ボウシの魔女
雪のふるなか、ひとりの女の子が歩いています。
大きなとんがりボウシをかぶったその女の子は、草むらの中をがさごそと何かを探し回っていました。
「ここにもない。あそこにもなかった、次はどこを探せばいいかな?」
女の子はその大きな縫い目のあるツギハギだらけのボウシに話しかけます。
これまた大きなボタンとチャックがついていて、まるで顔のようです。
「うけけけ」
チャックがひとりでに開き、まるで口のように動き出します。
いいえ、本当に口なのです。このボウシの口は、大きなチャックでできていました。
「はてさて、それはおいらの探し物かな? りりの探し物かな? はてさて、探しているのはりりだけどな?」
「あたしが探しているのはあなたの探し物よ、べくー」
女の子、りりは自分のかぶっているボウシ、べくーに向けてそう言いました。
まるで小さな魔女みたいなりりは、べくーのなくしたものを探しています。
「はやく見つけてあげるからね。べくーの大事なもの」
「うけけけけ。おいらはたのんでいない。探しているのはりりだけどな、うけけけけ」
「いやだわいやだわ。べくーはいつもそうやって、嫌な笑い方をするのだわ」
「それよりいいのかい? ここから先は怖いものが待っているぜ。子供ははやく家に帰って寝んねしな」
「あたしはすごい魔女なのよ。だからべくーの探し物なんて朝飯前なのだわ。怖いものが何よ。この気味の悪い森よりも怖いものがあるのかしら」
「うけけけけ。そうやって、森を怖がっているうちはまだまだ子供ってことさ」
「つぎはぎだらけのおんぼろボウシのべくー。あたしはあなたに約束したのだわ。あなたの探し物を見つけてみせるって。なくした思い出の代わりに、探し物を見つけてあげるの」
「そうさ。探し物が見つかればお前の思い出も戻ってくる。でも、どうやって探すというのかな?」
「この森の先へ進めばいい。あたしの占いがそういっているのだわ。あたしはすごい魔女。探し物なんて朝飯前なのだわ」
「それはいいが、ほら、怖いものだぞ」
「キャー!」
木の後ろから顔をだしたのは、毛むくじゃらの狼男さん。
よだれを垂らしながら、ゆっくりとりりに近づいてきます。
「お嬢さん。お嬢さん。こんな夜更けにどうしたんだい? 迷子かな? 悪い子かな?」
「あたしは魔女のりり。怖くない、狼男なんて怖くないのだわ」
「いやいや、嘘はいけないよお嬢さん。俺は怖いもの。あんたの怖いものさ。ああかわいそうに足ががくがくと震えてる。そんなに震えると元気がよさそうで、ああ旨そうに見える。ぺろりと平らげちまいたくなるよ」
怖くない。怖くない。りりはそうつぶやきますが、体は動いてくれません。
「うけけけけ。ほら怖いものが出てきた。さあどうするどうする?」
「怖くない、怖くないんだから!」
「いいや、怖いものさ。これはお前の怖いものなんだ。怖くないって言っているうちはどうにもならない」
「――そうよ、怖いものは怖いわよ! でも、逃げたらあなたの探し物は見つからないのだわ!」
りりが叫びました。
するとどうでしょう、狼男はあらざんねんとため息をはいて森の奥へと帰っていきます。
「あれ?」
「うけけけけ。あれは怖いもの。怖くないと嘘をついているうちは怖がっている証拠さ。認めちまえば、あとは立ち向かうだけだ」
「まあ! なんてイジワルな問いかけなのかしら」
「うけけけけ」
怖いものは過ぎ去りました。
ふたりは前に進みます。森の様子が変わり、細い道が出来上がっていたのです。
「感じるわ、感じるわ。この先に探し物が待っている」
「うけけけけ。さてさて、道はあっていてもどれだけの時間がかかるか分かったものじゃないけどな」
「イジワルなボウシだわ! 探し物が見つかったらその口を縫い合わせてしまいましょう!」
「ひどいご主人様もいたもんだ!」
やがて、ふたりはなにやら大きな広場にたどり着きました。何もない場所ですが、その真ん中にぽつんと人影が見えます。
「あら? また怖いものかしら?」
「怖いものはさっき会っただろ。今度のは不思議なものさ」
「喋るボウシもとっても不思議だけどね」
「お前みたいな魔女ほどじゃないさ」
「ならお互い様ね」
先へ進まなくてはいけない。りりは人影まで近づきますが、足を止めてしまいます。
「あらいやだ。雨でも降るのかしら?」
「? 本日は雪もやんで、穏やかに過ごせますよ」
「ならあなたはなんで合羽なんて着ているのかしら。河童のくせして」
「おみくじが凶なもので。今日のラッキーアイテムは合羽なのです」
「でも河童さんは濡れないと頭のお皿が乾くわよ」
「こうして自ら水をかぶればこの通り」
河童は手に持っていた水筒から水を自分の頭にかけました。
「河童さん。フードをかぶったままだとお皿が濡れないわ」
「こりゃまた失礼」
ぺこりと河童はおじぎをしました。
ぺろりとベロをだして頭をポンと叩きます。
「おおっといけねぇや。下にご注意です」
「何かしら何かしら?」
「うけけけけ。人の忠告は素直に聞くもんだぜ」
「ちゅーこく?」
「アドバイスってことさ」
べくーがそう言ったその時でした。下からにょきにょきと木が生えてきたのです。
「冬になりゃ雪が降る。春がくりゃ草木が生えてくる」
生えてくる木をよけながらりりは前に進みます。なんでこんなにはやく木が育つのかわかりません。
河童さんがなぜそれを知っていたのかもわかりません。
「よいしょー!」
ぴょんと飛び越えて河童のいる広場から先へと進みました。
するとどうでしょう、後ろを振り返るとそこには何もない広場だけ広がっています。
「あれ?」
「不思議なことを乗り越えるには、よく知るか、知らねぇと無視をするか」
「無視をしちゃいけないんじゃないの?」
「別にそれが悪いことってわけじゃない。無理に知っちまうと悪いことになることだってある。今回? どっちでもよかったけどな!」
「よくわからないんだけど」
「それでもいい時もあるってことさ! 気にしたって仕方がないこともある。そういうときは、黙って前に進めってね!」
よくわからないけど、りりはべくーがそう言うならと前に進みます。
一度だけ後ろを振り返り、何もないのを確認してまた前へと歩きだしました。
「なんだかもっと広い場所に出たのだわ?」
「どうしたどうした? そんな頭の上にハテナを浮かべて」
「どうしてあたしの頭の上にそんなものが浮かんでいるってわかるのだわ?」
「そりゃお前の頭の上にいるんだから、おいらにはお前の頭の上のものしか見えていないからさ」
「なるほど、それもそうね。ねえべくー、あそこにある大きなテントは何なのかしら? とても賑やかな音楽が聞こえてくるわ」
「ありゃサーカスのテントさ。つまりは面白いことさ」
「サーカス?」
「おっとこりゃ失敬。りりは覚えていないってか」
「あたし、サーカスなんて知らないのだけれど」
「いーや。実のところこれまでのことでお前が知らないなんてことはおかしな話なのさ。まあ、最後まで進めればわかるってね」
「べくーはそうやっていつもあたしにイジワルをするのだわ。まるで好きな子をいじめる男の子みたい!」
「うけけけけ。冗談はよしてくれよ。さぶいぼがたっちまう! まあ、おいらにいぼなんてできるわけがないんだけどな!」
りりはサーカスのテントの前までやってきて、どうするか悩みます。
この陽気な音楽が気になるけれど、ここに入ったら探し物のことを忘れてしまうかもしれません。
けれど、どうしても気になってりりはその場を動けなくなってしまいました。
「うう、とても面白そうなのだわ」
「入ってみりゃいいだろうが、うだうだ悩みやがって」
「でも、探し物はどうするのかしら?」
「もしかしたら、この中に探し物があるかもしれない。そのぐらい思いついて見せればいいじゃねぇかどんくさい」
「どんくさいって何よ! でも、そうね。探し物があるかもしれない。べくーがそこまで言うのなら入ってみるのだわ」
「まあ、面白いことの中で見つかるとは限らないけどな」
「もう!」
べくーの軽口にぷんぷんしながらりりはテントの中に入ります。
そこにいたのはひとりのピエロでした。陽気な音楽とともに玉乗りをしながらボールをひとつ、ふたつ、みっつとジャグリングの真っ最中。
続いて助手のウサギがぴょんぴょんと飛び跳ねて大きな箱の中に入ります。
そしてぽんと大きな音がなり、ピエロの手の中にあったボールがナイフに変わりました。早変わりのマジックです。
そのままそのナイフをひょいひょいと投げ、箱にぶすりぶすりと刺さります。
「きゃあ⁉」
「おおっと、おこちゃまには刺激が強かったか?」
「い、いいえ! こんなのへっちゃら!」
少しあたりが静かになると、箱の上がぱかんと開いてウサギさんが飛び出し、華麗に着地しました。
やがて拍手が聞こえてきて、お次は大きなライオンによる火の輪くぐりです。
「わぁ! すごいのだわ! 見て、べくー! 大きなライオンさんがあんな熱そうな輪っかを潜り抜けている!」
「ああ、そうだな」
「? なんでそんな静かになるの?」
「いいや、何でもないさ。ただ、よーく見てみなってだけさ」
りりはべくーにそう言われ、じっとライオンを見つめます。
なんてことはない。ただのライオンにしか見えません。
「いったい、なんなのだわ?」
「うけけけけ。ああやって熱いのに頑張るライオンを見て面白いか?」
「ええ、それがどうしたの?」
「じゃあ、りりも同じことができるか?」
「えっと、それは……」
「そういうことさ! あのライオンは今、熱い。さっきのウサギだって、もしかしたらぶすりとやられていたかもしれねぇんだぜ。でも、それを面白いことだって人は言うのさ」
「まあ! それは言い過ぎよ!」
「どうだかな。面白いことってのは、何かの上に成り立つもの。一枚めくっちまえば何があるのかわかりゃしねぇ。あのピエロみたいにな」
やがて、ピエロはムチを取り出してライオンに向かって叩きつけようとします。
「あっ、ダメー!」
りりが思わず前に飛び出して、ピエロを止めようとすると……急にあたりが真っ暗になり、周りの風景が変わってしまいました。
テントの中にいたのに、いつの間にか外に。そして、夜になっていたのです。
「あれ?」
「ただ面白がっていては真実にたどり着けない。それをなんでなのかと考えたときにはじめて、本当の世界が見え始めるのさ」
「それでなんでこんな町の中に出るのかしら? 道を照らすライトは電球が切れているのか、ちかちかしているしなんだか不気味だわ」
「そいつは蛍光灯だろうけどな」
「どっちでも同じことだわ! まるで、ホラー映画の始まりのシーンよ!」
これまでとは違い、あたりの色もどこか冷たくなった感じがします。
今までは夢の中にいたのに、寒い中起きたくない朝のように夢の中に戻りたい気分です。
「うけけけけ。おめでとう! 探し物に近づいた証拠さ!」
「何よ。こんな怖いところを通らないと探し物は見つからないわけ?」
「少なくとも、りりはここを通らない限り、どんな道を通っても逃げるだけさ」
「やぱりイジワルなのだわ! いいわ、前に進めばいいんでしょう!」
いつの間にか、探し物を見つけることよりも、前に進むことのほうが大事になっていますが、りりはそこには気がつきません。
べくーもそれ以上は何も言わず、ただただりりが転ばないようにじっと地面を見つめるばかりです。そればかりか、チャックを閉じて口を閉じてしまいます。
「べくー?」
不安になったりりが問いかけますが、べくーは何も言いません。
「おやおや、お嬢さん。こんな夜更けにどうしたんだい? 迷子かな?」
現れたのはスーツを着た大人でした。何歳なのかはわかりませんが、とにかく大人の男の人ということは分かります。
ただ、りりはどうにも彼の顔を見ることができません。
「う、あ……」
「どうしたんだい? ハロウィンにはまだ早いけど魔女のマネかな?」
「あ、あたしは魔女よ! ボウシの魔女。りり!」
「ははは。そいつは愉快なことだね。でも夜も遅いしお母さんも心配しているよ。早く帰ったほうがいいんじゃないかな?」
「魔女に帰る家なんてないのだわ!」
ずきりとりりの心が痛みます。何か、忘れていることを思い出しかけたように。
彼の言葉をそれ以上聞きたくありません。
「べくー! 何とか言って! あたしはボウシの魔女。あなたが喋れば一発で魔女だってわかるのだわ!」
「? ボウシが喋るわけないじゃないか。それに、随分とボロボロなボウシだね。まあ、君が自分のことをどうしても魔女だって言うのならそれもいいけどね」
「その言い方は信じていない人の言い方だわ! そう、夢も何も信じていない大人の言い方だわ!」
「そりゃそうさ。かなう夢なんてない。現実なんてつらいだけ。何度逃げ出したって、結局はつらいことが待っているだけ。だったら、夢なんて早いうちにあきらめたほうが楽になる」
「それは嫌なことだわ。あたしは夢を信じている。あたしは決めたの。べくーの探し物を見つけてあげるって。それまであたしの思い出はべくーに預けておく。あたしの夢を追いかけるのはその後だって」
りりは駆け出します。
逃げているだけかもしれない。前に進んでも嫌なことが待っているのかもしれない。それでも、今、自分にできることは前に進むことだけです。
少しだけ、昔のことを思い出しました。べくーと会ったとき、りりは自分の思い出をべくーに差し出しました。そして、べくーの探し物を見つけたときに自分の思い出を返してもらう約束です。
「なんで、今まで忘れていたのかしら」
「そりゃお前がおいらに思い出を渡しちまったから、その時のことも忘れていたんだ」
「べくー! どうして黙っていたのよ!」
「そりゃ、いつもおいらがアドバイスしていたらいつまでたってもお前は前に進めないからな。嫌なことには自分で立ち向かっていかないとだぜ」
「やっぱりイジワルなのだわ!」
「でも、ひとつ前に進めたからお前は思い出を取り戻した」
「……ねえべくー? 現実なんてつらいことばかりなのかしら」
「そいつは誰にもわからねぇ。なにがつらいのかなんて人それぞれさ。楽しいことがいっぱい待っているかもしれないし、大変なことがたくさんあるかもしれない。結局は、そいつが自分でどう決めたかだ。ひとつアドバイスするなら、逃げているだけじゃ、つらいことだらけだろうけどな!」
「……わかったわよ。前に進めばいいのよね」
「ああ、今お前がやらなくちゃいけないことはそれさ!」
「もう……でもなんであたしの思い出と引き換えにべくーの探し物を見つけないといけないのかしら?」
「そいつは簡単。本当のところ、お前の思い出をおいらが預かる代わりさ」
「渡したんじゃなくて、預かるなの?」
「ちょっとの違いだが、そいつがとても大きな違いなのさ。さあ、あとふたつぐらい越えた先に探し物があるぜ」
「もしかしてべくーは探し物がどこにあるのかわかっているのかしら?」
「ここまでくれば、あとは一本道みたいなものだからな」
不思議に思いながらもりりは前に進みます。
アスファルトの上をゆっくりと歩き、やがて大きな通りにたどり着きました。
どかん、と大きな音が鳴り響きりりはびっくりして飛び上がってしまいます。
「なんなのだわ⁉」
「ほら見ろよりり。大きな花が空に咲いたぜ」
「空に花が咲くわけないのだわ」
「いいや、咲く。きらきら光る花火だ」
先ほどの音は花火の音だったのです。そして、通りには光り輝く大きな人形たちが行列を作って進んでいます。
一緒に進んでいる音楽隊が、この場を盛り上げます。
「パレードなのだわ! とても楽しそうな音楽も聞こえてくる!」
「こいつは派手だねぇ。電気代、いくらかかっているのか」
「もう! 夢を壊すようなこと言わないの!」
「でもりりも気になっただろ?」
「それはそれ、これはこれよ!」
「うけけけけ」
「笑ってごまかさない!」
「で、どうするんだ?」
「うう、探し物を見つけに行かないと……でも、こんな楽しそうな音楽を奏でる音楽隊を無視していくのはちょっと気が引けるのだけど」
「なら少しぐらい見ていきゃいいだろうが」
「いいの?」
「どうせ、この先の通りに行けばあとはもうすぐだ。少しぐらいなら大丈夫だ」
「なら、お言葉に甘えて」
りりはその場に立ち止まり、パレードを眺めます。
歩みが止まり、どれぐらい時間が経ったでしょう。数秒にも思えますし、何か月もそのままな気もしています。
「……」
少し地面を眺め、りりは悩んでいます。探し物を見つけに行かなくてはいけない。だけど、このまま楽しいことの中にいたい。
「……うう、行くわよ! 行けばいいのでしょう!」
「別に何も言っていないけどな」
「でもこのまま立ち止まっているのはそれはそれで嫌なのだわ! それに、楽しいことばかりだと逆につまらなくなっちゃう! 楽しんだら後はその分前に進む! それでいいのだわ!」
「うけけけけ! そう、その通り! 楽しいことってのは前に進むための力さ」
楽しさはあなたを送り出すエール。
りりはぱんぱんとほほを叩き、よしと気合を入れ直します。
パレードの通りを過ぎ去り、すこしだけ音楽に後を引かれながら前へと進みました……次にたどり着いたのは、少し古いお家です。
「ここは……あたし、ここを知っている?」
「さあ、ここが最後の試練だ。りり、悲しいことに立ち向かえるか?」
「何を言っているの? あたしの心はとても温かいわ。ここが悲しいことなんてありえないでしょう」
そう、りりはここにたどり着いたときとてもぽかぽかとした気持ちになったのです。
なのにべくーはここが悲しいことだと言います。
と、その時でした。ゆっくりとお家の扉が開きます。そこから出てきたのはとてもやさしそうなおばあさんです。どこか、りりに似ている彼女はゆっくりとりりに近づき、そっとべくーを外して彼女の頭を撫でます。
「……おばあちゃん?」
りりの言葉に、おばあさんはにっこりと笑うだけです。彼女に手を引かれ、りりはお家の中に入っていきます。とても暖かくて、こここそが旅の終わり、りりの帰る場所なんだと思います。だけど、そこの水を差すのはイジワルボウシのべくーです。
「いいや、ここは悲しいこと。りり、ただ温かいだけの場所は帰る場所じゃない」
「なんで! ここはとても落ち着くのだわ! 心がポカポカするの! ここにいたいの! おばあちゃんと一緒にいたいの!」
「そうさ。それが、お前が魔女になった理由だからな。そりゃ旅の終わりだと思うさ。ここがゴールだと思うさ。だけど違う。ここは、スタートなんだ」
「……」
おばあさんはべくーを持ったままゆっくりと歩いていきます。りりは彼女を追いかけますが、距離が縮まりません。
「なんで? なんで追いつけないの⁉」
「りり。怖いことも、不思議なことも、面白いことも、嫌なことも、楽しいことも、悲しいことも……その全部がある場所。それが、お前の帰る場所さ」
「べくー? 何を言っているの、何を言いたいのかわからないわよ!」
「いいや。りりは楽しいことがあってもずっとそこにいるんじゃなくて、前に進めた。ほかのどんなことでも、少しだけでも前に進めたんだ。だから、この悲しいことを前にしても大丈夫だ。もう、思い出しても大丈夫さ」
「嫌よ、思い出しちゃう――おばあちゃんはここにいるの、おばあちゃんがいるここにいたいの!」
「それはダメなんだよりり。ここは、いなくなった人がいる場所なんだ。だから、りりは帰らなくちゃいけない。りりが待っている人のところへ」
べくーがそう言うと、りりの思い出が戻ってきます。
大好きなおばあちゃんともう会えなくなってしまったこと。それが嫌で嫌で、自分の家を飛び出してしまったこと。
そして、おばあちゃんに会うために魔女になったことを。
「……」
「りり、覚めなくちゃいけない夢もあるのさ。もうりりはひとりでも起きられるだろ?」
「……わかったのだわべくー。そうね、約束したものね。あなたの探し物を見つけるって」
「いいや、そいつはもう見つかったさ」
「?」
「りりの帰り道。そいつがおいらの探し物だ」
べくーがそう言うと、いつの間にか真っ暗闇になっていたあたりに、一筋の光の道が現れているではありませんか。
「そこをまっすぐ進めばお前の帰る家につく。ここで、お別れさ」
「なんで、べくーも置いていかなくちゃいけないの?」
「うけけけけ。おいらは記憶さ。お前の思い出からおいらは生まれたんだ。その代わりに探し物を見つけてやるってね。お前が忘れちまう代わりに、おいらはお前の探し物――帰り道を見つけてやるって約束したんだよ」
「え……それじゃあ」
「まったく、いろいろ忘れちまったからって自分が探すほうだと思っているとかとんだドジっ子魔女だぜ! うけけけけ!」
「……なんで? なんでべくーを置いていかなくちゃいけないの」
「おいらは道しるべ。探し物を見つけるために生まれた。帰り道を見つけたお前には、もういらないのさ」
「嫌だよ、一緒に帰ろうよ」
「残念。ここが、おいらの帰る家なのさ。りりの帰る家はあっち。おいらを置いて行って、りりはここでのことをきれいさっぱり忘れなくちゃいけない。おいらは記憶。お前の記憶。探し物を見つける代わりに、お前の記憶を貰った――でも、お前が記憶を取り戻したのなら、今度はおいらを置いていかなくちゃいけない」
「そんな……」
「なーに、別に悲しむ必要なんてないさ。おいらはお前から生まれた。なら、どこに行こうともお前とずっと一緒なのさ」
☆☆☆
りりが目を覚まして最初に飛び込んできたのは、涙で顔がぐちゃぐちゃになったお母さんでした。とても心配されて、とても怒られて。
大好きなおばあちゃんと会えなくなった時も悲しかったけど、自分がお母さんを泣かせてしまったこともとても悲しいことでした。
たくさん謝って、たくさん頭を下げて。
少しの間家を飛び出していたりりですが、その間に何があったのかは覚えていません。ただ、とても大切な何かが頭の上にあったことだけはなんとなく覚えています。
頭の上に何かがないと落ち着かなくなったので、いろいろなボウシをかぶってみますが、どうにもしっくりきません。
仕方がないので、教わりながら自分で作ってみましたが……出来上がったのは自分の下手な縫い方で出来上がったツギハギだらけのとんがりボウシです。
でも、なぜだかとってもしっくりきて、頭の上に乗せるととても落ち着きます。
「…………ずっと、一緒よね」
どこからか、うけけけけと妙な笑い声が聞こえました。