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エターナリア  作者: たつみ暁
番外編『それぞれの想い』
69/80

番外編3『白髪の剣士』1

本編第6章まで読了推奨です。

 それは、心に強烈な印象を残す、白だった。


「アリミア姫、我らと共に来ていただきます」

 馬車に乗り込んできた兵たちは、そう言って、冷たい刃の切っ先をアリミアの首筋に突きつけた。避暑地に向かうヴァリアラ王妹の一団は突然彼らに襲われ、御者やそば付きの者らは斬り捨てられるか、主君を置いて逃げ出してしまっている。

「どなたの許可を取って、このような狼藉を働くのですか」

 アリミアは、病弱な身体に出来うる限りの強い光を紫水晶の瞳に宿し、無法者どもをにらみすえた。

「王妹のわたくしへの暴挙、兄が知れば、あなたたちは無事では済みますまい」

 実際には声が震え、今にも兄レジェントの名を泣きながら叫び出したい衝動を抑えるので精一杯だった。心臓はごまかしようが無くめちゃくちゃな早鐘を打っている。その脈動の音が、耳元でうるさいほどに響いているのだ。

「最早、この国の王は変わるのですよ」

「おい、余計な事を洩らすな」

 動揺を見抜かれているのか。剣を突きつけているのとは別の兵が嘲るように言って、また別の男にたしなめられる。

 この襲撃は、一般兵の独走ではなく、他に首謀者がいるという事か。真っ白になりかける脳を必死に働かせてアリミアは思考する。そして、その犯人が一人しかいない事に思い当たるのだ。

 叔父。亡き母の弟である、デミテル・ウェブスター。

 父が存命であった頃から、逐一国政に口を出したがり、干渉したがったあの男が、この避暑を好機と見るのは至極当然の事だった。

 ヴァリアラのどの騎士よりも秀でていると言われる槍の腕前を持ち、時に身分を隠してバウンサーとして世界を巡る、心身共に強い兄。そんな彼とは違い、身体が弱く、剣を手に戦う事も、魔法を用いて身を守る事もできない、ただ、持ち前の声をもって歌を奏でるくらいしか能の無い自分。そんな自分が兄の手元を離れてしまえば、デミテルの格好の的になる。

 それくらいの簡単な考えもできずに、兄の不在時に、家臣に勧められるまま避暑への出立を決めてしまった己の浅はかさを、アリミアはふがいなく思った。今考えれば、あの家臣もデミテルの息のかかった一派であったのだろう。

 とにかく、彼らの思い通りにさせてたまるか。

「無礼者。これ以上近づかないでください」

 ぴしゃりと言ってのけ、懐から短剣を取り出した。血を見るのを嫌う娘に、亡き父が、『理想だけでは生きられない。人の上に立つ者は、形を取る事も時に必要なのだ』と言って与えた、唯一の武器だ。

「わたくしに触れたら、命を絶ちます」

 だが、アリミアの精一杯の強がりは効を成さなかったようだ。男たちは一斉に顔を見合わせた後、にやりと嘲弄的な笑みを浮かべて、あっという間もなくアリミアの腕をつかんで、短剣を叩き落とした。鞘から抜く事もできなかった短剣は、乾いた音をたてて地に転がる。

「小娘が。できもしない事をいっちょまえに言うんじゃねえ」

 男たちの口調が乱暴なものに変わる。同時に、アリミアの扱いも。ぎりっと腕をねじあげられて、アリミアは唇から洩れそうになる悲鳴をぐっと飲み込んだ。

「ごちゃごちゃ言ってねえで、さっさと来りゃいいんだよ!」

 足を地にしっかりつけて、その場に踏みとどまろうとする姫に苛立ったか、男の一人が激昂して剣を振り上げる。

(レジェントお兄様)

 アリミアは思わず目をぎゅっとつむり、心の中で兄に助けを求める。

 しかし、剣は振り下ろされなかった。刃が空気を斬る音は確かにしたが、

「ぐぎゃあっ」

 悲鳴をあげたのは男の方だった。どさり、地に伏す音がしたので、恐る恐る目を開けると、男は驚愕の表情のままあおのけに倒れ込み、動かなくなっていた。その下の地面に、じんわりと赤い染みが広がってゆく。

「ぎゃっ」「ひいいっ!」

 男たちの悲鳴は続々とあがった。刃のきらめきが宵の刻迫る薄闇の中ひるがえって、無法者どもを次々と肉塊に変えてゆく。

 敵か味方か。即座に判断ができなかったが、いきなり場に現れた背の高い剣士――暗がりだが、少なくとも男だろうと判別はつく――は、アリミアを襲撃した連中を次々と斬り捨てる。

 やがて辺りには、アリミアと、襲撃に興奮している馬と、剣を振るった男以外に、動く者はいなくなっていた。

 死んだ人間を見た事が無い訳ではない。前王の葬儀で、冷たくなった父の顔に触れた事も、魔物との戦いで命を落とした兵の弔いに立ち会い、鎮魂歌を奏でた事もある。

 だが、それは既に息絶え、綺麗に死装束をまとった姿であって、どくどくと血を流しながら、かっと目を見開いたままの死体を見た事は、ただ一回だけだ。決して慣れない、身に染み込みそうな血の匂いと、屍が累々と転がる光景に、アリミアは貧血を起こし嘔吐えずきそうになって、その場にうずくまってしまった。

 剣を鞘に収め、ざくざくと靴が地面を踏みしめる音がする。それが自分の前で止まったので、吐き気をこらえてのろのろ顔を上げると、まず視界に入ったのは、白だった。

 ぼんやりと周囲を照らし始めた月明かりによって、青みを帯びてはいるが、それは白だった。灰色ではない。伝説の種族、竜が、人の姿を取る時に持つという銀でもない。一切の色が抜け落ちた白い髪を持つ、男だった。

 身長は兄と同じくらいあるだろう。青年と呼ぶには、まだ少年の面影を残している。しかし、少年と呼ぶにはまた、らしからぬ落ち着きと、剣そのもののような鋭さと、どこか他人を寄せ付けない孤独感とが、同居していた。

「……全員、殺したのですか」

 問いかけると、それまで感情の乏しかった切れ長の青い双眸に、険しい光が宿る。

「こいつらは、お前を誘拐できなければ殺す事も厭わなかった。お前が殺られる前に殺ったまでだ」

 そして少年は、叩き落とされたアリミアの短剣を拾い上げ、鞘から外れていた刃を収めて、柄の方をアリミアに向けて差し出す。

「この光景を見ただけでそんな風になっている奴が、軽々しく生死を口にするな」

 短剣を受け取りながら、アリミアはさっと頬を赤くした。この少年の言う通りなのだ。触れたら死ぬ、と言い張ったのは、そうすれば敵も自分に手を出しあぐねるだろうという脅し、賭けだった。本当に自害しようなどとは、微塵も思っていなかったのだ。

 そこまで考えた所で、自分は命を救われた礼を失している事にアリミアは気づいた。まだ震えている膝を叱咤して立ち上がると、服の裾の汚れを払って居住まい正し、少年に向かって深々と頭を下げる。

「礼を述べるのが遅くなりまして、申し訳ございません。わたくしは、アリミア・エスカ・ヴァリアラと申します。助けてくださり、本当にありがとうございました」

 途端、息を呑む気配がする。驚いたのか、少年がわずかに目を見開いていた。

「ヴァリアラの姫君が、何故こんな所にいる」

 そこでアリミアは、避暑に向かうに至った経緯と、この襲撃の裏に叔父の影があるだろう事を、少年に語った。

「通りすがりの男に、そんな国の恥まで話していいのか」

 少年は、半眼になってアリミアを見下ろしてくる。

「もし俺がその叔父とやらの回し者だとしたら、助けたふりをして油断させ、より危機的な状況へお前を追い込もうとしているかもしれないんだぞ」

 その言葉に、アリミアはゆるゆると首を横に振った。

「もし本当にそのような方でしたら、あれだけの腕をお持ちですもの、遠回しな手を使わず、すぐさまわたくしを斬り捨てていると思います」

 溜息が聞こえる。長めの白い前髪が、息に吹き上げられて少し揺れた。

「他人を信用しすぎだ」

 呆れたのだろうか。アリミアが継ぐべき言葉を見失っておどおどしている間に、少年は倒れている男の懐を探って、何かを見つけだしたのか、自身の荷物にしまいこむ。

 それから、鼻息荒く歯をむいている二頭の馬たちに声をかけ首を叩いて、興奮を鎮めると、綱を切って引いて来た。

「馬には乗れるか」唐突な質問に、一瞬答えにつまってしまうと、少年は不機嫌そうに問い直す。「一人で馬を操れるかと訊いている」

 アリミアは首を横に振った。兄も含めて、姫の病気がちな身を案じた周囲の人間たちは、危険を伴うことごとくの事象からアリミアを遠ざけてきたのだ。

 その反応を見た少年は、すぐさま片方の馬の手綱を放すと、その尻を叩いて木立の向こうへと追いやった。

「お前が馬を操れないと言うのなら、二頭いても意味が無い。かと言ってこのまま馬車に繋いでおけば、野犬の餌になるのがおちだ。それよりはまだ、生き延びる確率があるだけましだろう」

 そう言うと、彼は鞍も無い馬の背にひらりと飛び乗った。そして、アリミアを自分の後ろへと引き上げる。

「腰に手を回してつかまっていろ」

 初めての乗馬に、しかも兄以外の男性と相乗りになった事に、アリミアが戸惑いながら手を伸ばしてぎゅうっとしがみつくと、少年は、馬の腹を蹴って走り出させた。

「ど、どこへ向かうのですか」

 ほぼいきなり襲歩ギャロップで走り出した馬に振り落とされないよう、少年にしっかとしがみついたままアリミアが訊ねると、

「クライスフレインに届けてやる」

 行き合った縁だ、とそっけない返事が返ってくる。

「後は、お前の兄とやらに事情を説明して、好きにしろ」

 口調は突き放すように冷たい。だが、人の心の機微にさといアリミアは、それがこの少年の全てではない事を、言葉や態度の端々から感じ取っていた。本当に薄情な人間だったら、アリミアを放って立ち去っていたはずだ。いやそもそも、ヴァリアラの姫だなどと聞いたら、良からぬ事を企む輩がいても不思議ではない。

 そうしなかった時点で彼は信用に値する男だと、アリミアは判断した。

「あの」

 紫の髪を風になびかせながら、アリミアは問う。

「お名前を、まだ伺っておりませんでした」

 白い頭がわずかに動いた。目線だけ振り返り、少年は簡潔に答える。

「ラテジア・カイナー」

「ラテジア様」

 口の中で名を反芻し、アリミアは、少年の大きな背に頭を預けた。

「あなたの背中は、温かくて、頼りがいがありますね」

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