笑顔が見たい!!?
俺がフジの店に逃げ込んで、とりあえず助かったはいいが──
フジ以外はいないはずの店に居合わせた、天狗の輝魅とイヅナの瑠璃。
俺は輝魅からの無邪気な言葉に、正直動揺していた。
天狗の元に戻った彼方と天音は、しばらくはこちらへ来ることが出来なさそうということ。
彼方たちと幼馴染である輝魅の兄が、天狗軍総大将であるということ。
──そして、自分の存在理由と紅牙の思い。
今の自分には何一つ、どうすることもできない。
考えても仕方がないこと。
……よし。
気持ちを切り替えるように小さく息を吐く。
俺はここに居ればとりあえず大丈夫そうだが、問題はあの場に残してきた白叡だ。
不知火のしつこい追跡と攻撃を思い出し、俺を逃がしてくれた白叡は無事なのか…篝たちとは合流できたのか……信じようにも心配が勝つ。
「大丈夫? 顔色悪いよ?」
不意にフジに声を掛けられ、
「あ…あぁ」
そう答えるのが精一杯。
「追われててココに来たんでしょ? 逃げ切れたんだから良かったじゃない」
輝魅はそう言うが、そもそも俺が逃げ切れたのは白叡のおかげであるという話を簡単にする。
と、瑠璃が溜め息混じりに
『白叡が“何とかなる”と言ったのなら、大丈夫だと思うわよ』
その言葉に輝魅もうんうんと頷き
「あの白叡だしね。それに、もし何かあっても彼方が黙ってないよ」
自信満々な様子で言い切る。
「……でも、今彼方は動けないんだろ?」
さっき、彼方と天音は時間がかかるって……
「だとしても、彼方は白叡を必ず助けに行くから」
輝魅は真っ直ぐな瞳で当然だとばかりにそう言った。
「だから、大丈夫」
そこにあるのは彼方への、彼方と白叡の絆への信頼と確信。
……まぁ、あいつらをよく知る幼馴染がそう言うなら。
「……うん、そうだな」
白叡を信じよう。
頷く俺を見て、輝魅も満足そうに微笑んでいた。
その後、体感としては1時間くらい経っただろうか。
白叡のことも篝や幻夜のことも信じているし、この状況も納得しているが……心配であることには変わりない。
出してもらったお茶を飲みつつも、やはりソワソワしている俺。
俺以外は和気あいあいとしていて…最近人界では何が流行っているとか、新作のメニューがどうとかで盛り上がっていた。
輝魅が制服だからか、余計に教室でよく聞こえてきていたような女子たちの会話を思い出す。……もうそんな日常が遠い過去のような感覚ではあるが。
当時はもちろん、今もそんな会話に入ることも入る気にもなれずにいると、
「て、宗一郎! 聞いてる?」
「え?」
急に話を振られて驚く俺に、輝魅はぷりぷりしながら
「だから、今人界で流行ってるものって何?」
「……いや…急に言われても」
「えー!? せっかくリアルな話聞けると思ったのにぃ」
急に、とは言ったものの…正直流行モノには疎いから話せる事なんてない。
いや……会話自体がそれほど得意ではないかもしれない。
それこそ、女子が楽しい話題なんて俺にとっては無理難題に近いと思う。
「もうっ…宗一郎、人間楽しんでた!? せっかく人間やってるんだから楽しめば良いのに!」
あぁ、確かにな。輝魅の言うとおりだ。
わざわざ人間に生まれ、生きてきたが…俺は、楽しんで生きてきた気はしない。
楽しんでいたつもりでも、本心から楽しめていない。
熱中したものもない。友だちはいたが特に親しい友だちも仲間もいない。
──なんてツマラナイのだろう
普通に、平凡に生きてきた…そう思っていたが──実際は、何も感じなかったんだ。
心が動くようなモノに出会えなかった。いや、探す気すら起きなかった……敢えて避けてきた、が正しいのかもしれない。
だけど、妖怪に初めて襲われたあの、彼方に会ったあの日から全てが変わったんだ。
初めて知る妖の存在だけでなく自分が鬼の生まれ変わりと言われ命を狙われたり、次々に昔の仲間だという妖たちが現れ、振り回されている。
いろいろな事が起き過ぎて、俺の中で何かが変わった──良くも悪くも、今までこんなにも感情が動いたことがあっただろうか?
何より、どこか……楽しんでいる自分がいる?
そうだ──俺の世界に色がついたんだ
…………ん? あれ?
この感覚…前にも……??
どこか懐かしいような、心の隅が疼くような感覚に困惑していると、
「……あ、宗一郎、幻夜が迎えにくるよ」
不意にフジが笑顔でそう言ったすぐ後、店の扉が開き…幻夜が店に入ってきた。……あ、肩にいるのは白叡!?
迎えに来るという約束を守ってくれたんだな…!
安堵と喜びで思わず席を立った俺。
「おまたせ」
幻夜の笑顔はいつもより少しだけ優しく見えた。
そして、その肩に乗っていた白叡の視線は俺を通り越し──
『……おい、輝魅と瑠璃がいるとは聞いてないぞ』
すごぶる不機嫌そうにそう言った。
まぁそれより何より、
「白叡、無事で良かった」
『…………あぁ』
短くそう答えると幻夜の肩から俺の肩へ飛び移って来た。
……たぶん仕方なく幻夜に乗って来たんだろうな。
そんなやりとりを見守っていたフジが白叡に向かい
「やあ、人越しじゃない飯綱くんは初めましてだね」
『……白叡、だ』
あからさまに嫌そうな表情で名乗る白叡にフジは笑顔で応えていた。
そして、幻夜はチラリと輝魅の方を見つつ、だが敢えて本人にではなくフジに向かい
「総大将殿の妹君は……またこんなところにいて大丈夫なのかい?」
フジは答えに困るように苦笑をうかべるのみ。
代わりに白叡が溜め息をつきつつも、しっかり輝魅と瑠璃を見据え
『というか、輝魅がココに来てること…大将は知ってるのか?』
白叡の刺すような視線に顔を見合わせる輝魅と瑠璃。
『知らない……はず』
「だけど……もしかしたら、人界に来てるのは気づいてる……かも?」
白叡が盛大な溜め息をつく。
輝魅たちが人界やこの店に来ているのは今回が初めてではない…お忍びが常習のようだが、残念ながら忍べてはない様子。たぶん、バレてるな。
『…………オレ様は知らないからな。一応、見なかったことにしておいてやる』
白叡も関わらないことに決めたようだった。
このやりとりを見守っていたフジだが、
「え? やっぱりうち破壊されるのかい……!?」
「大丈夫だよっ…………たぶん」
「たぶん!?」
輝魅のフォローしきれていない言葉に、本気で心配そうに青ざめていた。
その様子に幻夜は楽しそうにひとしきり笑った後、
「さて、帰ろうか」
俺にそう言ってから、改めてフジに視線を移すと
「…………助かったよ、フジ」
その言葉に一瞬驚くような表情を見せたフジだが、すぐに笑顔で頷く。
小さく礼を口にした幻夜……兄弟のように仲の良い旧友のフジですら驚くほど珍しいのか。
もちろん俺も驚いた。というか、俺…本当に心配されてたんだろうな。何だか少し複雑な気持ちではある。
幻夜も照れくさかったのか、本当に小さな声ではあったけど。
「じゃあ、邪魔したね」
何事もなかったように言う幻夜。
そして俺もできる限りの笑顔で
「フジ、ありがとう。輝魅たちも……」
もしかしたらまた会うこともあるかもしれない。
自分でも上手く笑顔を作れているか分からないが、お礼を言って歩き出そうとした、その時
「ね、最後に聞きたいんだけど」
輝魅にチョイっと袖を引っ張られ、
「宗一郎は紅牙に戻りたい? 本当に記憶取り戻したいの?」
これもみんなから言われる。
もちろん、答えは一つだ。
「少なくとも記憶は取り戻したい…いや、取り戻すよ、必ず」
真っ直ぐに向けられた菫色の瞳を見つめ返し、だが自分自身にも言い聞かせるように言った。
紅牙に戻るとか、記憶を取り戻すとか……それより、その先にあるものが何よりも欲しい。
「笑顔が見たいんだ」
「笑顔?」
意外と思ったのか、聞き返す輝魅に俺は正直に答えた。
「仲間の…彼方の悲しそうな顔じゃなくて、本当の笑顔が見たいんだよ」
これは俺の本心だ。
「……そっかぁ」
輝魅は俺の言葉に微笑んで頷く。
それと同時に
「『…………』」
幻夜と白叡が顔を見合わせた…気がした。
だだ、それも一瞬。
改めて店を出ようとする俺に
「──私、紅牙のイメージあんまり良くなかったけど……彼方が言ってた話は本当な気がしてきた。あと、宗一郎は嫌いじゃないよ」
「え?」
「頑張ってね」
そう言って柔らかな笑顔で手を振る輝魅と、複雑そうな瑠璃、変わらず営業スマイルのフジに見送られ──そのまま店を出た俺たちだが、店先で幻夜が足を止めた。
「すまない、一服しても良いかい?」
幻夜の指差す先…店内禁煙ではあるが店外の入口から少し離れた所に灰皿が設置してあった。
俺が頷くのを確認すると、煙草を取り出し火を着け…溜め息混じりに一息を吐き出す。
たが、その様子はどこかホッとしたようにも見えた。
それは俺も同じ気持ちだ。
改めて思う。とりあえず白叡が無事…無傷で良かった。
それに、白叡が幻夜と迎えに来てくれたということは……
「不知火は幻夜が?」
『いや、篝が始末した』
白叡曰く、あの後白叡が(方法は分からないが)敵襲撃を二人に知らせたことで篝が合流し、そのまま戦闘になった。そして不知火との戦闘中やや遅れて幻夜が合流、結界等で周りに配慮している間に篝が不知火を始末。その後、幻夜と白叡がフジの店にいる俺を迎えに来た──ということらしい。
「分かってはいたが…本当に派手にやっててびっくりしたよ……」
本心から呆れたような溜め息。
どうやら合流した幻夜の結界で一般人は巻き込まれずに済んだようだが、周囲の建物やらの被害は……聞かないことにしよう。
まあ、何よりも約束どおり無事に迎えに来てくれたことが嬉しかった。
「篝は無事なのか?」
「あぁ。先にマンションに戻っているよ」
みんな無事ならそれでいい。
というか、篝が派手にやり合うような相手に襲われて俺はよく生きていたな……。
フジが道を開けてくれなかったら…白叡の言うとおりあの場で死んでいたかもしれない。
改めて血の気が引く俺に気付いたのか、幻夜が灰皿に灰を落としながら
「ククク…まぁ、無事で良かったよ。それに……まさか、紅牙からあんな言葉が聞けるとはね」
あんな?
もしかして、笑顔云々の話か?
……まぁ、自分でもクサイことを言った…とは思うけど。
そういえば…あの野宿の時、幻夜は”彼方のため”って言っていたな……
俺の視線に気づいたのか、ゆっくりと煙を吐き出しつつ
「僕も君と同じだよ、彼方クンの…本当の笑顔を取り戻したいんだ」
『……』
「もちろん、君の覚醒を本心から望んでいるよ…僕自身も。今すぐにでも、ね」
そう言ってどこか意地悪そうに小さく笑うと煙草を消した。