2 そして知らない内に、危機は迫ってました
エルさんの家で食事をする。家は他の方々と同様、木で建てられた物だ。集落のリーダーなのに、他の人達と同じ小さ目の建物に彼女は住んでいて、特別扱いされる事を嫌っているようだった。衣服だって皆や私と同じ、淡く緑色に染められたシャツとズボン。ちなみに集落にはスカートを履いてる人も居て、森の見回りや狩猟で集落の外に出る事が多い者はズボンを着用しているとの事。
「クロは左利きなんだな。あるいは両利きなのか」
木の器を右手にして、同じく木のスプーンを左手で持っている私を見てエルさんが言う。どうも、そうみたいだ。行儀を咎められた訳ではなく、いつも通り、私の記憶を取り戻すために彼女は話しかけてくれる。
「ええ、記憶は無いんですけど。剣を振るのに活かせれば良いんだけどなぁ、そうすればエルさんから一本を取れるのに」
この世界の剣術は、私の前世?である日本にあった剣道と、ほぼ同じものだった。右手と右足が前に出る構えで、両手で木剣を振る動き。有効打突部位は兜を被った頭と、小手を着けた手先、そして防具を着けた胴である。前世の剣道は、古くからあった剣術を合理化したものらしくて、この世界でも同様の事が起こったのかも。そういう技術は似てくるのかなぁ。
「自分の記憶は無いのに、クロは剣の事は分かるんだな。それ程、剣に打ち込んでいたのか」
「みたいですねぇ。と言っても、そこまで才能は無かったようですけど。才能があったら、体で覚えてる技術があると思いますから」
どうやら私は、前世で剣道少女だったらしい。で無ければ自分の記憶より先に、剣道のルールを思い出す事も無いだろう。たぶん私は前世でも今と同じ年齢で、学校で剣道部だったのではないか。前世で剣の達人だった訳でも無いし、チート能力も無い。そういう向きを期待している方々には申し訳ない程、私は平凡な一般人であった。記憶が無いから断言できないけど。
「まあ、ゆっくり思い出せば良いさ。では浴場へ行こう、クロも汗を流さないと」
「……はい、エルさん」
集落には温泉があって、そこで皆、体を洗っている。ついでに言うと硫黄の匂いは無くて、魔法の石というものを利用して湯を沸かしているそうだ。生活魔法というか、日常生活で利用されている技術があって、おかげで異世界生活は快適だった。トイレが水洗というのも実にありがたい。
温泉は広くて、そして、色んな意味で開放的だ。この辺りの気候は一年中、初夏のような気温が続くそうで、私達は川で水浴びを楽しんだりしている。しかし温泉がある浴場は露天風呂で、大人の女性達が裸の付き合いを楽しむのは、この場所となっていた。其処彼処で女性同士、愛が交わされていて、郷に入れば郷に従えというのか私は日常生活の一部として光景を受け入れている。
私とエルさんは常に、一緒に入浴している。この世界に石鹸はあるのだけど、浴場でタオルを使う事は無いようで、いつも私はエルさんの指や掌で体を洗ってもらっていた。背中も、体の前面も、デリケートな部分も全て。私より背が高い彼女の掌は大きくて、それでいて指先は、くすぐるように繊細なタッチなのだから困る。嫌なのでは無く、そのまま続けてほしくなるから。
エルさんは、「好きです」という私の告白を受け流してるけど、私が嫌いな訳では無い。むしろ逆で、私は体を洗われる度に、全身でエルさんの指先から愛情を感じ取っていた。私を看病してくれていた時から、彼女の指から伝わる愛情は、疑いようが無い程の強さで肌に伝わってきていたのだ。私を死の淵から呼び戻した、この指先からの感覚。忘れようも無くて、これを私が判別できない訳が無かった。
私も一生懸命、エルさんの体を洗う。私より十センチは背が高くて胸も大きい彼女の、前も後ろも、下腹部のデリケートな花の部分にも指を滑らせる。時折、吐息が漏れて、もっと私の指先から愛が伝わればいいのになぁと思った。
朝はエルさんと、剣の素振り。一緒に朝食を取って、お昼頃、エルさんと剣の手合わせ。いつも私が負けて、その後に浴場で体を洗い合う。それからはエルさんにも細々とした仕事があるようで、私は彼女の小屋で留守番だ。
エルさんは行商人から、皆が集落で使う生活必需品を買ったり、森で見回りをしたりしているようだった。その見回りの最中に、行き倒れの私が発見されて助けられたという訳。私は客人という扱いになっていて、一切の労働を免除されている。ありがたいような、申し訳ないような気持ちだ。私は自分の記憶を取り戻したいのか、それとも此処の一員になりたいのか……まだ自分でも、気持ちが定まっていなかった。
エルさんが留守の間、私は戸外で剣を振る。素振りではなくて、立ち合いを想定した動き。剣で行う試合のルールは剣道と同じで、剣の持ち方は柄を両手で握る。右手が上で、左手が下。剣で打ち込む際には、常に右足を前に出して踏み込む。
右利きを前提とすれば、これが確かに合理的な構えであり、動きではあるのだ。あるのだが……別の構えが出来ないかなぁと私は考えていた。何とかエルさんから一本を取りたくて、それには彼女の意表を突く必要がある。エルさんは私より筋力があって、そして私より十センチは背が高い。つまりリーチもエルさんの方が長くて、普通に打ち合っていては、私は勝てないのだった。
私はエルさんとの会話を思い出す。木剣での立ち合いに付いて、私はルールを確認したのだ。「ねぇ、エルさん。例えば左右が逆の構えや動きでも、一本を取る事はできるの? それとも反則負けになっちゃう?」と。エルさんへの、私の話し掛け方は馴れ馴れしくなってきていて、それを彼女は鷹揚に受け入れてくれていた。だってエルさん、私の気持ちを受け止めてくれないんだもの! もっと押しを強くしないと、いつまでも私は子供扱いされたままで終わりそうだし。そういう事もあって、私は意識的にエルさんへのアピールを強めてるのだった。
それはともかく。「いや、反則負けなんて事は無いよ」というのがエルさんの回答だ。「私達は長命で、だからなのか、文化も保守的になりがちなんだ。つい昔からの慣習に縛られてしまう。少なくとも私の集落では、新しい文化を頭ごなしに否定するような事はしないよ」
そう言って、「クロが試したい事があるのなら、やってみるといい。応援するよ」と言って、エルさんは私の頭を撫でてくれた。こんな事をスマートに行うから、私の想いは燃え上がるばかりだ。私は明日、エルさんとの立ち合いで、考え付いた技を試そうと張り切っていて────まさか、その機会が奪われるとは、この時の私は全く思っていなかった。




