24.魔法使いの弟子
本来、貴族が平民の、しかも使用人に理由もなく親しげな態度を取ることはない。だが、マンフレート様はやたらと、親しい友人に対するような態度を私に取った。それはまるで、先生に頼まれたから友達になってやるよ的な態度に見え、そこはかとない不自然さを感じて止まなかったのだが……。
「油断したなあ」
目が覚めて、呆然としながら呟いてみる。薬を盛られてるとか、予想して然るべきだった。油断しすぎだろ、自分。
改めて周りを見回し、邸宅のどこか……おそらく塔の上のほうの部屋に軟禁ってところかと考える。下着のみにしておけば、この部屋から出られないとか思われてるんだろうか。アネマリー様に、兄様のところへ行くのだからと着せられたドレスは脱がされ、今身につけているのはコルセットとドロワーズというのだろうか、ともかく下着だけだ。もちろん武器はない。
……コルセットは外しておいてほしかった。締め付け続けられて死にそうだ。その昔、これのおかげで肋骨が折れた令嬢もいると聞いたけど、さもありなんだ。これが淑女の身だしなみとか頭がおかしいんじゃないか。
仕方ない、コルセットは自分で外そう。
どうしても背中側の紐が解けないので、力任せにぶち切ろうとしながらどのくらいの時間が経ったのかと考えてみる。
部屋の上の方に開いている小さな窓の外は暗い。夜か。自分の体調から鑑みて、さすがに1日以上過ぎたとは思いづらい。
なかなかうまく外れないコルセットにイライラしながら格闘していると、扉がノックされた。すぐに鍵を回す音がして、侍女のお仕着せを着た女性が食事を持って入ってくる。
「オガタイツキ様、お食事をお持ちしました」
……ああなるほど、あの兄ちゃんは私のことを最初からご存知だったってことか。つまり、召喚主の関係者ね。魔術師団の魔法使いだし、当然予想の範疇ではあったなあ。油断した私自身の責任か。はあ、と溜息を吐いてしまう。
「……言いづらいでしょ。オガタでいいよ。それも言いづらかったら、オグでもなんでも好きに省略して」
どうせ私の名前じゃないしと心の中だけで付け加えると、侍女は困った顔になり、少し逡巡した後に「では、オガタ様とお呼びします」と微笑んだ。ちなみに彼女の名前はリタらしい。
「で、あなたのご主人は、私をここに入れて何がしたいのかな?」
「お食事が終わった頃にマンフレート様がこちらにお見えになりますから、それまでお待ちください」
「わかった。あと……申し訳ないんだけど、このコルセット外してもらえるかな。自分じゃうまく外せなかったんだ。もうひとつ、さすがにちょっと冷えるから、何か引っ掛けるものが欲しい。なんでもいいから」
「はい、わかりました」
あんなに苦戦したコルセットをあっという間に外すと、リタさんはガウンのようなものを持ってきてくれた。さすがに平坦とはいえ下着だけでは目のやり場に困るだろうし、少し落ち着いた。
窮屈なコルセットから解放された途端、空腹感が押し寄せてくる。毒を盛るとかは今更すぎるから大丈夫だろうと考えて、私は持ってきてくれた夕食を平らげた。
腹が減っては戦はできぬ、だから。
「気分はどう?」
食べ終えてしばらく後、相変わらず友達のフリな笑顔で現れたマンフレートは、開口一番そう聞いてきた。
「とっても素晴らしい気分です、って言えるほど、私はドMじゃないんだ」
「ドエム?」
「被虐趣味はないってこと。つまり気分は最低。これで良いと答えられる人間がいたら見てみたい」
実は結構頭にきてたんだなと自覚する。アネマリー様がいなかったら、こいつのことはさっさとどうにかしていただろう。
リタさんが横でおろおろしているが、気にしないことに決めた。
「君の素の態度は面白いな。ただの平民とも違うようだが」
「紛う事なきただの平民ですよ。故郷には貴族なんぞいなかったもので、あなたの身分のほうが私には理解不能なものですが」
青くなってるリタさんを気にせず、続ける。
「先祖にたまたま出世して偉くなれた人がいただけの人間をどう尊敬しろと? ってのが、私の故郷での標準的な感覚です。それとも、血筋に他人へ敬意を強制できるほどの何かがあるとか信じてます?」
さすがに私の無茶な言いっぷりが気に障ったのか、マンフレートは顔を引き攣らせている。
「で、私をどうしようと言うんですか? 私に提供できるものも私を餌に引き出せるものもないと思いますがね」
気を取り直そうというのか、マンフレートは咳払いをした。
「お前はこの大陸にない魔法を使うだろう。それを私に寄越すのだ」
「ああ、あれは魔法じゃありません。この世におわす八百万の神々に清めを希うための奏上です。呪文でもなんでもないですよ」
「神?」
マンフレートは眉を顰めて何か理解し難いものを聞いたという顔になる。魔法使いからすると、この世界になにか効果をもたらすのは魔法であって神ではないのに何言ってんだこいつ、というところか。
「……私の故郷の常識からすると、魔法こそ眉唾で、なにか偶然に助けられたらそれは神の奇跡ってことになるんだけどな」
それはともかく、マンフレートは私を仮称スミスの推定リベリウスに渡そうというわけでもないのだろうか。
「まあ、そうは言っても、別に祓詞を教えることくらいはできます……タダでとは言いませんが」
「どういう意味だ?」
やっと、マンフレートは友達のフリをやめた。怪訝そうに、“この平民風情が何を言い出す気だ”と言わんばかりの表情になる。
「あなたの立ち位置次第です。あなたがどんなスタンスで私に対峙してるのかわからないので、これ以上は言いたくありません」
私も姿勢を正す。
「“オガタイツキ”という名前を知ってるなら、あなたは私の出自をご存じなんでしょう。で、どうするつもりなんですか? “本来の持ち主”を主張する輩に渡しますか?」
「──お前が言う“本来の持ち主”というのは、リベリウス様のことか。魔法生物の第一人者で、召喚魔法にも明るい、魔術師団の前師団長の」
「なら、そうなんじゃないですか?」
「……で、あれば、渡すつもりはないが」
「それはなぜですか」
マンフレートは私を見詰めた。目を眇め、まるで値踏みするかのように、じっと私を見詰めた。
「私は、世代交代は速やかに行われるべきと考えている。ご老人方にいつまでも居座られていては、我々後続が困るのだ」
「なるほど」
自分の椅子のためにさっさとそこをどけ席を空けろってことか。不老不死なんてトチ狂った目的を万が一にも達成されちゃ困るんだな。自分の利益のためにそうするというなら、ある意味信用はできるだろう。まあ、こいつが老人を片付けた後に同じ発想をしないとは限らないが。
「なら、取引できそうですね」
「取引だと?」
「そう。あなたは私を売らず、あなたの力の及ぶ範囲でいいから、私の自由を保障する。特に何かをやれってわけじゃない。私を放っておいてくれればそれでいい。……私の目的はリベリウスを叩き潰すことで、それ自体に協力しろとは言わないが、私の邪魔はするな。
その代わり、あなたに私の知ってる祝詞と漢字……あなたの知らない魔術文字を教えよう。魔法使いなら、これは大きなアドバンテージになるはずでしょ。何せ、この世界のだれも知らない魔術文字なんだからね」
「……それを呑んだとして、お互いをどう信用するというのだ」
「儀式をしてもらう。呪い的なやつね」
「儀式?」
「相手を欺くと、とんでもない苦痛が襲う。死なない程度だけど苦痛は延々続くから、たまったもんじゃないでしょう。
はい、条件に納得したなら小指だして」
私が小指を立てた状態で右手の拳を差し出すと、マンフレートも真似をした。その小指に、自分の小指を絡める。
「では、私はあなたに私の知る祝詞と漢字を教える。あなたは私を他の魔法使いに売らないし、あなたの力の及ぶ範囲で私の自由を保障し、私の目的を邪魔しない。これでいい?」
「いいだろう」
『指切りげんまん嘘ついたら針千本呑ます。指切った』
子供の頃何かというとよくやったな、と少し懐かしい気持ちになりながら、指切りを済ませた。半分くらいはハッタリだが、魔法のあるこの世界なら、指切りに何かしら効果はあるだろうと期待してだ。
狐につままれたような顔で自分の小指を眺めるマンフレートに、私はにやりと笑う。
「これで儀式はお終い。針を千本も万本も飲み込まされるような苦痛を味わいたくなかったら、約束は守ってくださいね」
「たしかに、何かしら魔力が働いてるようだな……いいだろう、お前こそ、約束を違えるな」
「あ、そうだ。マンフレート様」
マンフレートが私に訝しげな目を向ける。
「なんだ。まだ何かあるというのか」
「リベリウスについて、差し支えなければ情報をください」
「……それも、この“約束”の範疇か」
「いいえ。……まあなんというか、できればでいいです」
「今更か。おかしなことを言う」
「個人的な嗜好の問題なので。それと、漢字については私が以前自作した一覧を写してお持ちしましょう。
……まさか、私をここに閉じ込めっぱなしにする気は無いですよね? 約束違反ですし」
「わかっている。明日、クロイトの屋敷へ送り返そう」
「なら構いません。じゃ、今から簡単な祓詞の祝詞をお教えしましょうか。私の覚えてる日本神話付きで」
「ああ」
ほとんど勢いで押したようなものだけど、最悪の事態にはならずに済んで良かったと思う。




