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作者: 千百

 子供の頃、留守番などで家に一人でいると、どこからともなく妖精がやってきて、遊んでくれることがあった。妖精といっても深雪が勝手にそう思っているだけで、姿かたちや服装も、幼稚園に通っているような普通の子供だった。身長はせいぜい着せ替え人形より少し大きいくらいで、背中にカゲロウに似たごく薄い羽根が生えていたので、深雪は自然と、ああきっとこれは妖精なのだと思うようになった。



 彼らはいつも三、四人で、箪笥の裏などからふらりと現れては、おしゃべりをしたりおもちゃで遊んだ。だが大人が帰ってくる頃合いになると、来た時と同じようにさりげなく消えていくのだった。深雪が一人ぽつんと取り残されていると、決まって玄関の鍵の開く音がして、家の誰かが戻ってきた。


 深雪には、中でも一人、とくに仲の良い妖精がいた。名前は、あっちゃんだったと思う。おかっぱで、頬のぷっくりした女の子だった。他の妖精たちはしゃべるのに、あっちゃんだけはしゃべらなかった。深雪が話しかけても、いつもはにかんだような笑顔でもじもじとしているのだ。だが、それでも不思議となんとかなった。あっちゃんだけは、一人で遊びに来ることもあった。そんな時はままごとをしたり病院ごっこをしたり、言葉は交わさなくても、二人して夢中になって遊んでいた。




 小学六年生の冬、深雪はインフルエンザにかかった。それまで風邪らしい風邪もひかず、寝込んだことなど一度もなかったが、その時は酷かった。横になっているだけなのに、天井がぐるぐると回った。何か食べるなど、考えただけでぞっとした。水を飲んだだけでも吐いた。母が看病してくれたが、その母もやがてダウンした。共倒れだった。つきっきりでそばにいたのだから、当然のことだった。そして思い返すと恐ろしいことに、別の街に住む祖母が助太刀にやって来た。そして深雪と母の看病、それに父と弟の食事や洗濯などこなしながら、しばらくうちに滞在していた。



 熱が峠を越え、少しずつ食事が喉を通るようになった頃、あっちゃんが一人でやって来た。母は別の部屋で寝ていた。祖母もちょうど台所に立っていて、深雪は部屋に一人だった。あっちゃんは、昼間から布団をひいて横になり苦しそうにしている深雪を見て、目を丸くして驚いていた。そして祖母がおじやを持って上がってくるまでの間、ティッシュの箱に腰かけて、心配そうな顔で深雪をじっと見つめていた。


 ノックの音が響くと、あっちゃんはためらわずにティッシュ箱の後ろに飛び下りた。深雪は、あっと声をあげた。

ドアを開けて部屋に入りかけた祖母が、ぴたりと足を止めた。そして一息ついてから、気を取り直したようにあらためて部屋に入り、ベッドのそばの椅子に腰を下ろした。


「誰かいたのかしら?」


 問い詰める調子は一切なく、いつもの優しい祖母だった。だが深雪は黙ったまま、小さく頭を振った。話してみたところで、熱に浮かされた幻覚と思われるのがオチだと思ったのだ。祖母は、にっこりとうなずいた。なんだか、すべて見透かされているようだった。それでも、久しぶりに食べたおじやはとてもおいしかった。



 祖母は、その翌年の夏に亡くなった。中学の入学式に来てくれたときは元気だったのだが、五月の連休に体調を崩して入院し、そのまま弱っていった。祖母は山奥の病院に入院した。病室のベッドに横になって眠る痩せた祖母が、窓の外のうるさいほどの蝉時雨の中、病院を取り囲むようにして生えている背の高い杉に見守られ、記憶の中で不吉なほど鮮やかに浮かび上がっていた。深雪はもうその頃には、妖精を見なくなっていた。

祖母はそのまま、秋にかかるころのある夜、静かに息を引き取った。




 朝、深雪がいつものように出勤すると、デスクの上に封筒が置かれていた。先日受けた健康診断の結果だった。カバンを置き、封筒に手をのばしかけた瞬間、書類のファイルのうしろに、さっと駆け込む影があった。ネズミかと思ったが、のぞいてみても何もない。気のせいかと思い直し、結果表を取り出したところで、ファイルの陰から小さな人影がのぞいた。あっちゃんだった。深雪は目を疑った。小学生の時以来、もう何年も思い出すことのなかったあっちゃんが、今目の前に笑って立っていた。


 あっちゃんは当時と変わらず、可愛らしい、小さな女の子のままだった。ファイルの後ろからちょこんと顔をのぞかせ、にこにこと手を振っている。深雪があっけにとられているうちに、あっちゃんはまたデスクの裏側に消えていった。


 封筒には、再検査の案内が入っていた。深雪は無感動に目を通すと封筒ごと書類を鞄につっこみ、仕事にかかった。

昼休みに入ると、見計らったようにデスクの上の内線電話が鳴った。会社の保健師からだった。なるべく早く、できるなら今日の午後にでも、休みをとって病院に行くようにという電話だった。うわの空で保健師の話を聞いていると、ファイルの後ろからあっちゃんがぴょこんと頭を出し、くすくすと笑っているのが見えた。それはとてもかわいらしい、懐かしい笑顔だった。


「そうですか。じゃあ、部長にかけあってみます」


「そうしてください。保健師にせかされたって言っていいので」


「そんなにやばいんですか」

 

少しの沈黙があった。保健師は、表情のない声で言った。


「とにかく、早く再検査ですね。心配事は、早めにつぶしていきましょう」


 電話はそれで終わった。あっちゃんは、バイバイと口を動かし小さく手を振ると、またどこかに行ってしまった。深雪はふたたび、春休みのオフィスの静けさの中に取り残されていた。

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