〜プロローグ〜
私は薄暗い病室にいる。静かに心電図の無機質な音が響いていた。ベッドに横たわる老婆と、すすり泣く若い男性。もう何十年もこんな光景を見て来たが、やはりこの時間は耐えられない。同期は皆もう慣れたといっているが、私は今でも胸が痛み、無力な自分を呪ってしまう。
「母は…もうダメなのでしょうか…」
男は泣きながら消え入りそうな声で呟いた。
「最後に…最後に一度だけ母の声が聞きたい…」
老婆の容態から見ても、恐らく男の声は届いていないだろう。だが私はどうしてもこの男の願いを叶えたい。また今回もか…そう思いつつ、私は左手の小指で老婆の頬に触れた。すると、死の淵にいるはずの老婆はゆっくりと目を覚まし、ゆっくりと男に顔を向けた。
「母さん…?母さん!!?先生!母さんが!」
目を覚ました老婆は、今度はゆっくりと私の方に目を向け、指を指し、今にも消えてしまいそうな声でこう言った。
「武…この人は誰だい…?」
「何言ってんだ母さん、今まで世話になった先生だよ。」
「いや、違う…後ろにいる…黒服の…」
「え、誰もいないよ…か、母さん?母さん!?」
タイムリミット。
これ以上は持たない。私は右手の小指で老婆の頬を触った。
静かな病室に、嫌気がさすほど長い電子音が響いた。
「母さん!!…母さん…!」
医師はすぐに脈を確認し、ご臨終です。と無愛想に告げた。病室には男の泣き叫ぶ声が響いていた。
やはりこの仕事は嫌いだ。どうしてもこの時に慣れることはできない。しかし、自分の犯した過ちを償うため、私はこれからも続けていかなければならない。
この死神職を。