第七話
「ナナシ」
中庭のベンチに座るナナシにアヤノは声をかけた。
「んだよ男女」
「レイさんから聞いたそうだなあの話……」
アヤノは声を潜めた。
「ああ、あの脱走とか解体とかって話か」
「声が大きいぞ!」
「チッ……めんどくせぇ……」
「なあ、ナナシ」
アヤノはナナシの隣に座った。
「君はここから出たらどうするんだ?」
「どうするもなんもねーよ。今まで通り好き勝手にやるだけだ」
ナナシの答えにアヤノは言葉を紡いだ。
「……もし行く宛が無いのなら私達の所に来ないか?」
「テメェらの所っていったら……」
「亜人と人間の平等を訴える活動団体だ」
ナナシは、「あーやだやだ。そんなお綺麗な所行くわけねーだろ」と言いたかったのだが、何故かその言葉が出なかった。その代わり、
「ここ出たらテメェとも離ればなれか……つまんねぇな……」
そんな言葉が出た。
「え?」
「あ~何だこれ。イラつくなぁ……」
ナナシは頭をガリガリと掻いた。
「やはり来る気はないか……」
「……俺は、そんなお綺麗な所に行ける様な奴じゃねー」
「そんな事……」
無い、とアヤノが言いかけた時、ナナシは声を荒げた。
「俺はなあ!ケンカに盗み、それにヒトゴロシまでやってきてんだよ!そんな奴が入ってるって知られたらテメェの団体の信用も地に落ちるぜ!」
「!ナナシ……君は……」
「だから……ここから出たらテメェと一緒になんていられる訳ねーじゃねぇか……」
ナナシは先程までの威勢とはうって変わって声を沈ませた。
「……ナナシ、私は……私は君の事が好きだ」
「は?」
ナナシはアヤノが何を言っているのかわからないとでもいう様に目を丸くした。
「私は君の罪まで丸ごと愛するよ。警察にだって誰にだって渡すものか。私と君は同罪だ」
「はぁ?何言ってんだテメェ……」
「だから来てくれ。ナナシ」
「……」
「ははっ。私情で組織を危険にさらす様な奴なんだ、私は」
「ホントに……良いのかよ……」
「ああ」
アヤノがそう言うと、ナナシはアヤノを抱き寄せた。
「へ?」
「何か……今はこうしてぇって思ったんだよ」
「あ、えっと」
「っせえ。大人しく抱かれてろ」
「……」
ナナシの言葉にアヤノは身を任せた。
「ふふっ」
「んだよ」
「何だかおかしいな。私達がこんな事しているなんて」
「あー?もっとおかしな事してやろうか?」
「まっ、待ってくれっ!それは心の準備が……」
「つまんねーの」
そう言うとナナシはアヤノを放した。
「……」
「なーに物欲しそうな顔してんだあ?」
「いっ、いやっ……そのっ」
「やっぱして欲しいんじゃねーか」
「ええと……違っ……くは無いが……。ああそうだ!」
「?」
ナナシはアヤノの突然の声に疑問符を飛ばした。
「君の罪も丸ごと愛すると言ったが、これからはそんな事させないからな!」
「はあー?」
「当たり前だろう」
「チッ……うぜー」
ナナシの言葉にアヤノは笑った。
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「ハル!」
「ソウタくん」
いつもの中庭で、ソウタは先に来ていたハルに声をかけた。
「今日は何のお話をいたしましょう?」
「それだけどな」
ソウタはそう言うと周りをキョロキョロと見渡し、声を潜めた。
「レイからあの事聞いたんだってな」
「こちらからの脱出の事でしょうか?」
同じくハルも声を潜める。
「ああ、後はリョウにだけ話をつけるって言ってた。良かったな。おれらもうすぐここから出れるぜ。ハルもご主人様に会えるんだ」
「ええ……」
ハルの表情はその返答とは裏腹に少し沈んだ色をしていた。
「どうした?ハル。嬉しくないのか?」
ソウタは心配そうにハルの顔を覗き込む。
「嬉しい……ですわ……とっても……。けれど……」
「けれど……?」
「ここから出たら今までの様に毎日ソウタくんに会えないかと思うと……素直に喜べませんわ……」
「ハル……」
ハルはぎゅっと膝の上の手を握りしめると、意を決した様に口を開いた。
「私、ソウタくんの事が好きですわ」
「おう!おれも好……」
「そういう意味ではなく」
「え?」
ハルの言葉にソウタは戸惑った。
「レイさん達に教えてもらいました。私のこの気持ちは『れんあいかんじょう』としての好きだと」
「えっ……」
「私はソウタくんと離れたくありません。ソウタくんの事が好きだから……」
「ハル……」
ソウタはハルの握りしめた手を手のひらで優しく包み込んだ。
「ソっソウタくん!?」
「おれも、ハルの事が好きだぜ。『恋愛感情』って意味でも」
「ほ、本当ですの……?」
「ホントホント。嘘ついてどーすんだよ」
「ソウタくん……」
「ここから出られたら、今までみたいには会えなくなるかも知んねー。けど、おれ、頑張っていっぱい時間作ってハルに会いに行く。約束だ」
「ソウタくん!」
ハルはソウタの胸に飛び込んだ。
「おわっ!」
「絶対絶対、約束して下さいまし」
「おう!」
ソウタはそう言ってハルの事を抱き締めた。
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「(あとは……リョウだけね……。……リョウ……)」
レイはリョウの後ろ姿を見つけると、声をかけた。
「リョウ」
「ん?何5番ちゃん」
「話があるの」
「ふーん」
レイの話をリョウはただ黙って聴いていた。
「それで、協力してもらえるかしら?」
「……馬鹿じゃないの」
「え」
「あーあ、時間潰してまで話を聴いてやったのに損したよ。そんな下らない事話す為にわざわざ僕を呼び止めたの?」
「リョウ……」
「あのさ、言っとくけど僕は君達とは違って望んでここに来たの。ちゃんと交渉してね。実験内容は優しいもんだし、望んだ物も手に入る。君達とは違うの」
「……」
レイは目線を落とした。
「……ついでに言ってやろうか」
「?」
レイは落とした目線を再度上げる。
「僕の職業。スリだよ。あはは、警察官の君とは相容れない。『わかった』?」
「……」
「なんにも言うこと無い訳?」
「……ごめんなさい」
レイは絞り出す様にそう言った。
「……じゃ、僕はもう行くよ。ああ、脱走については黙っててあげるよ。感謝してね」
「……ありがとう」
「……『じゃあね、5番ちゃん』」
リョウはそう言ってレイの部屋から出て行った。
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『八雲 麗花』。その名前を最初に見た時に憶えた感情は嫉妬と羨望だ。
新聞で功績を褒め称えられていた。夜鳥である事も相まってなおのこと。
自分は社会から弾かれたのにどうしてお前は受け入れ褒め称えられているのか。自分とお前の何が違う。運が良かっただけじゃないのか。
けれど、その反対に希望を持つ自分もいた。
「(夜鳥でも……警察官に……)」
だか、その希望が光り輝けば輝く程に全てを諦めスリなんかに身を堕とした自分が暗く影を差す様で……。
「(八雲麗花……大嫌いだ)」
自分から目を背ける様にそいつの事を嫌った。それが……
「(5番ちゃん、何でよりによって君なんだよ……)」
俺はベッドに腰掛け深いため息をついた。
自分が彼女に抱いた感情にはもう気付いていた。このまま何も無く時が過ぎていくのだと思っていた。
けれど、君は違っていた。皆を助ける為に着々と水面下で動いていた。
「(そーいうとこなのかな)」
彼女が光り輝いている理由は。
けれども自分は彼女を拒絶した。自分のプライドが許さなかった。大嫌いな『八雲麗花』に協力するのが。そして、スリと警察官という相容れぬ存在がここから出て結ばれる訳が無いのだと……。
「(ここに居ればそんな垣根関係無い……。そう思ったのにな……)」
彼女はここから出るという。自分だけが彼女を想っていると思い知らされ、何もかもが馬鹿らしくなった。
「(……言い過ぎたかな……。いや、あの子はもうここから居なくなるんだ、関係無い)」
『コンコン』
そこまで考えた所で部屋にノックの音が響いた。
「(ったくなんだよ……)はーい」
そう言って扉を開けに行くとそこには……
「リョウ」
「……『5番ちゃん』じゃん。何?」
彼女がいた。俺はわざとぶっきらぼうに彼女を披検体番号で呼んだ。自分と君とはもうなんの関係も無い。そうだろ?
「リョウに、伝えたい事があって来た」
「何?またあの事?僕は協力しないって……」
「そうだけど、そうじゃない」
「?」
俺は彼女が言わんとしている事がよくわからなかった。
「部屋に入れてもらえると助かるわ」
「全く……人の部屋に……」
「駄目かしら?」
「良いよ。入りなよ」
部屋に入れてやる事位良いだろう。そう思った。
俺は彼女を部屋に入れ、扉を閉めた。
「で?何」
「私は、ここに残る事にしたわ」
「は?」
彼女が、何を言っているのか理解出来なかった。
「みんなの脱出の手伝いはするわ。でも私はここに残る」
何を言っている。
「研究所解体が君の使命って言ってたじゃん。それに脱走に手を貸したなんてここの奴らに知られたら君、今の実験よりもっと酷い事されるよ?」
俺は平静を装って言葉を紡ぐ。
「私情と使命を天秤にかけて私情の方を取った。それくらい覚悟の上よ」
何だ……何でだ……。
「私情って何さ」
「私は、リョウの事が好き」
「!」
「リョウと、一緒にいたい」
「……馬鹿じゃないの」
本当に大馬鹿だ。せっかく警察官なんて安定した職業に就けて社会から認めてもらえているのにどうしてそれを放り出せる?
「ええ、そうね」
何もかも手離して、酷い目にあう事を覚悟してまでここに残る理由が『俺の事が好きだから』?
「本当に良いのかい?」
「良いから、言いに来たのよ」
ふと、彼女の手に目をやると、微かに震えていた。
「震えてんじゃん」
「告白なんて大それた事しに来たの。当たり前よ」
「君にもそんな感情あるんだ?」
「私だって人の子よ」
「亜人だけどね」
俺が喋り終わると沈黙が訪れる。彼女は口数が少ないからこんな事日常茶飯事だ。
「……本当は実験の事だって怖いんじゃないの?」
俺がそう言うと彼女は拳を握りしめた。
「そうね」
君はそういう奴だ。自分を犠牲にして俺の事を好きだという。
「……ああ、ホント、馬鹿みたいだ」
一人でうだうだ悩んでいた事が。
『八雲麗花』も目の前の『レイ』も同じなのだ。
俺は目の前の小さな彼女を抱き締めた。彼女は驚いた様で一瞬体を震わせた。
「リョウ?」
彼女は俺を見上げる。
「俺も君の事が好き、って言ったら驚く?」
「ええ、驚くわ」
「ははっ。驚いた様に見えないよ」
「ごめんなさい」
「何で謝るのさ」
俺はいつもの様に軽口を叩く。
「……あのさ、ここから出たら君は俺を捕まえる?」
「え」
「脱走も解体も手伝ってあげるって言ってんの。で?返答は?」
「捕まえない」
「君、警官でしょ?」
「うん。だからリョウの罪も抱えて生きていく」
「馬鹿じゃない?」
「うん」
「俺の罪は俺の罪だから君が抱える必要なんて無いの」
「でも警察官として……」
「あー、そういうのいいから。俺の罪は俺の罪。はい、終了」
「……」
「わかった?レイ?」
「うん」
「さてと」
俺は抱き締めていたレイの事を放す。
「俺が協力するからには脱走も解体もノーリスクで成功させる。いいね?」
「うん」
俺は、やっと自分の心が満たされた気がした。