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2 四月 古典係

 今年も私は委員には入らなかった。代わりに去年と一緒の古典担当の教科係になった。

 古典係は週始めの放課後に課題を集めて、出席番号順に並べ、職員室の担当教諭の机に置くだけ。楽なようで、地味に頻度が多いのが少し面倒な係である。


 今日は同じ係になった子が学校を休んでいた。遥菜は部活に行った。なので、私は放課後の教室で、教卓に積み上げられた問題集を、一人で順番通りに並べることになった。

 妙な沈黙を感じる教室には、パサパサと冊子を置いていく音が響いた。


 よし、あとは職員室に持っていくだけ。けれど、これが何気に大変で、四十冊もある問題集は積み重ねるとそこそこの高さの塔になる。二人組の係なのはそのためだ。



 職員室は第一棟の一階。向かうまでの難所は階段。

 人が少なく、陽もあまり入らない暗い廊下をのろのろと歩く。隣の教室からは楽しそうな話し声が聞こえて、外から運動部の掛け声が微かに届いた。

 もうすぐ階段というところで、こちらに近付いてくる足音がした。


「佐藤さん、手伝うわ」


 横から伸びてきた大きな手が問題集の半分以上を持ち上げる。顔を上げると瀬野くんがいた。


「あ。ありがとう」

「たまたま見かけたから。D組って係は一人なの?」

「今日はもう一人の子がお休みしてて」

「なるほどね。俺が見つけられてよかった」


 難所は難所じゃなくなった。瀬野くんも軽々と持っているので、降りるのは危なくなさそう。

 私としては、転がり込んできたこの幸運はありがたいことこの上ないけど、瀬野くんはどうしてわざわざ放課後に残っていたんだろう。


「瀬野くんはなんで……あ、教室で喋ってた?」


 聞いている途中で気付いた。

 瀬野くんは部活の勧誘を全て断り、放課後に残って友人たちと話をしている。過去、係の仕事やテスト期間で教室に居残りしているときに知った。放課後の学校に好きで残るのと義務で残るのは、やっぱり別なのかな。

 多分、D組から中央階段に行くときに前を通るC組で、瀬野くんは残って談笑していたのだ。


「当たりー。佐藤さん天才?」

「そうかも。天才でしょ」


 冗談半分で答えると、瀬野くんの動きが一瞬止まっておかしそうに口元を緩めた。笑顔、こんなに近くで見たの初めてかも。瀬野くんと話すこと自体、わりとレアだし。


「佐藤さんは今年も古典係なんだ」

「うん。先生が河中先生だし」

「去年と一緒の先生か。河中くん楽だったよな」

「C組は違うの?」

「新任の人になった。真面目っぽいだから課題提出とかも厳しそうなんだよな」

「それは一大事だ。大変だね」

「だろー」


 おそらく瀬野くんは、やりたくないことは後回しにしがちな性格。というのも、課題をよくやらないのだ。やることはやるけれど、大抵の場合、遅い。

 私が係で提出物を集めるとき、未提出の瀬野くんに話しかけた際の返事は『俺は後で出すから先出しといていいよ』だった。それを聞いて、周りにいた女子生徒が瀬野くんにちょっかいをかけるのが恒例行事。

 ルーズなタイプの不良なのか、不良だからルーズでも許されてきているのか。


 靴箱の前を通り職員室が見えてきた頃、瀬野くんが思い出したように言った。


「つか、俺らの話し声ってDまで声聞こえてた感じ? ごめんな」

「ううん、聞こえてなかったよ」


 C組の前を通るまで話し声は全く聞こえてなかった。この学校の壁は防音に長けているらしい。

 なのに、瀬野くんがC組に残っているとわかったのは、今まで同じクラスだったからで、今まで放課後でも教室は賑やかだという印象があったからだ。

 あ、そっか。なんとなく納得した。


「逆に、なんか変だなって思ってた」

「ん?」

「教室が静かすぎて」

「あ、俺らいつも残ってるもんな」

「そうそう」


 少ない量の問題集を持っているのは私なので、職員室のドアを開けるのも私。ドアを開けながら、心の隅で思っていた言葉がぽろっと落ちた。


「瀬野くんがいないの、なんか違和感あるなーって」



 雑多な職員室にはまだまだ先生がいて、私たちは一礼をしてから河中先生の机を探し始めた。年度の変わり目で席替えをしており、去年の先生の席で違う先生が作業をしている。

 二人できょろきょろしていると、のりでぴしっとしたシャツの先生がこちらに気付いた。去年に引き続き、今年も私たちの学年の数学を担当する山口先生だ。


「よう、どうした。瀬野は課題終わったか?」

「こんにちは、山口せんせー。いや、終わってないですね、これはお手伝いで」

「優しいのはいいことだが、課題できてねえのはモテねえぞ。早く出せ」

「モテる必要ないです、ボクはもうモテモテなんで。課題は明日持ってきまーす。ところで、河中せんせーってどこですか」

「可愛くねえな。あそこ」

「あざーっす」


 山口先生が無人の机を指差し、瀬野くんが課題を置きに行く。先生は瀬野くんを見送ったあと、私を見て困ったように笑った。


「足して二で割ると良い感じなんだがな」

「なんですか」

「真面目なのに赤点の佐藤と、不真面目だけど高得点の瀬野。お前らは極端すぎんだよな」

「わ、私は一回しか取ったことないですよ、赤点」

「今年は取らないように頑張ってくれ」

「うーん、それはどうでしょう」


 数学と和解できる気がしないので、なんとも言えない。苦笑いしたら、先生も微妙な顔になった。不安と困惑と笑いを混ぜたような。

 先生に軽く会釈して、私も河中先生の机に問題集の山を置く。瀬野くんはD組の一番上にあった冊子をペラっとめくって見ていた。


「どうしたの」

「範囲どこまでだったっけなって思って」

「今回は十五ページまでだよ」

「多くね? 優吾ら雇うか」


 遅れてでも友だちを使ってでも、毎度課題を提出しようとしているところが変に律儀というか。いや、先生の催促がうるさいから仕方なくしてるのかも。



 職員室を出るとざわめきが一瞬で消え去り、廊下に二人分の足音がこだまする。この静けさが、放課になってから随分経ったことを伝えてくる。

 

「手伝ってくれてありがとう」

「全然。このくらいならいくらでも」

「わあ、優しい」


 課題も出してない不良なのに。

 手には何も持っていないけれど、教室に戻る私たちの足取りはなんだかゆっくりだった。階段を上っていく途中で瀬野くんがいたずらっぽい顔になる。


「俺別に優しくないよ。だからさ、対価払ってくれる?」

「え」


 突然のカツアゲだ。恐ろしや、恐ろしや。頼んでもないのにわざわざ手伝ってくれて、おかしいと思っていた。うまい話には裏があったのだ。

 踊り場の手すりに肘をついて、提出期限を守らない不良が笑いながら見下ろしてくる。


「お、お金は、あんまり持ってない、です」 

「金なんかとらないよ。ね、『課題終わった?』って言って」


 なにそれ。


「ほら、早く」

「……課題終わった?」


 ぽかんとしたまま言われた通りに尋ねると、黒目が楽しそうに微笑んだ。


「いや、全然。俺は後で出しとくわ」


 理解した。このやり取りは今まで散々やった茶番だ。今回は茶化す女子がいないけれど。

 見つめ合ったままの瀬野くんの表情が崩れていって、堪えきれずに笑い出す。同時に私も。


「やばい、なんだこれ」

「対価、こんなのでいいの?」

「そう、こんなのでいいの。単純に佐藤さんに言わせたかったんだよな。なんか、こう」


 手で口元を覆いながら、黒目がすうっと視線を逸らす。


「違和感って言われて、俺も気になっちゃったから?」


 そして、付け加えるように「うちのクラスの係は呼びかけしねえし」と。瀬野くん、誰かに課題提出を呼びかけてもらいたかったのかな。急かされてから始めるタイプかぁ。

 踊り場に追い付いて、並んで上っていく。


「課題は締切までに間に合いそう?」

「いや、全く」

「今週はあと何が残ってるの」

「古典と現文と英語」

「つまり全部? あれ、数学は」

「数学は春休みの課題。古典以外は去年と一緒の先生ばっかだし、みんな緩いし」


 できそうなら、よかった。それに、瀬野くんは課題提出の遅れを余裕で取り戻すくらいテストの成績が良い。

 勉強はさほどしている様子ではないので、地頭が良いってやつだ。羨ましい、非常に羨ましい。


 瀬野くんと別れ、私は誰もいないD組に戻った。

 放課後に残る古典係は面倒だけど、手伝ってくれる人がいるなら、まぁ、悪くない。

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