雄一の場合
とてもお見苦しい文章ですが、読んで頂けると幸いです。
北には山がそびえ立ち、南は太平洋に面したこの街の沿岸部にひとつだけ、使われなくなった古いバス停留所がある。そこから急勾配の坂道を登りしばらくすると商店街があり、その向こうには宮ケ原高校がある。
高校の屋上へ登るとこの街を一望できるくらい小さい街である。
木々は茜色に染まり、実りの季節を感じさせる。
雄一はそんな風景を眺めながら、物思いに耽っていた。というのも、雄一はいじめにあっているのだ。
漫画やドラマでよくあるパシリや暴力ではない。
本当のいじめは、人の尊厳や人権を意図的に貶して嘲笑うものだ。
分かりやすい言葉では責められない。遠回しにジリジリと陰湿な態度で責め立てられ、クラスの輪からズレて行かざるを得ないように仕組まれる。
これが現代のいじめだ。
しかし、必ずしも誰かが悪いとは限らない。現代のいじめ理論(主に雄一自身の)は、意図的に発生することは稀で様々な要因が連なり偶然起こる場合が圧倒的に多い。
これは、人間の何か異質なモノを排除しようとする心理が働く為ではないか。
雄一は、チャイムと同時に我に返ってホームルームへと向かう。
クラスの連中がざわついていた。その理由は、席替えイベントを開催していたからに他ならない。
自分の席に座ると、隣に知らない女の子がいた。
彼女の名前は河本理恵。
『雄一くんだよね、よろしくね。』
気さくに話しかけてくれた彼女は、とても眩しい人に思えた。
河本理恵は、人気者だ。
誰にでも友好的で学業は優等生でありながら、不良連中とも上手く付き合える器量がある。陸上部に所属し、短距離ではそこそこ優秀な成績らしい。
黒髪のショートヘアーでそこそこ可愛い。
つまり文武両道でありながら、容姿端麗なのである。
数々の男子生徒が交際を申し込み振られている。女子生徒からも人気が高く、男女関係において嫉妬されることは少ない。これは彼女の人徳だろう。
雄一は申し訳なさそうに返事をした。
河本理恵が自分なんかと話をするべきではない、そう考えているからだ。
『なんで授業受けないの?何かあった?私はね、何でも好き、最近は読書ブームなんだ。漫画じゃないよ、文庫本。あーもしかして信じてないでしょ。私だってそれくらい…』
よく喋る理恵を横目に雄一は考えていた。
たまには表舞台に立ちたいと。
周りには理解されなかった自分を彼女ならば受け入れてくれるんじゃないかと。
『本は読むよ。ミヒャエルエンデの童話とか、良かった。』
恐る恐る発言した。
理恵は満面の笑みを浮かべながら
『今度、それ貸してね。』と答えた。
ご存知だろうか。
純粋無垢な子供モモが、時間を徴収する灰色人間と破茶滅茶な死闘を繰り広げるファンタジー童話である。
それくらい曖昧に記憶しているが、子供の頃読んでワクワクしたのを覚えている。
あの時と同じくらい雄一の胸は鼓動を打っていた。
物語が動き出す予兆を確かに感じていたのだ。
帰宅部には帰宅部のルールがある。ホームルームが終わったら、必ず帰宅しなければならない。
寄り道をしようものなら、それは帰宅部とは言えないなどと変わった信念を抱いていた。
『雄一氏、今日も早いな。』
校門で話しかけてきたちんちくりんは、山田である。
同じ帰宅部の同志だが、雄一は山田について名前以外の情報を一切知らなかった。
『山田、お前ちっせえな。』
雄一は山田をからかった。
『いや。俺が小さいんじゃない。世界がでかいんだよ。』
素晴らしい前向き発言だった。
『普通誰かと比較する所を世界ときたか。』
『俺以外の全てがでかいから当たり前だろ。』
『お前のその性格、羨ましいよ。』
スーパーポジティブシンキング。山田は全ての物事を肯定から入る。
損する性格をしているが、雄一はそんな山田を気に入っていた。
『おー、山田と雄一じゃねーか。部活もやらずに帰宅ですか?いい身分だなーオイ。』
テニスコートから野次が飛ぶ。いつものことだった。
久しぶりに不機嫌になった時、
『雄一氏、彼はいい奴だな。いい身分だなんて俺たちをそんな持ち上げなくてもな。』
『ありがとうー、野次の人ー。』
山田はスーパーポジティブに解釈するとお礼を言って手を振った。その姿があまりにも滑稽で、笑いを堪えるのに必死になった。
『やっぱ羨ましいよ。』
雄一はそう呟いた。
疑問符が付いている山田を他所に帰路に立った。
翌朝、例の本を本棚から引っ張り出して鞄に入れると朝食も食べずに家を出た。
堤防から眺めると海の水面がキラキラと輝いている。
ウミネコの声と潮風が気持ちいい。
何気なく咲く植物や風情ある建造物、何もかもが新鮮で価値のあるものに思えた。
登校時刻より早く着いてしまった為、適当にふらつくと、グラウンドでは各運動部が朝練を開始し始めていた。
陸上部に理恵の姿がある。
『これ、昨日話してた本なんだけど…。』
小声で練習してみる。昨日からずっと練習していた台詞だ。
『もっとフランクな感じじゃないとダメかな。』
『これ、例のヤツね。読んでみて。』
『ヨー、コレアレ例のブック、読んでみてヨー』
『コレが例のブツです、サー。』
色々おかしい。
結局素晴らしい台詞が思いつかず、雄一は教室へ向かった。
教室の席に座っていると少しずつクラスメイトから避けられてる視線を感じる。そして不良グループの一人がわざとらしく机にぶつかり、
『おっと、ごめんごめん。』
薄ら笑いを浮かべている。
彼らはちょっかいを出した人の反応を見て楽しんでいるだけだ。
下手に反応しようものなら、つまらない話とかオチを求められ、揚げ足を取られて笑い者にされる。
しかし、奴らはそれを弄りだと主張するのだ。
転倒した机を起こして、散らばった教科書を回収する。
『あーあ、辛気臭くなっちゃったな。弄ってあげただけなんだけどー。』
誰かがそう言ってクスクスと笑い声が聞こえてくる。
堪らず雄一は、クラスを後にして保健室へ向かう。
『朝のワクワクは何処に行っちゃったんだろう。』
何かが胸にチクリと刺さる。
何もかもが嫌になって雄一の思考を停止させる。
雄一は保健室の扉をあけた。
椅子に座る彼女がいた。
『河本、さん、何でいるんだ。』
間抜けな声を出してしまう。
『おっす!いやー朝山田くんとぶつかっちゃって、足を擦りむいちゃった。』
『山田?』
カーテンの奥から声が聞こえる。
『おーまさか雄一氏なのか?そうなのか?心のともよ』ちんちくりんが顔を出した。
『いつ友になった!?』
つい条件反射的に返答してしまう。
『で、君は何があったんだ?目を赤く腫らして…』
心配そうにこちらを見つめる。
しばらく考えたが、この二人にならいじめの話をしてもいいんじゃないかと思っていた。
今までの経緯を客観的に、私情をなるべく挟まずに説明した。
二人とも真剣に聞いてくれていた。
一呼吸置いた後に、山田が発言した。
『そ、それは、雄一氏に恐れを抱いているのか!?そんなに腕を上げて、勇者にでもなるつもりか!?』
山田は何か勘違いしている。どうしてそうなるんだよ。
『ははっ、山田くん、面白いね。』
『ねえ雄一くん、私にいい考えがあるの。本当に今の状況を打開したいと思ってるならだけど…』
数時間後、教室に戻ると不良グループの数人が近づいてきた。作戦通りに行動する。
三時限目の休み時間の終了間際に教室に行き、不良グループを挑発する。台詞はーーー
こほん、と咳払いをして始める。
『あー、いつもちょっかい出してくるのは、寂しいからなんでしょう。それともビビってる?お友達になりませんか?』そしてニヤリを笑う。
(本当にこれで大丈夫なんだろうか。)
すると、不良グループの一人が雄一の胸ぐらを掴み、殴り掛かろうとする。
『てめぇ、調子に乗るなよ!』
どこの世の中も不良のテンプレは変わらない。
少し語彙力を鍛えたほうがいいんじゃないか。
『なんだ、弄ってあげただけなんだけどー。』
笑顔を浮かべながら台詞を読む。
次の瞬間、雄一の身体が机の上に転がり落ち、頬がジンジンと痛み出した。暴力に走ったのだ。
クラスメイトが雄一を心配して近づき、不良グループはたじろぐ構図に変わった。そこに四時限目の細田が教室に来ると問題は表面化した。
その日を境に不良グループの何人かは謹慎処分となり、クラス内の陰湿な雰囲気は崩壊した。
『暴力事件を起こした人物は危険視され、被害者の貴方を擁護する。これで解決?』
こうなるように予めクラスメイト全員を相手にあの短時間で煽動するなんて。この女の人心掌握術恐るべし。
河本理恵には一生頭が上がらないな。
『全く、感謝しかないよ。ありがとな。河本…さん。』
『なんでそんな仰々しいんだよ、山田くんにも感謝しなさいよ。それと、私のことは理恵様と呼びなさい。』
『ああ、河本。』
膨れっ面をする理恵は、可愛かった。
この作戦の肝はもちろん暴力事件を起こすことだが、もみ消されないよう第三者、今回は細田を介入させ、しかもタイミングを殴られた直後にしなければならなかった。
山田はその時間稼ぎを行なったのだ。
『雄一氏、気分はどうだ。』
陰の立役者がやってきた。
『最悪だよ、俺一人じゃできなかったことだ。』
『でも、お前ら…最高だよ。』
この二人となら、何でも出来る気がした。
読んで頂いてありがとうございます。精一杯がんばります。