九話 何でも屋は絶好の機会に現れる
――それはリシュエルの考えとは裏腹に。
事態は、最悪の方向へと傾いていた。
「クソ……なんで効かねぇ、なんで通らねぇ!」
爆熱が壁を破壊する。
空気を燃やす。
世界を灼く。
なのに、眼前で駆動するその害種はまるで動じず、その巨大な腕部を振り上げた。ごう、と熱された空気が左右に散ってキースへ一直線へ振り下ろされる。
単調な攻撃の連続だが、人間の数十倍はあろうかという巨体が放てば脅威になるだけの威力はあった。それも速さを兼ね備えた連撃とあっては、対処法などほとんど潰されたも同然。
全出力の炎で加速、身体の数倍はあろう腕部を真横へ弾き飛ばし、キースは吠える。
「吹っ飛びやがれ!」
左の拳から炎塊が射出され、数千度にも及ぶ業火が防衛兵器の頭部を襲う。だというのに、そんなものは意に返さないというばかりに防衛兵器の反撃がやってくる。
予想済み、もう片腕での単調な振り下ろしだ。
だが無茶な張り合いと体力の消耗で息が続かないキースに、巨体の一撃をもう一度撥ね退けるだけの余力は戻っていなかった。
舌打ちをして後方へ飛び退き、再び突っ込もうと。
「ば……さっきから何やっているんだお前! 『俺も化物だぜ』とか『手加減する必要はねぇ』とかドヤ顔で恰好いいこと言った癖に何やられているんだ!」
「うっせぇぞホムンクルス! 戦えねぇなら大人しくすっこんでろ!」
「はぁ? というか私をホムンクルスと呼ぶなとあれほどきゃあああああ!」
暴言を吐き合う二人の中心に容赦なく拳が叩き落された。その振動と風圧でレイシスは遥か遠くまで吹き飛ばされ、砕けた床の破片が周囲に飛び散る。
炎熱で破片を蒸発させつつ、キースは剣呑に目を細めた。
「ハァッ……この野郎……なんだってんだ……このデカブツは」
キースは地震にも似た揺れを何とか耐え抜くと、息を整えながら悪態を吐く。
これが通常の害種でないことはキースも理解している。ホムンクルスが言うように、秘境が今までにない異常事態に陥っていることもだ。
しかし、余りにも強過ぎた。
頑強過ぎる装甲、それも空間の天井までも届きかねない巨大兵器……正確にはそれを模した害種であるが。
それは高速戦闘を行うキースとまるで引けを取らない俊敏さを持ち、しかも体力といった概念すら感じられない。
そんなモノがまるで本物の機械のように暴れているのだ。
これが同じ人間だったらとっくに死――キースは首を横に振って、再び炎を全身へと纏う。
「だから、お前は力を強引に使い過ぎだこの馬鹿っ!」
そこに再びレイシスからの説教が飛んでくる。
「ただ垂れ流しの能力で対抗するんじゃなくてもっと柔軟に使うってことを知らないらしい! 全くこいつはとんでもない傑物だね!」
「じゃあどうしろってんだ……これ以上は出せねぇんだよ!」
「ばかめ第一こんなところで大火力の連発など下策の愚策だ阿呆! 火なんかこの狭苦しい地下空間じゃ最も最悪な戦法なんだ、そんじょそこらの攻撃じゃ壊れない場所だからまだしもんな戦い方じゃ空気が薄まる。もう既に息が苦しいんだ二人とも窒息死したいのか?」
「そんなわけねぇ!」
――だがレイシスの言う通り。
これ以上戦いを続けていても、こちらの敗北が近付くだけだ。いくら無尽蔵に炎を生み出せるとはいえ、この密室では相性があまりにも悪い。
とんでもないほどの炎に呑まれて加速度的に酸素が消費されていく中、その酸素を吸って活動するキースには致命的だった。
しかし防衛兵器はそんな事情などお構いなしに突っ込んでくる。攻撃の対象がキースに向けられていたのは不幸中の幸いと言ったところだろうか。
キースならば攻撃は避け切れる。
速く重い攻撃でも、軌道が分かっていればどうにかなる。とは言え当たってしまえばタダでは済まないため、一瞬でも気を抜くわけにはいかなかったが。
「力に振り回されては駄目なんだ、ちょっとは制御しようとして戦え」
「……うるせぇよ。ってかお前はずっとここに居たんだろ? だったら何とかできねぇのかよ」
「でーきーまーせーん! 対策はぜーんぶ壊されているんだなぁ誰かさんのせいでな!」
「使えねぇな!」
叫んで一蹴する。
大口を開けて「誰のせいだ誰の!」と言い返してくるレイシスの言葉を半ば聞き流しつつ、キースは防衛兵器へ肉薄した。
遠距離が駄目ならば。
攻撃の合間を縫って炎で加速し、それを纏う拳と足での接近戦で――だがそれも効かない。渾身の一撃を決める度にこちらの肉が、骨が悲鳴を上げているだけだ。
少しは傷でも入ればと思った一点火力すら、防衛兵器には意味を為さない。
「聞け! そいつはこの太古の昔、この施設を守護していた古代技術の最高峰なんだ! 正常な状態での戦いならまだしも、全てが集結したソイツには絶対に勝てん!」
「じゃあ諦めて死ねってのか!」
戦えば戦うほど速度も威力も上がる防衛兵器。その巨体から繰り出さる連撃を紙一重で躱しつつ、キースは声を張り上げる。
明らかにこの敵はキースの戦闘を学習していた。先ほどまでは余裕で避け切れていたはずの攻撃が肌に掠っている――。
びしゃ、と。皮膚がずるりと剥けて血が後方へ飛び散った。
「……っ」
腕だ。巨腕をいなした右腕の手首から上、二の腕までの皮が削り取られて生々しい肉が視界へ映る。これまでの人生上、ここまで自らが窮地に立たされることはなかった――キースの脳裏に、初めて感じる類の恐怖と焦りが生まれる。
「そうは言っていない! そいつはな、防衛兵器であって防衛兵器ではないんだよ! そいつは世界に刻まれた記憶と記録を元に再現された現象、紛い物の幻想だ!」
「同じことが出来るんなら一緒じゃないのか!」
「違う! そいつは機械じゃなくてこの施設に存在し得るありとあらゆる情報を混ぜ込んで生まれた、いわば秘境の意志の塊だ!」
レイシスが張り裂けんばかりに告げる。
「だからがむしゃらに戦うんじゃなくて、急所を狙え! 場所は胸部中央の核に――」
ぱぁん、そんな軽い衝撃音が耳元で鳴って、突如レイシスの声が聞こえなくなった。ぐるぐると廻る視界に、力の抜けた全身。
ああ、直撃してしまったのか――そう気が付いた時には、キースの全身は遥か背後にあったはずの壁に叩きつけられていた。めきりめきりと全身から嫌な音が発せられ、強烈な激痛に意識が引き戻される。
「……ご、は」
肺に溜まっていた空気が抜けていく。吐き出した息に血泡が混じっていた。胸が痛い。肺が痛い。心臓がばくばくと鳴っている。
「この馬鹿……ったく仕方ない畜生め、やってやる! 反転式:侵入経路!」
明滅する視界の中、揺れる銀髪がちらと端に映った。レイシスが紡いだ言葉は何だったか、ともかく無謀にも少女がキースの目の前に躍り出たことだけは頭が理解して。
「おい……馬、鹿――」
だから咄嗟に静止を掛けようとして、上手く言葉が吐き出せない。
防衛兵器が天井まで飛び上がり身体を反転させる。その巨体は脚部で天井を足場とし、これまでにない速度で突っ込んできた。
挙動が派手で隙の多い突貫攻撃、今のキースに回避が出来ないと計算しての止めの一撃だろう。
敵は壁ごとキースを潰して戦いを終わらせる気なのだ。
だから、そんなところに出てきたってミンチ肉が二つに増えるだけだと――。
防衛兵器は直撃寸前、不自然な軌道で動きを停止させる。
次の瞬間だった。防衛兵器はまるでレイシスを避けるように肉体を反転させ、誰もいない壁を破壊し、その奥まで突っ切っていく。
「馬鹿はお前だ。今一回死んだぞこの火炎野郎……気を抜きやがって」
静寂に包まれた空間の中。
振り向いたレイシスは、大量の血を口から吐きながらそんなことを言った。
「お、ま、何を……」
「うるさい黙れ。私だって使うつもりなんてなかったんだよお前のせいだからな」
白磁のようだった肌は茹で上がったような朱に染まり、その目は真っ赤に充血していた。先程起きた理解不能の代償か、酷く疲れ果てた様子でレイシスが倒れ込んでくる。
「ああ倒したわけじゃない、奴の運動エネルギーを奪い取って自分で壁を突き破らせただけだ。奴はすぐに床をブチ抜いて戻ってくる」
再び血を吐きながら、それでも冷静に彼女は言う。
「今の内に私の話を聞け。もう私は完全にガス欠だ、たった一発の反動でこの様なんだ見りゃ分かるだろ? もう二度とアレは打てない。だからお前が倒すんだ」
壁からずるりと床へ落ちたキースは全身の痛みに呻きながら、酷い有様のレイシスを見やった。
「……が、っ」
喋ろうと口を開いた瞬間に激痛が胸部を貫き、こひゅうと虚しく息が漏れた。
恐らくは先ほどの一撃で肋骨でもやられていたのだろう、数本が肺に刺さっている可能性もある。だから満足に息も出来なかったのか――それでも、と力を振り絞って答える。
「できん、のか。俺に」
「ポテンシャルは十分にあるよお前は、使いこなせてないだけで。つかわざとそうやって使ってるだろ」
「……んな、わけが」
「無意識かそうか。ならお前は自分の能力を無意識的にそういうモノだと決めつけて使ってるんだ」
見抜くようなその視線に今度は本当の意味で息が詰まる。上手く言葉にならない感情が、胸の内でぐるぐると渦巻いていた。
「うる――せぇよ」
何もかもを見透かしたようなその瞳が、酷く腹立たしくて。まるで余裕もないのに悪態が真っ先に飛び出す。
そんなキースを見てか、レイシスは嘲るように笑った。
「ならうるさいことを、お前が耳にしたくない言葉を口にしてやる。お前それで人でも殺したか?」
「……っ」
「それとも町一つ火で呑み込んだか?」
キースの胸倉を掴むと、レイシスは己の顔に引き寄せた。
そして言い放つ。
「大切な人間でも灼いたか?」
そんなにも邪悪たっぷりな笑みで追い詰めてくるのに。
――充血した目だけは、全く笑っていなかった。
キースは押し黙る。
「そうか答えられないか、だが図星だろ。お前は自分で自分の力を忌まわしい呪いだと勘違いしている、お前にとってソレは辛く苦しいモノであると思い込んでいる、そうだろ?」
「知った、ようなことを!」
「知るわけないから言うんだよ馬鹿者め。だが一つ言ってやる、その力はお前を苦しめるモノじゃない。私はその力の正体を知っているよ、何せ《科学者》だからな」
「……な」
「もう時間がない――ごふっ、ああ喋り過ぎた。後の話は、あいつを倒してから聞きにこい」
血を吐いた少女はキースの横に倒れ込む。
よほど無茶をしていたらしく、赤く腫れ上がる細い身体がぴくりと痙攣していた。自ら吐いた血液の上で、血管のように肌を這う赤い線が痛々しい。
先ほど防衛兵器に打って出た一度の反撃で少女は――こうなったのだ。きっと打つ手がないのは本当で、死んでもやりたくなかった手段だったのだろう。
血塗れの白髪を見下ろし、キースは立ち上がる。
触れれば折れてしまいそうなそんな小さな姿で、こんな己を助けようとしたのか。
過去の記憶がフラッシュバックする。
全てが炎に包まれた世界、唯一己に手を差し伸べてきた少女の姿が――レイシスと重なった。
「……ふぅ」
全身の痛みを抑え付ければまだ戦える。
両手足はまだ折れていない。ここまでの絶望を経験したのは初めてだったが、戦う意志はまだ折れていない。
「――悪ぃ。使えねぇとか言っちまって」
轟音が世界を揺るがした。
目の前の床が盛り上がって、レイシスの宣言通りそこから巨体が飛び出してくる。
ずしりと重い駆動音。まるで機械のように動くそれに、やはり疲れなどの状態は見られない。
ただし、胸部に確かな亀裂が走っていた。
きっとレイシスがあの一撃で、的確にそこへ傷を負わせたのだ――キースの攻撃が通るように無茶をしたのだ。
「使えないモンを使わせて、悪ぃ。俺はどこかで相手を、世界を舐めていたんだ。結局この炎で死なない奴なんてこの世のどこにもいやしない、心のどっかでそう高を括ってたんだ」
炎を右手に纏わせる。
防衛兵器の意識が、わずかにレイシスからこちらに向いたのを感じ取って、拳を強く握り締めた。
「ああ倒す、倒してやる……だから終わったら、俺の力……知ってるだけ教えてくれ」
能力に限界は存在しない。
体力も何も使わない。ただ炎をと念じるだけでそれは自由自在に形を為す。例え己が瀕死だったとしても変わらない――強大な炎の螺旋がキースを包む。
「俺は一度、世界の全てを灼いちまったんだ。何もかも全て、際限のない無限の炎がありとあらゆるモノを滅ぼした――そいつがもしも呪いなんかじゃなくて」
拳を前に突き出して。
右肩を左手で抑えて。
キースは高らかに吠える。
「全部俺のせいだったのなら。まだ払える償いもあるってんだよ」
右拳の先が防衛兵器の巨腕に勝るとも劣らない火槍へと変化し、真正面からその巨体へ喰らい付いた。
それでもキースの狙いは読まれていたか、防衛兵器は両腕を交差し弱点を護りながら突っ込んでくる。
「喰らいてぇなら好きなだけ喰えよ……」
防御するということは、逆に言えばそこは突かれてはならないことの裏返しなのだ。
何をしても通用しないのではなく、明確に確実にそこを狙えば破壊できるというのならキースがやることは一つだけ。
レイシスに言われたからって突然に威力の微細な調整ができるようになるわけもないのだから、今はただ現時点で可能な最大出力を一点に。
発射された火槍は防衛兵器の腕を食い破ると、止まらぬ勢いのまま胴体へ牙を剥く。
「――灰燼と化せ!」
胸部まで到達したことを契機に、食らいついた火槍が爆砕した。
――燃ゆる爆炎が熱気を散らす。
――盛大に辺りを埋め尽くす煙幕が視界を塞ぐ。
「……な」
だが次の瞬間、何かに裂かれるように煙が左右へ割り開かれて。
クロスした腕を振りほどき、それは無慈悲に殴り掛かってくる――。
◇
「――リシュエルさん、失敗したら頼みます!」
それはキースが絶望に思考を放棄した瞬間のこと。
空間全てにまで響き渡る大声量が、熱気を越えて部屋の隅々にまで響き渡った。
それで防衛兵器は止まらない。既に攻撃準備に移った防衛兵器が背後の新手に意識を向けることはなく、強烈な熱に溶かされかけた右腕が、キースの視界一杯へ広がっていく。
「最初から失敗を視野に入れないで下さいユラギさん!」
「逆に視野が広いって褒めてくれてもいんですよ!」
――もう避けられる体力は無いというのに。
――リソースは全部吐いてしまったというのに。
――堅い、硬質で無機質な拳はすぐそこに。
だがそんなものはお構いなしに、能天気とも言えるやり取りが煙の後ろから続く。
「あ、そういえば必殺技の名前とか思いついたんですけど、こういうのあった方が気合入りますかね?」
「こんなところでふざけてどうするんですか!?」
「大いに真面目ですよ俺は! ではさっそく、雷神一擲――」
ばちり、ばちり。空間へ電流が迸る。
それは青白い光の奔流、だだっ広い真四角な部屋を背後から照らす雷の暴威、それがキースの瞳に灼き付いて。
それは視界を埋め尽くす煙を越えて、キースを潰さんとするその拳すら越えて――眼前まで辿り着く。優男がウィンク一つと右手でピースを一つ、眩しいばかりの雷が再び弾けたかと思えば。
キースが何を発するよりも早く、雷と化したその男は既にそこには居なかった。
「霹靂神」
雷鳴が轟く迅雷の一閃。
亀裂の入った防衛兵器の胸部に、ユラギの拳が炸裂した。