3 四月 遠足
四月末の遠足先は、一、二年生は山登り、三年生は遊園地だ。
私たちは二年生なので、今年も山登り。標高は高くはないのだが、いかんせん普段の運動量が限りなくゼロに近いので、何をしてもキツい。明日は筋肉痛確定である。
去年同じクラスだった現A組の江星野乃ちゃんと遥菜と私の三人で、自然に囲まれた緩やかな坂道を登る。このなだらかさが私を追い詰めてくる。じわじわと苦しめてくるのだ。
「ねえ、山頂遠くなーい? お腹減ったー」
「超わかるー。野乃もそもそもやる気出さないと」
「あっついあっつい……」
文句を言いながらも、遥菜は運動神経が良いほうなので平気そうだ。
身長が低めの野乃ちゃんは、ピンクブラウンのゆるふわのロングヘアをポニーテールに結んで、気合を入れ直している。こちらも余力が残っているように見える。
すでに満身創痍の私は、ぐったりと二人の後をのたのた歩いた。
天気の良い本日は夏日だった。まだ春なのに。
長袖の濃紺の体操ジャージがお日様の光を全力で吸収しようとする。風通しの良い素材であるのが不幸中の幸い。
髪ゴムを忘れなければ、こんなに暑い思いをしなくてよかったはず。セミロングの髪はすでに首に張り付いていた。これで暑さが助長されるのが不幸中の不幸。
しかし、ジャージを脱いで半袖になると風で汗が冷えそうだし、腕まくりをすると日焼けしそう。何はともかく、生きる術は現状を耐え抜くしかない。神様仏様ご先祖様、我に救いを。
去年も同じ山だったので、頂上からの景色に感動なども特になかった。でも、記念撮影はばっちりした。いえーい、山さいこー。
遠足ということで借りているバーベキュー場の一角で昼食タイム。脚が全力で休息を求めていたので、座れるだけでありがたい。
屋根の下にある綺麗な木製のベンチに座り、これまた木製の四角いテーブルにめいめいお弁当を広げる。大自然とお弁当、遠足の醍醐味だ。
「ねえ、今日のお弁当の唐揚げ、お母さんが朝から揚げてたの。いいでしょ」
「いいね! 私のと何か交換しよー」
「野乃はね、自分で玉子焼き焼いたの、どうどう? 食べてみて!」
「んー、美味しいーっ」
野乃ちゃんは遠足の日にわざわざ早起きして料理をしたのか。偉すぎる。出汁のきいた玉子焼きには桜海老が入っていて、味も食感も抜群だった。私の母も料理上手なため、唐揚げももちろん美味しかった。
学校で食べているときはお弁当のシェアなんてしないので、これも非日常のノリというやつだ。つまるところ、とても楽しい。
もぐもぐとお弁当を食べ、ごくごくとお茶を飲む。お腹が満たされ、喉の乾きが潤っていく。幸せの具現化。極楽浄土はここにあったのだ。
昼食も終えて、テーブルに座る人がまばらになってきた。遠くで楽しそうな声が聞こえ、見てみると広場で走っている生徒が十数人ほどいる。あと、何人か先生も。なんてエネルギッシュな人たちなんだ。
私は当然そんな元気ないので、机に手と頭をぺったりつけて、自然の空気を堪能していた。空気の違いなんてよくわからないけれど、ここは美味しいと思う、多分。
遥菜と野乃ちゃんはおやつとして持ってきたお菓子を頬張りながら、ゴールデンウィークの話をしていた。連休中、遥菜は中学の友だちと遊ぶみたいで、野乃ちゃんは家族旅行に行くという。
私は先日公開された映画が気になっているので、それを観に行きたい。ホラー映画なので、帰省する兄と一緒に行くか、一人で行くか、行くのを諦めるかで迷っている。
出来れば誰かと行きたいけど、ホラーは誘いづらい。映画は誰かと観るほうが面白いのに。
悩みながら視線を動かすと、ありふれた黒髪なのに目を惹く一人の男子生徒が視界に入った。その隣のアッシュゴールドの短髪の人も。
二人とも汗を拭ってテーブルのほうへ来、私たちに気付いた。
「佐藤さん、と、鈴井さんと江星さんだ」
「よお、遥菜たち。遊ばねえの?」
「やほー。我々は疲れて動けませーん」
瀬野くんと、辰巳優吾くんだ。辰巳くんとは同じクラスになったことはないけど、何度か話したことはある。
遥菜とお家が隣同士とかいう、絵に描いたような幼馴染関係だと自慢気に話されて、ワンコっぽいなって思った。
遥菜の隣に辰巳くん、続いて瀬野くんが座った。辰巳くんが持っていたペットボトルのアクエリアスを開封して、一気に半分ほど飲む。余程運動したご様子で。
野乃ちゃんが不思議そうに小首を傾げた。
「ねね、あっちでさっき騒いでたのなんだったの?」
「田中くんたちとおやつ賭けて鬼ごっこしてた」
「見て見て、俺らの戦利品のポテチ。景品の中で一番良いやつ。佐藤さんたちも食べよ」
瀬野くんがテーブルにコンソメ味のポテトチップスの袋を広げる。まさかのLサイズ。大きいけれど、遠足に持ってくるにしては大きすぎる。C組副担任の田中先生は、わざわざ生徒と遊ぶためにこのポテチを持ってきたらしい。
さっきまで私たちが食べていたおやつも合わせて、五人でお菓子を食べる。素敵な高山でのどかなおやつタイム。なんて素晴らしい。
「田中くん体育の先生だけあって速かったな」
「やばかった。地味にガチってたよな、大人げねえ」
「あ、私の持ってきたお菓子も食べる?」
「ポッキー! 遥菜さんきゅー」
「あんた好きでしょ。先生たちは、他に何のお菓子持ってきてたの?」
「んー、さきいかとか? おつまみ系が結構あったよな」
ポテチをパリッと噛んで、瀬野くんが思い出しように続ける。
「それとマドレーヌとクッキーだっけ。大久保ちゃんが持ってきてたね」
「マドレーヌ? 大久保先生可愛いの持ってきてるね! 野乃も鬼ごっこしに行こうかな」
「え、野乃ちゃんそんな元気あるの?」
「あるわけない!」
先生たちが思っていたよりも用意していてびっくりしたし、野乃ちゃんの元気な即答で思わず笑ってしまった。
登山中にあった面白い話やそれぞれのクラスの話をしていると、あっという間に下山の時間になった。クラスごとに点呼を取るため、一度集合することになっている。
遥菜たちは早々と片付けを終えて行ってしまった。待って待って。私は慌てて、行きかけていた瀬野くんのジャージの裾を引っ張った。
「うお。どしたの、佐藤さん」
「ご、ごめん」
口より先に手が出た。小さく謝りつつ、リュックから飴をいくつかテーブルに出す。イチゴ、ブドウ、レモン、オレンジ、モモ。棒付きキャンディで申し訳ないけど。
「ポテチのお礼、的な。どうぞ」
「おー。ありがと」
瀬野くんがオレンジ味を手に取る。一つだけ。……一つだけ?
「辰巳くんの分も、どうぞ」
「あ、俺にだけじゃないんだ?」
瀬野くんにだけ。その発想はなかった。まぁ、それでもいっか。
「じゃあ、瀬野くんにだけでいいよ」
「意志ブレブレかよ」
「だって。ただの飴だし」
「飴だって子どもに大人気じゃね」
そう言われると、そう思えてきた。たかが飴、されど飴。飴だって立派なお菓子の一つだ。
「なら、やっぱり辰巳くんにも」
「なるほどね。まぁ、優吾にはあげなくてもいいだろ」
「え、どっちなの」
瀬野くんがオレンジの飴を口に入れてからんと音を鳴らした。
「内緒にしてたらバレないし。ね?」
「ないしょ」
「そうそう、秘密。できる?」
「ひみつ、できる」
思いも寄らなかった提案に、ついオウム返しをしてしまった。あ、ちょっと笑わないでよ、瀬野くん。
リュックを背負い直した瀬野くんが振り返る。
「じゃ、これは俺らだけの秘密ってことで」
キャンディの棒をくいっと指で動かし、自慢げに見せつけてきた。なるほど、飴は高校生の瀬野くんにも大人気らしい。お気に召したようで何より。
鞄に飴を仕舞うときに、さりげなく私もモモ味を手に持つ。二人で飴をからころ鳴らして群集に向かった。