お通し
最近ハマっているものがある。それは会社の帰りに女一人で居酒屋に寄ること。事務という堅苦しい仕事をしているから、一人で気軽に飲める居酒屋でまったりしたいのだ。
実家に帰れば、「結婚はいつするの?」とか、「相手はもう見つかった?」とか言われる。だけど、忙しい仕事の最中に、そんな悠長なことをしている暇はない。
息を切らしながら、古ぼけた赤ちょうちんに吸い込まれるように暖簾をくぐる。暖かい暖房と煙で体が包まれた。
「いらっしゃい!」
威勢のいい店員の声と、ガヤガヤした賑わいの声が響く店内。わざとであろう薄暗い照明の演出。言うなれば、居酒屋は私にとっての異世界なのだ。
「メニューがお決まりでしたらお呼びください」
私より若い女の子がキビキビ働いている。大きな声で、愛想も良い。これだけでも気が大きくなってしまう。さて、まずは何を食べようか。
実はもう決まっている。だし巻きたまごだ。
私の亡くなったおじいちゃんが言っていた。「卵料理の旨い所は、どんな料理も旨い」と。それは割と当たっていて、弁当屋でも何でも、卵料理がおいしい所はハズレはなかった。
「あの、すみません」
「はい」
「だし巻きたまごと芋焼酎、熱燗で」
「かしこまりました。ありがとうございます!」
居酒屋はオーダーがスムーズに通る。客としてはとても居心地が良いが、裏側は大変だろう。事務員も、ただ座って作業をしているだけじゃない。膨大な資料を瞬時に探して対応する。そりゃもう疲れるのなんのって……。
「だし巻きたまごと、芋焼酎、熱燗です。器が熱いのでお気を付けください!」
「はい、ありがとうございます」
考えているうちにメニューが来た。見た目がプルンプルンのだし巻きたまご。皿の右上には大根おろしが添えられていた。アツアツのうちに箸で切り分けて頂く。
(美味しい!)
白だしベースの味で、きめ細かい食感。これは、お酒が進む。間違いない。この店は何でもおいしい。そうとなれば、色々頼もう。唐揚げに、焼き鳥。枝豆に、たこわさび……。どれもおいしかった。
「あのお客様。今になって申し訳ないのですが……」
「はい?」
「お通しはいかがなされますか?」
店員も私も忘れていた。お通し。お腹に余裕のあった私は、酔った勢いもあって、お通しを持ってきてもらうように店員に言った。
「お通しの枝豆になります……あ」
私のテーブルにあった枝豆の殻の入った器を見て店員が苦笑いをする。私は少し恥ずかしくなって、そんなに酔っていないのに赤面になった。
まぁ……美味しいから良いのだけれど。こういうハプニングも、楽しみのうちなのだと思う。