11月30日 草原の国 リジー嬢の庭園をもう一度見せてもらう
おそらく平成26年11月30日
剣暦××年10月30日
草原の国グラスフィールド
酒造の町センチペド 郊外の廃屋
明日の朝に、依頼した馬車乗りのリードさんが迎えに来る。
それまで少し時間があるので、今日は観光というか、自由行動。
タマちゃんとウタちゃんは年が近いようで、話が合うのか一緒にいるようになった。
姉を取られて退屈なのか、マロくんは僕の背中によじ登ったり、弓の練習をしたりして暇つぶしをしていた。
本でも読みふけりたい晴れた冬の日。
ふと、アルミナ公爵邸の庭園をもう一度見たくなる。
タマちゃんに公爵邸に行こうと思うが一緒に来るか確認すると、興味ない、とのこと。花より団子派なんだね、と笑う。
僕が出掛けてくる間、ぶらついて来るというので、ウタちゃんとマロくんも一緒に連れて行ってあげてとお小遣いを渡す。あんだ本当に金の使い方雑いにゃ、と返されそうになるが、接待費ってことだよ、と押し付けた。
三人を見送った後、外套を羽織り、廃屋とは言え、寝泊まりさせてもらった部屋を少し掃除してから、僕も出掛ける。
道をだらだらと歩く。僕は歩くのが遅いらしく、同行者がいる時は無理して早歩きをしているのだが、久しぶりの一人の時間、マイペースな時速2kmでゆっくりゆっくり。
初冬の小道。風もなく、空を見上げれば、お日様を隠す雲は微動だにしていない。
葉を大分落とした木の枝に、ちりちりと啼く小鳥が見える。
まだまだ、冬の匂いは香らない癖に、寒い。
しかし、歩きだして10分もすると、雲が切れて太陽が現れる。
日差しは強く、直射日光があたると体も少し火照る。
夏との違いが、陽光が雲にさえぎられた途端に、急に体が冷えることだろうか。
ちょっと、上着脱いで歩く。
町の大通りに出ると、もう祭の雰囲気はなくなり、いつも通りの町並に戻っている。
かと言って、一通りはやはり多かった。ドワーフにさえ知られるほどの、酒の町として一躍有名になったセンチペド、人の往来はあるようだ。
昨日まで串焼肉の屋台をしていたおばちゃんは、自分の店の焼肉屋の戸を開けて通常営業に戻ったようで、店の前を通ると『いい肉入ったよ、いっぱいやってかないかい?!』と声をかけられた。
悩むところだが、今から公爵邸に行くので、口元や手を汚すのもあれなので、諦めることに。
公爵邸。門番さんは僕の顔を覚えてくれていて(まあ、僕のシルエットはなかなか忘れられるもんではないが)、案内してくれた。
連絡を受けた大番頭のホウザンさんが慌てて、玄関に現れる。
「どうしたのですか?」とおっかなびっくり訊かれたが、リジー嬢の庭園を見せて欲しいとお願いする。最初はいきなりの懇願に戸惑っていたが、「明日王都に帰るので、アルミナ公爵に今の庭の様子を教えたいんです」と伝えたら、快諾して案内してくれた。
先日出会ったおしゃべりなメイドさんの案内で邸内を歩く。今日はタマちゃんがいないこととか、昨日の大捕物の話とか、矢継ぎ早に話される。しかも歩くの速くて参った。皆、歩くの速過ぎる。……もしかしなくても、僕が歩くのが遅すぎるのだろうか。
そうしていると、すぐに中庭に出た。
冬支度の整った庭。
冬の樹は片づけられても片づけられても、葉を落とす。
小道で見たのと同じ種類の小鳥がいる。ここでは番いであった。
こういうところは、年中花が満たされるように、四季の花を植えるものだと思っていたけれど、この庭には、冬の花があまりない。
見えるのは、庭の一番奥に、一株。
大地に広く根を張った、抱えるくらいの大きさに剪定された背の低い植物が、紅い花を咲かせていた。
まるで、インクで染めたような、透き通るような紅。
落ちた花弁が敷かれた地面は、最初赤い水がぶちまけられているのかと疑ったほどだ。
庭の手入れをしていたマッチョなおっさんに、挨拶すると、なんとこのおじさんも日本語が使えるらしく、流暢に会話してくれた。
この赤い花の名前を訊く。
「それは、リジーという名前でごぜえます。旦那様の一番大切にされとる花です」
……娘さんと、同じ名前の花。いや、逆か。
「亡くなられた奥様が大層お好きな花で、この庭に最初に植えたもんです」
冬の庭に、この花だけが映えている理由が、少しだけ、わかる。
おしゃべりメイドさんが、僕と、おっちゃんと、自分の分の暖かい飲み物を運んで来てくれたので、皆で休憩。
色々教えてもらったのだが。
なんとびっくり、このおっさん、アルミナ・アーマライト公爵家五人の番頭の一人バクザンさんなんだってさ。で、おしゃべりメイドさんはバクザンさんの三女に当たるんだとか。
なんで庭いじりしてるんだろう。
話を聞いてみる。
元々センチペドは酒を自前で作る前は、酒の原材料になる農作物の産地として有名な町だったんだって。
でも、流行病で働き手がばったばったと死んで、生産量が落ちてしまった。
どうしようか、となった時に、酒造地に嫁いでいたが姑との折り合いが悪く、出戻ってきた女性が試しに酒を作ってみたら、思いのほかうまかったので、センチペドは、酒の町として生まれ変わることになったのだという。
生き残った屋敷の人間の中で最年長だったというだけで、農産物の流通にも、酒造りにも関わっていなかった素人同然のバクザンさんは筆頭番頭の地位を押し付けられたが、それでも身を粉にして働いた。生まれ変わる町のために、有望な若者を番頭に推薦したり、女性達に酒作りを教えるための講習会を開いたり、センチペド産の作物を求めるよその酒造地と話をつけたり。
しかしその合間合間で、庭の手入れも欠かさなかった。娘さんを失って落ち込みながらも、すぐに務めのために王都に戻らなければならなかったアルミナ公から庭の世話を任されたことを、バクザンさんは今でも誇りに思っている、と言う。
次の世代を担う若者が揃い、筆頭番頭をホウザンさんに引き継いで、やっとこさ肩の荷が下りたバクザンさんは、庭いじりに精を出す。
過去の功績から番頭職から退くことは許してもらえなかったが、今更バクザンさんがする仕事もないので、庭いじりを頑張ってるそうだ。
途中から、三女のおしゃべりメイドさんが御転婆過ぎて嫁の貰い手がないことを嘆き始めたり、思わず長い休憩になってしまった。
十分に庭を堪能し、バクザンさんに礼を言って、帰ることに。
玄関に向かって歩いていると、男物の服を着たいかにも女傑と言った風な眼の鋭い女性と出会う。僕より少し年上。
昨日、世話になった番頭兼若衆頭のレキザンさんである。
声をかけ、昨日のことを詫び、礼を言う。
「いいよ、無駄な刃傷沙汰にならなくて、こちらが礼を言いたいくらいだから」
と言ってもらう。助かる。
明日にはここを発つことを伝えると「またおいで」と言ってくれる。
ちなみに、最初にセンチペドで酒を作り始めた出戻りの女性とは、このレキザンさんらしい。
門番さんに挨拶し、アルミナ公爵邸を後にする。
また、ゆっくりゆっくり歩く。
日が翳る。
少し、少し寒い。
郊外の廃屋に戻ると、タマちゃん達はとっくに帰ってきていた。
「このエルフのガキども、寒いらしいにゃ。だからさっさと切り上げてきたにゃ」
よく見ると、ウタちゃんもマロくんも冬服にしては薄着だった。
エルフの国は、ここより暖かいところだから、何も考えずに飛び出せば、そうなるか。
タマちゃん達がおみやげに買ってきてくれた辛い餡の入った柔らかいパンを皆で食べて、体を寄せ合う。
試しにタマちゃんに「おしくらまんじゅうって知ってる?」と訊くと、すごい嫌そうな顔で「いやにゃ! この機能性の低いデカイ図体に潰されるにゃ」との暴言。
知ってるってことだね。