11 七月 アイス屋さん
一学期終業式の日。明日からは、待ちに待ったみんな大好き夏休み。連日の登校のための早起きや毎回出されるたくさんの課題から、一時解放されるのだ。
放課後の教室には高揚だけが残っていた。まるでライブ終了直後の会場である。アンコールは誰もしてないし、するわけないけど。
遥菜に誘われて、野乃ちゃんを含めた三人で、帰り道で寄り道することになった。廊下を通っていると、C組から辰巳くんが遥菜に声をかけた。
「あ、遥菜。今日部活ねえの? もう帰り? ちょっと待って俺も」
「今からアイス屋さん行くの、駅近くにできたとこ。優吾も来る?」
「行く」
光速で良い返事がきた。しかし、一歩廊下に出て足を止める。私と野乃ちゃんを見て、喜一色だった顔がやや曇った。
「おー、レディーたち」
「なあにその顔。あ、辰巳は遥菜ちゃんと二人きりが良かったの?」
「や、まぁ。他のジェントルマン呼んでいいっすか? ボク一人だと寂しいんで」
「いいよーん。他に誰か来るー?」
遥菜がC組に残っている人たちを誘う。こういうとき、顔が広いと誘いやすそう。
私はやることがないので、スマホでアイス屋さんのSNS投稿写真をチェック。たぷたぷスクロールしながら見ていたら、野乃ちゃんにほっぺたをむにむにされた。
「絢理ちゃんすべすべもちもちだねえ」
「ひえー。野乃ちゃんに遊ばれるー。あ、見てこれ美味しそう」
「可愛いね、それ! 夏ミカンだー」
「どんなアイス?」
スマホを覗き込む頭がひょこっと一つ増えた。私とゆるふわピンクブラウンに加えて、黒のさらさら。瀬野くんだ。
画像をタップすると、カップに薄切りオレンジが刺されている美味しそうな果肉入りミカンアイスが拡大された。まさに垂涎ものの一品。
「あぁ、オレンジおばけ好きそうだな」
「絢理ちゃんはこっちのバニラも好きそう」
「どっちも好きー。どっちも食べたーい。遥菜早く行こー」
「おけおけ。他はもう来ないー?」
教室にまだ残っているのは、瀬野くんの友だちや桜葉さんたち。遥菜の呼びかけにニコニコと手を振って「俺らは遠慮しておきまーす」と言う。そんな、たくさんいたほうが楽しいのに。
アイス屋さんまで歩く炎天下。
瀬野くんは自転車通学なので、みんなの何も入ってない空っぽの鞄をカゴに置かせてくれた。ちょんと触ってみた黒のサドルは熱した鉄板並の温度で目玉焼きが焼けそうだった。
私たち人間も黒いアスファルト上で焼かれるタンパク質である。目玉焼きと同じ末路を辿るのも時間の問題だ。
おでこの汗を軽く拭って、隣の瀬野くんに話しかける。
「たまごって何度から固まるんだろう」
「黄身と白身で温度違うだろ、多分」
「あー、そっか。白身のが固まるの早そう」
「どうだろ。温泉たまごは黄身から固まるよな。茹でたまごは水沸騰させるから百度だとして、温たまは低温調理って聞くから温度差が」
適当に振った話題が思ったよりも難しくなりそうだ。科学的な話はわからないし、そもそもそこまでたまごに興味もない。どうして私はたまごの話をし始めたのだろうか。
しかし、たまごといえば。私の中にいたずら悪魔が舞い降りた。
瀬野くんでちょっと遊んでみよう。まだたまごの凝固温度について考えている時代遅れな瀬野くんを、にんまり見上げる。
「瀬野くん瀬野くん」
「ん?」
「黄身と白身、どっちが好き?」
さあ、これで黄身と答えようものなら、『キミが好き? 私のこと好きなんだー?』とからかってやるのだ。白身と答えられたら、普通にたまごの凝固温度の話に戻ろう。いざ、返事は。
瀬野くんが親指をクイッと私に向けた。
「お前」
え。その答えは想定してない。きょとんとしていると、瀬野くんがふはっと笑った。
「キミって言わせたかったんだろ。お望み通り答えてやったけど?」
「なっ。そ、それはつまり、私の魂胆はすけすけだった?」
「まぁ。前にもこの手の話されたことあるし、佐藤さん顔わかりやすすぎて」
そうかな。野乃ちゃんに引き伸ばされて表情筋が柔らかくなってるのかも。ともかく、瀬野くんお遊び計画は大失敗だ。今度はもっと上手くやろう。新たな決意を胸に私の挑戦は続く……!
瀬野くんは片手で頭をかき、片手で自転車を押すという器用なことをやってのけながら聞いてきた。
「で、この質問の意図はなにゆえ?」
「からかってみただけ。ごめんね」
「ひどーい。ボクの純情もてあそばないでくれます?」
「純情な人はちゃんと黄身か白身で答えます」
「じゃあ、どっちもどっちってことで。俺らお似合いですね」
そういう否定も肯定もしづらいこと言わないでほしい。返す言葉が見つからない。ふいっとそっぽを向くと、隣からくすくす笑う声がした。
辿り着いたアイス屋さんで画像通りのアイスを手に入れた。遥菜の自撮りにさりげなく入れられ、とりあえずいえーい。
建物の影に設置されていた丸テーブルをみんなで囲み、一休憩。
「絢理ちゃん、交換しましょ。はい、あーん?」
「んーっ、イチゴあまーい。美味しー」
「いいな、いいな。私にも一口ちょうだい」
野乃ちゃんと遥菜とシェア。遥菜のにはパリパリチョコが入っていて、これまた美味しい。三人でニコニコしていると、男子のほうから苦笑いが聞こえてきた。
「女子たちは仲良いなー。俺らも親睦深めちゃう?」
「もう十分深いからいい。やりたいなら鈴井さんとやってろ」
「同じ味だからって断られたんだよ。えーん」
なんてわざとらしい嘘泣きなんだ。辰巳くんの演技を哀れんだ遥菜が、仕方なく辰巳くんとアイス交換する。辰巳くんは大変わかりやすく、ご満悦のご様子になった。ちょろワンコだ。
こういうの、いいなって思う。遥菜が鈍感すぎてなかなか気付いてもらえてないけど、辰巳くんの遥菜への好意はダダ漏れで。遥菜もなんだかんだ辰巳くんに甘くて。
私も去年までは愛しの兄と相思相愛だったのに、今年から仕事という名の恋人に奪われた。その喪失感のせいか、余計に遥菜たちが羨ましく感じる。いいな、いいな、いちゃいちゃする相手がいていいな。
話題は変わって夏休みの内容に。適当に相槌を打っていると、椅子の肘掛けをトントンされた。瀬野くんだ。ミルクバニラアイスの乗ったスプーンを差し出してくる。
「俺らも友だち。交換しましょ。はい、あーん?」
口元にスプーンが迫ってくる。つい、ぱくり。濃厚ミルクバニラがなめらかに口の中で溶けていった。なんと甘美な。
「お、美味しい……! ありがとう」
「これでどっちも食べられたな。おめでとう」
優しい声と一緒にニコニコ笑う。瀬野くんってこういうの誰にでもしてたりするのかな。だから慣れてるのかな。勝手に私ばっかりドキドキしてしまっている。
深呼吸して、なんでもないように返す。
「ごめん。私のアイス食べ終わったから交換できないや」
「別にいいよ。俺的には満足だし」
「そうなんだ。少食なの?」
「いや、そういうわけじゃ」
「ねえ、絢理は……あれ、ごめん。なんか話してた?」
遥菜がスマホから顔を上げた瞬間、辰巳くんが遥菜の目を隠し、じとーっとした目でこちらを見てきた。
「え、優吾なになに」
「遥菜は見ちゃいけません」
「なに、絢理たんなんかしたの」
「あの人たちはな、大罪人なんだよ。公然わいせつ罪してた」
「し、してないよ。冤罪反対」
間髪入れずに否定したら、視界の隅で瀬野くんが小さく笑った。
「そうだよな、佐藤さんにとってあの程度は普通のことだもんなー」
「いやそれは、あー……」
どっちに転んでも墓穴を掘る気がする。瀬野くんがにまにましているので、下手なことを言うと遊ばれそうだ。今日は遊ばれてばかり。
なんとかしなければ。遥菜と野乃ちゃんのほうを向く。
「ええっと、それで何の話だっけ」
「夏休みの話だよー。絢理ちゃんは何するのー?」
「多分、いつも通り」
「またぁ? 今年は生活リズムちゃんとしてよ、絢理たん」
「そうだよ! 野乃の家でお泊まり会するんだからね!」
「はーい」
約四十日にちも渡る長いようで短い夏季休暇。舌に残るほのかなバニラ味を感じながら、私たちは心躍る夏休みを迎えた。
 




