無銭宿泊と皿洗い
「あの親父……怖かったわね。」
「ああ……。」
「きっと前世は魔王だったに違いないわ。」
「ああ……。」
「ねえ、そこの布巾とってよ。」
「ああ……。」
俺とコレットの間に、カチャカチャと皿を洗う音が響く。俺は手際よく、家でもそうしていた様に皿を洗う。洗った皿をコレットがぎこちない手つきで拭いていた。
俺たちは今、皿を洗っている。
何のために洗っているかって……? そりゃあ、宿代を稼ぐためだ。
えっ、誰の宿代かって?
そりゃあ、俺の分は払ったのだから、当然コレットの分だ。
何で俺がコレットの宿代を稼いでいるのかって?
それは、あれ……なんでだろう??
「なあ、コレットさんや。」
「なによ、いきなりさん付けで……気持ち悪いわね。」
「どうして、俺は皿を洗っているんだっけ?」
「バカね、そんなの宿代を払うために決まっているじゃないの。レンは、頭がおかしくなったのかしらね。頭はイカれても良いけど、手はキッチリ動かしなさいよ!」
俺の額に青筋が浮かぶ。
「なあ、コレットさんや。俺は誰の宿代を払うために皿を洗っているんだね?」
コレットが固まる。ここまで言ってようやく俺の言いたい事に気付いたらしい。冷や汗をかきはじめた。
「あ、あたし達の宿代よ……。」
「へー、そーなんだ。でも、おかしいなあ。俺は昨日、自分の宿代は払ったんだけどなー?」
「た……足りなかったんじゃないの?」
プチンッ! と頭の中で何かがキレる音がした。
「ふざけんなよおおおーー!」
このバカ女神は、本当に腹が立つ。もっとこう申し訳なさそうにしたり、素直に謝ったりすれば、可愛げもあると言うのに、何という太々しさだろうか。
もう付き合っていられん。勝手にのたれ死ねば良い。俺はコレットに背を向けて洗い場から出て行こうとする。
「待って、待ってよおお。あたし一人でやらせる気!?」
「金を稼ぐ大変さを思い知るが良い!」
くるりと上半身だけ後ろを向いて、吐き捨てる。こいつは苦労と言うものを知った方がいい。そもそも、一緒に皿を洗っていたが、仕事量が平等じゃない。俺が洗って拭いた皿の数よりも、コレットが拭いた皿の数の方が少ない。
拭くだけなのに、俺よりも少ないのは許しがたい。これじゃあ、俺がこいつの宿代を、稼いでいるに等しいじゃないか。
「い、良いのね?」
「なんだよ、負け惜しみか。」
「あたしが一人でお皿を洗ったら、どうなると思うの?」
なんだこいつ、突然何を言いだすんだ? こいつが一人で皿を洗ったら、そりゃあもう遅いだろう、朝までかかってしまうかもしれない。
「何が言いたいんだ。お前が一人で皿を洗ったら、随分と時間がかかるだろうが、それが、何だと言うんだ。」
「遅いだけじゃ無いわ。あたしは、その、ぶ……不器用だから。」
自分で自分のことを不器用というのをプライドが許さないのか、発言がもどかしい。結局のところ、何が言いたいのか、分からない。
「ああ、皿を割るかもしれないな。だが、それが俺に何の関係があるって言うんだ。」
「ふっ、バカね。皿を割ったら、怒られるじゃない!」
「お前がな。」
癪に触る嘲笑を浮かべるコレット。このバカは何を考えているのか……聞きたくないが、放っておくのも危険だ。
「ふふん、あたしのこの姿。ち……ちいさな……子供じゃない。レンよりもね。」
小さなの部分がかすれそうなほど小声だった。コレットの言葉を考えてみる。小さな子供、俺よりも……あー、まさか。
「あたしとレンは同じ客として見られているのよ。あたしが何を言いたいのか分かるかしら?」
……こいつ、最悪だ。自分の不手際を俺に押し付けようとしてやがる。仮にここで俺が離れたら、こいつはやりたい放題だ。
皿を割りまくった挙句、俺に強制的にやらされたと言って、店主の同情を誘う作戦に出るかもしれない。コレットの見た目は強烈だ。いたいけで繊細な少女に見える、外見だけならば見えてしまうのだ。しかも、俺が洗い場にいない事で、言い訳の使用も無くなる。
そうなると、俺は怒り狂った店主にどんな目にあわされるか……。幼女と俺の言い分、どっちが勝つかは自明の理だ。コレットは俺の冷や汗に、満面の嫌らしい笑みを浮かべる。
「あたし、割るわよ?」
俺は無言で踵を返すと洗い場に戻った。こいつは神は神でも、厄病神だな。ついでに貧乏神も兼任しているに違いない。
「レン、今失礼なこと考えたでしょ。」
「コレットの存在ほどじゃないさ……。」
「それ程でもないわよ。」
俺が再び皿を洗いはじめたことで、ご満悦なのか嫌味は軽く聞き流された。しかし、ふと気づいたことがある。
「ってか、おまえって心読めるんじゃなかったっけ? 俺が何考えたかなんて、すぐにわかるんじゃ?」
「あー、うーん、あのね。あたしの力は置いてきちゃったって言ったでしょ。だから、今は読めないのよ。本当に不便だわ。」
バツが悪そうに、皿を拭くて手に力を込めるコレット。……頼むから割るなよ。
「ちなみに、今のおまえは何ができるんだ?」
「えっ、あたしに出来ること? うーん、うーん、お皿洗い……とか?」
「それだって、満足にできてないだろうが……。」
そうこうしている内に、食堂の皿は全て綺麗になっていった。やらされた事ではあるが、物が綺麗になると言うのは悪い気はしない。量も多かったので、達成感も湧き上がる。
「やったな。」
「ええ、やったわね!」
コレットが飛び跳ねて喜ぶ。まあ、その無垢なかわいさに免じて仕事量の差については目を瞑ろう。たとえ、俺の十分の一の仕事量だったとしてもだ……。
ちょうど、その頃に洗い場の扉が開いた。
「お、終わったか。中々早いじゃないか。」
宿屋の店主だった。コレットはすっかり店主が怖くなってしまったのか、俺の後ろにささっと隠れた。なんというか、こいつは命の危機になったら味方を踏み台にしてでも生き残ろうとするに違いない。
「ほー、しっかり綺麗になっているな。結構な量だったから、サボってんじゃねーかと思って見にきたが、大したもんだ。」
店主は俺が洗った皿を見て唸る。伊達に家事手伝いは得意じゃないぜ。何なら料理だって作って見せても良いくらいだ。俺は褒められて、誇らしい気持ちになった。
「しかし、こっちのは綺麗だが、まだ濡れてるな。後半は疲れちまったか? まあこのくらいなら、すぐに乾くだろう。」
コレットが拭きあげた皿のあたりを指差して、店主が評価を下方修正した。もどかしい。俺の完璧な仕事にケチをつけられだ様な気分だ。当のコレットは俺の後ろで、ホッとした様な表情をしているのが腹立たしい。
「あの、これで宿代は大丈夫でしょうか……。」
店主は顎に手を当て、唸りながら考える。快諾されないと言うことは足りないと言うことか。それはつまり、まだ他にも仕事をしなければいけないのだろうか。客室の掃除とか、料理の下ごしらえとか、洗濯とか。
まあ、100歩譲って、それは良しとしよう。だけど、コレットと一緒にっていうのは願い下げだ。どうせまた、俺の方が多く働く羽目になる。一緒に働くと疲れるが、かと言って遊ばせておくのも癪に触る。なんだか、考えているだけで目眩がしてきそうだ。
「あー、まあ、足りないっちゃ、足りないけどよ。今回は特別だ。おまえらが一生懸命に頑張ったから、これで良しとしよう。」
俺の表情がどんよりと暗くなっていくのを見て、店主は何か思うところがあったのだろう。たぶん、それは俺の懸念とは別の事を想像してだろうけれど。
「やった、本当に良いのね! ありがとう、おじさん!」
後ろに下がっていたコレットが安全を確認出来たらしく、全力で前に出てくる。満面の笑みは、それはもう愛らしく、店主もほっこりとした表情になる。まあ、このかわいさで仕事が免除されたとあれば、溜飲も下がるというもの。
いや、待てよ、そもそも俺が働かさせられたのは誰のせいだったか……。あぶねえ、危うく俺も、この笑顔に騙されるところだった。
「よし、おまえら二階に戻って休めよ。それから、残りもんだがこいつもくれてやる。うちの食堂の賄いはうめーぞ!」
「わーい、ありがと!」
「ありがとうございます。」
美味しそうなお土産までいただいてしまった。宿代には及ばないと言った割には、大盤振る舞いだ。「もう宿代、ちょろまかすんじゃねーぞ」とにっこり笑って、俺たちを解放した。
「ふん、チョロいわね、あの親父。私の魅力に鼻の下を伸ばしちゃって。」
「おい、廊下でそういう事言うなよ、聞こえるだろうが! ってか、廊下じゃなくても、人としてそういう事言うな。」
と言うか、鼻の下を伸ばしていたと言うのとは違う気がするが、こいつに女としての魅力はない。
コレットは俺の言葉に耳を貸すはずもなく、既に意識は渡された包みに釘付けだ。まあ、俺も今更、こいつが人の注意を聞くとは思っていないので、さして気にしない。
「どうでも良いけど、2個とも食べたら、マジで怒るからな?」
「や、やだわ。レンったら、あたしが、そんなはしたない真似するわけないでしょ……。」
そう言って、コレットは残念そうに包みを一つ袋の中にそーっと戻した。まったく油断も隙もあったものではない。
その後、一つしかないベッドを取り合って喧嘩して、また店主に怒られて、俺たちは仕方なく一緒に寝ることにした。今日はとにかく疲れた……。
明日は、冒険者ギルドに行ってみるか。
金もなくなってしまったし、稼がないとな。
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