7月27日 岩の国 『イタダキマス』という言葉が、この世界に根付いてほしい
おそらく平成26年7月27日
剣暦××年6月27日
岩の国バーンスタイン
異人種居留地
山人の住む山は自然豊かな山林から危険な雪山までさまざまだが、人間や小人が入国し、交易を許されているのは、この貿易山脈と呼ばれる岩山だけである。
噂では、表だってできない取引をするための密約の洞窟というものがあったり、麗鬼に金で売った避暑地というものがバーンスタインの中にはあるらしいが、詳しくは不明である。
とりあえず、一般人がドワーフの国に入ろうとした場合、許可が下りるのがこの貿易山脈と呼ばれる岩山三つ。その麓に広がる外国人町。
僕とジンさんはそこの人間町で、小さな借家を借りて生活していた。
※※
ジンさんはいつものようにナイフとフォークを使わない食事方法で肉団子のスープとベーコサンドイッチと魚肉ゼリーを平らげると、まだ食事中の僕をしり目に目の前で手を合わせて祈る
「ゴチソウサマデシタ」
初めてジンさんと旅をした時、食事の前後で手を合わせていた僕を見て「それは何のまじないだ?」と訊いてきたジンさんに「いただきます」と「ごちそうさま」について説明したことがある。
普段とくに意味を求めず習慣でやっている所作について説明するのは、意外と難しいが、なんとかニュアンスは伝わった。
獣頭人は、命そのものに対して祈るという行為にひどく感銘を受けていた。
むしろ、自然と共に生きる彼らの方がそういうのに敏感だと思っていたのだけれど。
そういえば、去年の冬に、千年桐で出会ったドラゴンは「お前は奪った命に祈りを捧げるのか」と目をひんむいて驚いていた。
そして、彼が退治される時、目の前にいた僕に「カンテラ、俺様に『イタダキマス』を言わなくていいのか?」と言った時は、なんだか悲しい気分になった。
おっと話がそれた。
とかく、それ以来ジンさんは『イタダキマス』『ゴチソウサマ』という原語のまま使っている。
この世界で知り合った友人達も、大抵最初の食事の時に僕が『イタダキマス』と言うと不思議そうな眼でこっちを見てくる。(人間もホビットもオークも、剣祖文明圏の人種はテーブルマナーが皆一緒だから、僕の所作は誰にとっても奇異に映る)
今も、初めて知り合った人たちと食事をする時にも、「その所作はなんですか?」と訊かれる。
説明すると、感銘を受けたり、笑われたりする。
たまに知らない町の食堂で、爪楊枝を口端に咥えたドワーフが「ゴッソサマ」とか訛った口調で言うのを聞くと、僕の使った言葉が世界に広まっていることに、なんだか嬉しくなる。
イリス王女が、オーバーフラッグ王との会食で、つい『イタダキマス』をやって顰蹙を買ったという噂を聞いた時は、笑ったけれど、剣祖文明の頂点にある人が地球人の真似ごとをしたというのが非常にまずく、一時彼女の立場がそれで危うくなったこともある。
けれどイリス王女(姫様って呼ばないと怒るけれど)は、言ってくれた。
「カンテラ、『イタダキマス』はいい言葉だ。私はこの言葉を使ったことによる結果を、決して後悔しないよ」
僕は姫様を、後悔させては行けない。
明日の朝、ここを出て草原の国グラスフィールドを目指す。




