4 五月 自販機コーナー
さり気なく暑い日が続く五月。朝夕は冷えるけれど、白い雲から太陽が顔を出す昼間は温かい。涼しい風が色鮮やかな緑を揺らし、穏やかな青空は清々しい。夏はもう目の前に。
休日というものは気付けば終わっているもので、いつの間にか大型連休は過ぎ、当たり前のように学校が再開し、更衣期間を迎えた。合法的に半袖を着ることができるのだ。
なので、今の学校内では、冬服のジャケットを着ている人から半袖ブラウスのみの人まで、制服がごちゃ混ぜ状態。まるで季節感がない。
その中で、私は長袖ブラウスの合服派。学年カラーの群青色のリボンが目立って、とても可愛い。
そもそも半袖ブラウスは、母にクリーニングに出されて以来、どこに仕舞われたかわからない。つまり、私の夏服は行方不明なのだ。
ということで、私は今日も長袖で家を出た。
家から十分ほど歩いた先にある小さな駅。一時間に一本しか来ない電車に乗り込んで、また十分程度揺られると、高校の最寄り駅に着く。そこからまたまた十分くらい歩いて、ようやく到着。
学校に着いたとき、私は長袖で来たことをちょっぴり後悔していた。額に滲む汗を拭う。
今日は暑すぎる。
「暑い……暑い……」
「あーやりちゃーん! はーるなちゃーん! お昼たーべよっ」
「野乃たん! 食べよう食べよう」
「あれ、絢理ちゃんどうしたの」
「絢理たんは朝からずっとこんな感じ」
昼休み。野乃ちゃんがやってきて、遥菜の机に突っ伏せる私をつんつんする。くすぐったい。
思わず顔を上げると、野乃ちゃんは長い髪をお団子にしていた。しかも半袖。遥菜も半袖。二人とも涼しげだ。
「暑い……死んじゃうよう……」
「絢理たん、わざわざ長袖着てきてずっと暑い暑い言ってるんだよね」
「えーっ。絢理ちゃん暑さで頭おかしくなっちゃったのかな」
「うう……そうかも……」
「きちんと水分摂りなよー」
心配顔で見られながら、お茶を飲むが、無い。小さな水筒のお茶がもう無くなっている。今日はさすがに飲み物がないと冗談抜きで生命の危機だ。私はのっそり立ち上がった。
「お茶買ってくる……」
「いてら〜」
「気を付けてねー」
日光が遮られた廊下は教室よりもひんやりしていた。
教室も遮光カーテンがあればいいのに。ありとあらゆる熱を遮断したらいいのに。あわよくば、エアコンをオンにしてくれたらいいのに。
自動販売機は一階まで降りないと無い。というか、食堂もコンビニもカフェも何もかも第一棟の一階に集約されている。便利なのか不便なのか。
二年文系は第二棟の三階を縄張りとしているので、どっちかというと不便なほうかもしれない。地味に遠いのだ。
息も絶え絶え、なんとか到着した売店エリア。コンビニのほうが種類あるし自販機よりコンビニにしようと思ったら、昼休みのせいか店内はとんでもなく混んでいてた。
慌てて引き返す。あんな争奪戦に参加しに来たわけじゃない。ただ飲み物がほしいだけ。
仕方なくコンビニ横の自販機コーナーに行くと、人とぶつかった。
「わっ。ご、ごめんなさい」
「あ、ごめん。……佐藤さん?」
ぶつかったのは瀬野くんだった。南向きのガラス張りの壁から、容赦なく差し込む光で照らされた瀬野くんは、一段と眩しい。目がやられた。
「何買いに来たの。アイス? ジュース?」
「飲み物を……あれ」
自分の両手を見て今更気付く。非常に残念なことに、教室に置いてある鞄にお財布を忘れてきた。誠に遺憾である。
絶望して俯く視界に、暑さを感じさせないイケメンが入ってきた。それが紙パックのフルーツジュースを飲みながら、思い付いた表情に変わる。
「あ、もしかして、財布置いてきちゃった感じ?」
「そういう、感じ、かも」
「じゃあ、ここは俺が買ってあげちゃう感じかもー」
くすくす笑って、黒革の上品なお財布をズボンのポケットから出して自販機を指差す。おそるおそる、本当にいいんですかと視線を送ると、瀬野くんはドヤ顔で頷いた。
ありがたや、ありがたや。ならば、ここはお言葉に甘えて、教室に戻ったら代金を返そう。
お弁当に合うのはお茶だろうけど、ここの自販機は好きなお茶を置いてない。お茶じゃないなら、好きなジュースにしようかな。並ぶ自販機たちとにらめっこ。
よし、君に決めた。オレンジジュースを指差して、瀬野くんのほうを見る。
「これがほしい、です」
「了解でーす」
瀬野くんがお金を入れてボタンを押す。ガコンとペットボトルが出てきた。渡されたジュースは冷たくて気持ちいい。自然と表情が緩む。
「ありがとう。教室戻っ」
「慧斗、わりぃ。すげえ待たせたー」
自販機コーナーに辰巳くんと見知らぬ男子がやってきた。二人の手にはコンビニで売っているパンやお菓子。瀬野くんはここで彼らを待っていたのか。
お礼キャンセルされてしまったので、四人で教室に戻る途中で瀬野くんに話しかける。
「瀬野くん、ジュースありがとう。お金は教室戻ったら払うね」
「ん? いやいいよ。百円くらいだし」
「え、さっきおねだりしたら慧斗奢ってくれたんだ? うわー、俺も頼めばよかった」
前を歩く辰巳くんが振り返った。
「マジ? 俺コーラほしかったなー、慧斗くーん」
「うわ、キモいキモい。絡んでくんな」
わざとらしく高くした声で話しかけられた瀬野くんは、笑って雑にあしらっていた。仲良さそうだな。
「てかお前らに買うわけなくね。誕生日でもないのに」
「あ、佐藤さんは今日誕生日なんだ?」
辰巳くんがきょとんとした顔でこちらを向く。ふるふると首を振る。私の誕生日は季節的には真逆だから。
「違うんだ。じゃあなんで」
「いいんだよ。黙れ黙れ」
「おおう?」
男子たちの言い合いを眺めていると二年生の占領地に着いていて、瀬野くんが階段横のC組の教室に辰巳くんたちを押し込める。二人とも楽しそうで微笑ましい。
いや、私は微笑ましくない。お金返さないと。
「瀬野くん、お財布取ってくるね」
「それはいいって。あー、ほら。このくらい奢る男のがカッコいいし」
「でも」
「奢られててよ、ジュースくらい」
辰巳くんたちをC組に詰め込んだ瀬野くんに、トンと肩を叩かれて向きを変えられる。振り向こうとしたら、やんわり背中を押された。辰巳くんたちみたいに、私もD組の教室に入れ込まれそうだ。地に足をつけて必死で抵抗する。お金の話はきちんとしよう。
「ダメだよ。タダより怖いものはないっていうし」
「大丈夫。俺は優しいから、怖いわけない」
「え、前に優しくないって言ってなかった? 対価がどうのって」
「なんでそんなこと覚えてんですか」
「さ、さすがに一ヶ月前のことは覚えてますよ。だからお金返す」
「ならさ、金の代わりに、さっき買ったジュース一口ちょうだい」
なにそれ。まぁ、いいや。買ってくれたのは瀬野くんなので、一口と言わず何口でもどうぞ。即座にペットボトルを差し出す。
瀬野くんは面食らった表情になるも、すぐにいつもの顔に戻ってペットボトルに口を近付けた。
「はい、これでジュース代チャラね」
「え」
「この話は終わりってことで。おけ?」
「お、おけ」
ペットボトルが手に戻される。未開封から開封済みになっているけれど、量は減ったように見えない。しまった、ジュースちょうだいは建前だったのか。完全に奢られた。まんまとはめられた感じがする。
瀬野くんがぽんと私の頭に手を乗せ、ため息混じりの低い声で呆れたように笑う。
「もう財布忘れんなよ」
颯爽とC組に入っていった。
手に持つペットボトルの冷感で、ふと我に返る。停止していた時間はほんの一瞬だったようで、気付けばいつも通りのなんでもない昼休みが半分ほど過ぎた頃だった。
そうだ、お弁当食べないと。D組に入って自分の席に戻ると、遥菜と野乃ちゃんが出迎えてくれた。ぽすんと自分の席に座り込む。
「絢理たんおかえりー」
「ごめんね。野乃たち、先に食べ始めちゃった」
「わ、私こそごめん。遅くなっちゃって」
「あれ、絢理ちゃん長袖そんな暑いの? 顔赤いよ」
「ほんとだ。熱あるんじゃない?」
「……そうかも」
やっぱり、今日はあつすぎる。瀬野くんに触れられたところなんて、余計に。