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目を開けたら異世界でした  作者: 銀月


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29.魔術師団に潜む……

 マンフレートの案内で連れてこられた“魔術師団本部”の内は、濃密な魔力の気配と淀んだ空気が支配していた。まるで、沼の底に溜まったヘドロのように粘り纏わり付くような、淀みきった……息をすることさえ嫌になるくらい、穢れた空気だ。


「マンフレート……お前、こんなところにいて、どうして平気なの……?」

「何を言っている」


 こんな、どこもかしこも穢れて気持ち悪い気配がどうしてわからないのだろう。ここにいるだけで身体の内側から穢されていくような気がする。


「……ここでいったい何をやってるの? 何をしたらこんな気持ち悪い場所になるの?」

 たとえ一時でも、ここにいたらやられてしまう。漂う気持ち悪い魔力に、身体も精神も持って行かれそうな気がして、神様に加護を願う。神様、私の神様……酷い拒絶をしてしまった。きっと、私を怒っているんだろう。それでも加護を願うなんて、都合が良すぎることはわかってる。

『ひと、ふた……』

「ぶつぶつと何を言ってるんだ。さっさと歩け。リベリウス様がお待ちなんだぞ」

『……いつ、む、なな、や……』

 少しでもこの気持ち悪さから逃れたいと、せめて神宝の力にすがろうと、口の中でもごもごと祈りを呟きながらマンフレートの後に続いた。


「着いた。入り口だ」

 建物の中をぐるくると歩かされ、幾つもの階段を通り、ようやくたどり着いたようだ。マンフレートに示された扉には、魔力を帯びた複雑な紋様が刻み込まれている。

「これは……」

「魔術師団の中でも、許されたものしかここから先へ入ることはできないのだ」

「つまり、お前もその選ばれたもののひとりだと自慢したいってわけか」

 呆れてそう揶揄すれば、マンフレートは不満げに鼻を鳴らして「お前のような野蛮な生き物に理解できるとは思っていなかったが」とだけ呟いた。

「ともかく、中へ入れ」

 マンフレートが扉を開けると、その内側からさらに濃い魔力が流れ出してくるように感じた……さらなる穢れが、外に出る。出てしまう。

「う……」

 思わず呻き声を漏らす私をマンフレートは胡乱な目でちらりと見た。

「もたもたするな。早く来い」

 腕を掴まれ、強引に中に引き込まれる。本当に気持ち悪い。いったい何をどうすれば、こんなに大きな穢れが生まれるのだろう。

「お前……本当にこんなところにいて平気なの?」

「さっきから何を言ってるんだ」

 いい加減にしろと目を眇めるマンフレートに、いったいどうしてわからないのかとイライラする。こんなに気持ち悪いものの中にいて、本当に何も感じないのだろうか。おかしいんじゃないか。


 足の止まりがちな私を引き摺るように、マンフレートは先へ進む。いくつもの角を曲がり……魔術師団は皇城の一角だと聞いていたけれど、こんなに広い場所だったのか。自分が、今、あの皇城のどのあたりにいるのか、すっかりわからなくなってしまったころ、ようやく目的地に到着した。

 この場所への入り口でも見たような模様の扉の前でマンフレートが口上を述べると、すぐに扉が開いた。途端にこれまでの気持ち悪さに加えて、さらにひどく生臭いような、胃の不快感を誘うような気配を増した空気が溢れ出す。


「やっと来てくれたね、緒方樹」

「リベリウス……ここは、何なんだ」

 フードを目深に被った人影が、まるで芝居か何かのように大袈裟な歓待の身振りで私を出迎えた。

「おや、気に召さなかったか? ここは魔術師団の最奥にある私の研究室だ。師団の魔法使いでも、ごく一部のものにしかここへ入ることを許していないのだぞ。光栄に思うといい」

「……馬鹿馬鹿しい」

 こんな気持ち悪い場所、誰が好んで来るものかと思う。来たくて来たわけじゃない。頼まれたって来るものか。

「お前はここで何をしてるんだ。何をしたら、こんなに穢れが溜まるっていうんだ」

「ケガレ?」

 何を言っているかわからないというようすでリベリウスが首を傾げ、私を見た。そのようすにもしかしたらという疑問が湧き上がる。

「ここに溢れる魔力に酔ったとでもいうのかな? 意外に器が小さかったということか?」

 ふむ、と考えるリベリウスに、私が今感じてるこの気持ち悪さは、私がはっきり感じているこの穢れは、ここの魔法使いたちにはまったく感じることができないものなのだとようやく理解できた。こいつらには、ただ、魔力がここにあることしかわからないらしい。それが鈍感故なのか慣れ切ってしまったためなのかは知らないが。

「……じゃあ、この魔力はいったいどうやって集めたんだ」

 シーアが連れていってくれた魔の森では、たしかにたくさんの魔力を感じたけれど、あの森にここにあるような気持ち悪い穢れはまったくなかった。いったい何が違うというんだ。

「……マンフレート、緒方樹をこちらへ連れておいで」

 マンフレートが私の腕を掴み、歩き出したリベリウスの後に続く。さらに奥に設えられていた部屋に通され、そこは。

「何だ、この臭い」

 いや、知っている。私はこの臭いをよく知っている。戦いの時にいつも嗅いでいる、あの臭い。つまり……。

「まさか」

 部屋全体に刻まれた複雑な紋様が、すべて、この場で行われる魔法のためのものだというのは、すぐに見て取れた。中央奥の台座に設置された、やはり紋様の刻まれた球体は、内側から明滅するような光をほんのりと放っている。その前にはまるで儀式のための祭壇のような台が置かれ、その上には大きな布包みがひとつ。

 ……すぐに、その布の塊がもぞりと動き、内に包まれた何かが呻いたことに気づいた。その布包みの大きさは、人間くらい、で……。

「まさ、か」

「緒方樹、この世界全体にはたいへんな量の魔力が生み出され、満ち溢れていることは理解できるな。では、世界に存在するものの中で、いったい何が一番魔力を持っているか、知ってるかね?」

 やけに明るい声でリベリウスが語る。彼が指を鳴らすと、どこからともなく使用人が……奇妙に生き物らしさを感じさせない使用人が現れて、リベリウスの命令を待たずに布包みを解き、包まれていたひと……いや、妖精をその祭壇のような台に縛り付けた。妖精は、魔法によってか薬によってか朦朧としたままろくに抵抗もせず、されるがままとなっている。

「私の研究には膨大な魔力が必要なのだよ。正直、それが一番の制限となっていたため、私の研究は遅々として進まなかったのだが……案外簡単な方法で魔力を集められることに気づいてね」

 ぐったりとした妖精の姿と、明るく語るリベリウスの声とが、頭の中に警鐘を鳴らす。

「だめだ」

 この場が穢れているはずだ。魔力を集めると称して、淀んだ水から澱だけを濾し集め続けたのだ、穢れないわけがない。ここに存在するのは穢れだけだ。

「ひとつ、実演してあげようではないか」

 リベリウスが短剣を取り出し、ひどく美しい紋様を彫り込まれたそれを、そのまま妖精の心臓目掛けて振り下ろした。凍りついたように動けないまま、私は息を呑む。

 ……が、妖精の心臓から噴き上がるはずの血は一滴も流れず、全てがどこかへと消えてしまった。奥の球体の光の明滅が強くなり、光量が増したことに気づく。

「生き物の死が大きな魔力を生み出す。これは古来から知られていたことではあったが、魔力の強いものほど生み出される魔力か大きいということが最近わかってね」

 くつくつと、楽しげにリベリウスが笑う。

「特に、妖精と魔族は別格だ。彼らのもともとの魔力の器が大きいからか、彼らの冗長な寿命ゆえなのかはわからないのだが、彼らの死が生み出す魔力は非常に大きく……ひとことで言えば、とても効率が良い」

「こう、りつ……」

 呆然と呟く私に、リベリウスがにっこりと微笑んで頷く。

「……魔術師団にだって、妖精が、いるのに……」

「十分に訓練を受け、優秀な魔法使いとなった妖精がどれほどの魔力を生み出すのか、楽しみだよ」

 おかしい。こいつ、頭がおかしい。

 思わずマンフレートを見ると、彼は無表情のまま、リベリウスを見ていた。

「なんで、そんなことができるんだ……」

「私の研究は至高だ。緒方樹、お前は“完全”を幻想だと断じたが、既に私はその糸口を掴んでいる……お前という存在のおかげでな」

「私の?」

「お前の存在のありかたと、お前の持ち込んだ概念が、私に“完全”を齎す。お前を召喚できたことは、私にとっての福音だった。礼を言おう」

 リベリウスはまたくつくつと笑った。

「だから、緒方樹、お前にはもう少し私の役に立ってもらわねばならん」

「いったい何の……」

「なに、簡単なことだ。私の器として、その身体を差し出してくれればよい」

「な……」

 お前の思う通りになるものかとリベリウスに向かおうとして、いつの間にか、あの使用人たちに囲まれていたことに気づく。

 マンフレートが、私を掴む手に力を込め、魔力のこもった言葉を唱えた。


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