25.都合がいいのか悪いのか。
夜は明け、約束は守られた。
かなり早い時間のうちに馬車を用意され、私はクロイト伯爵邸へと戻ることができた。
ドレスなんて動きづらくてかなわない。伯爵邸の門をくぐり馬車を降りるとすぐ、いつもの服に着替えようと宿舎へ向かったら、シーアが待っていた。
「よかった……」
私の顔を見るなり開口一番そう言って安堵の溜息を吐くシーアを、一緒に部屋へ招き入れる。
「油断したよ。勢いでなんとかなったけど、ごめん、心配かけたね。あまり寝てないでしょう」
うっすらと隈の浮いたシーアの目の下を撫でると、彼は大丈夫だよと言った。
「何かあったらすぐに行けるように、ずっと気配を確かめてたんだ」
心配性な彼の言葉に思わず笑んでしまう。散々やらかしてきたから、何かなんて絶対起こらないよと言えないのが辛いところだ。
「ほんとに危なかったら、シーアを呼ぼうと思ってた。でも、怪我の功名かな。マンフレートからの横槍は、絶対とは言わないけど、多分もうないと思う」
「何があったか、ちゃんと話してくれるね?」
「もちろんだよ」
手早くドレスを脱ぎながら、つらつらと昨晩の話をする。
「やっぱりね、リベリウスが本命みたいなんだ。マンフレートには私たちの邪魔をしないって約束を取り付けたけど」
「どうやって?」
「私が知ってる漢字を教える代わりに、私の邪魔をしないって約束して、指切りをした」
「ユビキリ?」
「約束を破ったら針千本飲ますぞっていう、お呪い。日本だと口約束程度にしかならないけど、こっちなら立派に呪いの効果を持つみたいだね」
ほら、と言って右手の小指を見せると、シーアは絶句していた。
「……呪いはリスクが大きいんだよ。わかってる?」
「わかってるつもり。日本でも、人を呪うなら墓穴は自分の分も合わせてふたつ用意しろって格言があるし。
これの場合は、どっちかっていうと、破ったものに災いが降りかかるぞっていうのだから大丈夫なんじゃない?」
「君の“大丈夫”の基準が、よくわからないよ」
なんとも言えない顔をするシーアに笑いながら、コルセットはやっぱりひとりでは外せないからと、紐を解くのを手伝ってもらった。
「それにしてもさ、こういうのは、もっとぼんきゅっぼんな人が付けるから意味があると思うんだよね。ただ苦しいだけだし、いらないっていうのにどうして無理やり付けさせるんだろう」
「ぼんきゅっぼんって何のこと? 想像はつくけど。でも、他からするとコルセットを付けないほうが理解できないと思うよ」
コルセットの苦しさを愚痴る私に、シーアが笑う。
「ぼーんと出るとこ出て、きゅっと引っ込むとこ引っ込んでる、とても女の人らしい体型のこと。……ああ、貴族ってほんと面倒だね」
「樹の表現の仕方はおもしろいね。それはそれとして、おかげであまり見られないものが見られたし、わたしにはちょっと得だったよ」
にこにこしながら言うシーアに、つい恨みがましい目を向けてしまう。
「私はドレスなんて1回着れば十分。制服のスカートだって動きづらくて嫌だったのに、ドレスとか拷問だね。服飾に関しては日本のほうが断然よかったな」
「女の人も普通に男装しているんだっけ? しかももっと軽装で、脚も丸出しってすごいよ。想像できない」
「私からすると、動かない歩かないを前提であんな服着るとか、そっちのほうがありえないね。女の人がズボン履くと怒られるとかないよって思ったし。
あ、でも日本の着物を考えるとそこまでは言えないかな」
「キモノ?」
「日本の民族衣装。着付けとか、たぶんドレス並に面倒臭いの。すごくきれいなんだけどね。私も、浴衣くらいならなんとか着られるけど、それ以上は帯の結び方とかさっぱりわからないんだよね。ちゃんと習わないと着れないんだ。難しくて」
「へえ」
「……シーアは、似合いそうな気がするな」
「そう?」
「振袖とか、着せてみたいな」
「フリソデ?」
「未婚の女性の正式な衣装でね、華やかでおめでたい模様が多くて、色も綺麗なんだよ」
「……未婚の、女性の?」
微妙な顔になるシーアに、あははと笑う。
「さて、着替えも終わったし、アネマリー様に挨拶に行かないと」
脱いだドレスと下着一揃いの汚れを軽くチェックして布に包み、本館へと向かった。
「アウス! 帰ってたのね!」
「はい、アネマリー様のお顔が見えないとやはり寂しいですし、マンフレート様には無理を言ってしまいました」
「大丈夫よ。フレート兄様には、わたくしからもお手紙を書いておくわ」
「ありがとうございます」
我ながらタラシ臭いなあと思いながら、にこやかにアネマリー様の機嫌を取る。まあ、これが役割だし。
「じゃあ、フレート兄様とどんなお話をしたのか聞かせて!」
「はい」
目をきらきらさせるアネマリー様はほんとにかわいい。妹がいたら、こんな感じだったのかなと思う。
「私の故郷に伝わる、神々への祈りの言葉に興味をお持ちとのことでしたので、それについてお話しました」
「まあ、神様? 太陽と正義の神?」
「私の故郷の神々なんですけど、この国と一緒で太陽が一番偉い神様なんです。女神ですけどね」
アネマリー様に、天照大神の話をする。と言っても、私もそこまで詳しく覚えてないので、かなりいい加減だけど。
それからも、アネマリー様の我儘を聞いたりしながら、昨日、シーアがスカイエから聞いたという話について考える。
皇帝まで関わってくるとなると、かなりの大事なんじゃないだろうか。皇太子はとんでもないぼんくらだというし、自分が死んだらこいつが次期皇帝かと皇帝自身も相当焦っているってことだろう。
……世襲制の弱点だよなあ。
どれだけ激しい継承権争いがあったというのだろうか。皇太子の母親とその親族がめちゃくちゃ頑張ったってことだろうか。
それにしても、私が今ここにいるということに、リベリウスは気付いているのだろうか。それとも、まさか追われてるのにこんなところに来るわけがないとでも考えているだろうか。
我ながら“だろうか”ばっかりで嫌になるな。
さすがに皇城の中を調べるには力が無さ過ぎる。正攻法で乗り込むのはもちろん無理だ。魔法でも物理でも守りは堅いだろう。忍び込むにしたってどこから手を付けていいやらまったく見当も付かない。
マンフレートから辿れたら御の字だろうけど、彼がそこまで私に協力するとは考えられない。紹介者や後ろ盾もない以上、皇宮勤めなんて望むことすら無理だ。
……もしかして、これは詰みなんじゃ?
アネマリー様が城へ出仕することがあるならまだ機会はあるかもしれないが、社交界に出ることすらあと1年はかかるのだ。待っていられない。何かいい方法はないか。
いっそ、リベリウスに私はここだと知らせて向こうから出てきてもらうか……いや、シーアに全力で反対されるな。
「ねえ、アウス、さっきからどうしたの? 上の空よ?」
「ああ、すみません。少し考えごとをしてしまっていました」
「もう、アウスてば! ちゃんと聞いていた? 近いうちにお母様が皇城へ上がるのだけど、わたくしも一緒に連れて行ってくださるの。お前も護衛として来るのよ?」
「──私もですか? 城へ上がれるような行儀作法に通じてはいないのですが、大丈夫でしょうか」
「大丈夫よ。アウスはもともと所作がきれいだもの。だけど、そうね、心配ならお母様にお話しして、アウスもお作法を勉強できるように取り計らってもらうわ」
「ありがとうございます」
思わぬところから、機会がやってきた。城のどこまで入れるのかはわからないが、少しは進展が見込めるといいけど……少々都合よく進みすぎる気がしないでもないな。
用心したほうがいいだろうか。いや、用心するといっても……。
「なるようになあれ、ってやつか」
ぽそりと呟いて、またシーアに呆れられそうだな、と思った。




