7月28日 料理人は、なぜホビットパンに惹かれたのか
おそらく平成26年7月28日
剣暦××年6月28日
岩の国バーンスタイン
貿易山脈第一山麓 人間町
よくこの手帳にもホビットパンについて書いてきたけれど、ホビットパンとは、つまりホビット麦を使ったパンのこと。
まずくはないけど雑なホビット食文化の象徴的な塩味のリーンパン。
ホビット麦自体は安価なのだけれど、麦の生産量が少ないため、あまり広まっている食べ物ではない。
味もそんなに人気ではないので、希少価値もつかず、個人輸入で儲けてやろうという野望の持ち主もいないし、他国も率先して開発には乗り出さない。小人自身も、自分たちの食べ物としか考えておらず、売り出す気もないし、大量に作る気もない。
ホビット以外の文明人には、『案内人』という立場で世界を行き来する獣人たちが、たまに出会った小人と物々交換で手に入れる非常食、程度の認識。
他国から奪わず、他者に押し付けず、多人種とは決して交わらないことを美徳とする分断主義の広まったこの世界では、大したアイテムではない。
それなのに、なぜグラスフィールド国人のアレグロ・スタッカートさんがわざわざムーンスレイブ(小人の国)に密入国してまでホビットパンの研究をしたかと言えば、本場のホビットパンが超健康食だからである。
ホビットパンは、ホビット麦を使ってパンを作ればそれでいいというわけではない。ムーンスレイブ内でだけ見つかる特殊な酵母と独特な発酵方法を用いることで、RPGゲームの回復アイテム並みの整腸機能を発揮するようになるのだ。
グラスフィールドはホビットやドワーフでも、武具や薬品以外なら持ち込んで入国することが許されているため、本場のホビットパンを持っている人がいた。グラスフィールド宮廷料理人のアレグロさんは、それを偶然食べて気づいてしまったのだろう。
きっと、イリス王女の病弱の体にも、効能があるだろうことを。
結局は国外追放処分となってしまったアレグロさんの代わりに、ホビットの国で手に入れた瓶詰めのホビット酵母を持ち帰ることが、今回のおつかいになる。
ジンさんにそのことを説明すると、「ドワーフとエルフに同盟を組ませたと思ったら、返す刀で他国の食文化を持ち込もうとか、お前は本当に分断主義を壊すつもりなんだな」とか呆れ顔で言われた。
その理屈はおかしい。僕の『おつかい』のせいで歴史が変わるとよく言われるけれど、その僕におつかいを頼む確信犯は、この世界の人々だ。僕はただの手段で、変革を望む人たちがいるという話。
だったらそれは、皆が、融和を望んでいるということではないのだろうか。
もちろん、融和を望まない人だっているのは知っているけれど。
おかげで、お腹を刺されて岩の国で治療してたんだけれど。
今日、借家を片づけて、出発。
国境まで徒歩と公共馬車を乗りついで、一週間と言ったところだろうか。
何も、問題がなければだけれど。




