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27 十一月 文化祭 Day2 午後

 映画みたいだった。目の前で起こったキスシーンを呆然と眺める。画面越しだと平気で見られるのに、いざ現実だと立体感とリアルな水音にいたたまれなくなる。

 松永くんが口笛を吹くのと同時に、瀬野くんが橘さんの肩を押した。両者が離れて、乱れた呼吸が残る。


「橘、こんなことされても俺は」

「いい! 慧斗くんの返事なんて聞きたくない!」


 私を一睨みして、橘さんが駆け出していく。弾かれたように松永くんが後を追い、残された私と瀬野くんは顔を見合わせた。き、気まずい。


「……見ちゃった、よな」


 遥か遠くから聞こえる修羅場を知らないお祭りの喧騒に、かき消されてしまいそうなくらい小さな声だった。

 だんだんと頭が冷静になってくる。私、とんでもないことをしでかしてしまった。私のせいで盗聴を始め、バレて、謝らずに逃げようとし、橘さんを怒らせてしまった。

 私が事態を悪化させた。瀬野くんにも迷惑をかけた。深く頭を下げる。


「瀬野くん、ごめん」

「やめて。顔上げて」


 私と両頬を持ち上げて前を向かせたのに、瀬野くんは俯いていた。


「俺こそごめん。今、すげえ混乱してて……」


 言葉に続きはなく、私は閉口した。どうするのが正解だろう。


 私は自分の気持ちを取り繕えるほど器用じゃない。きっと何を話しても本音が出てくる。本性を見せたら、おそらく私は瀬野くんに嫌われる。

 告白を邪魔した加害者は私で、橘さんは被害者だ。なのに、橘さんに悪意を抱いた、なんて死んでも言えない。ムカつく、妬ましい、イライラする、ずるい。ごちゃごちゃと負の感情が暴れる。私はとても性格が悪い。瀬野くんに知られたくない。ぐっと拳を握って堪えた。


 お互い黙ったまま、チクタクと時間だけが過ぎていく。

 しばらくして、先に動いたのは瀬野くんのほうだった。「頭冷やしてくるわ」と一言置いて、どこかへ。

 私は橘さんを探さないといけない。複雑な感情はあれど、きちんと橘さんに謝りたい。何故か、私は橘さんを嫌いになれないから。

 


 はたして、私は校内中を回ったが、橘さんを見つけることはできず、タイムリミットの店番シフトの時間になってしまった。

 第ニ棟の中央階段を三階まで上り、右手に曲がって四番目にある教室、D組に入ると、中では可愛い服装の黒髪ポニーテールの人がぼったくりドリンクを飲んでいた。


「た、橘さん、なんで」


 衝撃で固まる私を見て、橘さんは感情の無い真顔でこちらへ寄ってくる。


「なんでって、ここをあたしに教えたのは佐藤ちゃんでしょ。空き教室も、この二年D組も」


 私の腕を引っ張ってD組から出ていこうとする。待って、私は店番をするためにここに来たのだ。出ていっては意味がない。けれど、橘さんをおろそかにもできない。

 クラスで割り振られた役割を放棄するか、一人から大きな恨みを買うか。私はどっちも嫌だ。両方拾う方法はないか。実はある。

 力を入れて、引っ張る腕を止める。橘さんが振り返った。


「佐藤ちゃんに話があるの。来て」

「あの、その話ここじゃダメかな」

「え?」

「おすすめした通り、ここってお客さ……人全然いない、でしょ?」


 ゆっくり教室と廊下を見回したあと、橘さんの真顔が崩れて、耐えきれないように小さく笑ったように見えた。


  

 同じシフトの人は他クラスの人と話したいのか、空気を読んだのか、呼び込みと称して廊下に出ていった。どうせ室内にいても廊下にいてもお客さんは来ないので問題ない。

 二人きりになった教室。長机を挟んで正面になる形で座る。窓を開けると、昼下がりの暖かさと晩秋の冷たさをはらんだ空気が流れてきた。心中とは真逆の、穏やかな小春日和だ。

 カーテンが揺れて、ポニーテールのおくれ毛も揺れて、私の声も揺れた。


「橘さん、告白の邪魔をして、ごめんなさい」


 私を一瞥し、橘さんは再び窓の外を見た。


「人のいない場所を教えて協力する振りしてさ、元からあたしの告白邪魔するつもりだったー?」

「違う」

「冗談冗談。経緯はトラくんから聞いたよ。でも、佐藤ちゃんって野次馬するようなキャラだと思ってなかったからびっくりした」

「そんなつもりじゃ」

「久々に会ったらすっごく垢抜けてて、それもびっくり」


 橘さんが目を伏せる。


「ねえ、佐藤ちゃん。慧斗くんのこと、好きでしょ」


 思わず息を止める。バレている、私の気持ちが。そんなにもわかりやすいだろうか。視線が落ち着かず、冷や汗が出てきた。

 慌てる私を見て、橘さんがクスッと笑う。


「動揺しすぎだよ。あたしと慧斗くんがキスしたとき、佐藤ちゃん一瞬だけどすーっごく嫌そうな顔したもん。好きなのくらいわかるよー」

「そ、れは」

「佐藤ちゃん、さっきのごめんなさいって本心? 好きな人とキスしてた相手に本当にそう思ってる?」


 懐疑的でバカにしたような言い方だった。信用されてないことがひしひしと伝わってくる。

 やむを得ない、腹を割って話さねばならない。私は橘さんを見つめた。


「思ってるよ。本当に」

「嘘ー。怖い顔してるよ? 慧斗くんに謝るよう言われた?」


 私は真面目に話したいのに、真っ向から否定してくる。


「橘さん」

「早く嘘って認めたら? 佐藤ちゃんが嫌々じゃなかったら、なんで謝ったりなんか」

「橘さん!」


 思わず大きな声が出て自分でも驚いた。橘さんもビクッと肩を震わせて、こちらを向いた。

 ようやく目が合う。もう逸らさせない、絶対に。



 自分の感情を誰かに話すのはすごく苦手だ。心の奥底を見せて弱味をさらけ出す気分になる。それが良い意味であっても、悪い意味であっても。

 私は深呼吸をして覚悟を決めた。


「橘さんの言う通りだよ。嫉妬してる。怒りもある。告白の邪魔したって罪悪感もある。瀬野くんがキスしてて苦しくなったし、痛くなったし、橘さんにムカついたし、原因は私だってわかってるけどイライラした。でもイライラ以上に、私は」


 支離滅裂になってしまう。どうか、伝わりますように。


「私は、橘さんの告白する勇気がすごいと思ってるし、今日はネイルまでおしゃれしてて可愛い。流行のメイクとかファッションとかちゃんとチェックしてて努力してるとこも、積極的な行動力も見習いたい。いつも明るいところだって憧れてるよ。瀬野くんの隣に立ってても、釣り合っててお似合いで羨ましい」


 思っていることを誰かに話すには、自分の中に渦巻く思いを言葉にしなければならない。

 漠然と抱いていた橘さんへの感情を吐露し、無我夢中で言葉に置き換える度に気持ちが整理されていく。そうして気付いたこと。


「私は、多分、橘さんを尊敬してる」


 最大限のおめかしをして、わざわざ他校まで足を運び、好きな人に堂々と想いを伝える。精一杯に恋を頑張る橘さんが眩しくて仕方ない。

 私はメイクにいっぱいいっぱいで、ましてや爪先まで気にする余裕なく、誘われるまで何もしない完全な受け身なくせに、好きな人が他の女子と親しくしている様を見て勝手に嫉妬する愚劣さと矛盾を抱えている。

 雲と泥、天と地、月とスッポン、橘さんと私。どんなときもクラスの中心にいた橘さんを、隅っこにいた私は今も見上げている。


「だから、私は、あなたを嫌いになれない」


 告白の邪魔など思いも付かなかった。同じ人が好きな身としてリスペクトしていたから。

 腰を折って頭が机に触れそうになるところで止める。


「橘さん、告白の邪魔をして、本当にごめんなさい」


 下を向いて返答を待つ。橘さんはわなわなと絞り出すように言った。


「佐藤ちゃん、慧斗くんの好きな人、知ってる?」


 好きな人。以前本人がいないと言っていたはずだ。あれ、それは彼女の話かも。どっちもいないんじゃなかったっけ。瀬野くんの恋愛関係、複雑すぎてわからない。

 というか、橘さんがその話を持ち出した理由もわからない。


「知らない。大事な話?」


 突然、バンッと力強くテーブルを叩いて橘さんが立ち上がる。開いたドア付近にいるクラスメイトや歩く人がギョッとこちらを見た。


「なんで! そういうとこっ……!」

「な、なに」

「……あたしは、佐藤ちゃん大っ嫌い!」


 橘さんは柳眉を逆立て真っ赤な顔と潤んだ瞳でそう言うと、走って教室を出て行った。私は動けず、ふらふらと脱力して机に突っ伏す。

 許されなかった。伝えるのが下手だったからだ。無我夢中で言いまくったのもよくなかった。橘さんの意図が読めなかったのもダメだった。失敗した。最悪。

 あーあ。相手を怒らせてしまうのならば、自分の気持ちなんか言わなきゃよかった。



 夜。夏休みから毎日届いていた瀬野くんからの時報が途絶えた。日付を超えても、こちらから送った謝罪メッセージに既読がつくのみ。

 今日の私はダメにダメを重ねてダメだったから、さすがに嫌気が差したのだろう。橘さんのように。


 瀬野くんは私のことをどう思っているのか。最近悩んでいたことがたちまち愚問に成り果てる。

 たった一瞬の過ちで、瀬野慧斗は佐藤絢理を嫌いになったのだ。

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