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31 十二月 女子トイレ

 片や部活に行き、片や塾へ向かう、忙しい友人たちと別れた放課後。

 突然だが、誘拐された。帰ろうと廊下を歩いていたら、どこからともなく伸びてきた手に引っ張られ、女子トイレの中に連れ込まれたのだ。


 近年改修された清潔感のあるトイレには、小さなパウダールームがある。小綺麗で眩しくて、私はあまり使ったことがない。

 そこへ連行され、五人ほどに囲まれた。二人はD組の人で、残りは知らない人。みんな派手めな女子だ。いや、男子がいたら大変なのだが。


「あの、何か用?」


 ようやく声が出て、だんだん状況が掴めてきた。これはちょっと、そこそこ、かなりまずいのではないだろうか。


「あのさぁ、しらばっくれないでくれる?」

「自分がやってることわかってるわけー?」


 特大ブーメランである。自分たちこそ、何をしているのかわかっているのか。


「私は帰るところだったよ」

「今じゃなくて昼休みの話だけど?」

「昼休み……何かあったの?」

「は? あんたがトラにも手出したんじゃない!」

「ええっ、そうなんだ!」


 知らなかった。私はいつの間にか松永くんに手を出していたらしい。そっくりさんの仕業に違いない。背丈が平均かつ髪丈がセミロングの人って、うじゃうじゃいるし。

 彼女たちは私の態度が気に入らなかったようで、あからさまに眉を吊り上げた。


「あのねー、慧斗にもトラにも彼女がいるのに手出して、何が楽しい?」

「え、松永くんって彼女いるんだ」

「とぼけないで! どうせ知ってたんじゃないの? なんか、わざわざ教室に呼んで問題解かせてたくらい仲良さそうなんだし」

「本当に知ら……あ、もしかして、彼女って他校の人?」


 頭に浮かんできたのは橘さん。もしや、橘さんは瀬野くんへの告白に失敗して、そのあとに松永くんと上手くいったのでは。

 私が尋ねた途端、彼女たちがかなきり声をあげて、疑惑が確信に変わる。


「ほら、知ってるんじゃない! なのにベタベタするとか最低なんだけど!」

「べ、ベタベタなんかしてない」

「はぁ? つーくんとも教室でベタベタやってんでしょ。これからは慧斗にもトラにもつーくんにも、そういうのしないでくれる?」


 腕組みをしてフンッとした態度。彼女たちは相当ご立腹なようだ。

 私も少しイライラしてきた。慧斗慧斗って瀬野くんの名前を連呼しないでほしい。


「だから、ベタベタなんかしてないってば」

「じゃあ、今後一切、慧斗たちに近付かないでよね」

「近付くとベタベタになるの?」


 そもそも最近は、瀬野くんの顔すら見てないのに。そう何度も名前を聞かされると会いたくなる。頑張って瀬野くんのことを考えないようにしていた、私の苦労が水の泡だ。それに、つーくんとは席が前後なんだから、近付かないなんて無理難題すぎる。

 そもそも私の交友関係を、どうしてこの人たちに制限されなければならないのか。


「あんたなんか近付くだけでも慧斗たちの迷惑になってるに決まってるでしょ!」

「そうそう、目障り! ウザいウザい!」

「イケメンにちょっと優しくされたからって調子乗らないで!」

「トラとか慧斗狙うって、彼女に失礼だし!」

「わざわざ彼女持ちの人狙う尻軽が開き直らないでくれる?」


 総攻撃された。口を挟む隙がない。カエルの合唱みたいだ。

 グワグワ喚いているのを左から右へ聞き流し、いつ逃げ出そうか算段を立てていると、 


「なんて騒がしい。こんなところで一体何のお話?」


 凛とした声が耳に届いた。

 顔を上げれば、栗色の艶やかなストレートロングヘアが目に入る。絵に描いたような美女は優雅に歩いて、私と彼女たちの間に立った。ゆっくりと見回し、水を打ったように静まり返ったパウダールームの真ん中で微笑む。


「そうね。私はこのくらい落ち着いているほうが好きよ」


 桜葉さんは彗星のごとく現れ、一瞬でこの場を支配した。



 ポーチからリップを取り出して塗り直し始める桜葉さんに、私は呆気に取られた。対して、カエル合唱団が元気よく桜葉さんに話しかける。


「真希ちゃん! こいつよ、この前まで慧斗にちょっかいかけてたの」

「ああ、この方が」

「今はトラを狙ってんの。とっかえひっかえしてて最低じゃない? なんか言ってやってよ」


 長いまつ毛に縁取られた大きな瞳が私に向く。敵意はなさそうな色だった。


「そうなの?」

「ま、松永くんのことは好きじゃないし、彼女がいることもさっき知りました」

「そう」


 合唱団のほうに「ですって」と言って、桜葉さんは鏡に向かって指でまつ毛の形を整える。なんだかマイペースな人だ。


「違うでしょ! 彼女いること知ってたんじゃん! 嘘つかないで! 真希ちゃん、もっと怒らないの? 慧斗取ろうとした子だよ?」

「怒ると疲れるもの」

「もう、そういうとこあるよね、真希ちゃん。ほら、あんたはさっさと謝りなさいよ」


 どうして私が桜葉さんに謝らないといけないのだ。


「関係ない人に謝る必要ない」

「はあぁ!? あんた、真希ちゃんは慧斗の彼女だけど?」


 以前、その二人は恋人でないと聞いた。が、今、桜葉さんは否定する様子もなく傍観している。まさか現在は交際して……。

 いや、ここで合唱団の言葉を鵜呑みにしてはいけない。噂話を信じると恐ろしい目に遭う。教室に閉じ込められ、暗闇の中でお説教されるのだ。本人たちが公表するまで信用ならない。

 私の目の前に立つ、合唱団のリーダーであろう人を、拳を握って見返す。


「仮にそうだとしても、私と瀬野くんと桜葉さんの問題であって、あなたたちは関係ない」

「言い訳してないで早く言ったら!?」

「なんで私が、無関係の人たちの言うことを聞かなきゃいけないの?」


 瀬野くんを一人占めするとは許せない、と反感を買うのはわかる。しかし、限度というものがある。人畜無害なチクチク光線ならまだしも、誘拐と恐喝によるリンチは納得できない。

 リーダーを睨む。相手はやや目を見開き、視線を逸らした。なんだ、全然怖くないや。瀬野くんや橘さんが怒ったときのほうがずっと怖かった。

 合唱団の人は慌てて桜葉さんの肩を揺さぶった。


「ね、ねえ真希ちゃん! こいつめっちゃ生意気で」

「ところで、あなた方いつもこのようなことをしているの?」

「だって、こいつがなかなか言うこと聞かないから」


 桜葉さんが鏡から合唱団のほうへ目を向けた。


「どなたか知らないけれど、人の名前を使って誰かをいじめるような真似は、やめてはいかが?」


 しんと沈黙が訪れたのち、合唱団が騒然となってうろたえ始めた。私もびっくりした。桜葉さんはあちらの味方だと思っていたから。


「し、知らないって、うち、真希ちゃんと中三のとき同クラの」

「そうなの? 私、苦手な人は覚えていないの」

「てか、いじめっていうか、こい……この人が真希ちゃんの彼氏を取ろうとしたの注意してだけだし」

「私とお付き合いしている人は決して慧斗ではないけれど」


 リーダーの人が唖然として、口をぱくぱくと動かす。合唱団の一人が「行こっ」と言い、五人揃ってそそくさとパウダールームから出ていこうとしたとき、桜葉さんが思い出したようにトドメを刺した。


「あ。あなた方の声があまりにも大きく廊下まで聞こえていて、慧斗が何事かと驚いて先生もお呼びしているの。あなた方はこんなところではなく、生徒指導室で存分にお話できるでしょうね」



 二人きりになったパウダールームで、桜葉さんが再び私を見た。


「見苦しいところを見せてしまってごめんなさいね」

「こ、こちらこそ、助けてくれて、ありがとうございました」


 ぺこりと頭を下げると、桜葉さんが「いえいえ」と穏やかに返した。その背後にぱあっとバラが咲き誇る。まずい、綺麗な人に気が動転して、幻覚が見え始めてしまった。

 私はブンブンと頭を振って我に返り、桜葉さんに尋ねた。


「あの、先生に言っちゃってよかったんですか。あとで何かされたり、嫌われたりは」

「あの方々? あのような態度を取る方と付き合うつもりは毛頭ないし、卒業したら会わなくなるのだから、どうでもいいのよ」


 か、格好良い。堂々とした佇まい、しっかりとした意志。そっか、桜葉さんは嫌われてもいいって思ってるんだ。その強靭なメンタルに私の心はときめいた。

 強者美人が頬に手を当てて、口角を緩やかに上げる。


「それはそうと、これは貸しということでよろしい?」

「え?」


 幻覚バラが瞬く間に枯れた。しわしわ散り散りに。


「私、善意で助けたわけではないの。自ら厄介事に関わるのは好みではなくて」

「じゃあ、なんで」

「慧斗からお願いされてしまって。彼はここに入れないから代わりに、と。私はそのとき優吾たちとパーティーの参加者について話を、そうよ」


 急に桜葉さんがぽんっと手を打った、まるで世紀の大発見をしたみたいに無邪気な笑顔で。思い付くときにその動作をしている人を、私は初めて見た。


「ねえ、パーティーに来ることを貸しの清算にするのはいかが?」

「え……?」

「あなたはパーティーへ行くだけ。とても簡単ね。どう?」

「いや、それは……」


 返事をしない私に、桜葉さんが悲しそうに眉を寄せて「お嫌なの?」と小さく言う。こ、こんなの断れないではないか。俗にいう泣き落とし。とんだ演技派女優だ。


「い、行きます……」

「ええ、私もそれがいいと思うの。あなた、慧斗のお友だちでしょう? 私もお話してみたかったから」


 手を合わせて上品に喜を表現する桜葉さん。鏡の前に置いていたポーチを取って、パウダールームをあとにしようとする。

 ふと桜葉さんが「ああそう」と振り返った。


「私は桜葉真希。あなたのお名前は?」

「佐藤絢理です」

「そう、素敵なお名前ね。絢理、と呼んでも?」

「は、はい。私も、真希って呼んで大丈夫、です?」

「ありがとう、もちろんどうぞ。では、当日に会いましょうね、絢理」


 そう言って手を振って出ていき、私は一人残された。ぼんやりと昼休みの会話を思い出して、ようやく理解する。

 桜葉さん――真希は終始、話の主導権を握り、ゆとりあるエレガントさは一切の隙がなかった。そして恩を売りつけては回収しにくる。あぁ、これが強気な女王様か。

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