神様は割とクソみたいな方が上手くいくらしい
かつて天地を作りし大神は、か弱く愚かな人間を憐れみ、心優しき羊飼いの兄弟に二柱の神を遣わした。
兄弟はそれぞれ神の力を借りて大地を平定し、王となる。
兄フォーセリアが祀りしは白き神ディエース。太陽を司る秩序の神。
弟カストゥールが祀りしは黒き神ノクス。夜を司る混沌の神。
白と黒の神々は今も王の子孫と共に地上にあり、人々の営みを見守っている。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「既に聞いているとは思うが君の役割は黒神の世話係だ。アーヴィン神殿騎士」
大神を祀る聖都の大神殿から派遣されてきたクレア・アーヴィンは、黒髪の少年に先導されながら緊張した面持ちで神殿の廊下を歩いていた。
「無論、君一人に黒神の相手を任せようという話ではない。君は数多くいる世話係の一人だ。緊張するなとは言わないが、過度に気負う必要はない」
「……はっ」
黒髪の少年は背を向けたままクレアの胸中を見透かしたように告げる。
若いのに落ち着いている。事前に聞いていた話では少年は二十一歳のクレアより三つも年下。だが彼はその年齢で既に老練とも言える雰囲気を漂わせていた。
少年の名はテシウス・カストゥール。このカストゥール王国の第一王子であり、王に代わって祭祀の一切を取り仕切るこの神殿の大神官だ。
「具体的に私は何をすれば宜しいのでしょうか?」
神の世話係など初めての経験だし、受肉した神自体が大陸ではこのカストゥールと隣国フォーセリア以外に存在しない。聖都でも具体的に何をすればいいか誰も教えてくれなかった。
「そうだな……特に決まった役割があるわけではないが、強いて言うなら話し相手と監視だな」
「話し相手と監視、ですか?」
クレアはその答えに首を傾げた。
話し相手というのは分かる。いや自分ごときが神と言葉を交わすなど畏れ多いことだが、お世話をする以上はそうする必要もあるだろう。
だが畏れ多くも神に対して監視とはどういうことだろうか? それではまるで問題のある相手を見張っていろと言っている風にも聞こえる。
「言うまでもないことだが神には睡眠も食事も排泄も必要ない。全くしないわけではないが、それは彼らにとって一種の娯楽だ。決まって何か世話をしなければならないことがあるわけではない」
「つまり……黒神様のお気持ちを汲んでそれに応えよ、と?」
「そこまでしなくていい」
キッパリと言い切られてクレアは目を瞬かせた。
「一々相手をしていたらキリがないからな。わざわざ気持ちなんて汲む必要はないし、要望にも無理のない範囲で応じてやればいい」
テシウスのその物言いに思わずクレアは鼻白む。
「その……失礼ですが、偉大なる神に対してその物言いは不敬ではありませんか?」
「すぐに分かる。一週間後、もし君が同じセリフを言えたなら、私も頭を丸めて謝罪しよう」
クレアの抗議を淡々と流し、テシウスは続けた。
「それより大切なのはアレが何かしでかさないかしっかりと見張っておくことだ」
「……は?」
「少しでも自分の手に余ると感じたらすぐに私か周りの者に報告を。あと姿が見えなくなった場合も同様だ。どうすればいいか分からなければとにかく大声を出して人を呼べ」
何だろう。自分とテシウスとでは何か致命的に認識が食い違っている気がする。
「えっと……先ほどから一体何を──ひゃんっ!?」
──もみもみもみっ!
背後から突然、大胆さと繊細さを兼ね備えた手つきで胸を揉みしだかれ、クレアは思わず少女のような悲鳴を上げて跳び上がった。
「うっひょ~! 結構着やせするタイプやんか~!!」
「っ!」
まだ誰にも許したことのなかった身体を無遠慮にまさぐられ、カッとなったクレアは反射的にその手の主を身体から引き剥がし、張り倒して床にたたきつけていた。
──ゴスッ!
「あだっ!?」
不届き者の正体は黒髪の幼い少女だった。涙目で頭を押さえるその姿に一瞬やり過ぎたかとも思ったが、すぐかぶりを横に振ってそんなことはないと否定する。
いくら子供だろうとここは神聖な黒神の神殿。悪戯などもっての外だ。少女は随分良い身なりをしているので、恐らく貴族──あるいは王族の子供が神殿内に潜り込んできたのだろう。
「何やってんだ阿呆。奥で待ってろっつただろうが」
ぞんざいな口調でテシウスが少女に話しかける。どこか雰囲気が似ているしテシウスの妹だろうか?
「いや~、念願の金髪くっころ騎士たんが来ると思うたら待ちきれんでな~」
少女は床にあぐらをかき、見た目に似合わぬ独特の口調でテシウスに応じる──まさかと思うが『金髪くっころ騎士たん』って自分のことか?
「……まぁいいけど。それよりちゃんと侍女に言ってから出てきたんだろうな?」
「え? そんなん言うとるわけないやん」
「……あのな。お前が勝手にいなくなるたびにこっちは神殿中総出でかくれんぼを始めにゃならんのだ。出かけるなとは言わんから、せめて一言言ってから出かけろっていつも言ってるだろ」
「え~? だ~る~い~」
ケラケラと嗤う少女の姿に、テシウスのこめかみに青筋が浮かんだ。
「……いい子にするつったから、わざわざ聖都からお前の希望通りの女騎士を派遣してもらったんだぞ? そんな我が儘言うようなら、彼女にはもう帰ってもらおうか──」
「そんな! 堪忍や、テッちゃん!! 軽い冗談やんか!?」
「うぜぇ。引っ付くな」
自分の身体にしがみ付いて駄々をこねる少女を、テシウスが鬱陶しそうに引き剥がそうとする。
そんな良く言えば親し気で遠慮のない──悪く言えば神聖な神殿には全く不釣り合いなやり取りに、クレアがハッと我に返り口を挟んだ。
「えっと……テシウス様? その少女は一体……?」
そこでようやくテシウスたちはクレアを思い出し、彼女に向き直って告げた。
「すまん。先に紹介すべきだったな。コレがこの神殿の主祭神ノクスだ」
「…………は?」
クレアは何を言われたか分からず、頭が真っ白になった。
少女──黒神ノクスはテシウスの身体にしがみ付いたまま「コレってなんやねん!?」と彼に蹴りを入れて抗議した後、ニパッと悪戯っ子が新しい玩具に向けるような笑みをクレアに向けて言った。
「まぁ、そういうこっちゃ。これからよろしゅうな、くっころたん」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
実のところ大神は当初、白神のみを地上に遣わすつもりであったが、永久不変の天界に飽いていた黒神は言葉巧みに大神を騙して地上へと降り立った。
正義を重んじる白神は人々に教えを説いて回り、力ではなく慈愛を以って地上に秩序をもたらした。
自由を愛する黒神はその暴威を以って人々を叩き伏せ、教義ではなく畏怖を以って彼らを従わせた。
かくて地上には慈愛と災厄とが誕生したのである。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「──というのがこの二柱の神にまつわる伝承の全文だ。後半部分は風聞が悪いっていうことで、世間はおろか教団内でもごく一部にしか伝わってないがね」
「…………」
神が坐する神殿の最奥で、テシウスから白黒二柱の神に関する神話について語られクレアは言葉を失う。
災厄呼ばわりされた当の黒神は寝台の上に座り、気にした様子もなくケラケラ笑いながら供物の葡萄を食べていた。
「ちなみに王家のみに伝わる口伝では、開祖となった兄弟は一目見た瞬間にコイツがヤベー奴だと見抜いたらしくてな。どっちがどっちの神官になるかで殴り合いの喧嘩になって、結局兄貴の方が白神の担当を勝ち取ったらしい」
「クハハッ! あの時のカストゥールの悔しそうな顔ったらなかったで」
「……分かってるか? それぐらいお前が嫌がられてたって話だぞ?」
「テッちゃんこそ分かってへんなぁ~。嫌がる子を弄るのが面白いんやないか」
そう言って意味ありげにクレアを見て「グフフ」と笑う黒神。
「…………」
クレアは言いかけた言葉を喉元で押し留め、代わりにテシウスを見ながらパクパクと口を動かした。
「ああ。言いたいことは大体分かる。つまり邪神じゃないのか、って言いたいんだろう?」
彼女が呑み込んだ言葉を、テシウスは本神の前で躊躇なく口にする。
「分類で言えばその通りだ。基本的に黒神は悪さしかせんからな。悪戯程度なら可愛いもんだが、機嫌が悪けりゃ普通に人を嬲るし殺しもする──ああいや、別に機嫌が悪くなくても興が乗ったら何でもするか」
「せやな~」
割ととんでもないテシウスの発言を、黒神はケラケラ笑って肯定する、
「駄目じゃないですか!?」
「だからそう言ってるだろ」
我慢しきれずクレアがツッコむが、しかしテシウスの反応は素っ気なかった。
「何でそんな──っ!」
衝動的に口から出そうになった言葉を呑み込む。
「何でそんな神を祀ってるんだ、か?」
「っ、その……」
クレアはチラチラと黒神を窺い、どこまで正直にそれを口にして良いものか躊躇った。黒神に今のところ機嫌を損ねた様子はないが──
そんな彼女の躊躇いを気にすることなくテシウスは淡々と続けた。
「こういう神だからこそ、祀って機嫌を取って大人しくしといてもらわんと困るんだよ」
元々神には二つのタイプ──いや、側面がある。一つは加護や恩恵を与えてくれる善神としての側面。もう一つは災いをもたらす人にとっての荒ぶる神としての側面。後者は自然そのものを具現化した神などに多く、その暴威を鎮め共存するために人は彼らを信仰する。
大神を主神とするクレアたちの宗教観において直接こうした荒ぶる神を祀ることは少ないが、世界全体で見れば荒ぶる神を祀る行為自体は決して珍しくなかった。ただ明確な善神である白神と並べると、どうしても負のイメージは拭えない。
複雑な表情を見せるクレアに、テシウスは微かな罪悪感を漂わせた表情で告げる。
「恐らく君は大神殿から詳しい事情を聞かされないままここに派遣されたんだろうが──」
その通りだ。任務の詳細は神の秘事に当たるためと伏せられ、彼女は直接神に仕えることのできる栄誉ある仕事だと思い喜んでこれを引き受けた。
「実際には君はこいつの生贄としてここに派遣された」
「いけっ!?」
あまりに直接的な物言いにクレアは口元を引き攣らせる。
「言い方が悪かったな。生贄といっても別に取って食われるわけじゃ……」
「何でそこで言い淀むんですか!?」
「いや、ニュアンス的にある意味取って食われる可能性がない訳でもないな、と。ともかく運か対応が悪くない限り死ぬことはない筈だから」
「全然安心できないんですけど!? そもそも生贄っていったい何で!?」
掴みかかって詰め寄るクレアに、テシウスは困った風に頭をかく。
「うん。話せば長くなるんだが、黒神が『金髪騎士たんをくっころした~い』とかふざけたことをほざくんで呼んだ」
「全然長くないしそんな理由で!?」
「……仕方ないだろ。無視したら近くの国とかに攻め込んで攫って来そうな勢いだったんだから」
困った風に睨むテシウスに、黒神は悪びれた風もなく「だってやってみたかったんやも~ん」と返す。
確かにそんなことになれば国際問題だから大変だが、だがそんな理由で呼ばれてしまったクレアはとても納得できるものではない。
「……え? いやでも、わざわざ私を呼ばなくてもこの国にも女性騎士ぐらいいますよね?」
「いるけど、この国の人間にとっちゃ黒神は畏怖の対象だからな。『くっころ』なんて余裕はない」
「震えて動けない女の子を少しずつっちゅうのも乙なもんやけど、今回はちょっと解釈違いなんよな~」
「…………」
つまり反応の良い玩具が欲しかった、と。
「その点君はほどほどに黒神に対してモノを言えるし、畏敬を忘れるほど不遜でもない。いや流石聖都だな。こちらの無茶苦茶な要望に見事に合致した人材を送ってくれた」
全く嬉しくないし褒められてない。というかあのドグサレ上司、そんな基準で私を選んだのか。
「…………」
クレアは頭痛を堪えるように頭を抱え、大きく吐く。
事情は大体分かった。想像していた神の下での敬虔な生活とは程遠いが、ともかく神に仕える者として必要なお役目であることは確かだ。自分がこれを拒否すれば他に被害が及ぶかもしれない。なに、多少ふざけた内容ではあるが、少女神のごっこ遊びに付き合うだけだ。セクハラだ何だと目くじらを立てなくともよいだろう。
そんな風に自分を納得させようとするクレアの沈黙を別の意味に解釈し、テシウスはフォローめいたことを付け加えた。
「……生贄とは言ったが、別に無条件に黒神の求めを受け入れる必要はないし、普通に抵抗してくれて構わない」
「せやな。無抵抗やと面白ないし」
「というか、子供ができるような行為は後がややこしいからするなと言ってあるから、むしろちゃんと抵抗してくれ。興奮して黒神が止まらなかったら大声で人を呼んで欲しい」
「…………ん?」
クレアは今のテシウスの発言に引っかかりを覚えて首を傾げた。
「えっと……今の発言を聞くと、まるで黒神様が人との間に子供を作れるように聞こえるのですが?」
「作れるぞ」
「作れるで~」
即答されて、一瞬クレアは言葉に詰まる。
「……ひょっとして、神の力で処女受胎的な──ああいえ、別に私が処女だと言っているわけではないのですが」
「見栄張るクレアたんかわよ」
「いや、そうじゃなくて普通に男女のまぐわい的なアレだ」
「え? でも……女の子、ですよね?」
「ああ……」
クレアが何を誤解しているのか気づいて、テシウスはチラと黒神に視線をやる。すると黒神は直ぐにその意図を汲んでポンとその肉体を少女から若い男のものへと変化させた。
「!」
「黒神に人間的な意味での性別は存在しない。姿は仮初めのもので、その気になれば男も女もどっちもいける」
「ワイ可愛い女の子大好きやから、普段は基本美少女フォームで過ごしとるけどな」
そう言ってすぐに黒神は元の少女の姿に戻った。
その変化に驚けばいいのか、それとも身の危険を感じるべきなのか。ただただ困惑するクレアに、テシウスは追い打ちをかけるように付け加えた。
「ちなみに何百年か前に一度、黒神が当時の王妃を寝取ったなんて話も伝わっててな。万一子供が出来たりしたら次の王位をどうするかとか色々ややこしい問題が出てくるから、行為に及びそうになったらマジで抵抗してくれ。これに関しては殴っても不敬にはあたらんから思い切りやってくれていい」
「…………」
だからそんな話は聞きたくない、とクレアは初日からこの国に来たことを後悔した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
変態邪神の貞操の危険が伴うエロごっこ遊びの生贄として派遣された──という、割と言葉にすると意味不明で悲惨な境遇のクレアだが、カストゥール王国にやってきて一週間、ここでの暮らしは思いの外平穏なものだった。
「ぐへへ、クレアたんのほかほか脱ぎたて下着……!」
「仮にも神が何をやってるんだすか!!」
──ドゲシッ!!
「ぐへっ!?」
勿論、毎日のように黒神からセクハラを受けてはいたが、今のところ力づくでどうこうというのはない。クレアが折檻しても黒神が怒ることはなく、それも一種のプレイとして楽しんでいるフシがあった。
一度だけ他の使用人が粗相をしてしまい、黒神の殺意に当てられて恐怖のあまり糞尿を垂れ流す一幕などはあったものの、それもテシウスが間に入り上手く宥めて大事にはならなかった。
暴威の化身として紹介された黒神だが、クレアの見る限りこのカストゥール王国の人々はこの危険な神と非常にうまく付き合っている。もっと言うなら、テシウスを筆頭に人々は決してこの黒神をただの害悪とは思っておらず、むしろ好意を持って接しているようにさえ見えた。
黒神自身は基本的に国や人々に利益をもたらす存在ではないのに。
「全くメリットがないわけじゃないぞ。例えば黒神がいると他の国から攻められにくいってのはある」
顔を合わせたテシウスが、いつものようにクレアの疑問を読み取ってその答えを口にする。
「黒神自身が直接私たちのために戦ってくれるわけじゃないが、攻め落とした後、黒神とどう付き合うのかって問題があるからな。まともな国は後のことを考えてちょっかいをかけてくることはない」
なるほど。確かにクレアも隣接国の立場なら好き好んでカストゥール王国を攻めようとは思わないだろう。カストゥール王国自体は穏健で特に害はないし、得体の知れない神に直接関わるのはリスクが高い。
「偶に黒神を取り込んで戦力にしようとか考える馬鹿や例外もいるから軍事力は削れんが、それでも相対的に攻められる頻度は少なくなってる筈だ。無駄に軍を消耗させずに済むというのは悪くない」
「せやろせやろ。もっとワイに感謝してもええんやで~?」
「…………」
調子に乗る黒神に高価そうな酒を与え、テシウスは珍しく陰鬱そうに溜め息を吐く。
「うっひょ~、コレコレ。やっぱテッちゃんはワイの好みが分かっとんな~──で、何があったんや?」
道化の笑みの下に神らしい酷薄さを隠し、黒神はテシウスに訊ねた。
「言ったそばからアレだが、フォーセリアが国境を超えて侵攻してきた。いつものように邪神を滅ぼし正しい教えを広めるって高々と旗を掲げてな」
「!」
アッサリと告げられた内容の重大さに横で聞いていたクレアが目を見開く。しかし黒神はその答えを予想していのか平常運転だ。
「ほ~ん? またえらい早いペースやなぁ。こないだ攻めてきたのはいつやったっけ?」
「半年前だ。あっちは選挙が近いからな。その前に点数稼ぎをしときたいんだろう。他の国を攻めるよりウチを攻めた方が市民受けがいい」
「ニャハハ、なるほどな~」
白神を祀る隣国フォーセリアは王制を廃し、現在は民主共和制をとっている。かつてのフォーセリア王家は純粋な神職として政治と距離を置き、白神を祀っているということをクレアも知識としては知っていた。
だが神殿に籠って修行に専念していた彼女が知っているのはそこまで。白神の加護あるフォーセリアが近隣諸国に繰り返し戦争をしかけているなどという不都合な話はほとんど彼女の耳には入ってこなかった。一応、フォーセリアの行動は白神の教えに則ったもので、正しい教えを広めるという大義のための戦争と位置づけにはなっているようだが──
「私も明日、兵を率いて出陣する。留守中あまり周りの者に迷惑をかけるなよ」
「へぇへぇ~」
「……あと、分かっているとは思うがお前は手を出すな。最悪、向こうも神が出てきて収集がつかなくなるかもしれん」
「ん~……」
テシウスの注意に、黒神は唇に指をあてて少し考えるような素振りを見せ、ニヤリと笑って口を開いた。
「や~、退屈やしワイも久しぶりに少し暴れたい気分かもしれんな~。クレアたんにカッコいいとこ見せたげたいし」
「おい」
「ニャハハ、冗談やって。──あ、冗談やってのはカッコいいとこ見せたいってとこで、暴れるってのは本気な」
「…………」
テシウスは黒神を苦い顔で見つめる。
「そんな顔せんでも大丈夫やって。偶には力を見せつけたらんと、阿呆共が調子に乗る一方やろ。白神かて、他所に攻め込んだ阿呆が殺されたぐらいで一々出てけーへんって」
「…………はぁ。言っても無駄だろうが、やり過ぎるなよ」
「まぁそこはその場のノリと相手次第やな──ほな行ってくるわ」
そう言って黒神は神殿の窓から勢いよく飛び出していった。
「…………」
そのあまりの急展開に口を挟むこともできず呆然とするクレア。
一方のテシウスは予定が狂ったことに溜め息を吐き、黒神が飛んで行った西の空を見つめる。
ほどなくして西の空に黒雲が立ち昇り稲光が激しく響き渡った。自然現象というには急激で激しすぎる変化だ。黒神が暴れているのだろう。
「…………なぜ」
「うん?」
ポツリと呟いたクレアの言葉にテシウスが反応する。
「あ、いえ……」
テシウスに見つめられ、自分でも何についての言葉か理解できていなかったクレアは無理やり疑問を捻り出した。
「その……フォーセリアは何故、戦争をしかけてくるのでしょう? 白神様もこの戦争を支持しているということなのでしょうか?」
「さてな。あちらの政治家連中が戦争をしたがる理由はさっき言った通りだが、白神が何を考えているかまでは私には分かりかねる」
「そうですよね……」
馬鹿なことを聞いたと反省するクレアに、テシウスは少し考えて付け加えた。
「とは言え白神が積極的に戦争に力を貸しているなどという話は聞かん。元々は平和主義の神だし、旧王家と共に政治とは距離を置いているのではないかな」
「……この戦いは白神様の望むモノではない、と?」
「さっきも言った通り白神の内心までは私には分からん。だが少なくともその教義を政治家が自分に都合よく利用していることは確かだろうな」
「…………」
クレアはテシウスの言葉を受け、しばしこの状況について考えた。聖職者として、一人の人として。
「その……もしテシウス様の仰るようにフォーセリアが白神様の教えを曲解しているのであれば、教団本部に伝えてこの状況を正すべきではありませんか?」
「意味がない」
テシウスはクレアの提言を一言で切って捨てた。
「……私は別にフォーセリアの現状を是としているわけでも、教団が当てにならんと言っているわけではないぞ」
「それは分かっています」
「報告するまでもなく教団は状況を正しく把握しているし、白神はその気になればいつでも政治家どもを排除できる。意味がないとはそういうことだ」
言われてみればその通りだ。大陸中に情報網を張り巡らせている教団が、これほどあからさまな国の動きに気づいていない筈がないし、神である白神がその気になれば人間ごときが止められる筈もない。
「では何故、教団も白神様も動かないのでしょう?」
「問題の本質が教義の是非や解釈の問題ではないからだろう。上から押さえつけたところで一時凌ぎにしかならん」
「? えっと……上から押さえつけるというか、改めて正しい教えを伝える、というのではいけないのですか?」
テシウスの言葉の意味が分からずクレアは首を傾げた。
「いけないというか意味がない。そうして正解を与えてしまったことこそがこの現状を引き起こしているんだ。あるいは白神はそのことを理解して自ら政治と距離をとっているのかもな」
「正解を与えたら駄目、なんですか……?」
困惑して眉根を寄せるクレアに、テシウスは少し考える素振りをして神殿の壁を指さして尋ねた。
「例えばその壁。何色だ?」
問われてクレアは改めてその壁を見る。石造りで白っぽい灰色の壁だ。
「灰色でしょうか?」
「違う。白だ」
「はぁ……」
言われてクレアは余計に困惑を深くした。確かに白色にも見えるが、そんなこと別にどうだっていい。だから何だというのだろうか?
テシウスは更に続けた。
「じゃあ『2+1』はいくつだ?」
「は?」
「だから『2+1』だよ。神殿騎士は算数もできないのか?」
馬鹿にされているのだろうか? クレアは少しイラッとしながらも答えた。
「……『3』です」
「違う『2』だ」
「は!?」
堂々と言い切られて、クレアは耳を疑う。
「今なんて?」
「だから『2+1=2』だと言ったんだ」
「いやいやいや! おかしいでしょう!? テシウス様こそ数字も数えられないんですか? 『2+1=3』ですって!!」
誰が何と言おうと数字は嘘を吐かない。自分が正しい。クレアはムキになって否定した。
「ここでは私がルールだ。私が『2』が答えだと言えばそれが正しい」
「そんな無茶な話がありますか!? テシウス様が何を仰ろうと、これに関しては私が絶対に正しいです!!」
「…………」
「…………」
しばし二人は無言で睨み合う。先に口を開いたのはテシウスだった。
「な? 正解を与えられた人間というのはこうなるんだ」
「…………は?」
キョトンと目を瞬かせるクレアに、テシウスは淡々と続ける。
「今のやり取り、私の計算が間違っていた訳だが、何か問題があったか?」
問題──間違えていること自体が問題と言えば問題だが、そういう意味ではないのだろう。
「…………」
「分かりにくいようだから言い換えようか。今私が計算を間違えたことが何か問題に繋がっていたか? 仮に繋がっていたとして、それは君にとって上司であり王族でもある私をムキになって否定しなければならないようなものだったか?」
「…………いえ」
首を横に振る。計算を間違えたこと自体は特に問題ではない。そして今この場でテシウスを否定したところで何の益もないし、結果的にテシウスに恥をかかせるだけだ。
「数式と同じように、神の教えというものは人には否定しようもなく正しいものだ。少なくともほとんどの人はそれが絶対不変の真理であり唯一無二の正解だと信じて疑えない」
テシウスは淡々と、何の感情も籠っていない声音で続けた。
「だが完全な正しさとは往々にして人の手には余るものでね。正解を与えられた人間は間違ったものに対して幾らでも傲慢に、残酷になれる。自分たちは正しい。だから間違っているものは否定してよいし、しなくてはならない、とね」
「…………」
クレアはそこでようやくテシウスの言わんとすることを理解する。
「善い教えが善い行動や結果に結びつくとは限らない。歴史上もっとも人の血を流してきたのは正義や信念を掲げ、自分は善良だと信じる者たちだ」
「…………」
「数字のように毒にならないモノならともかく、人生における完全な正解なんてものを得てしまえばその者の心は限りなく荒んだものとなるだろう。人は生きる上で正解なんて求めるべきじゃない。問題を抱えながら少しでもマシだと思える選択肢を選ぶくらいでちょうどいいのさ」
それは例えば、災厄でしかない神と折り合いをつけながらよりマシな選択肢を選んできたこのカストゥール王国のように。
「……なぜ、その話をフォーセリアに──いえもっと広く伝えようとしないのですか?」
ついクレアの口からそんな言葉がこぼれる。
だがそれは本心からの言葉だ。今の話は人と神との向き合い方として、とても価値のある教えのように思えた。
「意味がない」
だがやはりテシウスはその一言を繰り返す。
「どうしてですか?」
「どうして? 白神より黒神のような存在の方が人にとっては有益だと世間に訴えろとでも言うのか?」
「それは……」
「そもそもフォーセリアが侵略を繰り返してるのだって白神やその教えが悪いわけじゃあない。その教えを正しく受け止められない人間の側にこそ問題があるのさ。ひょっとしたら今の人類が未成熟なだけで、未来では白神の教えを真の意味で理解した素晴らしい国が誕生するかもしれないだろう?」
その通りだ。結果的に今、黒神を擁するカストゥール王国の方が上手くいって見えるだけで、それが物事の正しさを決めるものではない。
「それにこの話を広めたところで、どうせ聞いた連中のほとんどは私たちを『正しい側』、フォーセリアを『間違った側』においてそれで終わりだ。そう思った瞬間、同じ轍を踏んでいることに気づこうともせずね。我が国が侵略者に転じるかもしれん未来なんて笑い話にもならんよ」
そう言って、テシウスは彼が仕える神によく似た表情で皮肉気に笑った。




