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5:天国への川

濁りのなかの聖性──

命となり、死を受けとめ

そして今では、あらゆる業が沈み、流れる川

人の不浄に触れ続け、そう

幾千年もの人間の不純を洗い続け

自らも濁り、淀み、それでもなお

水はその内部に──

流れるということの奥、諦めという性質に

憧れのような光を保ち

人々を引き寄せ続けている

川に浸かる、多くの人たち──彼らは

すぐそばに天国への門を感じ

自らの思考や情念を見つめ、そして

地上へと戻っていく──したたるのは

罪と償い、それから、天国への意志


「ヒンドゥー教徒にとって体は借り物で

 しかしその借り物ゆえに人は穢れる

 この川は汚染されていますが

 水の本質は、彼らにとって永遠に澄んでいるのです」

「ここには、いろんなものがあるんですね

 ないものは、墓くらいでしょうか」

「ヒンドゥー教徒は墓を持ちません

 借り物は全て、地上を去る時返すのです」

「私だった骨が、目に見えて違う何かになっていく」


僕は、手を伸ばす──

何かを掴むためではなく、何かに触れるためでもなく

その手は、生も死もごちゃ混ぜになったこの地の

固まった意識と意志を感じる

あちこちで、昇っていく煙がある

それと共に魂は天国に行くのだと、案内人は言う

そしてまた、いつかこの地上へ生まれ変わるのだと──

魂があるのなら、きっと生まれ変わりもあると

あの時僕は言った

不確かなことを口にしない彼女も

希望ではなく、願いでもなく、たぶん

確信として、、その言葉を聞いてくれた


「生まれ変わりは、違和感がありますか」

「いえ、そうではなくて──

 もしそうでなければ、僕は

 また大切な人とこの地上で会うことができません」

「そうですね、でも

 そんな幸せな話でもないかもしれません

 現実は、愛より悪意が多いのですから」

「僕は、きっと、夢を見ているんです」


──今度こそ、二人で幸せになりたい、と

僕は言った──言ったけれど、でも

あの時の僕の言葉は、真実ではなくいったい

何によって満ちていたのだろう

ただ、でも、それでも

僕が彼女を愛して、その言葉の全てを抱きしめ

そして見送った彼女の名前は、本当に

真実だったのだと思う──だから

夢のなかにだって、現実は、存在しているはず


「見てください、あの人を

 まだお若い方ですが、病に冒され

 死の時が近付いています

 そういう人々も、ここを目指してやってきます」

「天国を、夢見て?」

「いえ、天国を、信じて、です」


それは、生きた言葉の特権かもしれない、と

僕は思い、そして彼女を思い出す

やっぱり、彼女の絵が見てみたい

この光景を描く彼女の水彩を、一番近くで、見ていたい

また──泣いてしまった

案内人が優しく目を閉じ

緩やかな川のように、僕の思いを汲み上げ

そして静かに流していく

僕はありがとうと礼を言って

川の水の奥まで、ゆっくり視線を伸ばす

死ぬためではなく、生きるための穢れと浄化が

絡まり、締まり、突き刺さる

いやでも──僕には、うまく水と合わさることができない

きっと、もう、僕には無理なのだと思う

僕はヒンドゥー教徒ではなく、彼らの

いや彼らが延々繋いできたその感覚の意識は

もう僕のなかには存在しない、だから

僕はこの川の水ではなく

自らの内の深い深い源泉からくる

熱い涙で浄化されるほかにない──それは、でも

不幸なことではないと思う


──だけど、僕の涙は突然止まる

今、感じてしまった

この、感覚──黒々とした死を、ぎゅっと濃縮したような

そう、この気配は、機械化人間

見回すと、すぐに見つかるその姿は

周りのどの人間よりも健康で美しい

それでも、それに憧れた言葉たちは

魔女に騙され閉じ込められた子どものように

聞こえぬ声で泣いている


「よく、分かりましたね、そうなんです

 最近では、機械化人間たちも時々

 沐浴をしにやってくるんです」

「この川は、彼らの穢れも流せるでしょうか」

「もちろんです、彼らと、私たちと

 いったい何が違うでしょうか

 違うのは、ただ、硬さだけです

 同じように、この地上から体を借りている

 それは、変わらないのです」

「そう、ですね

 変わらない、ですね」


言葉と口が分離して、僕の意識は機械化人間へと向かう

川に入り、ゆっくり進むその表情は

わずかに目元が動き、そして口が開く

まだ、その言葉が読める

きっとまだ、機械化したて

だけど、たぶん──川を上がる時、その時したたるいかなるものも

大地の肥にはならないだろう

同じ、ではない──僕らと、機械化人間

この川の水は、きっと

その硬い体を突き抜けて

幽閉された憐れな言葉まで、届くことはない

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