21 十月 お土産
「それで、胸が苦しくなって、とりあえずネットで検索してみたら」
「ん」
「狭心症とか心筋梗塞とか大動脈解離とか、とんでもない文字が並んでて」
「これ美味しいね」
「よくわからないけど深刻そうな病気じゃない? 私死ぬのかな。ねえちょっと、聞いてる?」
「聞いてない」
つーくんをペンでつつく。キツツキもびっくりの連打。しかし、その攻撃は手ごとペンを掴まれて、すぐさま止められた。
「いたた、何? ノートを見せてもらってる分際で、ノートを見せてあげている僕に楯突いていいと思ってるの?」
「ごめんなさい」
私は急いでノートにペンを走らせた。早く写し終えて、楯突くために。
修学旅行明けのD組、朝のホームルーム前。教室内の人はまばらだった。
登校して早々に、私はつーくんに手を合わせた。授業変更によるイレギュラーな一限英Ⅱの予習を忘れたので見せてほしい、と。代金は京都土産の抹茶クッキーサンド。つーくんは簡単に買収された。
私がせっせとノートを写すのを眺めながら、優雅にクッキーサンドを頬張るつーくん。なにも目の前で食べなくてもいいのに。
「私もお腹減ってきちゃいそう」
「口開けてごらん。餌付けしてあげるよ」
え。上機嫌なご様子なつーくんをまじまじと見てしまう。私の怪訝な顔に気付いたのか、つーくんが我に返って咳払いした。
「僕、抹茶好きなんだ。それにしても、佐藤さんはもっとネタに走ると思ってたよ。これなら僕もちゃんと選べば良かったな」
北海道に行っていたつーくんは、定番の白い恋人をくれた。北海道土産といえばこれだろう。私もそう思う。
「ネタ用もあるよ」
「え?」
鞄から面白い恋人を出す。白い恋人のパロディだという大阪土産だ。駅で見つけて、北海道組にはこれを渡すしかないと衝動買いした産物である。
つーくんは一瞥して、鼻で笑った。このユーモアセンスはお気に召さなかったらしい。
予習は途中までやっていたのですぐに終わった。ノートを返し、白い恋人を開封する。勉強後の休憩だ。
お菓子を食べながら、いざ、本題。
「それで、私って病院行ったほうがいいと思う? でも痛いのは数日前からだし、もう少し我慢してみたほうがいいと思う?」
「佐藤さんって相談に乗ってくれる友だちいないの?」
刺々しい言葉が私のガラスのハートを粉々にした。数少ない友だちの片方はまだ登校してきてないし、もう片方は他クラス。それ以上は涙が出るから聞かないで。
それに、私の命に関わるかもしれないことなのに、冷たい態度はいかがなものか。
「つーくんが相談役を放棄したせいで私が死んだらどうするの? 取り憑いてやる」
「別にいいよ」
「え、おばけに取り憑かれるの怖くないの?」
「佐藤さんが取り憑くんでしょ? 怖くなさそうだし、全然いいけど」
「いっぱいビビらせてやる。じゃなくて、私はそもそもおばけになりたくない」
病気について真面目に考えてよ。トントンとクッキーサンドの箱を叩く。
つーくんが頬杖をついてため息をついた。諦めて、私と一緒に考えてくれる兆候だろうか。期待して上目遣いの瞳を見つめる。
「佐藤さん、失恋だよ、それ。瀬野のこと忘れたら治るよ」
「しつれん? まさかぁ」
「痛いの、瀬野に彼女がいるの知ってからじゃない? 佐藤さんは見事に失恋したんだよ」
「……そうかな」
思わず胸に手を当てる。言われてみれば、そうかもしれない。私は失恋したのか。……私は失恋したのか?
「じゃ、じゃあ、私、瀬野くんのこと好きだったってこと? 実感できてなかったけど」
「そうなんじゃない? 瀬野には彼女いるみたいだし、諦めて正解だよ。さっさと忘れたらいいよ。それか、新しい恋を始めるとか」
「新しく好きな人見つけるってこと?」
つーくんがにこやかに微笑んでクッキーサンドを一袋開封する。HRもあるのに、あと何個食べる気なんだろう、この人。
「そう。すぐに見つかりそうだけどね」
「そんな簡単に見つかるものなの?」
「佐藤さんの場合はね」
クッキーサンドが眼前に差し出された。唇に当たって、反射でついぱくり。あ、しまった。餌付けされてしまった。
「慧斗! おはよ!」
慧斗。ハッとして、声のした方向を見ると朝の希少生物がいた。万年遅刻マンが予鈴前に学校にいる。しかも、D組に。
「ねえ慧斗、それお土産? もしかしてあたしにー?」
「お前も台湾行っただろ。ちょい通して」
いつの間にか、空席が片手で埋まるほどDの生徒は登校していて、他クラスのイケメンは目立っていた。その注目の的は女子の話を遮って、私の前にやって来た。なんとなく椅子ごとズズッと後ずさる。
私とつーくんを見下ろして、瀬野くんがにっこり。
「おはよ」
「お、おはよう。なにゆえここに」
「昼だと誰かさんが逃げるから朝に来ただけ。ん」
小さめのおしゃれな紙袋を渡された。おそらく台湾土産だ。
「……いいの?」
「もちろん」
「それなら、ありがとう」
中には箱と筒。マカロンヌガーと台湾茶だった。可愛いパッケージと良い香り。女子にお土産をあげて、彼女に怒られないだろうか。桜葉さんが頭をよぎり、ずくずく胸が痛み始める。むむ、これが失恋か。
不意に、隣のつーくんが「えー」とワントーン高い声を上げた。
「瀬野、僕には?」
「あー忘れた。明日持ってくるわ」
「じゃあ僕も明日渡すね。瀬野も美味しそうなもの買ってきてそうだから楽しみだなぁ」
「……も?」
「これ佐藤さんが僕にくれたやつ。僕の好きな味のと、あと大阪のも」
机上のクッキーサンドに視線が集まる。
そのとき、私は場の雰囲気が変わった気がした。つーくんの楽しそうな口調も瀬野くんの笑みも崩れてないのに。
「佐藤さん、瀬野にはお土産渡さないの?」
素敵な笑顔で爆弾が投下された。
困る、非常に困る。瀬野くんにもお土産は買った。京都でショコラボンボンを。しかし、それは今ここにない。彼女がいる人に渡していいかわからなくて、家に置いてきたのだ。
つーくんは、私が瀬野くんへお土産を返さなかった時点で持ってきてないと察していただろうに、聞いてくるなんていじわるすぎる。
「せ、瀬野くんには、持ってきてなくて」
「……なるほどね」
決定的に空気が悪くなった瞬間だった。
しばらくの沈黙ののち、瀬野くんが近くの机にもたれて腕を組んだ。
「つーくん、放課後佐藤さん借りていい?」
「僕に聞くんだ?」
「一応」
隣からふふっと笑う声がした、随分と挑発的に。今日のつーくんは本当にご機嫌。
何を楽しんでいるのか。先程はクッキーサンドを、今は、
「僕と佐藤さんはただのクラスメイトだよ?」
「そういう距離じゃなくね、特に最近」
瀬野くんの反応を、楽しんでいるように見える。
「瀬野もいつも女子とこういう感じじゃない?」
「俺はあんま女子とサシで話さない」
「そういえば、桜葉とデートしてるの見たよ。駅で待ち合わせしてたね。どう見ても一対一に見えたけどなぁ?」
「あれはちが」
「美男美女が並んでてびっくりしちゃったよね、佐藤さん?」
念押しされて、私はゾクッとした。心臓がきゅっと悲鳴をあげる。これに肯定すると、私とつーくんが一緒にいたと認めることになり、なんだか後ろめたい。
返答したくなくて私は黙秘権を行使した、が、つーくんが結局暴露した。
「あの日、僕たちは映画観て、そのあとカフェ行く途中で瀬野たちを見かけてさ」
「あぁ、あれやっぱり」
「瀬野も僕たちに気付いてたの? 声かけてくれたらよかったのに」
「二人って大して仲良くないイメージだったから、見間違いかと思ってな」
「そう? 借り物で僕を選ぶくらいだから、佐藤さんはそうは思ってないんじゃない? なんだっけ、異性で一番仲が良いだったかな」
この会話の横で、私は胸痛の原因である紙袋のお土産とにらめっこしていた。
彼女がいるくせにこういうことをしてくるから、私みたいにいたいけな恋愛初心者が騙されて失恋させられるハメになるんだ。瀬野くんが悪い。
あーだこーだうるさい二人を止めるように、予鈴が鳴った。ノートとお土産を抱えて立ち上がって、自分の席に向かおうとしたら肩を掴まれた。私を失恋させやがった瀬野くんだ。
「ただのクラスメイトなら問題ないよな。佐藤さん、放課後時間ある? 話したいんだけど」
どうやら私に喧嘩を吹っかけたいらしい。お土産を返せとでも言ってくるのだろうか。このお菓子たちは私の胃袋行きが決定しているのだ。絶対勝ってやる。
「いいよ。受けて立つ」
「……は? まぁいいや。あとで連絡する。じゃあな」
瀬野くんが教室を出ていく。私はその後ろ姿にあっかんべーしといた。闘志に燃える私とは違い、つーくんはけらけらと笑いだした。そして言い放つ。
「あー、面白かった!」
どこに笑える要素があったのか。やはりつーくんは人の心がない。
自分の席に向かう途中、クラスの派手めな女子にぶつかられた。ぼそっと二言付きで。
「つーくんだけじゃなくて慧斗とも仲良かったんだ。男とばっか仲良くして楽しい?」
そもそも私は友だちが……これ以上は悲しくて言葉にできない。言い返せずに立ちすくむ。
というか、瀬野くんとは敵同士なのに、なんで私が嫌味を言われなきゃいけないんだ。ああもう、あれもこれも全部瀬野くんが悪い!




