出発
ルミナスが霊の浄化を承諾するや否や、アトラスは「その服に着替えろ」と再度言って部屋を出て行ってしまった。
去り際に顔が赤くなっていたような気がするが、風邪だろうか。
ともかく、何故だかキールと二人きりになってしまったルミナスは、おずおずとその青年に問いかけた。
「あの、キールさん」
「はい?」
柔和な笑顔に向けたのは、不安げな表情だった。
「あの、私、アトラス様に嫌われているんでしょうか」
その問いに、キールは思わずきょとんとする。
「何故です?」
「え、えっと、なぜか私と目が合うとゼロコンマ一秒後にはそらされるし、なんだか怒っているみたいに顔が赤かったし、あんまり私と話してくれなかったし……あ、悪口ではないのですが!でも、なんだか、妻として認めてもらえていないような気がして……」
もしや結婚するのが嫌だったのではないかと伝えると、キールはますますきょとんとした。
「ルミナス様、失礼ですが、男性との恋愛経験はおありですか?」
「……はい?え、いえ、あの、そういうことは経験してきませんでしたが……」
突然繰り出された突拍子もない質問に面喰らいながら、ルミナスは律儀に答えを返す。その返答を聞いたキールは何か納得したように二、三回頷くと、再びにっこりと笑みを浮かべた。
「心配なさらなくても大丈夫ですよ。アトラス様はルミナス様に好意を抱いておられますから」
「え、そうなのですか?」
「はい。アトラス様は『浄化の悪魔』と呼ばれている割には結構可愛らしい方でして、ルミナス様のことを好いていらっしゃられてはいるのですが、それをどう言葉に表したらいいのか分からないのです。いわゆる人見知りというやつですね。使用人の女性には結構いろいろと言っていませんでしたか?」
言われて、サミュラとの会話を思い出す。そういえばあの時、結構ずけずけと色々なことを言っていたような気がする。
「その顔は心当たりがおありのようですね。ズバズバと意見を言う時はその人のことが恋愛対象に入っていない時なのです。面白い方ですよね。いつまでも思春期の青年のようです」
主人に聞かれたら絶対にぶんなぐられるであろう言葉を平然と言ってのけるキールに、ルミナスは逆に感心した。
「じゃあ、私は嫌われてはいないのですね?」
ルミナスの純情さに内心苦笑しながら、キールは微笑んで頷いた。
「ええ。大丈夫ですよ」
ほっと安堵したらしいルミナスを見て、キールはくるりと後ろを振り向いた。
「そろそろ出ていらっしゃい、サミュラ。いろいろ聞いていたのでしょう?」
「え」
ぴたりと動きを止めた瞬間、ドアがガチャリと開いて、短髪の美しい女性が顔をのぞかせた。
「こんにちは、花嫁様!着替えるの手伝いますよ!」
「華麗にスルーしてるんじゃありません」
太陽のような笑顔をぴしゃりとはねのけ、キールは一つため息をついた。
「いつから聞いていたんですか」
「……え~と、ルミナス様の悲鳴が聞こえたあたりから……?」
「余すところなく聞かれてたのね」
呆れたように声を出せば、「すみませ~ん。てへっ!」と片目をつぶって言われた。なんだか憎めない。
「はあ、まあいいです。ルミナス様の着替えを手伝いなさい」
「はい!分かりました!」
「ルミナス様、サミュラは見ての通り精神年齢が幼いところがありますが、どうか許してやってください」
丁寧に頭を下げられて、ルミナスは慌てて首を横に振る。
「い、いいえ!大丈夫です!」
「本当に申し訳ございません。……サミュラ、無礼を働いたらお説教ロングバージョンですから覚悟しておいてくださいね」
「りょ、了解しました……」
どうやらキールのお説教はよほど怖いらしく、サミュラはとたんに縮こまってしまった。
不安げな視線を向けつつ、キールは部屋を出る。
その瞬間。
「はあ~。緊張した~。キールのお説教って本当に怖いんですよ。ああ震えが……」
カタカタと震えるサミュラの肩が妙に芝居がかっていて、ルミナスは思わず笑ってしまった。
「面白いのね、ここにいる人たち」
「でしょう?!私も毎日全然飽きないんですよ!あ、でもキールのお説教は怖いんですけど……」
言いながら、サミュラは慣れた手つきで花嫁衣装を脱がしにかかった。
「キールって、使用人たちを統括する仕事にでも就いているの?」
「はい。キールはここの家に住む数少ない人間の一人なんですよ」
キールが幽霊でないことを、ルミナスはそこで初めて知った。
「じゃ、ほかにも人間がいるの?」
その質問に、サミュラはう~んと首をひねる。
「私、最近ここに来たばっかりで、正直、誰が幽霊でだれが人間なのか、ってよく知らないんです。ほら、ここにいる幽霊たちって、生身の人間と区別がつかない人がほとんどなんですよ。たぶん大体が幽霊なんでしょうけど、正直言って誰と誰が人間、っていうの把握できてるのは、アトラス様とキールだけだと思うんです」
「そうなの……」
よく考えたらサミュラの体は透けていないし、普通の人間だと言われればすんなりと信じてしまえるだろう。ここは特殊な場所なのだろうか。
(ま、浄霊屋のアトラス様がいるのだから、当然といえば当然よね……)
場所というのは、そこにいる人々によって霊の見え方や感じ方が変わってくるのかもしれない。だとすれば、浄霊屋のアトラスと霊感がものすごく強いルミナスのいるこの場所は、今現在国で一番霊が見えやすい心霊スポットになっていることだろう。
そんなことを考えていると、突然耳の近くで明るい声が弾けた。
「できましたよ!うわあ、ルミナス様細いですね!」
そういって興奮したように姿見を持ってくるサミュラ。ひょいっとそれを覗き込めば、若葉色のワンピースに桜色のリボンを身にまとった少女の姿が映し出される。
「綺麗な色……」
なんだか純白のドレスよりも華やかに見えるのだが、何故だろうか。
不思議に思っていると、サミュラが手を引いてくる。
「行きましょうルミナス様!きっとアトラス様が待っています」
「……ええ、そうね」
どこか生まれ変わったような心持ちで、ルミナスはサミュラに続いて部屋を出た。
「……遅い」
アトラスは眉間にしわを寄せながら、玄関広場でルミナスが来るのを待っていた。
形の良い唇から放たれた、美しくも少し棘のある言葉に、隣にいたキールが苦笑する。
「アトラス様、それでは花嫁様が怯えてしまいますよ。先ほども、アトラス様に嫌われているのではないかと青ざめておられましたから」
「……そうなのか?」
急に目の色が変わるアトラス。
それを見て、キールはにっこりと微笑んだ。
「アトラス様が恥ずかしがって目をそらしたり、顔を赤くしたりして、無口になってしまわれるからですよ。男性経験のない花嫁様には嫌われているように思われたのでしょうね」
その言葉に、アトラスははっきりと目を見開いた。
「そうなのか?!」
「そりゃそうでしょう。ただでさえ不幸な家庭で生まれ育ったのでしょうからね。人に嫌われるのが怖いんですよ。それに加えて、貴方様は『浄化の悪魔』と呼ばれているのですよ?怖さもひとしおでしょうね」
まるで他人事のように言うキールに、アトラスは絶句した。
「別に俺は、嫌っているわけではないのだが……」
「むしろ逆だということは知っていますが、せめて目つきを良くしてください。親の仇でも見るような形になってますよ」
子供に言い聞かせるようなその内容に、アトラスはむかつきながらもぐっとこらえて顔を俯け、目元をほぐす。
その時だった。
「あ、いましたよルミナス様!アトラス様~!準備完了いたしました~!」
朗らかな声が響き、パタパタという足音が聞こえてきた。
「サミュラ……?!あの馬鹿、花嫁様に無礼を働いてはいけないとあれほど……」
珍しく焦ったようなキールの声に反応して顔を上げると、
「あ、あの、ちょっと待って……」
あからさまに困っている声と共に、一人の少女がサミュラに手を引かれて走ってきた。
玄関広場の目の前には大きな階段が備え付けられており、そこを駆け足で降りてくる少女は、この国では珍しい黒髪を煌めかせていた。
階段の上には大きな窓があるため、そこから入ってくる光が少女を柔らかく彩っている。
天使だ、と思った。
職業柄、本物の天使に会ったことも何回かあるのだが、そのどの天使にも劣らない美しさを放った少女は、アトラスの目の前に来ると、とたんに顔を紅色に染めた。邪念が胸の内に渦巻き、これは走っていたせいだと自分に言い聞かせるはめになる。
「あ、あの、アトラス様……?」
どうやら目を見開いて絶句していたらしいアトラスは、その声に現実に引き戻されてどきりとする。
自分が見立てた春らしいワンピースは、ルミナスの体の細さもあいまって可愛らしいことになっていた。
「……綺麗、だな」
女性を褒めたことなど一度もないアトラスは、そんなありふれた言葉とともに微笑むことしかできなかったのだが、しかし。
「え……え?!えと、あの、ありがとう、ございます」
なぜか嬉しそうに顔をほころばせるルミナス。
キールまでもが『よくできました』とでも言うかのように片目をつぶっている。なんだか憎たらしい。
「さて、花嫁様の支度も整ったことですし、表に馬車も用意してありますので、どうぞここからはお二人で試練を乗り越えてくださいね」
これから結婚の儀を執り行う新郎新婦にかける言葉としてはいささかそぐわない励ましを受けて、二人の男女は苦笑いする。
しかし外に出れば確かに馬車は用意されていて、まるでこれから普通の結婚式を行う会場に行くかのようだった。
(まあ、やることは幽霊の浄化なのだが)
四歳も年下の花嫁の手は震えていて、やはり十五の少女なのだと思い知らされる。
その手を半ば強引に掴んで馬車に乗り込めば、ルミナスは驚いたように体をこわばらせた。
しかし、さすがに強引だったかと手を放そうとした時、今度はルミナスのほうから手を握ってきた。
(それは承諾したと受け取るぞ)
心の中で呟くと、不安げな少女の瞳が少し和らいだような気がした。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ、お二人とも」
相変わらずの微笑みを顔に着けたキールに送り出されて、馬車は動きだす。
空は、まだ青い。