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29 十二月 日直

 吐く息が白くなる十二月。早足で行き交う人々のように、急ぎ足で迫り来る年の瀬。凍える朝夕に霜が降り、冴ゆる夜空に星が輝く。一人佇む寒月は、新たに明ける春を待つのみ。



「あーやーりちゃーん、かーえーろー!」

「野乃ちゃん、ちょっと待ってね。日直で、わっ」


 放課後のD組に野乃ちゃんが現れた。日誌を書く手を止める前に飛びつかれる。負けた。反射神経勝負に負けた。


 私をぎゅうっと抱きしめたあと、野乃ちゃんは日直の手伝いで黒板を綺麗にすると申し出た。ありがたくお願いし、その間に私は日誌を書いていくことにした。

 本日の感想欄に書く内容を考える、が、出てこない。今日は何かがおかしいのだ。違和感が邪魔して気が散る。


「あっ、トラ! 今年はうちらも混ぜてよ!」

「俺は人事権ないからごめんね。慧斗か優吾に言ってー」

「優吾逃げるんだもん! じゃあ、慧斗にお願いするから一緒にC行こー!」


 ふと廊下から松永くんと女子の会話が聞こえた。随分よく通る声だと思ったらドアが開いている。戸締まりも日直の仕事だ。私は閉めに行った。バンッと大きな音が鳴る。


「わっ、びっくりした」

「びっくりしたぁー!」


 二人に驚かれ、私はごめんと謝った。私も、まさかドアがあんなにも勢いよく壁に突撃しに行くと思ってなかった。長いこと離れ離れにさせられて、さぞ壁が恋しかったのだろう。……二人?

 そう、私の前の席につーくんがいた。違和感の正体が判明。


「つーくん、部活は?」

「あっ、つーくん放課後に教室いるの珍しいね!」


 普段いない人がいるから、奇妙に感じたのだ。

 一仕事を終えた私と野乃ちゃんが机に集まる。つーくんは窓に背を預けるように、こちらに体を向けた。


「進路相談するから部活は遅れて行くつもり。職員会議が終わるの待ってるんだ」


 つーくんが鞄から某大学のパンフレットをちらりと見せる。もうそんなことを考えているなんて、つーくんは案外しっかりさんだ。


「進路……。あわわっ、野乃、進路調査票、教室に置いてきた! 取ってくる!」


 今思い出したらしい。野乃ちゃんが慌ててDから出ていく。野乃ちゃんはうっかりさんだ。



 二人きりになった夕暮れの教室で、つーくんと顔を見合わせる。つーくんは私の机に肘を置いた。ニコッと不穏な香りを漂わせて。


「ところで、佐藤さんは急にご機嫌斜めになったね。どうしたの?」

「どうもしてないよ」

「言い方を変えようか。佐藤さんは瀬野にお願いしないの? というか、あれ何のお願いなんだろうね」

「……さぁ、知らない」


 わかってるくせにもてあそぶ。私の気にする点を的確に見抜くの、やめてほしい。


「あ、その様子だとまだ仲直りしてないんだ。連絡は?」

「してない」


 瀬野くんの不機嫌な態度、嫌だしビビるし、落ち込むし。こちらから送らなければ、既読無視されることは絶対にないし。

 

「連絡するの怖いし……」

「瀬野って怒ったら怖い顔するよねー」


 ケロッと言ってのける。毎度毎度、瀬野くんを余計に怒らせている張本人だという自覚はあるのか。抗議を表して机をぱしぱし叩くと、ははと笑われた。


「瀬野からの連絡は? 僕の教科書は返してくれたよ」

「なんと音沙汰なし。つーくんはいつ返してもらったの」

「翌朝に靴箱で待ち伏せされてたんだ。あとから辰巳と松永も来て大変だったなぁ」


 思い出したのか、つーくんがふふっと笑う。

 待ち伏せ。私は、仁王立ちの強面瀬野くんと阿吽像みたく辰巳くんと松永くんが左右に侍っている図を想像した。全然笑えない。私がそんなの見たら、登校どころか回れ右して速攻下校する、確実に。

 しかめっ面になっているだろう私と、楽しそうなつーくんの目が合った。


「それで、佐藤さんは瀬野のこと、まだ好きなの? 本を借りパクされて、クラスの人からも嫌がらせされるのに」

「そもそも本は貸してないというか、嫌がらせは致し方なしというか」


 私にも非があるというか。

 本の話はひとまず置いておいて、嫌がらせの話は仕方ない。瀬野くんが誰かに一人占めされてたら、私も嫉妬する。嫌がらせしたくなる気持ち、わかるもん。


 返す言葉が途切れて、不意に沈黙の間が訪れた。笑みを崩さないつーくんの口元がかすかに動く。


「……諦めればいいのに」


 小さな小さな声は、きちんと私に届いてしまった。

 衝撃を受けた。おのれぼっち仲間め、我を裏切りおったな。これまで何度も相談に乗ってくれたにもかかわらず、この期に及んで謀反とは。これには織田信長も大激怒。


「な、なんで。応援してよ」

「あぁ、聞こえてた? やだよ。なんで僕が応援しないといけないわけ?」

「でも、色々相談とか乗ってくれて」

「さっさと諦めればいいのになぁって思ってただけだよ。失恋を認めて新しい恋でも始めなよ、瀬野ばっか見てないでさ」


 人差し指が二回ほど軽く机を叩き、上目遣いの色素の薄い瞳は私を捉えた。苛立たしげにむすっと、そして、ほんのり赤い顔で少しためらう。 


「……僕のこともちょっとは気にしたら?」


 無言でたっぷり見つめ合う。

 瀬野くんを諦めて、つーくんを気にすると、どうなるのか。超天才な私が頭をフル回転させて推察した案が正しければ、ひょっとして、もしかすると。


「つ、つーくん。これって、そういう意味?」

「そうだよ。むしろ、それ以外の意味ある?」


 手に持つシャーペンが取られて手が握られた。少しかさついた肌の大きな手に優しく包まれる。トクトクと速い脈と熱いほどの温かさ。

 困った。私の心臓がとてもうるさくなってきた。


「佐藤さん、やっと僕のこと、意識し始めた?」

「し、してる、ものすごく」

「そう。もっとしていいよ」


 満足げに口角を上げて余裕ぶってる。顔真っ赤なくせに。しかし、私も人のこと言えない。

 非常に困った。今は冬だけど、じんわりと汗がにじんでくるほど、あつい。日は遥か遠くで沈みかけているのに、まるで熱の発生源が目の前にいるみたい。



「あー、いちゃこら中に悪い。先生、職員会議終わったんだが……」


 人の声だ。お互い、飛びのいて離れる。ドアと壁の隙間から、山口先生がにまーっと、野乃ちゃんがぺろっと舌を出して、顔を覗かせていた。


「ごめんねー! 野乃、Aに戻るときドア開けっぱにしちゃってた!」

「良い性格してるな、江星」

「でしょ! 知ってるー」


 和気あいあいと話す、覗き魔先生とうっかり野乃ちゃんに言葉を失う。どこから見てたのかなんて恐ろしくて聞けない。羞恥で登校拒否になる。引き籠もりニート化、待ったなし。

 つーくんの顔色を窺うと、意外や意外、すっきりした表情をしていた。絶望してるのかと思ったのに。私の視線に気付き、つーくんがはにかむ。


「なんだか、茶化されると照れるね」

「う、うん」


 毒気が抜けている。つーくんから、つーくんのアイデンティティが抜け落ちている。非常事態だ。調子が狂う。


「じゃあ佐藤さん、また明日」

「ま、また明日」

 

 つーくんが鞄を持って先生のところへ行く。あぁ、山口先生って進路指導も兼ねてるんだっけ。私は呆気に取られたまま、その後ろ姿を見送った。



 つーくんと入れ替わるように、野乃ちゃんが教室に入ってくる。にこにこして、先程までつーくんが座っていた場所にちょこんと収まった。


「ねね、絢理ちゃんはどう思ってるの、瀬野とつーくんのこと」

「えっ」


 唐突な質問に焦る。わたわたする私に対して、冷静な野乃ちゃんは肘をついて両手で頬を包んだ。

 黄昏時の影が落ちる野乃ちゃんはなんだか大人っぽく見えた。


「あのね、野乃は絢理ちゃんがどっちを選んでも構わないけど、苦しむ絢理ちゃんは見たくないなぁって思ってるよ」

「くるしむ」

「うん。だから……最近の絢理ちゃんは見てられなかったの」


 私から外へ目を向けた。窓ガラスに物憂げな野乃ちゃんが映っている。ぽつぽつと小さく口が動く。


「瀬野で悩んで、意地悪を我慢して、問い詰めないと言ってくれない。絢理ちゃんは黙って強がることが多いから、野乃は不安になる。相談しろとは言わないけど、困ったら野乃たちを頼ってほしいな」


 くすっと笑って「補習プリントもね」と。

 つられて私も笑って、野乃ちゃんはこほんという咳払いで再び真面目な顔に戻る。


「野乃ね、口出しするつもりなかったんだけど、絢理ちゃんに言いたいことがあって。言っていい?」

「うん」


 間を置いて、すうっと息を吸う。


「ねえ、瀬野って、絢理ちゃんが苦しんでまで、恋しなきゃいけない人?」


 静かな言葉は私の胸にトッと突き刺さった。


「恋に恋してたり盲目になってるなら、一度、落ち着いて周りも見てみてね」


 トストス刺さる。恋に恋。盲目。

 言われてみれば、嫌われてつらい思いをしてもなお、瀬野くんに幻滅してない私は、周りが見えなくなっている。

 実際、両親に心配された。同時に二教科も赤点を取ったのは、さすがの私も初めてだったから。


 野乃ちゃんによって目が覚めた。

 私はどうして瀬野くんが好きなんだろう。悩みに悩んで、わざわざ瀬野くんに恋する理由は?


 窓の外はすでに暗くなっていた。考えたいことは降り積もる一方、日誌に書く内容は未だ見つからないまま。

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