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13.北方に現れたものは

 この世界に来てからずっと、私は異質な存在だった。必要なことは最低限学ぶことはできていたけれど、目にするもの何もかもが私の知っているものとは違い、新しいものに触れるたび、戸惑わずにいられなかった。

 かといって、元の世界で私がどんな人間だったのか、どんな風に生活をしていたのかを問われてもわからない。

 たとえば、本に書かれたものを読み上げるように、元の世界がどんなところかを述べることはできるけれど、私がそこでどんな風に過ごしていたのかを話すことはできないのだ。

 私は、誰かにそう言い含められたように「あちらの世界から来た」から「帰らなきゃいけない」と思いはしても、それに実感や自分自身の欲求が伴ってはいなかった。

 だから、こちらへ来た当初こそ帰らなければと思っていたけれど、今ではもうすっかり「帰る」のはどうでもよいことになってしまっていた。あの時、召喚主に呼ばれたあちらでの名前が、私の耳を滑るだけで、私の中に留まらなかったのと同じ理由で、私の元の世界での記憶も私の中に留まらず、どんどん希薄になっているんだろう。

 ……私が知っている私自身は、この世界に来てからの10年分の蓄積だけしかないのだ。


 じゃあ、私はどこにいるべき人間なのか。

 今の私は、どこにも根を下ろすことができずにただ漂っているだけの浮き草で、こっちにもあっちにも拠り所となるものを持たない、ふらふらと不安定な存在でしかない。


 ──なのに、シーアが私に彼の大切なものを預けてくれただけで、何か自分がしっかりと……シーアという存在を鍵として、しっかりこの世界に足を下ろすことができたように思えてしまった。

 なんて不思議で、なんて幸せな感覚なんだろうと、うっとりとする。

 私は、つくづく現金な人間なんだな。


 そして、エトガルを思い出してお腹の底が冷えていく。また、あんなことが起きたらどうしようと考えるだけで、心臓を握り締められたように苦しくなる。今までにないほどの不安と恐怖が私を襲う。

 シーアには消えて欲しくない。シーアが消えてしまったら、きっと私は耐えられない。

 ──私は、あの召喚主をどうにかしなくちゃいけない。




 結局、私が仕事に復帰できたのは、あの日から10日ほど過ぎてからだった。そのうち半分は熱が下がらず寝たきりだったから、体力の衰えが半端ない。寝込む前の半分程度の量の訓練でも息が上がってしまう。

 シーアにはあまり無理するとまた寝込むから、少しずつ慣らしていかなきゃだめだと言われてしまった。しかも、目を離すと無茶するからと、訓練の時は必ずついてくる。少し過保護ではないだろうか。

 クンツに崖下に捨てられてしまった私の武具は、シーアが回収してくれていた。もっとも、鎧はひしゃげ剣も曲がってしまっていたため、辺境伯お抱えの鍛治師に頼んでほぼまるっと打ち直しになってしまったのだが。


 そして、正直なところ、あの騒ぎの原因となってしまったことで辺境伯との契約は打ち切られるだろうと考えていた。普通に考えて、トラブルメーカーを置いておきたい雇用主などいない。

 ……けれど魔狼の群れのおかげか、契約は継続されることになった。今、たとえ中位に届く程度の魔法使いでも、魔法を使える者が減ると困るのだろう。マリエンやスカイエの、魔法使いたちの口添えがあったことも大きいと思う。とてもありがたい。


 魔狼は、あれからもずっと、痕跡は見つかるものの肝心の群は見つからずだった。もしかしたら何か頭のいい魔物が率いているのではないかという疑惑すら持ち上がっていた。もっとも、魔狼を率いるような頭のいい魔物とは何かという話になると、さっぱり検討もつかないのだが。

 そろそろ、一度本格的に魔法も使って群の位置を探すべきではないかという話も出ていた。行くとなると、おそらく傭兵たちの中から数人選んで調査隊を編成することになるだろう。


「シーア、どう思う?」

「何が?」

「魔狼の群」

「わたしもこの仕事を始めてから長いけれど、ここまで巧妙に隠れていられる魔狼の群は、見たことも聞いたこともないね。

 ところで、何してるんだい?」

「だよね。えーと、三つ編み」


 なんとなく手持ち無沙汰だったので、シーアの髪をいじくりながら魔狼のことを考えていた。シーアの髪はさらさらで、手を離すと編んだところがするするとあっという間にほどけるので面白い。


「自分のは短いし、シーアの長さが丁度いいんだよね」

「アウスも伸ばせばいいのに」

「伸ばすと、洗ったりまとめたりが面倒なんだ。戦いの最中、目に入ったりもするし」

「伸ばしたらきれいだと思うよ。真っ直ぐだし」

「どうだろうね。前はどうだか知らないけど、こっちで伸ばしたことはないからわからないな」

 ふ、とシーアが笑いながら、じゃあ、試してみればいいのにと言う。彼の笑顔は柔らかくてきれいだと思う。


「ああ、ここでしたか」

 不意に声がして、振り返るとスカイエだった。

「何かあった?」

「マティアス隊長が全員集まるようにと。どうやら調査隊を出すようですよ」

 私はシーアと顔を見合わせてから、「すぐ行く、ありがとう」とスカイエに頷いた。


「巡回中以外のやつは、これで全員だな」

 集まったメンバーを見渡して、マティアス隊長が口を開いた。

「魔狼の群がこのあたりをうろついてるが、まだ実際にその姿は確認されていないというのは、全員が知っていると思う。辺境伯とも話し合ったんだが、その魔狼の群を探すことになった」

 ざわっと声が上がる。いよいよか。

「魔法使いを混じえて少人数の班で、まずは魔狼どもの位置を探る。今から名前を呼ぶものは、明朝から5日間、割当区域を捜索だ。基本的な必需品は準備してあるが、特に必要なものがある場合はすぐに申し出ろ」


 斥候は、魔法使いを含めて3人1班で編成された。私はシーアとスカイエが一緒だ。班ごとに受け持つ地域の説明を受け、何かを発見したらすぐに待機している魔法使いに伝達魔法で知らせることになった。

 待機する魔法使いはマリエンだ。隊長が、治癒が得意な彼女は後方で待機すべきだと判断したんだろう。もう1人、人間の魔法使いであるモーリッツは、もうひとつの斥候班に入った。彼がどんな魔法使いなのか、実はあまりよく知らない。彼はどちらかというとあまり他人とコミュニケーションを取りたがらないタイプのようだったので、ほとんど話したことはないのだ。

 この辺境伯の城がある町を基準に、おおよそ西側を私たちが、東側をもうひとつの班が調べることになった。

 今までに見つかった魔狼の痕跡をもう一度確認して、私たちは早朝から山へと向かった。


 そして調査に出て3日目の今、私たちは異様なものを目にしていた。

「何、あれ」

「魔神だと思うんだけど……」

 私の疑問に、シーアが戸惑ったように呟くが、スカイエは違うと頭を振った。

「感知できる魔力が違います。あれは、たぶん魔神とは違うものです」

 目の前には、身の丈が3mを越すんじゃないかと思われる、大きな魔物がいた……魔物としか形容しようのない生き物だ。赤銅色の肌は、落ちた雪がしゅうしゅうと音を立てて溶けて蒸気になるほどの温度があるようだ。頭には不恰好で大きな角が張り出し、背中には大きな皮の翼も持っているが、空を飛べるということなのか。

 私の元いた世界で「悪魔」と言われて想像するような生き物が、私たちの隠れた場所から眼下にある峡谷に立っていた。


「どっちにしろ、自然にいるようなものじゃありません。隊長に報告しないと」

 スカイエが伝達魔法の準備を始める……と、やつが明らかに私たちを見て、背の翼を広げた。

「スカイエ、まずい、見つかった!」

「魔法を感知するのか? スカイエはそのまま報告を優先して。隙を見てここは撤退しよう」

 私とシーアは剣を抜き、スカイエを庇うように立ち上がった。


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