27.私というとても不安定な生き物
こいつ殺したい、と切実に考えながら、それでも笑みを崩さないよう、顔が引き攣らないよう、必死で表情を作った。あの時あの場にいたリベリウスは、ただの人形だったとシーアは言った。なら、こいつも人形でしかないと考えるべきだ。
それでも、よくもまあ堂々と私の前に出てきたなと考えずにいられない。それだけ自分の後ろ盾に自信があるということなのだろうが、これが権力という力なんだと見せつけているのだろうか。
……こういう時の腹芸は、シーアのほうが上手いのに。
目の前に立つリベリウスに募るイライラを隠そうとしながら、私は口を開いた。
「……それで、どのようなお話をすれば良いのでしょう、リベリウス様」
「何、2、3、話を聞かせてほしいくらいだよ、アウス殿」
たとえ偽名でも、こいつに名前を呼ばれると皮膚が粟立つ。剣を抜きざまに斬り捨てることができたらどれほど爽快だろう。
想像だけで止めておき、落ち着こうと息を吐く。
「よくもまあ、堂々と顔を見せられたもんだね。どうせ仮宿なんだろうが」
「お前こそ、自ら舞い戻るとはどういう風の吹き回しだ。……まあいい」
お互い、にこやかな笑みを崩さないまま、皇女殿下やアネマリー様には届かない程度に声を抑える。こいつのことだから、声を遮断する結界くらい使っているのかもしれない。
「……あれから私も随分と調べたのだが、面白い概念があると知ったよ、お前の世界に」
いったい何のことを言っているのかわからず、私は目を眇めてリベリウスを見詰めた。
「魂、というものがあると考えているのだな、お前の世界の人間は。身体は朽ちても魂は永遠であり、何度でも蘇ると。ただし、記憶や経験は無くすようだが」
「……何が言いたいんだ。いや、何がしたいんだ、お前」
「素晴らしい概念だね。魂か。記憶も何もかもを維持したまま、次の身体へと移れたら……それは即ち永遠だ」
ああこいつが何をしたいのか、わかった気がする。
「そうそう、お前にひとつ教えてやろう。魔法使いには何度も何度も繰り返し聞かされる格言があるのだが、知っているか?
永遠に続く魔法はない、という言葉なのだが」
突然話を変えられて私は思わず怪訝な表情を浮かべて首を傾げ……ようとして、気づいてしまった。こいつの言おうとしていることに。
私はこの世界に魔法で呼ばれた、魔力で作られた身体に意識が宿った存在で、つまり……。
「お前は、あの男とともにありたいと願っているが、やつは魔族で、永遠に近い寿命を持っている。
ここでひとつ問題が発生するな。
──お前の身体は、いったい、あとどれくらい保つのだろうね?」
くつくつと楽しげに笑うリベリウスに、私は、だからお前の求める“完璧な生き物”の研究に協力すべきだとでも言うのか、と笑おうとして、失敗した。そして、そのまま取り繕うことも忘れて黙り込んでしまう。
そう、確かに永遠に続く魔法はこの世界に存在しない。エトガルだって、幾度となく繰り返し言っていた。魔法に永遠はないと。
……私は、なら、私のこの身体はいったいどれくらい保つのだろう。私は、あとどれくらいの間、この世界に存在できるのだろう。
「召喚した魔神は、そうだね、魔力が尽きればすぐに塵に帰ってしまう。もちろん、斬られて回復できないほどのダメージを負った時も、即、塵となる」
やけに明るい声で、リベリウスは続ける。
「いつ魔力が尽きるかは、その魔神がもともと持っている魔力にもよるが……そうだね、なるべく魔法を使わせずにおいても、長くて5、6年がせいぜいだろう。
ところで、私がお前を呼んでから、どれくらいの時がすぎたかな?」
リベリウスは、思わず俯いた私の顔を覗き込み、続ける。
「お前は、あの町でも北でも随分と魔力を放出していたようだが、身体に変わりはないのかい?」
よほどひどい顔色だったのだろう、アネマリー様がこちらを見て、アウス? と呼んだ。
「なんだか顔色が悪いようだけど、大丈夫?」
「……はい、少し緊張してしまっているだけです。ご心配は不要です。申し訳ありません」
「なら、よいのだけど」
慌てて取り繕った笑顔を浮かべて、アネマリー様とテレーズ様に一礼すると、どことなく納得がいかないという顔をしながらも、アネマリー様は再び皇女殿下と談笑に戻った。
「私はいつでもお前を歓迎するよ」
リベリウスはなおもくつくつと愉しげに笑いながら、私に囁いた。
正直なところ、そこから先は何を話して何をしたのか、よく覚えていない。これまであまり考えなかった……いや、考えないようにしていたことを眼前に突き付けられ、何から考えていいのか、何をすべきなのかわからなくなっていた。
伯爵家に戻るとすぐ、アネマリー様やテレーズ様に胡乱な目で見られながらも、その顔色では仕方がないと早々に下がることを許され、宿舎の自分の部屋へと閉じ籠ってしまった。
最初は、日本に戻れなかったとしても、この世界で普通に人間としてありきたりの寿命の長さだけ生きて死ぬんだと思っていた。
町を出て、10年経って、歳を取っていないことに気づいてからは、よくわからないけれど、なら誰かに殺されたり事故で死んだりするまで、だらだらと生き続けるのかと考えていた。
……だから、少なくとも、気をつけてさえいればずっとシーアと一緒に生きていけるんじゃないかと、そう漠然と期待してたのだ。
自分がこんなにあやふやで、心許ない存在だなんて思わなかった。こんな、いつ尽きるかわからない存在だなんてわかっていたら、ずっとひとりで……。
そこまで考えて、それは無理だと思い直す。私はそんなに強くない。
「樹、体調が悪いと聞いたけど?」
扉を叩く音とシーアの声で我に返ったけれど、返事をすることができずに蹲っていた。
「樹、入るよ」
がちゃりと扉を開ける音とカツカツと靴を鳴らす音がして、シーアが入ってくる。
「……樹?」
ベッドの上で蹲ったままの私の横にシーアが腰かける。そのまま肩に手を回し、私の顔を上げさせる。
「シ……ア……」
彼の顔を見た途端、くしゃりと顔を歪めて震えだす私を、シーアは抱き寄せた。
「樹、何があった?」
「シーア……もし……もし、私が……」
そこまで言って、後が続かない。何て言えばいいんだ、何て。
「樹? 何をそんなに怯えてる? リベリウスが何かした?」
「……シーア……私……私は、魂があるから……輪廻のある世界から来たから……もし……万一、消えても……必ず……必ず、生まれ変わって、シーアのところに、戻ってくる」
どうにかそれだけを囁いて、ぎゅうっとシーアの身体を抱き返す。シーアは息を呑み、ただ私を抱く腕に力を入れた。
「だから、約束……」
「何を?」
「必ず、もし消えても、必ず戻るから、私を忘れないで。待ってて」
「もちろんだよ」
私はシーアの胸に顔を埋めた。彼の返答がとてもうれしかった。そして、自分のエゴの強さと身勝手さが心底嫌になった。私が本当に生まれ変わる保証なんてどこにもないのに、自分の身勝手なわがままで、自分が死んだ後まで彼を縛ろうとしている。
──なんて、嫌な奴なんだろう、私は。
しかし、それでも待つという約束がうれしくて、どうしても撤回することができなかった。




