く教えてくれればよかったのに。別に悪いようにはしませんし、力になれたと思いますよ。そうはいっても今更ですけどね」
それにしても、とスカイエは考え込むようにリベリウスを見遣った。リベリウスもどうしたものかと考えているようだ。
「まさか、“来訪者”の身体を乗っ取って自分のものにしようとする発想があるとは思いませんでした。師団長ともなる人間は、さすが並じゃないということでしょうか。
けれど、意識だけを移すなどという真似がそうそうできるとは思えないのですけど」
「スカイエ、ちょっと違う。“魂”の“器”だよ。意識じゃなくて、“魂”を移そうとしてるんだ」
「“魂”?」
樹の言葉に、スカイエが怪訝な顔になった。
「この世界の人間にも“魂”があるみたいだよ。リベリウスは、自分の“魂”をもっと頑丈な“器”に移して、永遠を手に入れるつもりなんだ」
「その、“魂”というのは何なんです? 意識とどう違うのですか?」
「それはちょっと答えるのが難しいんだ。だから、後ででいいかな」
「……わかりました。あとでじっくり教えてもらいますよ」
スカイエは少々不服そうに息を吐くと、再びリベリウスを注視した。
それから、樹はふとシーアたちが現れてから、気持ち悪さがほんの少しだけ薄れていることに気づいた。
「ねえ、シーア、結界はどうしたの?」
「扉を壊して入ってきたよ」
扉、つまり結界の一部を壊したことで穴が開いたということだろう。これなら、外から清浄な空気を入れられそうだ。
「そっか、いいこと聞いた。シーア、しばらく前をお願い。ここにある死の穢れを祓いたい。気持ち悪くて、調子が出ないし」
シーアが頷いて剣を抜き、前に立つのを待って、樹は手を打ち鳴らした。清んだパアンという音が部屋に響き渡る。
『掛けまくも畏き伊邪那岐大神……』
魔法生物……使用人もどきたちが周囲を囲もうとするが、シーアが片っ端から切り払うと、すぐにどろどろと溶け崩れてしまった。こいつらはあまり戦闘向きではないらしい。「意外に脆いものなんですね」とスカイエが感心したように呟きながら、魔法の準備に入った。
「……それは単なる人形だ。せっかくここまで来たのだから、おもしろいものを見せてあげよう」
リベリウスは一歩下がり、壁の紋様に手を当てると、魔力を込めた。
「召喚魔法だわ。まさか、ひとりで、しかもこんな短時間で? 何を召喚しようっていうの?」
グウェンが慌てて防御の魔法を唱え始める。何が来るのかはわからないが、リベリウスの流している魔力量からするとろくでもないものに違いないのは確かだ。
『筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等……』
リベリウスの紋様……魔法陣はますます力を増し、嫌な光を放ち始めている。
──樹のもともといた世界に魔法はない。けれど、それならなぜ自分に魔法が使えるのだろうといつも不思議に思っていた。
自分なりに考えて、結局、魔力の多寡は別にしても、もとの世界では「魔法はない」と思われているだけで、実際は存在するのだろうと結論を出した。
なぜなら、“神の奇跡”と呼ばれる不思議な現象はあったし、いわゆる“科学では説明しきれないもの”というのもあったからだ。いずれはそれも全部科学で説明がつくようになるのかもしれないが、だからどれも魔法じゃないと決め付けるのは少し違うんじゃないかと思う。
今でいうお祈りやお呪いといったものが、“魔法”が形を変えてほんのりと残った姿なんじゃないだろうか。
ただ、こちらとそう変わらない方法で魔法が使えるのだとすると、魔法使いになるためには生まれながらの素養と特別な訓練が必要となるということだ。それに、“魔力”は誰でも感じ取れるようなはっきりと明らかなものではない。そもそも、素養がなければそこにあることすらわからないのだ。
だから、理論なんかわからなくても万人が簡単な手順さえ覚えればすぐに使える“科学”や“機械”に取って代わられてしまい、“魔力”や“魔法”は忘れられてしまったのだろう。
おまけに、“魔法”というのは方程式や化学式のように、はっきりと理解しやすいものじゃないのだ。
勉強する内容や理論はなんだか概念的で掴みどころがないし、魔法の行使にはイメージが大切だと言われても、そもそも何をどうイメージすればいいかがよくわからない。
樹だって、結局、魔法を使うときにイメージするのは、もとの世界にあった家電製品の機能やゲームやラノベに出てきた魔法の知識といったものがもとだ。何もわからないところからイメージしろと言われても、おそらく何も浮かばない。
……こちらには空を飛ぶ魔法が存在しないが、ここで「空を飛ぶ」というのは、すなわち空を飛べる生き物……鳥や虫や有翼人といった種族に姿を変えて、その翼で飛ぶということになるからだろう。もとの世界にあった飛行機やロケットのようなものはもちろん、「ほうきで空を飛ぶ」という発想も、「ほうきがなぜ空を飛ぶのか、意味がわからない」と言われて終わりだ。そんなことを思いつく魔法使いがいない。
だから、樹の使う魔法はどことなく「変わっている」と言われるし、どうしてそんなことを魔法でやろうなんて考えたのかと質問されることもよくあった。
『諸諸の禍事 罪 穢有らむをば……』
そもそも、もとの世界に比べてこの世界には力が満ち溢れている……と感じる。その「力」の正体が「魔力」なのだろう。
世界に溢れる「魔力」を、人間は目に見えないし感じられないからとあまり気にしないけれど、ほかの種族は、その力を人間と違う感覚でとらえることができる。とくに妖精と魔族はその感覚が優れているから、息をするように魔力の存在を感じ、苦も無く自然に魔法を理解し、習得することができる。この2種族がよい魔法使いになるのだと言われる所以だ。
そして、この世界の生き物は生きているだけで自然に世界から魔力を取り込み消費する。召喚された魔神が短い時間しか身体を保てないのは、生きているだけで、ここにいるだけで消費する魔力が大きく、この世界にある魔力ではそれを支えきれないからだという。
樹がこんなに長く保っているのは、もともとがただの人間であることと、魔力の少ない世界から来たから生きるために必要な魔力が少しで済むという理由からだと考えられた。
そうはいっても、魔法で一気に大量の魔力を放出すれば身体が保てなくなることに変わりはない。通常の人間と違い、魔力の消費が限界を超えれば身体はすぐに崩壊し、この魔法生物たちのように溶け崩れてここに存在できなくなるだろう。
そして、召喚……特に“魔神召喚”というのは、本来、生贄を必要とする邪術とされていた。魔神は生贄を欲するものなのだ。
けれど、そうはいっても召喚できる生き物で一番強力なものはやはり魔神だ。西大陸で「召喚魔法」というと魔神の召喚を指すのだが、その召喚に必要な“生贄”を、他のものを代用することで邪術ではないとされた。
『祓へ給ひ 清め給へと白す事を聞こし食せと
恐み恐みも白す』
樹の祓詞が完成し、再度打った手から光がこぼれる。光はゆっくりと広がり、周囲に満ちた嫌な気配を浄化していく。
魔力が魔法陣に行き渡ったところで、最後にリベリウスが力ある言葉を放つと。魔法陣の中心に黒い穴が開いた。その穴の奥から、瘴気というようなものが吹き出し、何かが出ようとする。この部屋に満ちていた膨大な魔力が吸い上げられ、穴がどんどん広がっていく。
「残念、遅かったな」
嘲笑うリベリウスに向かってスカイエが魔法を放つが、障壁に阻まれて届かない。シーアが小さく舌打ちをする。
グウェンが防御の魔法を完成させると、全員がぼうっと光る薄い膜に包まれた。
「禁忌を冒したのは、それが理由ですか。禁忌を冒すだけでなく、邪術も復活させようというんですか?」
──リベリウスは強力な魔神を召喚するため、禁忌を冒し、死により発生した魔力を使ってより強力な魔神を呼び出す方法を作り上げていたのではないか。吸い上げられる魔力の流れを見てスカイエが呆れると、リベリウスは愉し気に笑った。
「魔法使いは優れた者で、魔法は素晴らしい技術だ。役に立たない者をこうして役に立つものに変え、利用してやっているだけだ」
「本当に、つける薬が見つかりません」
魔法陣の穴はどんどんと大きくなり……その内部から、ぬっと何かの腕が突き出した。
「スカイエ、キーラン、リベリウスの牽制を頼むよ。グウェンはこのまま援護をよろしく。……樹、これを使って」
ろくな武器を持たない樹にシーアが予備の剣を渡すと、「ありがと」と剣に魔法を込めた。
その間にも、穴の中からはずるずると何かが這い出てくる。
「……こいつは、“骨の魔神”、か」
壁の魔法陣を通って出てきたのは、ぬるつく白い皮に牙を生やした骸骨のような頭を持つ、棘だらけの骨ばった身体の奇妙な姿の魔神だった。




