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15 八月 朝焼け

 連日引き籠もりニートごっこを楽しむ私は、気になっていた映画を見たり、積み本を読んだりして過ごしている。なので、物語の世界に没頭して時間感覚が歪みに歪んだ。

 体内時計が乱れ狂い、昼夜逆転生活が続く。そんな風に日々を浪費し、夏休みはあっという間に終わりを迎えようとしていた。



 今日も日付けが変わる頃に長い長いお昼寝から目覚め、深夜に放送していた映画を一本見て、感動でぐずぐずしながらお風呂に入っていたら、夜明けを迎えていた。


 タオルで髪を拭きつつ、空腹を満たすために冷蔵庫を物色。気分的にはアイスが食べたい。けれど、アイスはなかった。もうアイスの口になっているのに。

 私は泣く泣く旅に出ることにした。アイスを求めて三千里。テレビの天気予報がお知らせする本日の天候は、雲一つない快晴とのこと。良き良き。

 身軽な服装に着替えてドアを開けると、ひんやりした夜の風がまだ僅かに湿っている髪を撫でた。


 すぐさま食べたかったので、コンビニで選んだアイスはクーリッシュ。バニラ味はさっぱりしていて美味しいけれど、もっと幸せな味のバニラアイスがあった気がする。どこのアイスだったっけ。

 考えているとなんとなく散歩がしたくなって、そのまま家と逆方向に歩き出した。



 いつもの町は時間が違うだけで異世界に変貌する。

 車がほとんど走っていない大通り。人が誰もいない歩道。まだ開いてない行列のできる人気店。町の全てはぼんやり照らす外灯と薄明るい空の下で、無色無音のまま静かに止まっている。

 ふと日が昇っていない空を何気なく見上げた。


「……綺麗」


 ぽつりと声が漏れた。

 ひとけがない町中の、建物の間から見える東の天上。朝を呼び起こす赤紫の光が、夜の眠りゆく白い薄明の空に溶けだしている。美しい朝焼け。


 伝えたい。


 空にスマホをかざす。手が自然と動いていた。私が見ているこの世界を、小さな機械で一瞬だけ切り取って、永遠に閉じ込めてしまおうと思ったのだ。

 しかし、レンズ越しの風景は建物は真っ黒で空は真っ白、一部だけがやや薄紅色。こんなのじゃない、自分が見ているものはもっと色鮮やかで雄大で。私は見たままを伝えたいのに。


 カメラの設定を試行錯誤しているうちにも、空が淡い水色から鮮やかな青へ、徐々に変化していく明け方の十数分。

 刻一刻と姿を変容させていく朝の空は、多分毎日だって見られると思う。でも、全く同じになることは二度とないはずだ。つまり、これは今だけしか見られない。


 今この瞬間、隣にいたらいいのに。



 ほんのりと熱を帯び始めた空気、じんわりと額に浮かぶ汗。青空を背負う建物の隙間から顔を覗かせて、眩しい朝日が一日の始まりを告げる。

 ようやく撮れた空の写真。被写体は朝焼けではなく朝日になってしまったけれど、太陽から溢れる光で生じたフレアが良い味を出している。自分にしては頑張ったと思う。ほとんど溶けたアイスを飲んで自画自賛。

 その写真を、指が勝手に瀬野くんに送っていた。


 あ。


 ハッとした。きっと瀬野くんは反応に困る。だって、こんな時間にこんな写真を、しかも、メッセージのやり取りを始めるのはいつだって瀬野くんのほうからなのに。

 急いで送信取消をしようとしたら、なんと既読がついてしまった。ぽすっ、ぽすぽすっとメッセージが届く。


『おはよ

 写真きれあ

 きれい』


 普段の通りの返事に、ほっと胸を撫でおろす。


『おはよう』

『これどしたの

 佐藤さんがとったの?』

『さっき撮った』

『上手すぎだろプロ?』

『そうだよ

 知らなかった?』

『佐藤さんあんま写真送ってくれねーもん

 もっと送れ』


 ふむ、良かろう。命令通りに失敗写真を送りつける。

 ホワイトバランスの調整に失敗して朝日が爆発していたり、世界の終わりみたいな真っ暗になっていたりする、自慢の写真たちを。


『すげー斜め上のやつきたな

 これ撮ったのほんとにプロ?』

『これはアマチュア

 最初に送ったの撮った瞬間だけプロだった』

『あれまじ神々しいもんな

 ご利益おすそわけしてくれた感じ?』


 無意識の内に瀬野くんへ写真を送ってしまった理由とは。トークを見返して、送られたメッセージを見つめた。一番最初は、朝の挨拶と写真への褒め言葉。心がぽかぽかした。

 きっと自分は、自分が美しいと思ったものをこの人と共有したかったのだ。


『ただ瀬野くんに見せたかった感じ』


 既読がついたのに、ぽすぽすきていた返事が止まる。

 次の瞬間、スマホが震えた。通話だ、通話。私は慌てて応答した。


「お、はよう?」

『おはよ。ごめん、電話かけてよかった?』

「全然大丈夫。お散歩中だし」

『おお? 引き籠もりがこんな時間になんで』

「アイスを求めて三千里」

『アイスへの熱意がすげえ』


 瀬野くんがくすくすと笑う。

 そして、間を置いてから少し低い声で尋ねてきた。


『で、会いたくなっちゃったんだけど、今どこ』


 周囲を見回す。

 朝焼けを眺めながら、不思議な世界に迷い込んだ自分は当てもなく歩いていた。写真を撮って、歩いて、撮って歩いて。その間ずっと頭の片隅で思い浮かんでいたのは、美味しいバニラアイス。

 家から離れた場所なのに、いつの間にか辿り着いていたここは、白壁に蔦が巻きついているおしゃれなカフェの前だった。


「せ、瀬野くんのバイト先」

『……お互い様かよ』


 晩夏の日光に照らされ色付き始める町は、セミの声が鳴き響き、暑く、熱くなっていく。



 まだ開かないカフェの前。ガラスの反射を見て、到底桜葉さんにも橘さんにも届かない格好をしてる自分に気付いた。人に会うつもりじゃなかったからだ。お風呂上がりで寝癖がないのが唯一の救い。

 身嗜みを整えていると、瀬野くんが自転車を飛ばしてやってきた。汗だくの姿は私と同じく軽装なのに、瀬野くんの服は全部良いものに見えた。


「あちー。なあ、アイスもう食べた?」

「食べたけど、おかわりいけるよ。まだ晩ご飯食べてないから」

「おい生活リズム。じゃあパピコ分けっこな。コンビニ行こ」

「うん。ねえ、ついでに日光浴もしとく? あ、光合成だっけ」


 瀬野くんは驚いたように目を瞬かせたあと、破顔した。「俺も今年はまだそれやってねえなー」と言って。

 なんだ、結局あのときは行かなかったんだ。


 気温の上昇を感じつつ、同じアイスを食べながら、町中から海岸沿いに向かう。

 温かい風とともに入道雲を背負う涼しげな海を一望。自転車を置き、サンダルを脱いで裸足で歩く砂浜の水際。海水は冷たくて気持ちよかった。


「なんで瀬野くん起きてたの」

「課題で徹夜」

「え、夏休みの? 課題やってるんだ」

「やらないとどっかの誰かさんに不良って言われるんで」


「つか、佐藤さんだって不良じゃない? 引き籠もりだし登校日サボるしー」

「そ、それはメッセージでも言ったけど、起きたら夕方だったの。不可抗力」

「学校くらいちゃんと来てくださーい。マジでそんなんで新学期行けんの」

「私の家、お母さんっていう最強の目覚ましが搭載されてるから。寝坊なんてしない」


「そういえば瀬野くん、学校は寝坊してるけど、バイトのときはどうなの」

「給料発生する仕事だし、俺だってその程度わきまえてるよ」

「早起きできるなら学校も余裕もって来たらいいのに」

「学校のために早起きはキツくね? モニコプリーズ」


 二人で夏休みの課題の量の多さを笑って、私が忘れていた登校日の話をし、学校が早起きに値するかの会議をした。

 他にも、瀬野くんがバイト中に上達したラテアートの話、私のお気に入りの兄の少年漫画の話、写真に撮り損ねた朝焼けの話とかも。

 会話が絶えることはなかった。



 人々が活動しだし、ようやく町が動きだした頃に、瀬野くんに送ってもらって家に帰った。ベッドにダイブして今年の夏休みを思い出す。


 美味しいバニラアイスを食べて始まった夏休みは、今までにないくらいメッセージを送り合った。基本文字だけ、時々画像と動画。くだらない話を夜遅くまで続けたり。稀に出た外では、おしゃれなカフェで恋愛話をしたり、花火見ながら電話したり。そして、誰もいない朝の海辺を歩いて終わった夏休みだった。

 遥菜や野乃ちゃん、兄と一日中遊んだりもしたのに。素敵な物語と出会ったりもしたのに。記憶に強く残っているのは瀬野くんとの出来事ばかり。


 佐藤絢理が瀬野慧斗に対して抱くこの感情は、友だちへの正常な思いだろうか。これは本当に友情なのか、あるいは。

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