抜歯
ボクは、ゆういち。5歳。下の前歯が一本、グラグラしてる。触ると抜けそうで痛い乳歯。今日それを抜くんだって。ママが笑いながら言ってた。「記念に取っておかなきゃ」とか言ってる。怖い。
「ねぇママー。どうやってとるの? 血とかでない?」
「ひもでくるくるして、ひゅって取るの。一瞬よ。死なないから大丈夫」
「ひぇ……」
怖い怖い怖い。絶対痛いやつじゃんそれ! テレビでもやってた。そのあと泣いてたもん。絶対痛いんだ。嫌になったボクは、家出を決意する。大好きなおもちゃとお菓子。そしてお年玉の残りをリュックに詰めて、外に出ようと玄関へ行った。
――でも、
「ゆういち。どうして玄関に居るのかなー?」
「ギクッ」
すぐママにバレちゃったよ。うぅ。受け入れるしかないのか、この残酷な運命を。
「キレイな歯並びになりたいでしょ。そのためには抜く必要があるの。初めての抜歯だから怖いだけで、慣れたら大丈夫。上手く抜いてあげるから♪」
「ノリノリじゃん……」
確かに歯並びが悪いのは格好悪い。嫌だ。でも痛いのも嫌だなー。転んで出来た、擦り傷より痛いのかな。紙で手を切った時より痛いのかな。うぅ、想像するだけで背筋がぞくぞくしてきた。
そして、遂にその時がやって来る。
パパが仕事から帰って来て、一緒にご飯を食べた後。ママがビデオカメラの用意をしている。ボクは痛い目に遭う上に、カメラに自分の泣き顔を収められてしまうのか……。酷いや!
「さぁ、ゆういち、こっちに来なさい♪」
「やだ!」
ボクは、ビデオカメラを回しているママの声に抵抗する。でも、リビングの机の上には、大好きな麩菓子が置いてあった。た、食べたい……!
「抜歯が成功したら食べて良いぞ」
パパがそう言うものだから、ついつい釣られてしまった。下の前歯に括り付けられるヒモ。ガシッと掴まれる両肩。もういいや。どうにでもなれ!
「いくぞ。5・4・3……えい!」
「!?」
フライングー! まだ心の準備がぁああ! ってあれ、全然痛くない。どっちかというと、グラグラしてた時の方がシクシク痛かったな。ちょっとだけ血の味がするけど。
「なぁにそのマヌケな顔~」
「もうママ、カメラ止めてよー」
「はっはっは、とりあえず口をゆすいで来なさい」
泣かなかったのは良かったけど、ボクのポカーンとした顔はしっかりとカメラに収められている。ママとパパは「思い出だ」って言うけれど、ボクにとっては少し恥ずかしい経験だ。
早く歯が生えてこないかなー。前歯が無いと格好悪いからさ。生えてくるまでマスクして居よう。歯の矯正してた子も、口元を隠してたもん。
大好きな麩菓子を食べながらそう思ったよ。




