第1話 束の間の幸せは塵のごとく 2
僕たちは身支度を終え、商売する場所を借りた場所にやってきた。
一番賑わっている大通りの店舗が空いていたらしく、店といっても扉がある店ではなく、八百屋とか魚屋みたいな感じの店構えだった。
それでも道端で商売をするよりはずっと良さそうだ。
「……わ、わるかったわね」
僕が店の内装を見ていると、僕の右頬に真っ赤な手形の跡を付けたアラミさんは荷物から物を取り出し営業準備をしながらバツが悪そうに謝ってきた。
「……べっつにいいんですけどねぇ~」
僕は不貞腐れたように一緒に荷物から商品を出しながら答える。
どうしてこんなことになったのか、改めて少し振り返ろう。
朝ホテルの部屋で頬を叩かれた後、アラミさんは慌てて隣のベッドまで逃げると布団で身体を隠しながら顔を赤くして僕の方を睨んできた。
「っつぅ………」
僕は強烈なビンタで頭が吹き飛びそうな痛みにその場でうずくまっていた。
「どうしてあなたが私のベッドにいるの!?」
なんて聞いてくる。
…………はぁ?
「どうしてじゃないよ! 夜中にアラミさんが僕のベッドに潜り込んできたんでしょうが!」
僕はあまりの痛さにキレながら答えた。
「嘘言わないで! じゃあなんで私のベッドにあなたがいるの!?」
「アラミさんが起きないから仕方なく移動したんでしょうが! 覚えてないの!?」
「……そんなわけないわ」
アラミさんはジト目で僕の方をみてそう結論付けた。
「いや事実ですよ! アラミさんが僕の布団に入ってきたんです! 寝る前のことから順番に思い出してみて下さいよ!!」
アラミさんは僕に言われると、ぶつぶつと絶妙に聞こえない声で昨日の夜の記憶を辿っていく。
「部屋に戻ってきたらルドが寝てて……一通り寝る支度をして、まったく起きる気配がなかったから、なんとなくぐっすり寝てるルドの顔を見てて…ツンツンしてて……」
「ぶつぶつなにいってんですか……」
微妙に聞こえない声で言うもんだから気になって聞いてしまった。
「! な、なんでもないわ!」
アラミさんは僕が聞いてる事を思い出したのか、慌てた様子で言った。
その後も、いつものしっかりしたアラミさんとは違い、まだ寝ぼけ半分なのか慌ててるのか、
「その……えっと……今日から商売始められるから! 準備して貸店舗に向かうわよ!」
双話を逸らし、ワタワタしながら立ち上がり、全然目を合わせようとせず、アラミさんは隣の部屋にいき身支度を始めた。
「………」
僕はアラミさんのその普通の女の子らしい雰囲気に少しだけ親近感がわきつつ、普段とのギャップの可愛さにやられそうだった。
…………こうして今に至る。
その後色々と落ち着いた今、頬の痛みが尋常じゃなく、ずっとムッとした態度をとっていると、アラミさんは僕の態度に気が付いたのかようやく謝罪をしてきたのだった。
「……機嫌直してよ。説明しにくいじゃない」
アラミさんは商売をするための細かい説明を僕にしてくれていたが、途中で困ったように言ってきた。
「……じゃあ、一個僕の言うこと聞いてください」
「なによ」
「猫っぽく許してニャンって言ってみてください」
「…………私に何を求めてるの?」
アラミさんのとても冷たい目が僕に刺さる。
最高だね。
「謝罪です。さぁ、その一言で僕はあっという間に元気になりますよ。あ、許しを乞う感じで上目遣いを忘れずにお願いします!」
僕はイキイキとアラミさんにそう伝えると、
「………はぁ」
アラミさんは深くため息をつくと、上目遣いで、
「許してください……にゃん」
と、手を猫のポーズにしでちゃんと指示通り上目遣いで言った。やる気はないけど。
まさかポーズまでとってくれるなんて、流石商売する人はサービス精神が違う。
「さいっこうです!! ありがとうございます!」
僕は興奮状態で言った。
「……こんなのがいいの?」
アラミさんは心底不思議な様子で聞いてきた。
「違いますよ。ギャップですよギャップ」
「ギャップ……?」
「意外性ですよ。アラミさんが絶対言わないであろうことを言ってくれるのが萌えるんですよ」
「……そう。よくわからないわね」
「わからなくていいです! さぁさぁ張り切って商売しましょう!」
元気になった僕はビンタされたことなど忘れ上機嫌で真面目に商売の基礎を習った。
お金に関しては円やドルではない知らない通貨だが、現世と変わらずそんなに理解は難しくなさそうだ。
商品の説明も聞いたが、ほぼ意味がわからなかったので聞いた言葉をそのまま覚えられるだけ覚えた。
商品を並べながら何がどんな値段設定なのかも把握し、ひたすらに頭に叩き込んだ。
まだ朝早く人も少なかったけど、アラミさんが並べている商品は珍しいのか、行き交う人がぽつりぽつりと足を止めていく。
開店時間が別に決まっているわけでもないのか、僕は説明を全部受ける前に流れで商売が始まってしまう。
アラミさんはお客さんとスムーズに話し、人も少ないのか世間話を交えながらなにやら商品の説明をし、お客さんは気に入ったのか商品を買っていく。
人が去るとアラミさんは僕の方を見て言葉を掛ける。
「あとは見て覚えなさい。指示も出すから頑張って動いて」
「は、はい!」
さっきまで覚えることに集中していたが、人とコミュニケーションをすることがあることに緊張感が増した。
時間が進むと人が段々と増えていく。
人が群がるようなこともないが絶え間なく来るので慣れてない僕は必死だった。
数人人が来ればアラミさんが相手をする横で別の人の応対をし、あれはないのかこれはないのかと聞かれると困惑して慌てるも、アラミさんがフォローしてくれる。
アラミさんがお客さんの相手をしてると僕に奥にある商品を取ってきてと指示してきて、詰め込んで覚えた記憶を頼りにそれを持っていくとありがとうとアラミさんに言われて嬉しくなったり、ミスもありながらもなんとか商売を進めていった。
朝だけで何十人と相手にし、太陽が空高く昇ったころには僕は大分慣れ始めていた。
物珍しさでやってきていた客足も少し落ち着き始めるとアラミさんが突然言う。
「ルド、少し店番を任せるわ」
「え!? どっかいっちゃうんですか!?」
「別の商売の話があるから少しそっちに。大丈夫、あなたならまかせられるわ」
「いやいや! 商品のこと詳しく聞かれたり何があるかとかまだ全然把握できてないですよ!」
「大丈夫よ。あなたが出来る範囲の事をやってくれれば」
「えぇ……」
アラミさんは商売に持っていく荷物をまとめながら片手間に言う。
不安だ……。アラミさんがフォローしてくれるからなんとかなってるが、いなくなると思うとやれる気がしない。
僕は相当不安そうな顔をしていたのか、アラミさんは僕の方をみて、
「私と同じだけやれる必要はないわ。あなたは私を手伝ってるだけだから自分に出来る範囲の事だけをやりなさい。お客さんの相手をして、商品の受け渡しをする。それだけやれれば上出来よ。わからないことはわからないと答えなさい」
「……わ、わかりました」
そう言ってくれる言葉は僕をかなり安心させた。
「それじゃ、任せたわね。多少値段が違っても別に文句言わないから」
アラミさんは手短に伝えると荷物を持って足早に去っていく。
「…………まじかぁ」
僕は一人になる寂しさに心が折れそうになったが、助けてもらった恩を返さないといけない思いを振り絞り、気合を入れた。
それと……頼られることに対して、答えたい思いもあった。
現世じゃ誰かに頼られたことなんてなかったからな。
…………その後、僕は一人で店番をこなしていた。
お客さんが来たらやり取りをして、並べてある物を買っていく人とは最低限のやり取りで済ませ、聞かれたことに関してはわかることは答えつつも、わからないことは店主が戻り次第聞いてくださいと答えた。
一通り人客足が落ち着いたのは、ちょうど昼休みの時間帯になったころだった。
この店の周りに飲食店はすくなく、皆昼ご飯でも食べに行ったのだろうか。
僕はようやくおちついた状況にふぅ、と溜息をつき店の奥にあった椅子に座った。
一度落ち着くと一気に疲れが襲ってくる。
椅子に座り、肩を落として膝に肘をついて地面をみて項垂れていた。
商売ヤバっ。大変すぎる。こんなに大変だとは思いもよらなかった。
元々何もしたことない人間だったし……人に対して店員として対応しなきゃいけないことにこんなにもストレスを感じるとは思わなかった…。
「……変わった物を売ってますね」
と項垂れながら呆然と考え事をしていると、可愛らしい女性の声が聞こえた。
僕は慌てて顔を上げると、そこには一目で見て美人といえる女性がいた。
綺麗な淡い金色の髪に、大きな青い瞳。おっとりした雰囲気に、おちついた可愛らしい服装で僕は思わずその女性に釘付けになった。
「……あ! これサイレンシアの種じゃないですか」
女性が気になる商品を見つけたその声で僕は相手がお客さんであることを思い出し慌てて立ち上がる。
「い、いらっしゃいませ!」
慌ててその女性に近づくと、女性は僕に楽しそうに喋りかけてくる。
「すごいですね、サイレンシアってハルモニアの希少な花ですよね? 嵐の日にだけ銀色に輝く花を咲かせるって聞きました」
何を言ってるのかまったくわからん。
「へぇ~そうなんですか」
僕は適当な相槌を打った。
「……あなたが仕入れたんじゃないですか?」
不思議そうな顔で聞いてくるので僕は素直に答える。
「この店の店主は別の人なんですよ。僕はただのお手伝いなので」
「あ、そうだったんのですね。ごめんなさい、彼の祖国の花だったので思わず嬉しくなってしまって……」
ずっとおっとりした可愛らしい声で丁寧に喋るこの人の声には、それこそ魔法のように癒される何かを感じた。
「いえいえ。彼氏さんがいるんですか?」
僕は何か話した方がいいのかと思ってついそんなことを聞いてしまった。
「はい! この間プロポーズもされて婚約もしてるんです~」
嬉しそうに彼女は答えた。本当に、心から嬉しそうに、幸せそうに彼女は答えた。
……天使みたいな人だ。こんな人に好かれる男ってどんなやつだ。
「そうなんですね~。祖国の雰囲気を感じられるなら、その婚約者のために買っていくのもいいんじゃないですかね? 種ですけど」
「大丈夫ですよ。私、花屋をやっていますので、育てるのは得意なんです」
「へぇ〜お花屋さんなんですね」
「はい。さすがにこの街一番の大通りじゃないですけど……南の城門に近い位置で細々と経営させて頂いてます」
「経営者ですか……すごいですね」
僕より年上っぽいが、まだ若いのにすごい。
この人と言い、アラミさんといい、この世界は若い年齢でしっかりしてる人が多い。
「私、子供の頃から花が好きで、ずっと夢だったんです」
屈託のない笑顔で彼女は言った。
「いいですね、夢を形にできるって」
その笑顔に僕も思わず微笑みながら答えた。
「はい! 大変なこともありますけど、毎日が楽しいです!」
屈託のないその笑顔はきっと見た人がみな守りたいと思える笑顔だった。
「サイレンシアの種、買ってもいいですか?」
「あ、はい。もちろんです」
「お値段は……いくらですか?」
そう言われ、値札もなければこれについては説明すらされてないので僕は答えられなかったが、多少値段違ってもいいとアラミさんも言ってたし、売ってもいいだろう。
「言い値でいいですよ」
「え? ……ホントですか?」
「はい、店主からも、多少の値下げはいいって言われてるので」
「……じゃあ、これぐらいでどうですか?」
彼女は財布からそう言って5000の紙幣を出してきた。
「……こんなにですか?」
あんまり物価はわからないが、種にこんなに払うのは高くないか? 他の店頭に並んでる商品でこんなに高いものないよ?
「遥か遠くの国から届けてくださったんですもの。これぐらいはお出ししたいです」
彼女は最高に幸せそうな笑顔でそう言ってくれる。
……好きだ。こんな笑顔をみせられたら誰だって好きになってしまうよ。
「ありがとうございました〜」
女性はなんとかっていう種を手に入れると、嬉しそうに去って行った。
「……異国の花ねぇ」
現世にいた頃は外国の物なんてネットで簡単に手に入ったのに、この世界は魔法が使える割に不便な事も多いなぁ、などと考えながら、再び椅子に座りなおして溜息をつきながら目線を上げて空を見た。
しかし、さっきの女性を見て思うが、一体アラミさんは何を売っているんだろう。
なにもわからない僕には何一つほしいものなんてないのだが、これだけ売れるってことは、見る人にはわかるものがたくさんあるんだろう。
干した動物の皮、何かの薬草、見た事ない背物の乾燥肉。なんかの鉱石の素材、キャンプ中に食べた物は見慣れたけど、食べ物以外はほぼ何もわからない。
「……しかしお腹空いたなぁ」
お昼時ということもあり、朝から働いてる僕のお腹は空腹を主張している。
昨日の夜は寝て食べ損ねたし、朝はいつも通り簡単な保存食で済まされた。せっかく街にいるんだから出来たての美味しいご飯が食べたい。
そんなことを思いながら空を見て呆けていると、
「おつかれさま」
背後から帰ってきたアラミさんの声が聞こえた。
振り返ると、手には美味しそうな肉の挟まったサンドイッチのような物を手に持っていた。
「! おかえりなさい! 長かったですねぇ」
顔で必死に1人にされて苦労した事をアピールする。
「思ったより商談が長引いちゃって。はいこれ、お昼ご飯」
そう言ってサンドイッチを渡される。
受け取った僕はあまりの空腹に真っ先にかぶりついた。
うっま。労働後の飯のおいしさ半端じゃない。
「いただきます。めっちゃ美味いですねこれ」
食った後にいただきますと言いながらそのおいしさに思わずアラミさんに感想を述べていた。
「評判のお店だからね」
そう言ってアラミさんも隣の椅子に座ると、もう一つあったサンドイッチを食べ始めた。
「そういえば商売って、直接売りに行ってたんですか?」
僕は雑談を振りながらサンドイッチを食べ進める。
「ええ。ここは普通の市場だから、物騒なものは並べないのよ」
「………」
物騒なものといえば、そういえば片隅に置いてあった武器の入ってた袋が小さくなっている。
「……だ、誰に売ったんですか?」
「安心しなさい、悪い奴には売ってないから」
「ホントですか……?」
「もちろんよ。取引相手は王都軍だもの」
「王都軍?」
「その名の通り、フレイムヴェールの治安維持に努める人達のことよ。前にここに来た時に精鋭部隊用の特殊武器を新調したいって話があったから、いくつかサンプルとして貸し出してきたの」
「そんなことまでやってるんですか……」
アラミさんの商売の幅広さに驚きを隠せない。この街に来るまではまったくその気がなかったので、アラミさんがすごい人であることを今さらになって実感する。
「……ってか、前もここに来たんですね」
「師匠と一緒にね。あの人はもう引退してしまったから」
「例の師匠ですか」
ちょくちょく出てくるアラミさんの師匠という存在……どんな人なんだろう。
聞いた感じドラゴンを倒せるほど強かったのなら相当強いんじゃないか?
「師匠ってどんな人だったんですか?」
僕は思わず気になって聞いていた。
アラミさんは僕の問いに少し悩んだ様子を見せると
「……嵐のような人だったわ」
そう結論付けた。
「……嵐ですか」
「街に行っては毎回騒動が起き、仕入れで洞窟に行けば宝石に目が眩んで洞窟を崩落させたり、気に入らない相手との商売ではお客さんと頻繁に喧嘩したり……大変だったわ」
苦労を思い出しながらアラミさんは遠い目をしていた。
「……ハチャメチャですね」
アラミさんがそんな人じゃなくてよかったと心から思う。商売は丁寧だし、手際もいいし、愛想もいい。
「アラミさんで良かったです」
本心でそう答えると、
「そう? あなたも、思ったより要領が良くて助かったわ」
アラミさんも褒めてくれる。久々に褒められる事に嬉しさを感じた。
「全然何が何に使うのかかわかんないですけどね」
「これから知れば良いわ。合間にも色々教えてあげる」
「よろしくお願いします」
そんな雑談をしながら昼ご飯を済ませると、再びアラミさんに商品について詳細を教えてもらった。
その後もお客さんが来てた対応し手を繰り返しているとあっという間に時間は過ぎ、気が付けば日が暮れていた。
日が落ちると店じまいをし、あっという間の営業初日は終わりを迎えた。
ハンパなく疲れたが、僕の中では人生で1番充実感を感じた一日だった。