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深紅の花火

作者: あいうえお.

 これから記すのは、俺が高校時代に気になっていた人にまつわる話である。彼女の名を仮にYさんとする。


 俺がYさんと出会ったのは高校一年生の時だ。Yさんの第一印象ははっきり言って「素朴な田舎娘」。体育の時に着る上下青のジャージ、いわゆる芋ジャーが日本一似合う様な、そんな女子だ。細い目をして頬にそばかすが散っていて、制服のスカート丈もやたら長い。休み時間は教室の端っこで彼女同様大人しそうな女子と話していたり、真面目に次の授業の予習をしていたりと、どちらかと言えば地味なタイプだった。


 お世辞にも美人とは言えないそんなYさんを意識するようになったのは、一学期に行われた化学の実験で同じ班になってからだ。化学の教師は気まぐれな性格で、その日実験の班を出席番号順では無くランダムに振り分けた。


 すると他の班は四人ずつなのに、俺の班だけがYさんと二人きりになった。クラスの人数が三十九人だから端数が生じて俺達の班は三人になった上、その内一人が欠席していたので結果的に二人編成となってしまったのだ。気まぐれでさらに適当だった化学の教師は「そんな複雑な操作も無いし、面倒だからそのままでいこうか」と言い、断る権利も無いので俺達はその提案を受け入れた。実際は良く知らない女子と協力して実験しなければならないのは窮屈だと思ったけれど、Yさんの方は「よろしくね」と屈託無い様子だった。


 俺のクラスは男女比が三対一と圧倒的に男が多いクラスだったので、女子の顔全てを覚えるのは容易かったが、お調子者の癖に奥手な俺は女子と積極的に話すことはなかった。当然Yさんと話すのも初めてである。


 実験内容は炎色反応の観察だった。塩化ナトリウムやらミョウバンやらの様々な水溶液をろ紙に吸収させ、火で炙る。すると水溶液に含まれる金属元素特有の色が現れる。最初は乗り気でなかった俺も、多彩で幻想的な炎を観察する内に徐々に愉快になってきた。


 俺とYさんは交互に実験を進めていった。真面目なYさんのお陰もあって実験は順調に進んでゆき、最後に彼女は塩化ストロンチウムの水溶液の染み込んだろ紙をピンセットで挟みガスバーナーにかざした。ろ紙に小さな深紅の炎が上がる。

「この色が一番鮮やかだね」

実験台の向かいに立つYさんはそう言ってニコッと笑った。細い目がさらに細くなって、でもその細い目の中央にはちゃんと深紅の炎が映って燃えていた。俺はその笑みに魅入った。非常にキザな言い方をすると、その瞬間俺のハートにも深紅の炎が灯った、ということになる。


 何故それまで芋ジャー娘としか見做(みな)していなかった彼女に突然ときめいたのかは分からない。最高に愛嬌ある笑顔が至近距離で俺だけに向けられたから、理由はそれだけで充分だ……と勝手に思っていたが、好きになるのは理屈ではないのでそんなものは単なる後付けに過ぎない。


 実験が全て終わって片付けが済んでも俺はまだ動揺していて、実験台の向かい側でノートをまとめているYさんに、早鐘を打つ心臓の音が聞こえないかをただ案じていた。


 炎色反応の実験をきっかけにYさんと俺とは教室で時々話す仲になった。話すと言っても「さっきの授業眠かったね」とか「模試で今回B判定だった。ヤバい」とか、そんな他愛も無い話だ。高校時代全体を通して女子は苦手だったにも関わらず、不思議とYさんと話すのは楽しかった。Yさんは物理にやたら強かったので、テスト前はノートを貸してもらったりもした。


 思い返すと失礼な話だが、俺はYさんが他の誰かに好意を抱かれる可能性には全く思い至らなかった。彼女はミス芋ジャーだ、おそらく誰からもノーマークだ。この世界で俺以外、彼女の魅力を知らない、そしてYさんも俺のことを満更でもなく思っている、おこがましくもそう信じていた。


 俺とYさんはそんな関係のまま、あっと言う間に三年生になった。国立理系学部志望だった俺達は二年も三年も同じクラスだった。




 三年生の八月も終わりに近づいた、俺の住む町の花火大会が開催される日のこと。誰が言い出したかは忘れてしまったが、こっそり学校に残って教室から花火を見ようという話が出た。その話はクラス中に広がった。ダメ元で誘うと驚いたことにYさんも残ると答えた。Yさんだけでなく、悪事を働きそうに無い大人しい男子も数人参加すると言っていた。そして最終的に参加人数はクラスの三分の一近くに上った。


 その年の夏は平日と土曜は補習、日曜も模試で潰れ、まとまった夏休みなんて四日間しかなかった。俺達受験生は先の見えない不安で皆ストレスを溜め込んでいたから、何でも良いから高校生活最後の青春を味わって気分転換したかったのだと思う。加えて、共に受験戦争を乗り越えなければならないという奇妙な連帯感みたいなものがクラスには漂っていたのだ。


 補習が終わり親には適当に連絡し、見回りの教師をやり過ごすために教室の廊下側の窓から見えない場所に巧妙に隠れ、皆で夜を待つ。誰かが配った飴を舐めたり小声で雑談したりしていると、ポンポンと音が聞こえてきた。ついに打ち上げが始まったのだ。学校は海の見える土地に建っていて、花火大会の会場はその海辺。海上で点火され空高く打ち上げられる花火は、教室の窓から遮るものなく良く見えた。


 俺達は窓際に鈴なりになって、次々と打ち上がる花火を眺めた。空腹も忘れてただ眺めていた。先刻までと違って皆ほとんど無言だった。俺はちゃっかりYさんの隣に陣取った。


 やがて花火大会もラストに近づき、深紅一色の大玉の花火が上がった。遅れて来たドンと言う音と共に深紅の火はだらりと垂れ下がり、四階の校舎の窓から見える夜空、及び遠くの海面を埋め尽くした。打ち上げ場所からは離れていてしかも俺達は室内にいるのに、頭上に降って来そうなくらい巨大な花火だった。


 その紅を見て思い出すのはやはりYさんと行った炎色反応の実験だ。すると俺の頭の中を読んだ様に、

「あれはストロンチウムだね。一番鮮やかな色」

とYさんは理系あるある発言をして笑った。決してロマンチックでは無いが、彼女らしいセリフだった。俺は何だか嬉しくなって聞いてみた。

「一年の時の実験覚えてる? 炎色反応の」

「私も今思い出してたよ。田辺先生のテキトー班分けとかね」

彼女の笑顔はあの日と同じで、夜空を見上げる眼の中に深紅の火がある所も同じ。そのせいか二年前の実験で使ったガスバーナーのガス臭さや折り曲げたろ紙のザラザラとした感触、小さな木の椅子の座り心地の悪さまでがリアルに蘇る気がした。


 最後の一発が煙と消え去るまで隣にYさんの気配を感じながら、俺は一心に花火を見つめていた。夜の校舎、見つかったら叱られるという吊り橋効果的状況ゆえか、俺はYさんと離れたく無いと強烈に思った。だからかすかに手が触れた瞬間、前を向いたままその手をぎゅっと握った。意外と骨ばった手だと感じたのを覚えている。


 しかし俺の手は即座に強い力で振りほどかれた。単に驚いたのでは無い。嫌悪、軽蔑。そんな意志を感じさせる、断固とした振りほどき方だった。


 拒絶された──俺はその場に硬直し、友人から「帰るぞ」と促されるまで動けなかった。


 そんなことがありながらもYさんは変わらず俺に話し掛け続け、女というものは不可解なものだと俺は思い知った。大きなショックを受けた俺が素っ気ない態度を取り続けたせいで、Yさんは俺に話し掛けてこなくなった。そしてそのまま俺達は卒業することとなる。


 花火大会の夜を忘れるため受験勉強に真剣に取り組んだからか、俺は第一志望だった地元の大学の理工学部になんとか合格した。一方、建築士志望のYさんは建築学科のある関東の大学に受かったと人伝てに聞いた。


 Yさんに関する苦い思い出によって、俺はその後も時々大声で叫びながら走り出したい衝動に駆られたが、大学の講義についていくのとバイトで忙しい日々を送る内にその頻度も少なくなっていった。俺の奥手な性格も色々な体験を重ねる内に改善され、Yさん以外の女性とも身構えずに会話出来る位には成長していった。




 月日の流れはどんどん早くなる。いつの間にか俺は三十歳になっていた。俺は大学を出て地元のロボット関連企業に就職して職場の後輩と結婚し、それなりに充実した日常を過ごしていた。Yさんはと言うと、卒業後も関東に残って就職したと風の便りで聞いただけだった。


 そんなある日実家の母から電話があり、俺宛の同窓会の案内状が届いたと知らされた。三十歳を記念した、高校の学年全体の同窓会が開かれるという。それまでも高校の友人達とは何度か会っていたが大掛かりな同窓会が開かれるのは初めてだった。会場が近かったのもあり、俺は参加に丸をして案内状を返送した。


 同窓会当日。俺は早目に受付を済ませてホテル内の会場に入った。開会はまだだったが既に数人が飲み物を飲んだり喋ったりしていた。俺の目は自然とYさんの姿を探した。だが彼女はいなかった。


 立食形式だったので立ったまま所在無く飲み物を飲んでいると見知った顔が入って来た。三年間同じクラスだったTだ。彼とはあまり接点が無く話した記憶も数える程だったが、懐かしさのあまりグラスを置いて駆け寄った。Tの外見は全く変わっていなかった。

「久しぶり! T君だよね、俺の事覚えてる?」

「……もちろん。よーく覚えてる」

彼は何故か引き気味に、俺の名前を正確にフルネームで答えた。


 それから飲み物を取ったTとテーブルに戻り再会を祝して乾杯した。するとTはグラスを持つ俺の薬指の指輪を見て「結婚したのか」と問うた。

「うん。去年職場の後輩と」

俺が答えると、

「マジか! へぇ……」

とTは指輪をマジマジと、やけに長く凝視していた。どこか含みのある視線に引っかかった俺はTに尋ねた。

「俺、結婚してたら変かな?」

Tは気まずそうな表情を浮かべ少しの間ためらっていたが、

「三年の時さ、教室に残って花火見た夜あったろ?」

と話を始めた。

「うん」

俺の結婚と花火の関連性が見つからず、話の続きを待った。

「花火見ながら俺の手握ってきたから、てっきり女に興味無いと思って……」

思わず笑ってしまった。周囲の注目を浴びたが笑いは直ぐにはおさまってくれなかった。その後怪訝そうなTの十二年越しの誤解を解いたのは言うまでもない。俺の弁明に、Tも膝に手を置いて笑っていた。


 あの夜、何かの拍子にYさんとTは入れ替わっていたのだ。恐らく手洗いに行ったとかそういうことだろう。


 あの時Yさんがまだ隣にいたのなら。俺がうっかりTの手を握らなかったら。俺達の人生は変わっていたのかも知れない。


 結局Yさんは同窓会に現れなかったが、Yさんと仲の良かった女子に彼女はとっくに結婚して子どももいると聞いた。彼女なら良い母親になるだろうとその頃には冷静に考えられるようになっていた。


 それにしてもYさんには悪いことをしてしまった。向こうにしてみれば急に俺の態度が変化してさぞかし戸惑ったことだろう。

 同窓会からさらに五年経つが、Yさんと会う機会は一度も無い。彼女にもし会えたなら、若かりし日の思い出を一緒に笑い飛ばしてしまいたい。そうして初めて俺の苦い青春は成仏するような気がする。


 俺がやらかした例の夜から随分遠く来てしまった。しかし未だに深紅の花火を見ると、いろんな意味で鼻の奥がツンとするのである。



ありがとうございました。

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