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子供にはお菓子を、大人にはキスを

作者: マイマイ

 陽が沈み、色とりどりの照明がきらきらと輝き始める時間。

 地下街の狭い通路には間抜けな口を開けて笑うオレンジ色の巨大なオバケカボチャ、作り物の木にぶらさがるデフォルメされた黒コウモリ、魔女に扮してお菓子を配り歩く店員たち。

 ああもう、イライラする。

 あっちもこっちもみんな『ハッピーハロウイン』って。

 オレンジと黒の飾りつけなんてすごく悪趣味。

 いい年の大人まで変な仮装しちゃって恥ずかしくないの?

 なにがハッピーなのよ、ほんと馬鹿みたい。

 通り過ぎていく人々の大半が奇妙な仮装をして楽しそうに笑い合っている中、水月クルミはブスッと黙り込んだままスマホの画面を弄っていた。


 画面の上を、大量の写真が流れていく。

テーマパークのアトラクションを背景に可愛らしくはしゃぐ甥や姪たち、それにクルミの姉3人と幸せそうに笑う両親の顔。

どれも今日撮ったものばかり。

 カメラマンに徹していたせいで、クルミ自身はほとんど写っていないが、そんなことはどうだってよかった。

 下は1歳から上は小学6年生まで大勢の子供たちに囲まれてわいわい騒ぐのは楽しかったし、早くに嫁いだ姉たちや実家の両親と久しぶりに会えたのも嬉しかった。

 でも。

 遊び疲れた子供たちと別れた、ひとりきりの帰り道。

 少し休憩してから帰ろうと立ち寄ったカフェのカウンターで苦い珈琲を啜りながら、クルミはふと心が沈んでいる自分に気が付いた。

 べつにハロウインが嫌いなわけじゃない。

 イライラしているのには、もっと別の理由がある。


『クルミ、もう23でしょう。結婚のこととか考え始めてもいいんじゃない?』

『諒子おばさんから見合いの話が来てるんだ。よかったら会ってみないか』

 別れ際にふと両親が口にした言葉。

 それが頭の中で何度も繰り返されている。

 もう23だって。

 自分の中では「まだ23」なのに。

 友達は独身ばかりだし、全然焦る必要なんてない年齢だと思っていた。

 だけど、いつまでも子供のままではいられない。

 はやく大人になりなさい、と急かされているような気持ちになった。

 クルミには姉が三人いるが、三人とも二十歳になる前に結婚し、一番上と二番目にはすでに五人、三番目の姉は四人の子供を育てている。

 両親も結婚が早かったせいか、いまだに結婚して子供を育てることこそが女の幸せだと頑なに信じている部分もあるようだった。

 一方、クルミはまだまだ結婚に興味を持てずにいる。

 特に子供が欲しいとも思えないし、母親になった自分なんて想像もできない。

 なんだか、ずっと遠い世界の話に思えてしまう。

 現状は誰に迷惑をかけることもなくきちんと働いてひとりで生活できているし、心配される必要なんてない。

 だけどなんだか両親の言葉が胸に引っかかってしまうのは、自分でもこの先のことを考えるとつい不安になってしまうからだった。

 このまま年齢だけを重ねていくと、問答無用に女性としての価値は下がっていく。

 結婚しなかったとしたら、自分に残るものは何だろう。

 さほどやりがいのない仕事、狭苦しいアパートの部屋、わずかな貯金、あとは友達……?

 そこまで考えたとき、横から右頬をつままれた。


 痛い。

 ムッとしながら顔を上げると、すぐ横に本郷晴樹が立っていた。

 よほど急いで来たのか、仕事用のスーツ姿のままではあはあと肩で息をしている。

 髪は乱れ、鼻の頭と頬が少し赤い。

「おまえなあ、こっちはまだ仕事中だったんだぞ。のんびり珈琲飲んでんじゃねえよ」

 怒ったような顔で、今度は両側の頬をつまんでぐにぐにと引っ張られた。

 痛い、と言えなくて『いひゃい、いひゃい』と首を振ると、怒っていたはずの晴樹の顔がすぐに優しい笑顔に変わっていく。

 この顔だけは、ちょっといいと思う。

 晴樹が笑っているのを見ると、カチカチに固まっていた心がふんわり柔らかくなっていく気がする。

 クルミはそんなことをおくびにも出さず、不機嫌なままの表情で晴樹の手を振りほどいた。

「仕事してたなら無視すればよかったのに」

「そんなわけにいかないだろ、いきなり電話してきて『すぐに来て』とか言われたら」

「べつに無理して来てくれなくたってよかったんだもん。ちょっと退屈だっただけ」

 ちがうちがう。

 そうじゃなくて『ありがとう』って言わなくちゃ。

 晴樹が来てくれなかったら、寂しくて死にそうだった。

 そんなこと口が裂けても言えないから、クルミはふくれっ面でうつむいた。

 晴樹はそんな心の中を見透かしているように笑いながら、くしゃくしゃとクルミの頭を撫でた。

「うわあ、相変わらずだな。まあいいや、俺も何か買ってくる」

 晴樹が飲み物を買いに行っている間、クルミは他の人に隣の席をとられないようにそっと自分のマフラーを置いた。


晴樹は高校時代の同級生で、クルミにとっては大切な友達のひとりでもある。

いまもお互いに一時間くらいで行き来できる場所に住んでいるから、こうして何かあるとついつい一番に連絡して呼び出してしまうのが習慣のようになっている。

一緒にいて楽しいし、女同士のときのようにあれこれ意識しなくていいのが嬉しい。

 サバサバ女を気取るつもりはないが、女の子特有のお世辞合戦や遠回しな自慢の言い合いがクルミはどうしても好きになれない。

 晴樹といると本当に楽でいい。

 好き勝手なことを言っても笑って許してくれるし、ナイショの話は絶対に誰にも秘密にしてくれるってわかってるから。

 でも、よく考えるとこの関係もいつまで続けていいのかわからなくなる。

 いずれ晴樹にだって恋人ができる日も来るだろう。

そうなったら、こうして気軽に呼び出すこともできなくなる。

クルミは大切な友達を失うことになるのだろうか。

そんなのは困る。

だったら、その前にいっそ自分が誰か他の人と付き合えばいいのかも。

だけど「誰か」って誰?

恋人ってどこに行けばみつかるものなの?

 このカフェの中にも恋人同士らしきカップルは何組もいる。

 彼らはいったいどこでどうやって出会ったのか。

まだ一度も恋愛経験のないクルミにとって、謎は深まるばかりだった。


「ふうん、結婚か。たしかにクルミんちの姉ちゃんたちって、三人ともめちゃくちゃ結婚するの早かったもんなあ」

 俺んちの兄ちゃんなんか35だけどいまだに独身だ、と晴樹が笑う。

「笑いごとじゃないんだからね。嫌なの、そういう結婚とか子供とか急かされてる感じが」

「あー、まあな。たしかに俺も急かされるのは嫌だな」

 彼の手の中のカップから、甘い香りが漂ってくる。

 すごく美味しそう。

「それ、何? わ、クリームいっぱいのってる」

「ホットチョコレートのホイップ増量」

「いいなあ、ちょっとちょうだい」

「いいよ、やるよ。俺、そっちの珈琲でいいから」

 でも、珈琲はとっくに冷めてしまって不味くなっている。

 迷っているうちに、晴樹はさっとカップを交換してしまった。

 遠慮してもしかたがないので、クルミはありがたく温かいカップを口に運んだ。

 濃厚なチョコレートの味と生クリームの優しい甘さが口いっぱいに広がり、少しだけ幸せな気持ちになってくる。

「これ、すっごく美味しい。ごめんね、催促したみたいで」

「いや、催促しただろ。それより話の続きは?」

「ああ、うん。だから、無理に考えようとするとイライラしちゃうってこと。そういうの、どうしたらいいかわかんないし」

「そういうのって?」

「結婚とか、恋愛とか。自分がお姉ちゃんたちみたいになるのって、あんまりイメージ湧かないんだもん」

「ふうん、結婚したくないんだ?」

「したくないっていうんじゃなくって、いまは自分がそういうレベルじゃないみたいな」

「好きな男がいないってこと?」

「いない……ううん、わかんない」

 その『好き』が難しい。

 知り合いや職場の人の中にも、感じの良い男性は何人かいる。

 でも恋人候補なのかどうかはよくわからない。

 どのくらい好きなら恋人になれるのか、結婚できるのか。

 例えば学生のときなら、各学期のテストで50点以下は欠点で不合格、それ以上は合格というような明確な基準があった。

 恋愛にもそんなものがあるなら教えて欲しい。

 ぶつぶつと独り言のように呟くクルミの横顔を、晴樹はにこにこしながら眺めている。

 その余裕のある笑顔に、また少し腹が立ってくる。

「なによ、笑いごとじゃないって言ってるのに」

「笑ってないって」

「笑ってる! 晴樹は考えたことないの? そういう恋愛とか結婚とか」

「俺? あるよ」

 晴樹があまりにもあっさりと言ったものだから、クルミは思わずカップを落としそうになった。

 まさか、そんな。

 クルミの知っている男性の中でも、一番恋愛に縁がなさそうだと思っていたのに。

「え、なんで? そんなの知らない」

「それはな、おまえがいつでも俺の話を聞いてないからだ」

「そんなことないよ、恋愛の話なんか聞いたら覚えてるもん。なんなの、まさか実はもう付き合ってたりする?」

「うーん、微妙なところだな。あんまりこっちから押すと逃げられそうだし」

「てことは……晴樹は好きなのね、その子のこと」

「もちろん」

 うわあ、はっきり言い切った。

 よくわからないけどすごいショック。

 でもそんなの顔に出すのはカッコ悪い。

 クルミはざわめく心を押し隠しつつ、手の中でカップを弄びながら晴樹の顔を盗み見た。

「気持ちは伝えてないの? 好き、とか、付き合いたいとか」

「そういう言い方はしてないけど。わかるだろ、普通」

 ちょっと照れてる。

 それだけその子のことが好きってこと?

 友達なら応援しなきゃいけないところだと思う。

 だけど、だけど。

「わかる? どうやったらわかるの?」

「もういいよ、俺の話は。今日のメインはおまえの話だろ」

「そりゃそうだけど、気になるじゃん」

「もういいって。クルミはどういうのが恋愛だと思うわけ?」

「どういうって……うう、言わない。言ったら笑うもん」

「いいだろ、ナイショにするから。ほら、言ってみろ」

「絶対笑わない?」

「笑わない」

 言ったそばから、もう晴樹の口元は笑いかけている。

 でも彼の話を聞いたのに自分だけ話さないのもズルい気がする。

クルミはしばらく黙り込んだ後でしぶしぶ口を開き、ずっと秘密にしてきた理想の恋について語った。

「あのね、わたしの中での恋愛とか恋人ってやっぱり王子様なの」

「王子様ぁ?」

「そう、あのキラキラした服着て、お城に住んでる王子様。それでそのときが来たら白馬に乗って颯爽とわたしを奪いに来てくれるの」

「ちょっと待て。その設定だと、おまえもキラキラのドレス着たお姫様じゃないとおかしくないか」

「そう、でもいいの。王子様は運命の人だから、その人とキスした瞬間にわたしの服もキラキラのドレスに変わっちゃうの。カボチャが豪華な馬車に変わるみたいに」

「なんつーか、いろんな話が混じってるな」

「べ、べつに本気でお城に住みたいわけじゃないのよ。キラキラ服とかも現実的じゃないし。こう、それが比喩的な意味での理想の恋なの」

「わかってる」

 約束通り、晴樹は笑わずに真面目に聞いてくれている。

 それが逆に恥ずかしくなっきて、クルミはぷいっと顔を背けた。

「晴樹、馬鹿にしてるでしょ」

「なんでだよ、こんなに真剣に聞いてるのに」

「嘘。心の中で笑ってる」

「疑い深いなあ。ところでその王子様、どういうタイミングで迎えに行けばいいわけ? お姫様のピンチを救うとか、指輪が必要とか、何か他にルールある?」

「ルールってなによ、そんなのない」

 だいたい、その言い方がもう馬鹿にしてるじゃない。

 そう言い返そうとしたとき、誰にも聞こえないような声で晴樹が耳元に囁きかけてきた。

「じゃあ、俺でもクルミの王子様になれる?」

「え?」

 一瞬、意味がわからなかった。

 理解できたのと同時に、燃え上がりそうなほど頬が熱くなった。

 なんなの、これってそういうこと?

 だけど、だって。

「晴樹、好きな子いるって、さっき」

「昔から思ってたけど、ほんっとに鈍感だな。誰が好きでもない女のために仕事放り出してまで会いに来るんだ」

「わ、わかんないけど」

 たしかに晴樹は、いつ呼び出しても会いに来てくれた。

 友達と喧嘩したとき、泣きながら電話したら真夜中だったけど飛んできてくれた。

 職場で嫌なことがあったときも、特に何もないけど寂しくなったときも。

 考えてみれば、誰かに頼りたくなったときいつもクルミは晴樹に電話していた。

 話しやすくて、いつだって優しいから。

 晴樹がいないと困る。

 でも晴樹が恋人になるとか、考えただけで気恥ずかしくて目も合わせられなくなってしまう。

 それはそれで困る。

 クルミが何を言えばいいかわからなくてしばらく黙っていると、晴樹は諦めたようにため息をついて言った。

「気にしなくていい。クルミが嫌だって言うなら、友達のままでも」

「い、嫌じゃないよ! でも」

「でも?」

「こ、告白とかされたことないから、そういうのされるなら何かの記念日がいい! 誕生日とか、お正月とか」

「うわ、後付けで勝手なルール作るとかナシだろ。つーか、お正月って何だよ」

 たぶん、晴樹にはバレている。

 クルミだって、本当はずっとずっと前から晴樹のことを好きだった。

 ただ、これまでの関係を壊すのが怖くて踏み込めなかっただけだってこと。

 その証拠に、晴樹の声は笑っている。

「とにかく、わたしにとっては誰かと付き合うってすごく大変なことなの! だから、こんなテキトーな場所で勢いで言われるのって、なんだか」

「ああ、そういうことか。まあでも、今日だってハロウインなんだから記念日みたいなモンだろ」

「こんなの記念日のうちに入らないよ。仮装してバカ騒ぎするだけの日なんて」

「いや、もともとはハロウインって秋の収穫祭か何かだったらしいけどな。ちょうどいいと思わないか?」

「わっ、長い友情が実を結んだ恋だからとか、そういうクサいこと言っちゃうつもり?」

「俺はまだ何も言ってないぞ。あはは、なにも泣くことないだろ」

 嬉しいのと恥ずかしいのといろんな感情がごちゃ混ぜになって、いつのまにかクルミはぽろぽろ泣いていた。

 晴樹がクルミの泣き顔を隠そうとするように、さりげなく頭を抱き寄せてぽんぽんと撫でてくれる。

 その手が見た目よりずっと大きく温かく感じられて、余計に涙が止まらなくなってしまう。

「こら、泣き虫。化粧がハゲるぞ」

「いいもん、どうせブスだから」

「あはは、俺はわざわざブスのお姫様を選ぶ王子になるのか。それで、王子様はお姫様のどこにキスすればいいんだっけ?」

 今度は完全にからかっている声だった。

 ああ、憎たらしい。腹が立つ。

「く、くちびる……でも、でも、絶対嫌だからね! こんなところじゃ嫌!」

「わかった、わかったから大声出すなよ。じゃあ、どこだったらいい?」

「わかんないけど、他の場所。誰もいないところ」

「そんな場所、このあたりにないだろ。特に今日はいつもより人通りが多いし」

「どうしてもしたい?」

「したい。ずっと我慢してたんだ、キスするまで今日は帰さないからな」

 冗談には思えない口調だった。

 晴樹らしい率直な言い方に、心がとろりと甘く溶けていく。

「キスするまで?」

「そう、絶対帰さない」

「だったら、わたし今日が終わるまでキスできない」

 クルミは顔を上げ、真っすぐに晴樹の目を見てそう言った。

 みるみるうちに晴樹の頬が赤く染まっていく。

 今夜はきっと、キスだけでは終われない。

 スーツ姿の王子様を見つめながら、クルミは心の中でオバケカボチャの置物がきらびやかな馬車に変わっていくのを感じていた。


(おわり)




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