10月24日 草原の国 国境警備基地 リーヨン・オーバーラブ王女殿下 大爆笑する。
おそらく平成26年10月24日
剣暦××年9月24日
草原の国グラスフィールド
国境警備基地 宿舎
リーヨンちゃんは、別に怒っていなかったことが判明した。
話の中で、大爆笑させることにも成功。これで旅の目的はすべて果たしたも同然。けれど、色々とやり残したことがあるので、早く草原の国王都にかえらなければならない。
けれど、諸事情で帰りたくない。
僕の女難は、何がいけないのだろうか。僕自身のせい、というのが一番なのだろうけれど。
ああ、ユキくん、ピコちゃん、どうか帰ってこないで!
※※
今日もフレデリカさんはリーヨンちゃんの部屋に遊びに行った。
昼頃まで部屋で歓談し、出てきたフレデリカさんにリーヨンちゃんの機嫌がどうだったかを訊くと、呆れられた。
『30歳になるニッポンダンジが、情けない顔でそんなことを訊く?』と。
そりゃ、そうなのだけれど。というか、日本男児なんて言葉どこで覚えたの?
『リーヨン殿下は怒ってないから、ちょっと部屋に行って来なさい』とか諭される。
でもでもだって、と拒んでいたら、どこからか取りだした鞭で地面をパシパシ叩いてせっつかされた。
緊急避難でリーヨンちゃんの部屋に入る。
僕の泊めてもらっている部屋と、同じ間取りと大きさの部屋だった。
僕よりも姿勢よく、椅子に座るリーヨンちゃんの冷たい瞳が、突然入室した僕を見つめていた。
怒ってないだって? 絶対怒ってるって……。
思わず顔を伏せる。直視できない。
『失礼します』と、一言詫びて、部屋の中に入る。
す、と手で椅子を示される。
うう、怖いよう。
座って、さてなんと言って切り出すかと迷っていたら
『ベルラ・カンテラ ワト サガン?』(カンテラ様 何か御用?)
オーク語でせっつかされた。
これ絶対怒ってるって。
「えと、あの……」
目が見れない。すると、僕がどもるのを冷たくスルーして
『カンテラ様 何か御用ですか?』
剣祖共通語で再度詰問。
うう……。なんて言おう。
『リーヨンちゃん ごめんなさい』
『何がです?』
ちょっと、まじやめて。
『僕 言い間違え てリーヨンちゃん 恥ずかしい気持ち なった』
『気にしてないですよ』
『でも……リーヨンちゃん、あの日から 笑ってくれない』
沈黙。
俯いた顔をあげられないでいると、リーヨンちゃんが、言葉を後頭部にかけてきた。
『私も、あの日から カンテラ様 笑わないのが気になっていました』
?
俯いていた顔をあげる。
よく見たら、リーヨンちゃん、怒って、ない?
ああ、そうか、美人だから、素の顔でもキリリとして見えるってだけか。
『怒ってないの?』
『私達の言葉を学んでくれようとした人を それを使おうとしてくれた人を 怒りません』
『でも、お兄さんとか、大臣とか』
『皆、すごい勢いで「本当か?」「おめでとう!」「予定日はいつだ!」とか訊いてきました。カンテラ様の言い間違いだと気付くと落胆してたくらいですよ』
そういうもの、なのかなあ。
そこで、リーヨンちゃんが、何かにハッと気付き、僕に慌てて問いただす。
『ま、まさかカンテラ様、そのことをずっと気に病んで笑われていなかったのですか?!』
『うん……』
泣きそうな声で肯定し、顔を見る。
きょとんとした顔が、束の間見えて、
リーヨンちゃんが、お腹を押さえて笑い出した。
どこから出てくるんだというぐらいの声量を響かせて。
あ、これはオークの笑い声だ。
なんということでしょう。
今回の旅の最終目標だと思っていた、リーヨンちゃんを笑わせるという目的が、叶ってしまった。
って、
『リーヨンちゃん? 大丈夫?』
涙をにじませて肩を揺らすリーヨンちゃんが、息を落ち着けると謝ってきた。
『ごめんなさい。あまりに可愛らしい声だったから』
なんか、複雑。
でも、リーヨンちゃんに不快な思いをさせていなかったのなら、これ以上の救いはない。
しかし、だ。
『ならば リーヨンちゃん 最近 なぜ笑わない?』
その質問は想定していなかったのか、リーヨンちゃんの笑いが止まり、挙動も止まる。
え? なに?
少し呼吸を置いて、リーヨンちゃんは言った。
「わたし も きんちょう していた ました」
……、なんだその取ってつけたような片言の日本語は……。
日本語?
リーヨンちゃん、日本語なんて喋れたか?
すると、今度ははにかんで笑みを見せてくる。
「かんてらさま の くにのことば れんしゅう します しました」
発音綺麗だなー。
「つぎに かんてらさま あうとき きいてほしい おもいました」
「でもかんてらさま が わたしの へたな ことば きいて へんにおもう かもしれない きんちょう しています ました」
僕と同じことを、考えてくれたのか。日本語を練習して、僕に聞かせるのに、緊張していたと。
「かんてらさま わたしの ことば きこえる ますか」
「うん ばっちり 聞こえてる!」
「『ばっちり』?」
「あ、とても よく聞こえている!」
もう一度、リーヨンちゃんは笑ってくれた。
部屋を退室。
いやあ、よかったよかった。
案ずるより産むが易し、話してみるものだね。
リーヨンちゃんの大笑いが部屋の外まで響いていたのか、フレデリカさんが興味深々そうに、廊下のすみから覗いていた。
ばっちり、話ができたことを説明すると、「それは何より」とのこと。
しかし、そこで思いもかけぬことを言い出す。
『けれど、私はオメデタが本当だからカンテラは落ち込んでいるのかと思っていたわ』
なんでよ。
『だって、ここ一年内でリーヨン殿下と一番長く一緒にいた男性って、あなたでしょう?』
うん、そうかもしれない。
『じゃあ、お腹の子の父親ってあなたしか考えられないじゃない』
……お前は何を言ってるんだ。
『だって、誰もリーヨン殿下に『誰の子だ』って詰め寄らなかったってことは、そういう風に皆想像がついていたってことじゃない?』
……ま、まさか。
『それに、そんなことがあったばかりなのに、二人きりで旅行を許すとか、間違いなく大鬼の国オーバーラブは。期待してるわよ』
冷や汗。
そして顔面蒼白の僕に向かって、困ったものをみる眼で
『あなた、私の従姉妹のミシェールにも粉かけてるでしょう。ちゃんとしてよね』
かけてねーよ。舞踏会でダンスを一緒に踊っただけだっつーの。
『ミシェール、あなたが遊びに来るの待ってるんだからね』
ちくしょう、国に帰りたくねえ。