ぐるぐるぐるり!!?
『このまま行けっ!』
不知火と白叡の緊迫した攻防を背後に感じながらも、俺は振り返ることなく一心不乱に走る。
そして左手で右の腕輪を握り、全力で強く強く…これ以上はないほど全身全霊で祈った。
──頼む、腕輪! フジの店への道を繋いでくれ!!
……
………?
シ────…ン
……は? 嘘だろ?
何も起きない? チャレンジ失敗!?
いやいやいや…もう一度、もう一度だ!
思わず立ち止まりそうになるのを堪え、尚も走り続けながら軽く深呼吸をして、もう一度。
俺は再び強く強く…さっきよりも必死で祈願った──!
「ッ……いいから! 店への道を繋いでくれッ!!」
思わずそう叫んだ、その瞬間
──チリ……ン
!?
鈴の音……?
どこからともなく…だが確実に聞こえた澄んだ鈴の音を合図に、徐々に視界が白い濃霧に包まれていく。
これは……チャレンジ…成功した?
“そのまま進んでおいで──”
脳内に響いた声。
これはフジの声?
いや、そうじゃなくても信じて進むしかない!
気づけば、腕輪がうっすら青白く光っているような気もする。
……繋がったってことで良いんだよな?
俺は走るのをやめ、真っ白な視界の中そのまま歩いて進む。
と、次第に濃霧が晴れていき──少し先に見えたのは、見覚えのある店構え。
時間的にはまだ日が出てる時間のはずだったが、そこは夕方から夜…所謂逢魔時といった様子で、店のところだけ灯りがある。まるで異世界に迷い込んだような…まぁ似たようなものか。
俺は恐る恐る近づき、店の扉を開ける。
「やぁ、いらっしゃい。何だかピンチだったみたいだね?」
フジの明るい声と営業スマイルに緊張が一気に解けて、その場にへたり込んだ。
「…………あぁ、敵が…」
と言いかけ顔を上げると、俺の目に入ったのはフジの横…入り口カウンターに白い小動物!?
「って、え!? 白叡!!?」
不知火から俺を逃すために戦ってくれているはずの白叡の姿に、驚きと無事であった喜びの声を上げたが、その生き物はあからさまに嫌そうな表情(?)をすると、
『違うわよ。あんなに野蛮なヤツと一緒にしないでくれる?』
「……は??」
声からしてメス……か?
確かによく見れば毛色こそ白叡と同じような白だが、瞳は綺麗な青紫色。全体的にやや小さいし……毛も短い気がする?
「えっと……あなたが宗一郎?」
「……うわっ!!? だれ!?」
いつの間にか間近で俺を覗き込むように見てきたのは…制服姿の女子高校生??
「私は天狗の輝魅、あの子は飯綱の瑠璃ちゃん」
そう言ってカウンターにいる白叡に似た白い小動物を指差す。
天狗とイヅナ…彼方と白叡みたいな主従関係ということか?
というか、天狗?
「……ぇ…じゃあ…彼方や天音とも知り合いだったりするのか……?」
「うん、二人とも私の幼馴染」
にっこりと頷いた女子……天狗の輝魅は見た目10代の健康的な女の子。
小柄で色の薄い金髪ツインテールと透けるような白い肌、ぱっちりした大きな菫色の瞳。丸顔で可愛らしい顔立ちをしていた。
あの二人と同様、特に天狗らしいところは見当たらない。
まあ一応制服姿だし、おそらく人間verなのだろう。
「制服ってことは人間仕様、てことだよな……普段からこっちに?」
「うん、私人界好きだから結構こっちに来てるの」
華やかな明るい笑顔で言う輝魅とは対照的に、瑠璃はやや険しい表情で
『お忍びでね。でも何かあると私も怒られるから、いい加減にしてほしいのだけど?』
「何もないから大丈夫だよー」
『……どうかしら、たぶんココにいるのもバレたら怒られると思うわよ』
その瑠璃の言葉にフジが青ざめた。
「待って……怒られるだけで済む? うち、破壊される??」
「そんなことないよ、大丈夫だよぉ」
笑って否定する輝魅に、呆れの混じる溜め息をもらす瑠璃。
…………??
俺抜きで交わされる会話に呆然としていると、それに気づいたフジが
「ああ…ごめんね、本当なら誰もいない時だけの予定だったんだけど、ピンチっぽかったから道を開けたんだ……まぁ、輝魅ちゃんなら大丈夫かなって」
「大丈…夫……なのか?」
急に不安になってフジと輝魅を交互に見る。
「一応…事情は知ってるし、ね?」
「えー……まぁ、聞いてはいるけど…手助けとかはできないよ?」
困ったように言う輝魅。
フジは“それで十分だから”と笑うと、俺たちに席を勧める。
「まぁ、二人ともとりあえず座りなよ、何飲む?」
そう言われて改めて、喉が渇いていることに気づいた。
全力で走ったり極度の緊張が続いたからだろうか……。
そんな俺にフジはニコニコの営業スマイルで
「今日は輝魅ちゃんがいるから林檎ジュースも仕入れてあるよ」
そうだ、この店の飲み物はほぼ酒で申し訳程度のノンアルコールは冷温のお茶3種だけだった。
「冷たい緑茶で……」
「え、林檎美味しいよ!?」
林檎ジュースを頼まないことに驚く輝魅に
「あぁ、うん、お茶で大丈夫」
苦笑で答える。
そんなやりとりをしつつ、俺はカウンター席に座り、隣に輝魅。その横の椅子に瑠璃がちょこんと座った。
フジはそれを確認し、手際よく俺の前に冷緑茶、輝魅の前に林檎ジュースのグラスを置くと
「宗一郎は…食べれるなら、何か作るよ?」
「……あ、いや…大丈夫」
さっきまでの襲撃と白叡が無事なのか気になって、とても食事が摂れるような状況ではない。
俺が焦っても心配してもどうにもならないのは分かっているが、白叡…他二人も無事であってほしい。
「輝魅ちゃんはいつもので…」
『フジ、輝魅にご飯を出さないで。節制中』
「……厳しいねぇ」
間髪入れずに注文を阻止され悲しげな輝魅に、フジが不憫そうな表情を向ける。
どこのイヅナも厳しそうだな…と思っていると、
「ねぇ、宗一郎は…あの紅牙なんだよね?」
不意に投げかけられた言葉。
「え……」
思わず輝魅を見ると、興味深そうに俺を見つめながら
「なんか…すごく小さくて可愛くなってるけど……」
まただ。また言われた。
そう言われても俺にはどうしようもないのだが、輝魅は俺を頭から足先まで見回すと
「聞いたよ、人間に転生成功したって。人間に生まれてもしっかり“鬼”の気配…“紅牙”だと分かるね。……でも、まだ不完全な感じがする」
なるほど、事情は知ってると言っていたな。
妖の常識外である“転生”に関しても疑問とかではなく、純粋に俺の存在に興味がある様子なのがその菫色の大きな瞳から真っ直ぐに伝わってくる……気がした。
というか、そんなに気配ダダ漏れなのだろうか?
「もしかして……紅牙の記憶がないから? 妖力使える?」
俺は素直に首を振った。
それを見た輝魅はあちゃーというような表情をしたが、すぐに納得した様子で
「……だよね。少なくとも、紅牙だったらココにあんなに焦った状態で来ないと思うし」
ここまで言うということは……
「紅牙…紅牙たちとは知り合いなのか?」
「正確には何度か見かけた…その場に居合わせた、てくらいでちゃんとお話ししてはないかな。幻夜はたまにこのお店で見かけることはあるけど」
話をする機会がなかったのか、敢えてしなかったのかはともかくとして…紅牙を直接知っているなら何か思い出すきっかけになるような話が聞きたい……!
「でも、紅牙だったら…て言うくらいには知ってるんだろ?」
「あくまでも私からの印象だけどね。ただ少なくとも、紅牙は見るからに怖かったし…幻妖界での噂も良くはないよ」
そう言って困ったように笑った後、輝魅は改めて俺を見つめると
「でも、彼方たちから聞く話は違った。──ずっと気になってたの、特にあの彼方が気に入ってる人だから本当はどんな人なのかな、て」
「どんな……?」
思わず聞き返すと、
「うーん…宗一郎ともちょっと違うかもね」
…………ズキン
心の奥がなんだが少し痛んだ気がした。
彼方が気に入っていた紅牙…と今の俺の違い──とは?
『まだ記憶とか戻ってないなら仕方ないでしょ。それに宗一郎は、紅牙は紅牙でも…本来の紅牙ではないのでは?』
言葉が刺さる。
“宗一郎とも違う”
“本来の紅牙ではない”
「…………っ」
結構……自分でも驚くほど、ショックかもしれない。
考えないようにしていた“自分の存在理由”
俺は…本当にここにいて良いのか?
俺は……本当に仲間と共にいて良いのか??
頭の隅に追いやっていた疑問が、ぐるぐると回る。
いや、今そんなことを考えてる場合ではない!
「そ…それはそうと、彼方たちは天狗のところに帰ったはずだけど、無事…大丈夫だったか?」
「どう大丈夫かは分からないけど……二人とも人界に来れるような感じじゃなかったかな。私も会えてないし、ちょっと時間かかるんじゃない? 兄様たち、結構怒ってたから」
「兄様…たち?」
「あ、私の兄様は軍の総大将なの」
輝魅の兄が“天狗軍総大将”……て、あの…彼方が気にしてる人物、だよな。
たちってことはおそらく総大将と軍師だろう。……というか、
「総大将が怒ってる…て……それって…」
やっぱり俺のとこに来てたのがバレてるから?
俺のせい…なのか?
「もしかして……気にしてるの?」
「あ……え…と」
「紅牙関連以前に、彼方は兄様たちに怒られることばっかりしてるし、天音が道連れになるのもいつものことだよ」
くすくす笑いながら林檎ジュースのストローに口をつける輝魅。
……総大将について聞いてみたい。気になって仕方ない。
天狗軍を率いる存在……いや、彼方にとって特別な存在がどんな人物なのか。
気にはなる、でも聞きづらい……!
そんな俺のモヤモヤした気持ちに気づくことなく、輝魅は俺の方に向き直り
「ねぇ、聞いてもいいかな? 宗一郎は17年間、人間として生きてきてどうだった?」
予想外の質問。
「どういうことだ?」
「そのまま。紅牙の記憶ないんでしょ?」
確かに記憶もないし、妖の存在だけでなく実在していることすら知らなかった。
ごく自然、当然人間であり、そこに疑う余地もなかったのだから。
「……ずっと俺はごく普通の人間だと思ってたよ、疑ったこともない。普通に生きて普通に死ぬもんだと思ってた」
「その普通って何?」
真っ直ぐな瞳でそう言われ、思わず言葉に詰まる。
「…………ぇ…何だろう?」
普通? 何がどう??
そもそも、なぜそんなことを?
困惑する俺に、輝魅は苦笑をうかべると
「少なくとも私が知っている紅牙はそんなこと言うようには思えないし、たぶん言わない。でも宗一郎がそう思うなら……穏やかとか平凡とかに、実は憧れていたのかな」
少なくとも俺は“普通に目立ち過ぎす平凡にいこう”と思って生きてきた。
つい最近、普通じゃないのは確定したが。
「正直、宗一郎に会ってもイマイチ転生ってピンとこないけど…わざわざ人間に生まれて、人間として生きるってたぶんすごく不便だし大変だと思うの」
人間は妖と違って、寿命も短いし肉体も弱い。体力や特殊能力もない。
──あぁ、そうか。
理由やきっかけはともかく、紅牙は転生という不確定要素に加え、敢えて人間を選んで……しかも俺は記憶もないまま普通を望んでいた。
「人間たちはすごい勢いで変化していくから正直びっくりするし、尊敬もする。でも…私、人間も人界も好きだけど、流石に人間になりたいとは思ったことないな、て」
輝魅の言葉は妖として正直な感想だろう。
でも…もしも、俺の存在が紅牙の望みだったのなら……紅牙は人界を、人間をどう思っていたのだろうか。
俺の中で色々なことが処理しきれずにいた。