30.妖精の協力
樹が行ってしまった。
わたしに、「約束は忘れろ」という拒絶だけを残して。
空になった部屋で呆然とし、彼女の中でいったいどんな変化があったのかと考える……が、わからない。では、彼女の言うとおり、約束を忘れて以前のように生きるのか。
すぐに、それは無理だと頭を振る。忘れることも、待たないことも、今更無理だ。既に自分は期待してしまっているのに、それを捨てることなんてできない。
なら、どうするか。
少し頭を冷やそうと、深呼吸をひとつする。
あの日、皇城で何かがあったことは間違いない。では、何があった?
「妥当に考えてリベリウスだろうな」
ひとつだけ溜息を吐いて、何もかも結局想像でしかないことがもどかしいと思う。このまま手をこまねいていたところで、手遅れになるだけであることもわかっている。
なら。
──わたしはすぐに伯爵家を辞した。
「スカイエ、すまないが手を貸して欲しい」
「どうしたんですか、あなたからここに来るなんて」
伯爵家を出てすぐ、スカイエが滞在しているという宿に向かった。樹のあとを追うにしても、ひとりでは無理がある。魔法使いが集まる魔術師団はそれほど甘くない。
「……アウスがひとりで魔術師団に乗り込んでしまった」
「はあ?」
スカイエに会って開口一番そう告げると、普段、めったに慌てることのない彼もさすがに呆気にとられたのか、なかなか言葉が出ないようだった。
「……それは、自分から、ひとりで、ですか? ──さすがアウスというか、やることが極端ですね。いったい何をそんなに思いつめたんでしょうか」
「皇城へ行ったときに、どうやらリベリウスと何かあったようなんだ」
「挑発でもされたんでしょうか? 彼女、煽られて乗せられるのにはかなり弱いですしね。
それで、どうしたいんです? 魔術師団に乗り込むつもりですか?」
「……そのつもりなんだが」
「あなたもそうは見えないのに、意外に直情的ですよね。待ってください。いきなり行って目途は付いているんですか?」
さらに呆れたという顔をするスカイエに、少々ばつが悪くなる。
「わたしもある程度は調べたけれど、リベリウスの研究室の位置がわからないんだ」
「そうだろうと思いました。あれから、私もキーランからもう少し詳しい話を聞いたんですよ。
……ところで、このエルスターで、妖精が幾人も行方不明になっているのを知ってますか?」
それが、今のこの状況にどう関わっているのかがわからず訝しく感じて首を捻る。スカイエはそんなわたしのようすを見て、やれやれと肩を竦めた。
「妖精以外の種族が気にしたことがないのも、知らないのも仕方ないことですけどね。
ここ3年ほどのことですが、私たちの間でじわじわと広まった話があるのですよ──妖精が皇都エルスターに行くと人攫いに遭って消えてしまうとね。
確かに、最初はただの与太話だと思われていました。ただの偶然なのに、何を大げさなと。ところがだんだんと行方不明になる数が増えて、今では月に2~3人ほどいなくなるんですよ。もともとこの町に住んでいたもの、たまたまこの町を訪れたもの、どちらであるかに関わらずね」
「……それは、なら、スカイエも皇都に来るのは危険だったんじゃないのか?」
「ええ、そうですね。浚われたものの中には、魔法使いや魔法剣士としてそれなりの訓練をしているものもいたようですし」
言葉に反して大したことではないというスカイエの態度に溜息を吐く。
「それが、最近になって……これはキーランのほかにも何人かいる魔術師団の妖精で掴んだことですが……どうも、前師団長が妖精を使って何やらろくでもない実験を行っているのではないか、という疑惑が出ましてね。もっとも、確証や物証のようなものは皆無でして、すべては推測でしかありません。おかげで、妖精郷から正式に皇国に対して、今回の件についての調査依頼なども行えないのですけど」
だんだんときな臭くなる話に思わず眉を顰め、それから……。
「一連のことにリベリウスが関わっているなら、アウスを煽って魔術師団へ呼び寄せたのも無関係ではないということか」
「順当に考えてそうでしょうね。無関係であると考える理由がありません。前師団長がどんな実験を行っているのかは不明ですが、おそらくアウスもその実験に利用しようと呼んだのだと考えることが自然です」
「なら、なおさら急がないと」
「そうですね。
で、その前師団長ですが……彼の研究室は魔術師団本部の最奥にあるといわれているのですが、内部は不明です。彼お気に入りの魔法使いか皇帝陛下のみしか立入を許されず、結界魔法によって物理的にも魔法的にも閉ざしているらしいですよ」
「結界……?」
「キーランの話ではかなり複雑に組み上げた結界らしく、内部を覗くことも無理なら、内部から何かが漏れ出すこともないのだそうです。それこそ、魔力のひとかけらも逃さないような結界だといっていました。大袈裟ですけど。
けれど、その結界のせいでキーランはじめ、師団に所属している妖精たちには、それ以上調査する方法が見つからないのだとこぼしていましたよ。内部から何かしら漏れてくれれば、それを手がかりにすることもできるんですがね」
「つまり、外部の人間がそうそう立ち入ることは難しいということか」
「ええ。結界破りの得意な魔法使いがいれば別ですが……しかしですね」
淡々と、しかし何か図っているかのような表情を浮かべてスカイエは続ける。
「何かいい手でも?」
「その前師団長の研究室入口扉には、複雑な魔法紋様が刻まれているのだそうです。結界を示す紋様が。
……魔法的に解呪することが無理なら、物理的に破壊するしかないんじゃないでしょうか。もちろん、見つかることを厭わないならですけれど」
「……」
「正直なところを言いますとね、妖精王陛下から早いところ事件調査を進めろなんとかしろとせっつかれているんです。私含め、皇都にいる妖精たち皆ですが。陛下は、その結果いかんによっては妖精たちを全員呼び戻し、皇国とことを構える必要もあるとすら考えています。
とはいってもですね、現状、これ以上の調査を行うには少々手詰まりでして、強硬手段が必要だというところまで来ていたんですよねえ……」
「──つまり、わたしの持ってきた話は、スカイエにとって渡りに船だったということかい?」
「そうとも言います。師団内の妖精の魔法使いは今回のことに協力しますよ。彼らも、現在の師団にはあまり未練がないということでしたからね。
……どうやら、前師団長のころから、人間以外の種族に対する風当たりがだいぶ強くなっているようなんです。皇国は何を考えているんでしょうね」
スカイエはそこまで言うと立ち上がり、にっこりと笑った。
「では、シーア。師団の、その入口扉まではキーランが案内してくれますから、さっそく向かいましょうか。皇国は、妖精の横のつながりの強さを少々甘く見すぎていると思います。詳しい話については道々話しましょう」
貴族街の入口をくぐり魔術師団本部へ着くと、既に師団のお仕着せを着た妖精の魔法使いが2人、迎えに出ていた。スカイエはいつの間にか手配を整えていたようだ。
「キーランです、よろしく。彼女はグウェン。本当はもうひとり、ダーシーという魔法使いがいるのですが、姿が見えなくて……無事だとよいのですけど」
「キーラン、彼が以前話したシーアです。彼の相棒のアウスという剣士が、今朝、前師団長のお気に入りと一緒に師団へ行ったのだそうですよ」
「なら、たぶん、研究室なのは間違いないね。僕は見てないんだけどグウェンは見たんだろう?」
「ええ。マンフレートが人間の黒髪の女性を連れて奥へ向かうのを見たわ」
「なら、たしかにアウスだ。間違いない」
挨拶もそこそこに師団の中へと入った途端、むっとくるような魔力の気配を感じた。その気配には覚えがあり……。
「この魔力は──」
「気配は、あの魔狼の時と似ていますね」
スカイエも同じことを感じていたのか、すぐに頷き、同意する。魔族ほどではないが、妖精もそれなりに魔力に対しては敏感なのだ。
「似ているどころか、ほぼ一緒だと思うよ」
「あなたがそう感じるんなら、それで間違いないでしょうね。……キーラン、師団の中はいつからこんなに魔力が溢れるようになったんですか?」
「そういえば……ここ1、2年くらいか?」
「そうね、そのくらいかしら」
キーランもグウェンも少し考えて、長くてもここ2年程度だという。
「この気配は間違いなくリベリウスの魔力だろう。けれど、ほかにもいろいろ混ざっているように感じる」
とてもひとり分のものとは思えない気配に、リベリウスの実験の内容が気になってくる。あの魔狼の事件の時には、やつの魔力からここまでの気配は読み取れなかった。何をどうすれば、この量でこの気配の魔力が生まれるのだろうか。
「何かすごく嫌な感じだ……」
ぐるぐると内部を歩き回り、ようやく件の扉の前へ到着した。
扉に描かれ、ほんのりと魔力を帯びた複雑な紋様は……。
「魔力遮断、防御、強化……これはずいぶんと大がかりな魔法ですね。これ、設置するだけで相当な魔力を食いますよ。どうやって捻出したのか……儀式にしても大がかりすぎますね」
紋様をざっと見てとったスカイエがそう呟く。キーランもグウェンもそれに同意する。
「人間は、みんな“さすが前師団長”としか言わないからね。けれど、これを支える魔力の供給源とか、そもそも設置するときに必要になる魔力とか、いったいどうやって調達したのかはかなり気になるんだ。
……大っぴらにその疑問を口にすればろくなことにならないからと、今は黙っているんだけど」
「ずいぶん厄介な場所になってるんだな」
「ええ。少なくとも、先々代のときはそうじゃなかったわ。前師団長も、就任してしばらくは今みたいな人じゃなかったと思うんだけど……」
「とにかく、私の見立てではこいつを壊すなら……ここと、このあたりでしょうか。込める魔法は……ここが解呪、ここは治癒ですか」
「わかった」
スカイエの示した紋様の比較的弱い場所を確認し、剣に込める魔法を決める。わたしが剣に魔法を込めるのを見て、スカイエは「では」と、改めて全員に確認をした。
「合図したらお願いします。ここからは戻れませんし、時間との戦いになります。
私たちはリベリウスの実験内容の調査と、アウスの救出を目的としていますが、私とシーアはアウスの救出を、キーランとグウェンは実験の確認を優先します。
……それで構わないですね?」
「構わないよ。スカイエはそれでいいのかい?」
「はい。実験についての調査ならキーランとグウェンの二人掛かりで十分でしょう。むしろ、あなたの目的のほうが厄介な可能性がありますから、油断しないでくださいね」
「……ありがとう」
わたしがスカイエの言葉に頷くと、彼は「では、やってください」と紋様を指さした。




