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17 九月 体育祭 午後の部

 昼食は平常時のときのように、各自好きなところで自由に食べられる。いつも通り、私たちはD組で食べた。

 今日は野乃ちゃんがクラスの人と食べるため不在だった代わりに辰巳くんがいた。珍しい。遥菜と辰巳くんの微笑ましいおかず交換を、私はほのぼのと見守った。


 食べ終わると、遥菜も辰巳くんも早々に体育委員として呼び出され、午後一の部活動パレードに出る人たちも着替えに行き、教室内はみるみるうちに人がいなくなっていく。

 皆と違って、午前の部で全ての競技を終え、部活も委員も入っていない私は、もうやることがない。ちなみに私にはこういうときの心強い味方がいる。その名もスマホである。



 昼休憩が終わり、グラウンドに戻る途中。

 第一棟と第二棟の間の中庭で、校舎と木の影になっている隅っこのベンチに、人間が横たわっているのが見えた。私は正義感溢れる人間ではないけれど、人並みの良心は持ち合わせているつもりだ。少し容態を見てみよう。

 そおっと近付いて見ると拍子抜けした。仰向けで寝そべって腕を目で覆っている人が見慣れた人だったから。なんと、瀬野くんが死体ごっこをしている。


「瀬野くん、こんにちは」

「……」


 返事がない。どうやら本当の死体だったようだ。この場合に連絡する先は、C組の担任か、保健室の先生か、警察か。というか、どうしてこんなところで寝ているんだ。


「……ん」


 眺めていると、死体が動いた。瀬野くんゾンビ化。のっそり起き上がって不思議そうな目でこちらを見ながら、耳から黒い紐を生み出した。イヤホンしてたんだ。


「視線感じたと思ったら佐藤さんか」

「蘇らせるつもりはなかった。ごめん」

「勝手に殺すなよ。隣、どうぞ」


 お言葉に甘えてお邪魔する。横からにゅっと右耳分のイヤホンが渡された。コードが繋がっているのは瀬野くんのスマホ。

 イヤホンをつけると、聴き覚えのあるピアノの曲が流れてきた。ゆっくりとしたテンポの、どこか悲しい雰囲気の美しい音色。


「なんて曲?」

「さあ」


 教えてくれる気がないらしい。でも、私が聴いたことあるんだから有名なクラシックだ。曲名を当てようと考えるも、そもそも私はクラシックに詳しくなかった。

 ふうん。瀬野くん、こういうの聞くんだ。



 雲が晴れ、日が差してくる昼下がり。ベンチには、夏の残した暑さと影の涼しさが共存していて、時折吹く風が冷ややかで気持ちいい。

 急いでグラウンドに走っていく団Tの生徒や保護者と対照的に、二人のベンチはゆっくりと静かな空気に包まれていた。


 部パレードの吹奏楽部のマーチが聴こえたと思ったら、気付けば応援合戦の太鼓の音になっている。

 意識を向ける度に変わっているグラウンドの軽快なBGMと、同じフレーズを繰り返す悲哀のクラシック。もう数え切れないほどループしている。


 慌ただしく巡る周りの時間と、私と瀬野くんの時間は同じだろうか。違っていたらいい。穏やかで落ち着く、この瞬間だけは終わることなく永遠に続けばいい。

 背もたれに体を預ける瀬野くんの真似をして、私も座り直して足を伸ばす。靴が当たって、お互い顔を見合わせた。


「ねえ、瀬野くん」

「ん?」


 返事がある。瀬野くんが死体でもゾンビでもなくてよかった。目が合う。私の言葉を待つようにじっと見つめられて、くすぐったい気持ちになる。

 私が永遠を望むように、瀬野くんもそう思っていたらいいな。


「こういう時間も、いいね」


 視線の先の黒目がやや大きくなって、やや驚いたような「あぁ」という相づちが返ってきた。

 しばらく間を置いて、瀬野くんが呟く。


「俺、ずっと考えごとしてたんだけど、佐藤さんの顔見たら全部どうでもよくなっちゃった」

「なにそれ。吹っ切れちゃったみたいな?」

「そう。吹っ切れちゃったみたいな」


 瀬野くんは自分でオウム返しをしておいて、自分でふはっと笑った。何が面白いんだが。何もしてないのに顔を笑われた私はちっとも面白くない。むっと眉間にシワを寄せる。


「そうですかそうですか、よかったですねー」

「怒らないでくださいよ。いや、これは俺の言い方が悪かったな」


 不意にイヤホンの曲が止まって、グラウンドも競技間の合間なのか音がしない。辺りに静寂が降りて、瀬野くんがふんわりと明るく言った言葉はよく通った。


「すげえ幸せそうな顔見れたから、まぁいっかなって思ったってこと」



 直後、騎馬戦の招集に来ない瀬野くんは辰巳くんからの電話で呼び出され、グラウンドに行かざるを得なくなった。来客で賑わう中を通って生徒待機テントに向かう。

 妙にふわふわする頭の中と足取り。瀬野くんは急がないといけないのに、歩幅を私に合わせてくれた。騎馬戦は今始まったばかりの一年の競技の次の次なので、まだ時間的に余裕があるのかもしれない。


 明るい橙と黒っぽい紫の団Tコンビは非常に目立っていたため、行き交う人たちが勝手に割れていく。完全にモーセ。

 無意識に避けてくれる人たちに紛れて橘さんを見かけた。夏休みには金だった髪が黒になっている。髪色が暗くなってもばっちりおしゃれで可愛い。隣には高校の友だちらしき人もいて、楽しそうに話していた。


「瀬野くん、橘さんいた」

「朝から来てたよ、トラたちと昼飯一緒した。優吾が人見知り発動して、鈴井さんとこ逃げてただろ?」

「あ、今日辰巳くんいたのって、そういうことだったんだ」


 遥菜といちゃつきたいだけかと思ってた。辰巳くんは照れ屋さんで人見知りなのか。髪型はやんちゃしてるのに、意外にも内面は可愛い。瀬野くんしかり、人は見かけに寄らない。


「あれ。でも、教室とかって部外者入れなかったよね。どこで食べたの?」

「食堂。佐藤さんも来たかった? 俺の友だちあんま知らないだろうから遠慮しちゃったわ」

「ううん。私お弁当あったから、食堂行っても何も頼めなかっただろうし」

「俺も橘来んの知らなくてパン買っちゃってたんだよな。結局ラーメン頼んだけど」


 パン。体育祭の日でも、パン。


「瀬野くんってお昼ご飯はパン派?」

「あー、コンビニパンソムリエ目指してるんで。時々カップ麺とかパスタに浮気しちゃうけど」

「そうなんだ。美味しいの今度教えてね」

「んー、あったらな」


 関係者限定の生徒テントエリアに入り、人混みから解放されると同時にはちまきを可愛く巻いている女子生徒を見てハッとする。

 おしゃれで可愛い橘さんに、性格が可愛い辰巳くん。なのに、可愛いと噂の瀬野くんは普段と変わりなく、特別可愛いとかではない。何故。


「瀬野くん、なんで可愛くないの」

「え、突然の罵倒に俺びっくり」

「可愛い瀬野くん見てみたかったのに」

「あー、はちまきのやつ?」


 ズボンのポケットから出した、リボンがついた輪っかはちまきを頭にはめた。そしてキメ顔。


「か、可愛い……!」

「ご満足してくださったようでなにより」

「顧客満足度で天下とれそう」

「や、別に万人からの満足はいらないけど、天下はとってくるわ。佐藤さんこれ持ってて」


 イヤホンのコードをぐるぐる巻きにしたスマホを渡される。今から騎馬戦に挑む瀬野くんの荷物持ちを任された。うむ、よかろう。

 次の瞬間スマホが震えた。また辰巳くんからの電話。瀬野くんがそれを見て、待機列のほうに行きかけて、止まって、走って戻ってきた。このノリ、前もあったような。


「佐藤さん、なんか一言」

「……えっと」


 瀬野くんのリボンが風でひょこっと動く。可愛いはちまきリボンとよく似合う格好良い紫T、体育祭欲張りセットにあと一つ。


「か、活躍する瀬野くんも見てみたい」


 目の前にある唇が緩やかに口角を上げた。お手本のようなニヤリとした顔。


「仰せのままに」


 瀬野くんの少し低い声で、ふわふわ気分がさらにふわふわしてくる。夢心地ってこういうことを言うのだろうか。


 二年の騎馬戦に続き、三年のムカデ競争後の団別リレー。さらに、リレー優勝団と教職員によるエキジビションマッチのリレー。

 騎馬戦でも二つのリレーでも、瀬野くんは持ち前の運動神経を存分に発揮して注目の的になっていた。これには私も星五つ。リピーターになります。



 しかし、目で追いかけるリボン頭の後ろ姿は既視感があった。モヤモヤ考えた末、閉会式直前になってようやく気が付く。

 そっか、桜葉さんの借り物の相手って瀬野くんだったんだ。


 そのとき天才の私は、瀬野くんの考えごとが何だったのか、わかってしまった。瀬野くん、桜葉さんと橘さんで悩んでたんだ。二人から告白されて選ぶ側も困るはずだ。だって、二人とも可愛いし、良い子そうだし。


 ふわふわがスッと醒め、手に持つスマホがずんと重くなった感覚がした。

 相も変わらず瀬野くんの周りには女子ばっかり。私もただのその一人。

エリック・サティ

ジムノペディ第一番

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