こんなことになっているとは
死んだあと、こういうシステムになっているとは知らなかった。
生前、死にかけたことがある知人に聞いたことがあるのだが、意識が混濁した後にまず体外離脱というものをするらしい。魂が肉体から離れるというアレね。
その人が言うには「医者と看護師が突っ伏している自分を助け起こしてベッドに横たえると、慌てて脈を取ったり心臓マッサージをしている様子を、『大変じゃなぁ』なんて他人事のように思いながら、病室の天井辺りから眺めていた」そうだ。
何とも不思議な話だ。
でも今回、真奈美には体外離脱した感覚はなかった。
『あ、死んだ』と思ったら、目の前が真っ暗になって、心電図モニターの「ピー」という音がすぐ聞こえてきた。
どうやら聴覚が最後に残るんだね。
この後の感覚は言葉では言い表せない。経験したことのない「超感覚」の世界になった。
触覚や視覚などという肉体に紐づけされた感覚のタガが外れたのか、どこまでも際限なく意識が広がっていく。時間の概念も取っ払われ、前後左右どころか過去や未来も曖昧になる。もちろん壁や建物などの物理的な障害もなくなっているので、真奈美という肉体に宿っていた意識は、みるみるうちに病院の天井をすり抜け、広い秋の空に吸い込まれていった。
おー、解き放たれたって、こんな感じなのかな?
紅葉した街路樹が綺麗だなぁ。
そんなのんきなことを思っていたら、すぐに眼下に広がる町の景色がぼやけてきた。景色の輪郭が曖昧になり、真奈美の周りは曇りガラスを隔てて見ているような薄もやになっていく。
その中にどのくらいの時間漂っていたのだろう。ふと、どこかから射し込んでくる光が目に入ってきた。
なんとなく、その光の方へ行きたくなってくる。
あっちが天国なのかしら?
ふらふらと光に向かって飛んでいくと、懐かしいモーセ様の姿が見えてきた。変わらぬ穏やかな微笑み、薄茶色のフワフワした髪の毛の神的美人さんだ。
手を広げて待ってくれている豊かな胸に、真奈美は以前と同じように飛び込んでいった。
「おかえりなさい」
「ただいま~」
モーセ様の懐で何ともいえない安心感を感じ、すべてを許してくれるような愛に、包まれていくのがわかった。
そうか、私は生まれる前、ここに、いたことがあったんだな。
モーセ様は私をしっかりと受け止めると、優しく旅の疲れをねぎらってくださった。
「今回はちょっと長かったから、疲れたでしょう? 生年は76年だったかしら、課題も多かったから大変だったんじゃない?」
人生の課題……………そういえば、いろんな経験がしたくて欲張って詰め込んだなぁ。
スリルを感じたくて、三回も、死にそうな目に遭った。
家族という繋がりを経験したくて、親戚や家族が多い家に生まれることにした。
結婚して嫁に行った先の家も兄弟や親せきが多い。その上、子どもや孫を多く望んだのも、以前の私だった。
ということは、病気やケガが多かった人生も、人間関係の複雑さに辟易したことも、振り返ってみれば全部、生まれる前の自分が望み、自分自身に与えた「課題」だったんじゃない!
ガーン……自業自得とはこのことじゃん。
人生に対して、くすぶっていた不平や不満。
どうやら、今生の諸問題は、神様や世の中のせいではなく、自分で決めた自分のせいだったのね。
アハハ、これは笑うしかない。
真奈美は乾いた笑いで今生の出来事を振り返り、モーセ様にその時々に思ったことを報告していった。
「そう、いろんな喜怒哀楽があったのね。よかったわ、あなたの望む経験ができて」
柔らかなモーセ様の微笑みは、真奈美の苦労を和らげ、経験した喜びや感動をより大きくしてくれた。
「真奈美、よい人生を終えたのね。ところで、今回の真奈美としての人生は二回目だったのだけれど、また真奈美として三回目の人生に挑むのかしら? それとも、まったく違う『人』として新たな人生プログラムをいつもの転生パートナーたちと一緒に創ってみる?」
「え、二回目?! 私、今回で二回も真奈美として生まれたの??」
「そうですよ。一回目は、結婚がうまくいかなくて、課題が達成できなかったから、もう一度、真奈美としての人生を望んだんでしょ。でも今回はうまく課題を達成できたみたいだし、どうするのかしら?」
はぇ~、生まれる前に記憶をリセットしたから、全然、覚えてなかった。
でも、そう言われてみれば、デジャヴというの? この景色、どっかで見たことがあると感じたり、この人と前に同じセリフで会話したような気がするって思ったことがあったわねぇ。あれって消しきれてなかった記憶だったのかしらん。
そうだな、今度は男性として思いっきりアクティブな人生をおくってみたいとも思ってるんだけど……ちょっと真奈美の人生に後悔もあるのよね。
学生の頃、もっと勉強してたらよかった、とか。
知ってたら、あの事故はふせげたんじゃないか、とか。
あの職業選択はなかったな、とか。
言い出したら切りがない。
ただ、同じ魂を持つものが、同じ条件で生きたって、あんまり変わらない人生になりそうな気がする。
それもまた無駄な気もするし……。
「あのぉ、今の記憶を持ったまま、真奈美に再転生するって、できるんですか?」
晩年に読んでいた異世界転生小説を思い出し、そんな伺いを立ててみると、モーセ様は意外にも快諾してくださった。
「いいわよぉ。多重世界にするんじゃなくて、パラレルワールドになっちゃうけど、そんなに手間は変わらないしね。後悔がないようにやってらっしゃい」
「ありがとうございます」
「でも次回の課題は、みんなと相談するんじゃなくて、自分で考えるのよ。記憶をそのままにするっていうのは、そういうこと。大きなテーマは、後悔をなくす、になるのかしら?」
「ええ、そうですね。今の実力でどこまでやれるかわかりませんが、次の生で後悔を無くしてきたいと思います」
強くて、ニューゲーム。
真奈美の真奈美による真奈美のための「if」戦記だ。
さぁ、やってやろうじゃありませんか!!