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  ようやく女の姿を見つけた時には、繁華街を抜け、街外れの古いレンガ造りの屋敷の前に来ていた。どうやら廃屋のようだ。週末、暇な学生達が描いたのだろうか、壁は一面落書きだらけだ。女が中に入ったのを見届けるとポーチの柱の陰に隠れた。既に日は傾いてきている。

 再びケントに電話を入れようと上着のポケットに手を入れたその時だ。頭に雷でも落ちたような激しい衝撃を感じた。地面に倒れる寸前、視界に入ったのは見事な赤毛とぴっちりした黒いTシャツから零れ落ちそうなでかい胸。そして両手に握られたライフルの銃身だった。

「あんた、ずっとあたしをつけてきてたでしょ? 知ってたんだからこの変態!」

 こいつ、いつの間に。女はライフルの銃床を俺の横っつらに思い切りヒットさせた。視界が真っ赤に変わった。


 気が付くと俺は縛られて床に転がされていた。がらんとした天井の高い部屋の中には、埃を被ったシャンデリアやソファがそのまま放置されている。不気味な獣の唸り声のようなものが何処からか聞こえてくる。

「目が覚めたかね? どうやらあんたはただの変態ストーカーじゃなさそうだな」

 痩せて銀縁眼鏡を掛けた茶色の短髪の男が俺を見降ろしてニヤニヤしている。こいつがドクター・ウォーケンか。白衣を着たその姿ははお医者様というより、マッド・サイエンティストだ。男は手に持っていたものを俺の前にバラバラと落とした。写真とぬいぐるみと携帯電話。

「鈴川氏に頼まれた探偵か。悪いが、君にはここで死んでもらうよ。こちらもいろいろと忙しいんでね」

「ナオミは何処だ。無事なのか」

「無事だよ。ああ、でもそろそろ危ないかな。彼女人肉を食べることが出来ないのでね。身体が腐敗するスピードが速いんだ」

 男はロープを引っ張って俺の身体を引きずり、部屋の片隅にある檻の扉の前に来た。こいつ何なんだ。こんな檻、サーカスから盗んできたとしか思えねえ。そこにいたのは四体のゾンビだった。男が二人、女が一人、そして檻の隅に蹲っているのは小さな少女。あれがナオミなのか。ゾンビどもは雄叫びを上げながら檻を激しく揺すっている。

「こいつらは腹を減らしていてね。きっと君の身体を跡形もなく食べ尽くしてくれるだろうさ!」

檻の扉が開き、中に蹴り転がされた。扉が閉まると同時にゾンビどもが一斉に(たぶん、期待を込めて)俺を見たが、直ぐに興味をなくしたようにウロウロし始めた。

「何だ、お前ら! 早く襲え!」

 ようやく力が戻ってきた。あの女の一撃はかなりのものだったらしい。力を込めてロープを引き千切り、俺はゆっくりと立ち上がった。

 男は口を開け、恐怖の眼差しを俺に向けている。

「生憎だったな。こいつら、俺は食いたくねえってよ」

「君はいったい何者だ!」

「そんなこと、お前に教える義務はねえよ」

 柵を掴み、渾身の力を込めて引っ張ると、安っぽい閂は簡単に折れ曲がる。扉を大きく開け放つとゾンビどもはゆらゆらと身体を揺らし、手を虚空へ伸ばした姿勢で外へ出て行った。

 男が叫び声をあげて逃げ出したが、そんなことはどうでもいい。檻の隅でパジャマ姿で蹲る少女に近寄り、そっと手を伸ばす。

「ナオミ、大丈夫か?」

 少女は蹲ったまま、目を開けて俺を見た。何かを訴えかけてくるその視線を受け止めるのが辛くて、俺はそのまま彼女を抱き上げる。体重がないみたいな軽さだ。だが、微かに感じるこの違和感は何だろう。

 檻の外へ出てみると、男はどういうわけか外に逃げ損ねたらしくゾンビどもに囲まれて絶望の叫びをあげていた。数秒後にはこいつの腹はぼろきれみたいに引き裂かれているだろう。仕方ねえ。こいつを見殺しにするわけにもいかない。ナオミの身体をソファに預け、男のほうへ一歩足を踏み出した時だった。突然、部屋のドアが開いて銃声が轟き、ゾンビどもの頭がスイカみたいに爆発して血しぶきとも言えない粘った汁が俺の方まで飛び散ってきた。


「まったくだらしない奴ね! こんな男ひとり始末することも出来ないの?」

 豊満な胸を揺らしながら、赤毛のステイシーがライフル銃を構えて立っていた。しっかりと俺に狙いを定めている。

「お嬢さん、撃たないほうがいいぜ。俺から連絡がなければ仲間が駆けつけることになってる」

「はは~ん。よくあるセリフだわね。でもあんたは電話する前にあたしに殴られたんだから、この場所はあんた以外は誰も知らないじゃない」

「くそ、結構よく見てるじゃねえか」

「さてと、何処から撃ちましょうか。まずは右足をぐちゃぐちゃになるまで。次は左足っていうのはどう?」

「あんた、相当なサディストだな」

「ありがとう。褒め言葉と受け取っておくわ」

 銃口が少し下を向いた。こいつ、本当に足を撃つつもりだ。左へ飛べば一発はかわせるだろうかと右足に力を込めた時、女がはっとしたように、俺から視線を逸らした。いつの間にか起き上ったナオミがゆっくりと女のほうへ歩いていく。顔を歪め、大きく口を開けながら。

 女は銃口をナオミのほうに向けた。ライフルが火を噴いた瞬間、俺は女に飛び掛かり、押し倒して銃を奪い取った。だが放たれた銃弾は確実にナオミの頭を捕えていた。頭部が消え失せ、変わり果てた少女の残骸を呆然と見つめる俺は一瞬の油断をつかれた。女の素早い回し蹴りが腹に食い込んだ。続いて強烈なアッパーカット。思わずライフルを取り落とし、よろけて体勢を立て直そうとした時、銃声と共に鋭い痛みが右の太ももを貫いた。呻き声をあげて身体を折った俺の目の前で、女が勝ち誇ったように笑う。

「あんたの相手するのもう飽きちゃった。これでおしまい」

 女がトリガーに指を掛けた瞬間、誰かが後ろから素早く女の首にスリーパーホールドをかけた。ライフルががたりと床に落ちる。女は叫び声をあげてしばらく苦しそうに足をばたつかせていたが、やがてぐったりと動かなくなり、床にへなへなと倒れこんだ。

「まったく、こんなところで赤毛の女と遊んでるなんて夢にも思わなかったよ、デビィ」

 レイだ。俺がこういう状況になると、彼はどういうわけか必ず助けに来てくれる。ワインカラーの絹のシャツを無造作に羽織った彼の髪の色はいつもどおりの見事な金髪に戻っている。

「すまない。助かったよ。でもどうして俺のいるところが判ったんだ?」

「帰ったらお前のメモが置いてあったんだよ」

「ああ、そういえば置いてったな。忘れてた」

「『ケントと出かけてくる』って一言だったけどな。詳しい事情を知りたかったから、とりあえずシャワーを浴びてから連絡を取ろうとしたらお前の携帯は電源が切られてた。で、ケントに電話したら行方が判らないって言うじゃないか。だから一緒に探しまわって、ここに辿り着いたってわけさ。お前の匂いは実に判りやすいからな」

「それはなにか? 俺が人一倍臭いってことなのか」

「まあ、そういうことだ」

「それに俺がこんな目に遭ってるのに、何でシャワーなんかのんびり浴びてるんだよ!」

「いや、お前が昼間からこんな過激なプレイをしてるなんて知らなかったしね。それに旅行から帰ったら直ぐにシャワーは当然だろ。とにかくこの女を縛っておこう。今は気絶してるが、すぐに気が付くはずだから」

 レイが女を縛りあげている時、男がこっそりと外へ逃げ出そうとしているのが視界の片隅に見えたが、ちょうど中に入ってきたケントにしたたかに殴られて床に倒れこんだ。こいつらはナオミをゾンビにし、殺してしまった。激しい怒りが込み上げてきた。

 俺は男に歩み寄り、跪いて胸倉を掴んだ。

「おい。お前らはナオミに何をしたんだ? 正直に言わないとぶち殺すぞ」

「さあね。とにかく、君が余計な事をしたからあの子は死んでしまった。どんな言い訳を鈴川氏にするのか、見ものだな」

 怒りで手が震え、男の頬をしたたかに殴りつけた。こんな奴、ゾンビに食わせちまえばよかった。

「もう止めとけ、デビィ。お前が悪いわけじゃない。鈴川氏には正直に報告するよ」

 ケントはそう言いながら、俺の肩に手を置いた。男をケントに任せ、ナオミの死体に近付く。彼女はまるで俺を助けようとするかのように女に迫っていった。いや、女の手で全てを終わらせてもらいたかったのかもしれない。たぶんこの少女には僅かながら意識が残っていたのだろう。だから人肉を食べることが出来なかったのだ。この子は偉い。俺だって未だに食人衝動に悩まされる時があるのに。首のない彼女の死体を抱き上げた時、俺はあることに気が付いた。彼女からは人間だった頃のナオミの匂いが一切しない。あの赤毛女からは確かにしたのに。ひょっとして……。

 俺は急いで廊下に出た。確かにナオミの匂いがする。ぬいぐるみについているのとまったく同じ匂いだ。

「どうした、デビィ」

 レイが廊下に出てきた。

「匂うだろ?」

「確かにね」

 俺達は二階へ駆け上がった。ドアを開けると部屋の片隅のベッドの上に少女は眠っていた。どうやら無事のようだ。さらさらとした柔らかそうな黒い髪。ナオミは陶器で出来ているかのようにきめ細かな肌をしている。そっと触れてみると暖かい。

 ケントも後から部屋に入ってきた。彼はナオミを見つけると、ほっとしたようにベッドの端に座り込んだ。

「よかった。生きてたのか。じゃあ、あのゾンビ少女は一体誰なんだ?」

「それは後だ。ケント、すぐに鈴川氏に連絡を取るんだ」

「言われなくても判ってるよ、デビィ。俺はガキじゃねえ」

 判ってるさ。でも……。、

「頼みたいことがあるんだ。後で電話を代わってくれねえか」

 鈴川氏は、とにかくナオミがゾンビではなかったこと、そして生きていたことに感謝して、俺にも礼金を払うと言ってくれたが、断った。そのかわり、自分の意思に反して化け物にされてしまった名もない三人のゾンビとゾンビ少女(たぶん、闇ルートで手に入れたものだろうから名前は調べようがないだろう)に立派な墓を作って葬ってやってほしいと頼んだ。彼は快く引き受けてくれた。その後、結局、鈴川氏は警察に連絡した。ナオミは直ぐに救急車で病院に搬送され、現在は外国での移植を検討しているそうだ。きっと彼女は大丈夫だろう。


「まったくお前はお人よしだな。少しぐらい金をもらっておけばよかったのに」

 部屋に帰り、コーヒーを二人分淹れると、レイは穏やかな笑みを浮かべてそう言った。

「まあ、いいじゃねえか。ゾンビって奴らは兄弟みてえなもんだからさ。それより旅行はどうだった」

「よかったよ。お前も来ればよかったのにな」

「俺はいいよ。十分楽しませてもらったからな」

「まあ、何を楽しんだのかは聞かないことにするよ。ああ、そういえばお土産を渡してなかったな」

 レイがトランクの中から、ちょっと得意げな顔で取り出したのは『I LOVE  NY』とでかでかと書かれた白いTシャツだった。

「あ……ありがとう。しかし、お前のセンスは四十年くらい前のもんだよな」

「何か言ったか?」

 しまった。レイの笑顔が強張ってる。

「い、いや、別に。いいなあ~、これ」

「そうか。気にいってくれてよかったよ。それじゃ明日、それを着て仕事に行けよ」

 うっ……まじかよ。


 鈴川氏が医師に頼み、合法的ではない臓器移植を依頼したことは罪だ。だがドクタ・ウォーケンは偽名で、違法臓器移植の他に邪魔な人間の殺害を請け負う、一種の殺し屋のようなことをしていたらしい。奴はあの廃屋を買い取っていて例のゾンビどもに人間を食わせて始末していたそうだ。その為、いくつかの未解決の失踪事件が解決の方向へ向かっている。大物の弁護士も付いていることだし、鈴川氏は情状酌量されるだろう。

 あのゾンビ少女はナオミが入院中、ウォーケンが心臓移植の為に東南アジアの某国から買ってきた、全ての条件が適合する貴重な少女だった。だが、少女は彼の不始末で飼っているゾンビに噛まれてしまった。これでは移植は出来ない。だがナオミをそのまま返せば金も返さなければならない。困った男は少女が少しナオミに似ていた為、ナオミ本人はあの家に監禁し、代わりにゾンビ少女をナオミとして鈴川家に返すことを思いついた。そして自分自身は姿をくらませたのだ。更に鈴川氏の弱みにつけこんで、彼女の世話をさせる為に送りこんだメイドを利用し、もっと大金を奪うことを考えついた。金を奪った後はゾンビ少女は殺し、ナオミ本人はゾンビに食わせてしまえば証拠も残らない。確かに成功すれば完全犯罪だったのだ。


 いつもと変わらない日々が戻ってきた。レイが買ってきたもう一つのお土産、自由の女神の衣装を着た可愛いクマのぬいぐるみは俺のベッドの枕元に飾られている。

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