8月26日 ジンさんが案内人を辞めたいと言った日
おそらく平成26年8月26日
剣暦××年7月26日
朝起きたら、部屋にイオちゃんはいなかった。
ちょっと不安になって食堂に行くと、テーブルの上に、いつもの三倍くらいの量の朝食ができあがっていた。
呆気に取られていると、「お兄ちゃん おはようございます」と、頭にスカーフ巻いたイオちゃんが、僕に声を一度かけ、返事もまたずに、厨房の中へぱたぱたと小走りで消えた。
朝食作りに奮闘しているようだが、どのような心境の変化なのだろうか。
僕より先に食事を済ませたらしいデミトリが、胃のあたりを押さえながら、挨拶してきたので、どうしたのか訊いてみると、逆に昨日何があったのかと詰問された。
そんなこと言われても。ただ、夏休みを取るように勧めただけなのだが……。
すると、デミトリはこめかみの辺りを押さえて苦い表情をした後「おそらく、休みを頂く間分の食事も、食べ貯めしてもらいたいのでしょう」と口走った。
な、なんじゃそりゃ。
そして、少し真面目な顔をして「旦那様、イオは、まだ14の娘。しかも、物心ついた時から謀略にさらされ、普通の社会というものを経験していない娘です。頭の冴えることは、同じ年頃の娘より上ですが、どこか、日常というものに欠けている部分があるのです。その意味がおわかりですか?」とか言ってくる。
つまり、見た目以上に子供っぽいってことね。
待ちに待った知らせが届く。
ギャリク・グラスフィールド国王陛下よりの、招請状である。
つまり、イリス王女殿下に会うことが許されたということ。この10日。本当に長かった。しかも、招請の日付は、法務局からの査問会と同じ日だ。
封建制のこの国で、どちらが優先順位の高い書状かは、言うまでもない。
これは、国王陛下が、僕の行動を不問にする、と言う意思表示なのだろう。まったく、法治国家じゃねーな、ここ。
城に言ったついでに、宮廷料理人 (ヒラ)として再雇用されたというアレグロ・スタッカートさんや、姫様の命令で王都を脱出していた姫様付メイドのスノウさんに会いたい。
それが終わったら、また旅に出る必要がある。
ずっと後伸ばしにしていたオークの国との約束(リーヨンちゃんの説得)を果たし、ホビットの国へのお礼(ホビット忍者軍団の貸与)に行かねば。
そう言えば、レンちゃん達の次の働き口も探さなければ。
それに、今年こそ各国の収穫祭を巡る旅に出るのだ。
あぁ、やることが多い。
そして、こういう前向きな出来事が続く時に限って、僕の異世界人生にはいろんなトラブルが巡ってくるのだけれど、まあ、その時はその時ということで。
追記
と思ってたら、本当にびっくりのことが起きた。
ジンさんが僕の案内人を辞めたいと相談してきた。
何故かと言うと、あー、これ多分まだ公表したらいけない内容だと思うから日記には書かないでおく。
とりあえず、ジンさん大泣き。まじまいった。
ごちそうを皆で食べる。うまい。
しかし、ホビットパンはなんでああ雑な味なのに食べて飽きないのだろうか。
※※
夕方、今日の晩御飯はなんだろなー、朝昼と続いてまた三倍飯だろうか。これ以上太ったらオークよりも横幅のでかい男なんて通り名がつくなー、なんて考えてだらだらしていたら、ジンさんが来た。
今日はえらい遅かったな、と思ったが、夕食に誘えばいいか今日は量多いし、くらいに考えていた。
窓の外を見る。夏の終わりが近くなったせいか、夕焼けの色が、一際鮮やかな山吹色をしていた。秋を迎える準備に入ったこの時期、夏の酸素を使いきろうとするのか、西の空は、一番の輝きを示している。
ああ、この辺りは、やはり僕の実家と季節が似ているなあ。
なんてガラにもないことを考えていると、ジンさんが、デミトリに案内されて、部屋に来た。
西日のせいか、顔が見えないが、いつものような獣面をしてるのだろう。
家主の部屋に西日が差すのもどうかと思うが。
デミトリは退室し、ジンさんがテーブルを挟んだ向かい側に座る。
着席したジンさんに、気軽に「やあ、今日は随分遅かったね、夕飯食べてく?」と言おうとしたが、近づいてよく見えたその顔は、いつもと違う意味で深刻そうで、
「相談があるんだ」
とか言い出した。
僕も背筋を直さずにいられない。
「次の案内人契約更新のことなんだが……」
ああ、案内人兼通訳であるジンさんとは半年の契約を結んでるから、次の8月31日、剣暦で言えば7月31日で契約が切れるのだ。
でも、毎年特に契約内容の変更もなく、契約が切れる夜に口頭で延長している程度の話なのだけれど……。
「別の契約主と、契約を考えたい」
……。
「ジンさん」
「ああ」
「僕に付き合うのが、しんどくなった?」
「違う! なんでそんな穿った考え方をする!」
「もしかして、僕と契約しているせいで、誰かから嫌がらせされてるなんてこと」
「それはない。しかし、お前人には散々自分を信じて欲しいみたいに言う癖に、自分の番になったらひどいこと言うのな」
ぐさり、と心に刺さる台詞だった。
「う……」
「いい、なんかお前と面と向かったら、悩む気が失せた。本当、不思議な奴だ」
本当、なんでだろうね。
「だって、お前俺を非難したりしないからな」
……あー。
「そう言えば、そうだね。それが僕の美点ということで」
「自分で言うなよな」
「ちなみに、別の契約って、誰かからオファー来たの? あ、それは守秘義務で説明できないとかならいいよ」
「大丈夫だ。それも含めて説明して、お前の意見を訊きたい。今現在、俺はお前の案内人だ。お前が困るような事態にはしたくない」
「ジンさん、他に案内したい相手がいるのに僕に気兼ねしてるんなら、気にしなくていいのに」
「……」
あれだろうか、憮然とした表情なのは、『少しは引き留めろよ』とか思っているんだろうか。
「そりゃ、引き留めたいけどさ。僕のせいでやりたいことやれないのは、後味悪いじゃない」
「後味悪いの使い方間違ってると思うぞ」
「ちなみに、誰に誘われてるの」
すると、ジンさんの顔が少しずつ曇りだした。
言い易いようにと思ってヘラヘラ話を聞いていたけれど、やはり本題に入ると、どうしても深刻になるようだ。
そんなに、大変な相手なのだろうか。
「……ギャリク・グラスフィールド陛下からの御用命だ」
あちゃー。
「この国の王様から直々?!」
「正確には、契約書の名義がそうで、直接依頼をしてきたのは外務卿チャームプライド公だ」
「どちらにしろ大物じゃん、その名前、最近聞いたことあるもん」
「お前、この前オーバーラブ(オークの国)から親書を持って帰っただろ? その件で使節団が派遣されることになった。それなりの人数が旅するということで、案内人も複数契約することになった。そうなると、ムーゲン・メロディア族からも、オーク語の通訳ができて、実際にオーバーラブを案内したことのある案内人を出すことになる」
「結構厳しい条件だね。何人くらい候補はいるの?」
「その条件を満たしているのは、一族では俺だけだった。だから、依頼文書は、俺のところに送られてきた。親父と族長からの手紙と一緒に、昨日届いた」
……。
「案内人の仁義から言えば、契約中の相手が延長の意向があるにも関わらず、別の契約口の話をするのは、おかしいことだ。自分との契約を切ってくれと頼んでいるようなものだからな。俺は断るつもりだった。けれど、最初にその話を聞かされた時、心が躍ったんだ。今まで断交状態にあった二国の橋渡しをすることが、自分にしかできないって状況に。公務について、通訳をしている自分を想像してしまっていた……」
……。
「お前は、(剣暦の)8月以降の計画も相談してくれたよな。俺も付いていくと、言ったばかりなのに、これからも俺達は一緒に旅をするって話したばかりなのに」
……。
「夜通し考えた。断るべきだと思った。でも、それでも」
……。
「俺は……、行きたい」
項垂れてしまったジンさんに、何と声をかけようか……。
「……」
「……」
とりあえず、大きな声でデミトリとイオちゃんを呼んだ。
いつも通りに入室して、いつも通りでないジンさんを見た執事とメイドは、ただ事でないことを知ったのか顔を険しくした。
けれど、僕がいつも通り、というか、機嫌のいい様子なのを見て、すぐに安心したようだ。
まずは、日本語を使えるデミトリから。
「デミトリ」
「は」
「とりあえず、僕の友達っぽい人、全員呼んできてくれないかな。レンちゃん達や、城下町のホビット、あと隣の家のマダムニーヤン、サンドラさんとお仲間もいいな。獣人宿にタマちゃんもいるはずだから。ああ、そうそう。レミィちゃん、ドワーフ軍団の兵舎にいると思うから、まあ、抜け出すくらい楽勝でしょ。あと、酒蔵も開けといて、ある奴全部飲み干そうと思うから」
「はは」
流石デミトリ、まったく躊躇しなかった。
次は、片言の共通語でイオちゃんに。
『イオちゃん』
「うん」
『僕が20人分くらいの 御馳走 作って ジンさん お祝い 皆で 食べる イオちゃんの料理が いい』
「はいな」
二人は脱兎の如く駆けだした。
「……カンテラ?」
どうやら、事態について行けない様子のジンさんに、返事する。
「ジンさんさ、むしろどうしてそんな大事な仕事に行かないの?」
「……いいのか?」
「どう考えても行くべきでしょ。お祝いしなければならないレベルのオファーじゃん」
「カンテラ、さっきから言ってる『オファー』ってどういう意味だ?」
「あ、知らないのね。これだと思った人に、声をかけることだよ。すごいじゃんジンさん。国からも自分の一族からも認められたってことでしょ? 僕なんかと旅してたことも、無駄じゃなかったってことじゃん、嬉しいよ」
「……俺がいなくなって、困らないか?」
「2000%困るけれど、その時はその時だよ。別に一生会えないわけじゃないんだから。その仕事が終わったら、またジンさんに助けてもらうよ」
とても喜ばしい。
ジンさんが、他人に評価されて、認められた。そして、ジンさん自身が、それを嬉しく思っている。
これほど嬉しいことはない。
「祝勝会だね、明日はホームランだ!」
さあ、今日はお祝いしなくては。
僕の持てるものすべて使って。
昨日の酒が少し残ってきついけれどなんとかなるだろう。
ジンさんは、なんか神妙な顔をしていた。
「あれ……そんな気分じゃ、なかった……?」
あれ……? はしゃぎ過ぎた?
どうしよう、気分悪くさせただろうか……?
ジンさんはうつむいている。
「不安だったんだ。お前が話をまとめて来たのに、また除け者にして勝手に進めることに。それを、俺みたいな獣人が手柄を横取りするような真似して、許されるんだろうかって。……お前が少しでも納得できない様子なら、断るつもりだった」
あー。そういう見方もあるのか。
「あれだよ。僕ぁ世界中に名が通る名誉よりも、目の前の晩御飯が大事ってタイプだから」
「わかってる! わかってたのに!」
まいったな、こういう展開すごく苦手なんだけれど
すると、ぱたぱたと足音をさせて、頭に三角布巻いたイオちゃんがジンさんに共通語で
『肉 魚 どっち?』
とか訊いたら、ジンさんは
『肉!』
と叫んだ後、その毛深い両手に、顔を埋めて、おいおいと大泣きした。
や、やめちくりー。