31.禁忌を犯した魔法使い
扉を破ると、内からさらに強い魔力が噴出してくる感覚を覚えた。
スカイエやキーランたちも、すぐに気づいたようで、わずかに眉根を寄せる。
「いったい、前師団長は何をしているんでしょうね」
少し苛立つような声でスカイエが呟き、グウェンとキーランがそれに同意した。
「とてもまともな実験をやっているようには思えないわ」
「まともな実験で、こんなに大量の魔力が湧いて出るものか」
「……とにかく先へ進もう。まだ奥のようだ」
「ここから先は未知の領域です。──ところでシーア、アウスの気配は辿れますか? あなたのことだ、印はつけているんでしょう?」
「つけているけど、この魔力の気配が邪魔をして、少々心もとない……けど、少し待った」
そういって、シーアは魔力感知の魔法を唱えた。これで、少しは気配を辿ることが楽になるはずだ。
「これで、だいぶマシになったはずだ」
「そうですか、では進みましょう。キーランの話では、ここに他の魔法使いがいることはなさそうですが」
「そうだね。ここへ立ち入ろうという魔法使いもいないと思う。そうはいっても、魔法使い以外に何がいるかはわからないけれど。なんせ、魔法生物の専門家で、召喚魔法も使うから」
「もう少しだけ待って。簡単だけど、ないよりはマシだと思うから」
スカイエの言葉にキーランも頷くと、急にグウェンが魔法を唱え、小さな光の玉を作り出した。おそらく、魔法によって実体化した精霊だろう。
「この光に先行させるわ。枝道があったら、シーア、指示して」
「わかった」
途切れ途切れになりがちな樹の気配と彼女につけた印の痕跡を辿りつつ、先へ進んだ。幸い、彼女は指輪も外していないようだった。それがかなりの助けになっている。それに、この区画には魔法生物などは置かれていなかったようだ。あの扉を破って入るものなどいないと、リベリウスが慢心していてくれればよいのだが。
さらに先に2つ目の扉を発見し1つめと同様に破壊すると……その内からさらに大量の魔力が噴き出した。その魔力はあの魔の森に集まるものに比べると明らかに異質で、どう考えても通常の手段で発生させたものとは考えられなかった。
「……スカイエ、いなくなった妖精たちは、この、魔力かもしれない」
「どういうことですか?」
スカイエは目を眇め、説明を求めた。
「魔力が、濁っているように感じる。昔、こんなのを感じたことがあるんだ……禁忌を犯した魔法使いのところで」
「禁忌……まさか」
「あの時感じた魔力とよく似ている……リベリウスの魔力と混じって、なんでそんなものを感じるんだ」
キーランもグウェンも、「まさか」と呟いたきり、黙り込んでしまった。禁忌を犯す魔法使いがこの魔術師団にいるとは、師団長を務めた魔法使い自身であるとは、にわかには信じがたいのだ。シーア自身、この場にいなかったら、単なる中傷か与太話でしかないと考えてすぐに忘れただろう。それくらい、“禁忌”というものは魔法使いの間で重要視されているものなのだ。
「……本当に禁忌を犯しているかは、この魔力だけじゃわからない。わたしの気のせいということもあるよ。まずは先に行こう」
シーアはまた樹の気配と印の痕跡を辿って歩き始めた。
マンフレートの唱えた言葉に従い魔法は放たれた──けれど、左手につけたままだったシーアの指輪の魔法に護られ、魔法は効果を現わさなかった。
「……私の神様が、護ってくれた」
不思議そうに首を傾げるマンフレートの手を振り払い、樹はリベリウスを振り向く。
「リベリウス、マンフレートをどうしたの」
さっきからずっと不思議だった。ここへ来るまではそれほど違和感を感じなかったけれど、ここに着いてからの彼は何かがおかしい。いかにマンフレートとはいえ、目の前の光景に表情ひとつ変化がないのは、彼らしくないと感じた。樹の知るマンフレートであれば、この場でリベリウスの力を誇って樹を嘲笑するなど何かしら反応があってもおかしくないはずなのに、違和感を感じるほどに彼の顔には何も浮かんでいない。
それに、今感じた彼の魔法……。
「“これ”は、マンフレートではないでしょう? まさか、自分の弟子にまで手を出したのか、リベリウス!」
「弟子などと」
また、リベリウスが笑う。
「そんなもの、持った覚えはない。……単なる生意気な若造なら放っておいても害はないが、主に噛み付くようでは、害にしかならないのだ」
「噛み付くって……」
「ちょうど試してみたいものがあったのでね、彼には大いに役に立ってもらった」
──末期だ、と思った。もう、この魔術師団という集団は、もしかしたらクレーフェルト皇国という国すらも、末期なのかもしれないと思った。
気持ち悪さが増したような気がして思わずよろめいた樹の後ろで、扉が開かれた。
2つめの扉の奥、壁や床のあらゆるところに複雑な魔法陣や紋様を刻み込んだ奇妙な部屋の中で、樹とリベリウスが対峙していた。
樹の横には、やけにおとなしいマンフレートが立ち尽くし、周囲には奇妙な生き物……使用人のような恰好をしているが、この気配から判断するに、多数の魔法生物が取り囲んでいる。
そして、さらに奥には……。
「リベリウス、あなたの目の前の台で事切れている妖精について説明していただけますか……あなたの仕業にまちがいありませんね?」
硬い声で、スカイエが問う。キーランもグウェンも、目の前の光景を睨み付けるように凝視していた。
「前師団長殿、これはどういうことですか? まさか本当に禁忌を犯したと?」
「これは……妖精が3匹に魔族が1匹。いったいどれほどの魔力を採集できるか、楽しみだね」
くつくつと笑うリベリウスに、4人ともが言葉を失う。
「つまり、あなたはおかしくなったということですか」
「おかしい? どこがだ。私はこれ以上ないくらい正気だよ。この私の崇高な目的に、お前たちの生命が役立つことを喜べ」
「……つける薬が見つかりませんね」
スカイエが、彼らしくもなく、吐き捨てるように呟いた。
魔法生物たちに囲まれたまま、樹は呆然と入ってきた者たちを見つめていた。
「どうして、来たの。私なんて、いつどうなるかわからないのに、放っておけばいいのに。忘れてくれって言ったのに」
「樹、君はわたしを見縊ってるね。約束だから来たわけじゃないよ。わたしは、わたしがそうしたいと思ったから来たんだ」
シーアがそう言って笑う顔を見て、それだけで安堵してしまう。ああ、やっぱり彼は神様なんだと、あれほど、ここからはひとりでと決心していたのに、たやすく揺らいでしまう。自分はこんなに弱い人間だったんだ。
「さて、私の崇高な目的にマンフレートが大いに役立った、という話だったね」
リベリウスは唐突に口を開くと、肩を竦めて残念そうに首を振った。
「……これらの試作品が、“器”としてどれくらいふさわしいかという実験をしたのだが、耐久度や適性など、肝心な部分についてとても使用に耐えうるものではないということがわかったのだよ。
さらに言うなら、マンフレートのおかげで、これら試作品を“器”として使うことには、メンタルという面でとても危険を伴うことも判明した」
「……どういうことなの」
「以前より、精神と“器”……つまり、肉体は深く影響しあうという理論があったが、それが証明されたということだ」
訝しげな顔になる樹たちに、リベリウスはまるで講義を行っている教師のように語った。
「人間の精神というものは意外に複雑で、しかも大きなものなのだ。このような単純な作りの魔法生物の身体では、人間の精神を支え切れるほどの“器”にはなりえない。せいぜいが人形として仮の宿りがいいところだ。しかし、これ以上複雑で大掛かりなものを作るためには、そのために厳選した素材が必要となるのだがね……これが、調達も面倒で難しいうえ、首尾よく調達したあとの製作にもそれなりの手間と時間がかかってしまう。さすがに、そう何度も“器”として使えるレベルのものを作るほど、私に時間は残されていない」
リベリウスは、やれやれという風体で手を上げ、それからまた笑った。
「なので、緒方樹。お前には、私の呼んだ“来訪者”としての使命を全うさせてあげようと考えたわけだよ。既にお前の身体は“魂”の“器”として十分なものであることは証明されているわけだからな。あとは、その“器”の耐久性を高めてやれば、十分使えるものとなるだろう。それも、永遠に近い時間だ」
「馬鹿言うな」
樹はリベリウスを睨み付けた。
「そうそうお前の思い通りにことが運ぶと思うな。世界をなめるんじゃない」




