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38 二月 進路

 白紙の調査票を見て、うんうん唸る放課後。私はC組の瀬野くんの机にベタッと倒れ込んだ。

 進路希望調査票は、年末に第一回、年明けに第二回、そして修了式前に二年最後の第三回目の提出が義務付けられている。ウキウキワクワクの春休みを目前にして、どうして受験のことを考えねばならないのか。


「あれ、佐藤ちゃんだけ? 慧斗たちは?」


 ドアが開いて、瀬野くんの友だちが入ってくる。多分、理系の人たちだ。それぞれちょっと離れた定席に座る。

 C組に居残ることが増えて、私は放課後集会を少しずつ理解してきた。メンバーの顔や名前とか、集合は強制ではなく各自の好きなときに来ていることとか。


「瀬野くんたちはコンビニに」

「一人でいて大丈夫ー? 前にいじめられたらしいじゃん」

「え、うちいじめなんてあんの」

「あったろ、慧斗が真希にレスキュー頼んでたやつ」

「そうそれ。あの辺の女子って怖えよな、人いるとこではおとなしいけど」

 

 あの女子たちには絡まれてない。というか、真希が一度注意して以来、彼女たちはなりを潜めている。女王真希のおかげ様々だ。


「そういうのは、もうされてないから大丈夫」

「そりゃ良かった。なんかあったら言えよー」

「高校生にもなっていじめとか幼稚すぎるもんな」

「それで、佐藤ちゃんは進路お悩み中? まだ出してねえの」

「うん」


 横目で調査票を見下ろす。だいぶ前にゆとりを持って配布され、今日が締切。クラスで未提出なのは私のみだと言われている。


「希望だし、適当でいいんじゃね? カタカナの変な大学名でも書いとけ」

「それやって、前怒られた」

「おい、経験済みかよ」

「第三回のやつは真面目に書かないとアウトっぽいな。再提出させられたやついるらしい」

「えっ、マジか。俺、隣のやつの丸パクリしたんだけど」


 わははと笑う。気の抜ける会話だ。素晴らしい。私もこのくらいお気楽に書けたらいいのに。



 雑談と呼ぶにふさわしき生産性のない会話をしていたら、瀬野くんたちが帰ってきた。だらけている私の頭の上に何かを載せてくる。


「なに?」

「起きろ」


 瀬野くんが私の座る前の椅子に座って、コンビニの袋からうっすらとオレンジがかったピザまんらしきものを取り出した。半分こすれば、伸びるチーズのお出ましだ。やっぱりピザまん、大当たり。


「ほら、食え」


 目の前に差し出されたので、喜んで受け取る。湯気が立ち上るほかほかのピザまんを一口。甘酸っぱいトマトソース、濃厚なチーズ、皮のもちふわ食感、たまらなく良い。


「あ、起きた。佐藤ちゃんあんなに死んでたのに」

「さすが彼氏。扱い方熟知してる」

「付き合い始めたの先月だっけ」

「いや、七年前」


 瀬野くんがさらっと嘘をついた。元カノいっぱいいるくせに。私は間髪入れずに返した。


「それは違うでしょ」

「小五から同クラだから実質七年。間違ってなくね」 

「じゃあ、七年の間に瀬野くんが彼女とっかえひっかえしてたのも間違ってないね」

「は? 高校からは佐藤さんだけですけど?」

「小中は週一で彼女変えてたのも事実ですよね?」

「週一は盛りすぎなんですけど?」

「そんなことない。短くて一日、長くて一ヶ月でしたよね?」

「こらこら、君たち、やめなさい!」


 辰巳くんに一喝された。むしゃくしゃしてピザまんにパクつく、噛む、噛む、噛む。飲み込む。


「これもやるよ。飲め」


 机にオレンジジュースを置かれる。この人、私に飲食物を与えておけばいいと思っている節がある。私はちょろい人間ではないが、飲食物に罪はないので貰っておく。これ、私の好きなメーカーのだ。

 瀬野くんの友だちが瀬野くんにつんつんして詰め寄った。


「てか、彼女とっかえひっかえってマジ?」

「最低だな、とっかえひっかえとか」

「とっかえひっかえはないわ。とっかえひっかえは」

「お前らとっかえひっかえって言いたいだけだろ」


 私が言い出したフレーズを繰り返されると、私もからかわれている気持ちになって恥ずかしい。顔を冷やすために窓を開ければ、凍える空気が頬に触れた。


「佐藤ちゃんにはそんなことすんなよー」

「そもそも慧斗が別れまくるイメージってねえな。トラと違ってチャラくねえもん」

「それ、は」


 言い淀む声。ちらりと瀬野くんのほうを見れば、友だちに向ける顔が硬い表情をしているように見えた。


「……気になる?」

「何? 元カノたちそんなヤバかったの?」

「もったいぶらないで早く言えよー」


 私の視線に気付いたのか、バチッと目が合って、何故かあちらが一瞬怯む。目を合わせないほうがよかったのかもしれない。


「元カノより俺が悪いっつーか、小中のときのアレは、多分」


 言葉の調子がだんだん下がって尻すぼみ。合っていた視線は徐々に逸れ、伏せられた。絡める両手の指が動いて、はらりと黒髪が落ちる。

 しばらくの沈黙のあと聞こえたのは、


「……さびしかった、のかも」


 少し、泣きそうな声だった。



 七年の付き合いといえども、元々学校では別々のグループにいて、関わりなどゼロに等しかった。話すようになったのはこの一年だ。

 だから、当時瀬野くんが何を考えていたかなんて知らない。付き合い始めた今でもわからない。


 けれど、寂しい理由は想像がつく。

 住んでいるのは、どう見てもファミリー層向けのマンション。みんなでパーティーしても問題がないほど、不思議と数は揃っている食器類。遅刻ギリギリ登校や課題未提出をたしなめる存在の欠落。親戚の話は何度かしたことがある一方で、親の話は皆無。そして、『親しいと思っていた人が、黙って急に目の前からいなくなる』。

 私は探偵じゃないし、詮索するつもりもない。が、瀬野くんが望んで一人暮らししているわけじゃないことはわかる。


 はたして、学校で常に人に囲まれている人間が、家で常にぼっちでいる耐性を有しているだろうか。おそらく瀬野くんには無い。


「放課後にゲーセンとかファミレスとか俺ん家をたまり場にして遊んでたんだけど、金かかるし、友だちの親が変に心配して勘繰って一回面倒事が起きてさ。勧誘されてた部活はどこも保護者の負担が地味に重くて無理だし、家帰ってもつまんねえから、やることなくなって」


 窓の外。グラウンドから聞こえる野球部の爽快なバッティングの音が止まない。吹奏楽部が奏でる練習の音楽も、テニス部の走り込む掛け声も。武道場で上がる竹刀の音だって。

 外からの音のほうが大きいくらい、教室は静かだった。


「結局、教室に残るのが一番楽で、そんときの話し相手が欲しくて彼女作ってた」


 私は放課後の教室が賑やかだという印象を持っている。今、私にその印象を与えた人が、賑やかとは程遠い放課後の教室で、見ていられない顔をしている。


「だから、付き合い悪い人はすぐ別れたし、付き合い良くても過干渉な子や単純に馬が合わない子も別れた。あの人が金だけはくれるせいで、俺のこと金持ちって勘違いした子なんかも速攻

別れ」

「瀬野くん」


 言葉を遮って腕を伸ばし、大きな手を強く握る。力の入ってない瀬野くんの手は上手く掴めず、溶けかけの雪みたいだった。

 悲しい昔話はもうおしまい。やり直せない過去の話よりも、遠く見えない未来の話よりも、私たちがいる今の話をしよう。


「ねえ、瀬野くん。一つ、いいかな」


 付き合い始めても、瀬野くんが何考えてるかはわからない。けど、それでいい。私が訊けるようになったから。


「今は寂しくない?」


 瀬野くんが口をつぐむ。そっか。

 私に、一介の高校生に他人の家庭をどうこうする力はない。映画の主人公みたいに、苦の根幹を取り除いて現状を打破できる術なんか持ってない。それでも、私にもできることはある。


「そばにいるよ。みんなも、私も」

「……ん」


 周りのみんなを見てから、私の手をそっと握り返してこくんと頷いた。

 見つめる先の瀬野くんにスッと人影が降りた。話を聞いていた友だちたちだ。


「わりぃ、慧斗。やなこと話させたな」

「突然のシリアスで俺窒息しかけた。どんな顔していいか迷ったもん」


 みんなが苦笑いする中で、辰巳くんがニッと笑って近付き、わしゃっと瀬野くんの頭を撫でた。


「ま、慧斗くんが寂しがり屋なのはわかったわ。意外に可愛いとこあんのな」

「あぁ、だな! 素直に頷いてて可愛い可愛いー」

「寂しがり屋のために今日は長めに遊んでやるか!」


 みんなにわしゃわしゃされる瀬野くんから、かすかに「ありがとう」と呟く声が聞こえた。



 今日は遥菜や部活中の瀬野くんたちの友だちを呼んで、大人数でカラオケに押しかけることになった。放課後集会、二次会である。

 帰りの支度の最中、窓締めをしていた瀬野くんが教室内を見回す。辰巳くんたちが出て行ったドアを見たあと、私のほうに両腕を広げてみせた。


「佐藤さん」

「うん?」

「ぎゅうってしよ」


 そう言いつつ、私が答える前に背中に腕が回された。宣言通りぎゅうっとされる。瀬野くんが数回深呼吸をして、小さな小さな声を出す。


「佐藤さん、ありがと」

「ううん。これはお互い様」


 勉強や料理で私がダメなときは、瀬野くんが助けてくれてばかり。暇や孤独で瀬野くんがダメになっているときは、私がそばにいよう。だから、お互い様。


「これから二人で成長していこうね」

「ん」


 髪を梳くように頭を撫で、ため息みたいに声を零した。


「……佐藤さん、好き」

「うん、私も」


 私も好き。お互いほんのり照れ合っておでこを合わせた。心がぽかぽかする。

 抱きしめ返そうと腕を上げる。


 そのとき、手が机に当たった。そして私は、鞄の下からひょこっとこちらを見つめてくる白紙の調査票の存在に、気付いてしまった。

 つらく嫌な思い出は無視してもいいだろうが、だるく面倒な現実には向き合わねばなるまい。


 持ち上げた腕を、抱きしめる路線から胸板を押す路線に切り替える。泣く泣く瀬野くんから離れ、渋々ペンを取った。


「……佐藤さん?」

「現実逃避はダメだから」

「え?」

「ところで瀬野くんって大学どこ行くか決めた?」

「まぁ、一応」


 困惑顔でいくつか大学の名前を挙げる。意外や意外、難関といえど私立だった。瀬野くんならトップクラスの国立にもいけそうなのに。

 自慢ではないが、私は古典と日本史には自信がある。読書好きだからか、現代文もできるほうだ。あとは英語さえ頑張れば。

 よし、調査票の空欄は埋まった。筆記具を片付けて鞄を取る。


「何書いたの? メモ?」

「なんでもないよー」

「ふうん」


 瀬野くんの背を押してC組から出ていく。

 調査票といえど所詮は希望。適当に書いておいた。適当に、寂しがり屋さんを寂しくさせないために、同じところを。

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