八話 秘奥の研究者
――まずい。
――いやいや不味すぎる。
漆黒に染まる世界。
ユラギは道なき道を一人、突き進んでいた。
何が不味いかって言ったら全てが不味い。秘境が突如形を失ったのだ。
それはユラギがキースを追おうとした最中のことである。雑草の如く湧き出す害種を薙ぎ倒しながら進んでいると、視界の隅に灰がチラついた。
「……うん?」
ただ害種を倒した際に現れる灰にしては多すぎる。
不審に思ったユラギが背後へ意識を向けると――そこは、ただひたすらの漆黒だったのだ。先ほどまで通過したはずの通路はもう、ない。
それは大量の灰が床を、壁を、天井を呑み込んでゆく異様な光景で。
とにかく逃げねば、と踏みしめた床が灰に呑まれたのは次の瞬間。足場を失ったユラギごと世界は漆黒に満ちていく――。
そして。
落下してきた最終地点が、この暗闇というわけだった。
「ああ全く……ここは一体、何処なんだろう」
足場を呑まれた時とは違い、ユラギが立っている場所は確かに足場が存在していた。これ以上落下する心配はなさそうだが。
が、その足場はまるで見えない。
一切の光源が存在しないこの場では視界は役立たずで、正に一寸先も見えない暗闇に満ちていた。
明かりを照らすような便利アイテムを所持していればどうにかなったのかもしれないが、生憎ユラギに持ち合わせはない。
最初から攻略する場所が分かっていたのならある程度準備はしてきたのだが……それが狙いだったのだろうか。
いや、どうだろう。
「けどこれじゃ手詰まりか」
何もない空間を歩く。踏みしめても音のしない床を歩く。
足裏に何の感触もない。
――まるで夢の世界でも歩いているかのように。けれど、ここは夢じゃない。頬を抓れば痛いし、意識の中の世界というわけでもなさそうだ。
「見えないし触れないしキースがどこにいるかもわからない。さっきまで大量に発生した害種もぱったり止んで……ひょっとしてこれ、異常事態なんじゃ」
少なくとも秘境全体が灰に喰われるだなんてことがあれば、如何に野性の勘が鋭いキースだって防げないはずだ。当然ユラギだってどうすることもできない。
「……灰は入口方面から通路を浸食していた。俺が足場を失ったのは、灰に喰われたから」
――では、落ちてきたこの場所は?
この空間が捻じ曲がっているのは理解していたため、そこまで驚くことではない。けれど今まで通った道に落下したというのなら、それはそれでおかしいはずだ。
何故ならその道の足場も喰われてなくなっているはずなのだから。
だとすればユラギが今歩いている地点は――最下層。
最奥かと言われてもちょっと情報が足りないが、とにかく一番下……だろう。
仮にこの秘境が下へと続く造りだとするのなら、ユラギが歩いていた地点は地面と平行の第一層だ。そこが灰に喰われてまるごと無くなると、ここに落ちてくる。
ひとまずこの位置を第二層と仮定しよう。
すると、上が灰に喰われていなければどうにかして登る手段があった可能性もあったわけだ。
階段か、人工施設なら転移ポイントか。時空の歪みを利用して移動するという手もなくはない。
正しいルート上であれば、の話だが。
「……うーん。飛んでみるか?」
ないない。それはない。
雷を使えば確かに結構上までは飛べるだろうが、そこまで危険なリスクを背負ってまですることではなかった。また落下しても困る。
もう少し暗闇を探索するという手もあるが――はて。
「地面……感触がないのは、なんでだ?」
自分の姿さえも見えない暗闇だ。
確認しようもないが、ユラギはその場で屈む。
足元であろう部分を左手で掬えば、そこは確かに何かを掴んだ感覚があった。何とも言えないこの感覚――そしてそれは、時間経過で消失していく。
「あ、嫌な予感」
もう一度だけ掬う。相変わらず感覚はほとんどないが、確かに何かを手の内に収めた感じが。
そしてすぐに、その感覚は失われた。
まるで煙を掴むみたいな、ないものを触ったような。
手を潜り込ませる。確かにユラギは立っているはずなのに――靴裏に、人差し指が触れた。そのまま裏を擦って、左の手の平が靴裏をべたりと這う。
「えぇ……?」
この微妙な感覚をユラギは知っている。
それは秘境に入る前に地上で触った灰と同じもので。
つまり。
今ユラギは、灰の上に立っている――。
「いやいや、冗談でしょ……リシュエルさん」
もうそれ対処法がどこにあるっていうんだ。ただの秘境くらいならどうにかなるとは踏んでいたけれど、こんなの聞いていない。終始迷宮の上に一人勝手に行動する地雷を踏み続けながら攻略ってそりゃ、
「……ほんと無理あるだろあの小娘め!」
残念なことに手ぶらであることを嘆くしかない状況に陥っているらしい。思わず余計に言葉を荒げてしまったがこれはもう悠長にできる状況じゃなかった。
生き永らえていることそれ自体が奇跡と言っても過言ではないのかもしれない。
「ああ畜生、とにかくキースを捜さないと始まらない。俺が落ちたってことは彼も落ちてるだろうし、何か策は……考えろ、戻ったらリシュエルをぶん殴るために考えろ――」
「――あのう……ユラギさん……? そこにいるんですか?」
そんな時だった。上の方からリシュエルの声が聞こえたのは。
姿は見えずとも確かに声がそこまで来ている。
「……なるほど。やっぱり」
つまり、意味するところは異常事態だ。
そりゃそうだ。普通なら人工とは言え秘境がまるごと消滅するはずもない。だったら地上からでも秘境が灰に呑まれたのは分かるはずで、彼女は心配になってこちらの様子を確かめに来たのだ。
先ほどの独り言が聞かれたみたいだけど……。
ユラギは顎に手を当て、少し考える。
大きく息を吸って独り言を続けた。
「あぁ、なんかリシュエルっぽい声が聞こえる気がする、幻聴? そんな馬鹿な、殴らないと」
「いや聞こえてますよね!?」
「え、リシュエルさんですか? どうしてここに――いや、今どこにいるんです? 手が絡まれて――足もなんだか、動けなくて、助け、あがっ」
「えっ、え、ちょっと待って下さい! 降りようにも下が見えなくて! ユラギさんどうなってるんですか?」
「た、助け……て、やば、い――死」
数秒の無言。
「――ユラギさん!」
そして彼女の声が、こちらへ近付いてくる。
「――どこですか!」
よし落ちたな。
「あ、リシュエルさん。俺は無事ですけど」
「え」
「助けてくれてありがとうございます」
けろっとした声音でお礼を言った後の数秒、無言が続く。
しんと静まった暗闇の世界。
「……………はぁ?」
しばらく黙っているとようやくリシュエルの声が聞こえてきた。但し深い溜息のような、裏切られたような、放心したような、そんなどこまでも腑抜けた声。
「おい。どこにいるのですか? ユラギさん」
続けて発されたその台詞は、ほとんど真後ろから耳へと鳴り響いてきたのだった。
いやばっちり位置ばれてるじゃん。
というか口調が、これはその……ほんのお茶目心と言いますかある種の意趣返しと言いますか、このくらいはしてもいいんじゃないかなー、なんて。
「今すぐ返事をするなら許してあげるのですよ」
「……ほんとに?」
「そこかぁ!」
ぶん、と背後から風切り音が。
そう来ることは半ば予想していたユラギは一旦ジャンプを――ゴリッ――あれ、下から衝撃が。
「てっきり回し蹴りかと思っがはぁ!」
「焦ったのですよ全く……まあ無事ならいですが」
何とか着地しつつ股を押さえる。潰れてないかな潰れてないよね見えないから分からないけど。
「なんで上に避けたのですか? 私が小さいなら避けられるとでも思ったんですかね」
「ね、根に持ってらっしゃる!」
気合で呼気を整える。
腹に力を込めて嫌な鈍痛を抑えながら、ユラギは後ろへ首を傾けた。
相も変わらず何も見えない空間。
光源云々の話ではなく、視界が封印されているかのような暗闇の中。
だが手を伸ばせば、柔らかい何かに触れる。
暖かい人の肌――。
確かに自分以外の誰かがいる、その証明だ。
「リシュエルさん」
「……どこ触ってるのですか?」
「この身長差で普通に手を伸ばしても胸には当うぐっ!」
「で」
閑話休題。
「なんで助けてだなんて嘘吐いたのですか、そうでないならちゃんと準備したんですけど?」
「世の中の理不尽さをリシュエルさんにも教えてあげようと思って……」
「今はふざけなくていいのです! 大体全部聞こえてましたから、その……キースの事は謝りますから。一緒にいないってことは、あなたの足を引っ張ったんですよね」
そこまで大声量で呟いていたか。
しまった。
一体どこからだろうと思い返す。自分が何を口走ったのかは正直あまり覚えていないユラギであったが、彼女がその声を頼りにして近くまで来たということだけは容易に想像がついてしまった。
表情が分からないだけに恐ろしくもある。
二度も訪れた痛みを下腹部に感じつつ、ユラギは答える。
「そうですね。足を引っ張ったというより、手を焼かされたって感じですが……」
「今のユラギさんですね」
「今までの事は水に流して誠心誠意協力しましょうリシュエルさん」
「最初からそうしてください」
ああきっと、視界が取れていたらこちらを睨んでいたに違いない。
ユラギが伸ばした腕に、リシュエルはどちらかの手を重ねてくる。
「――秘境がこうなったのはキースの仕業です」
「心当たりがあるんで?」
「まあ、そうですね」
この漆黒で見失わないためか、少し痛いくらいに強く、離さないように。
その腕を強く抱き寄せた感触がして――彼女は、こう告げた。
「炎ですよ。この秘境の攻略の一つは炎で行えます」
炎――なるほど。
それはキースの奴が好き放題に炎を撒き散らすようなことをすれば、起こり得た可能性。
ユラギと道を共にしていない彼が何をするかなど想像するに難くない。
燃やしたのだろう、この秘境を。この小さな世界の全てに炎を放ったのだ。
だからこそ迅速な判断でリシュエルが降りてきた。
とにかく彼女が出張ってきた以上、深刻な異常が秘境全体に発生しているのは確定だ。
それがこの灰と暗闇なのは言うまでもないが、きっと他にもあるはずだとユラギは結論付け、顎に手をやる。
彼女が準備などと言った以上は、これからしなければならないことはそういうことのはずだ。
「つまり炎で何をすれば道が開けるんです?」
「まず炎で出来ることと言えば燃やすことです。何かを燃やす――例えば、秘境には植物がありますね? 焼かれれば当然、植物は燃えて無くなります」
「そりゃあそうでしょうね。植物ですから」
「その植物は“害種”なのですよ」
「……マジ?」
ユラギ達が歩いていた道中にも沢山の植物が生い茂っていた。確かに見た目も触感も植物で、あまりに自然に生えているものだからユラギも見落としていたが。
あれが害種だとすれば、いやもしかすると。
「ちょっと待って下さい。もしかして……」
「残念ですがあなたの想像通り、壁も“害種”なのです」
……マジ?
冷や汗が頬を伝って顎まで到達するのを感じた。
つまり、ということは。
「キースはこの秘境を全てまるごと焼き払ったのですよ。私たちが居る場所は、再び秘境に還元される前の“灰”の中です」
「まさか、秘境全てが害種で出来ている――とでも?」
何も見えない現状がより不気味に感じられる中、小さな手の温かみだけがしっかりと伝わってくる。
その体温の持ち主は苦笑い気味にこう呟いた。
「そのまさかなのですよ。まさかキースがそこまでやっちゃうとは私も思わなくて、でもユラギさんと一緒ならそうはならないかなって思ったんですけどね。ダメでした!」
「……リシュエルさん。一つお尋ねしても?」
彼女が長話を続けているということは、どうやら悠長にしていても大丈夫らしい。
そう判断し、ならばとユラギはこれまでの話で積み重なった疑問を言い放つ。
「まだ理解に苦しみますが、とりあえずは炎で解決する秘境ですか。まさにキースくんぴったりの秘境ですね」
「……そうですね」
「そういえば、リシュエルさんはこの秘境に随分とお詳しいじゃないですか」
「え、そりゃ二人を送るんですから。詳しくないといけないっていうか、ちゃんと調べてるのですよ?」
「あ、キースくんとリシュエルさんは前から仲がよろしかったんでしたっけ」
「仲がよろしいかはどうですかね……知り合いですけど、なんで急にそんなことを?」
「ところで俺が一人だったらこの秘境攻略できました?」
「あのユラギさん、ど、どうしてそんなことを聞くのです?」
どうしてだろうね。
キースくんに振り回されてるところ以外は全然難しくなかったからかな。
「なんやかんや流されてましたけど、俺ってここに何しにきたんでしたっけ? お勉強? それとも――キースくんの介護かな?」
「……お、お勉強ですよ? それ以外に何があるんですかぁあはは習うより慣れましょうユラギさん!」
開き直った、それだけは間違いなく理解できる返答が背後より寄こされた。
「なるほど」
その仕草をしたところで欠片も伝わらないのに、ユラギはにこやかに微笑む。
それは見えていたなら今すぐ手を離して逃げていたに違いない、そんな邪悪な笑み。
「これは俺の推測に過ぎないんですが、キースくんのお勉強に丁度良さそうだったからって理由で俺をタダで付き合わせて、自分はその空いた時間にせこせこ書類を片付けていた――ってわけじゃあないよね?」
「ええっと……いやぁ……それは」
「そうですよね、リシュエルさんがまさかそんなことさせるわけないですよね。いやぁ仮にも何でも屋の俺を無償で働かせようだなんてそんな、公的機関の真面目で仕事人なリシュエルさんがああいや失敬、リシュエルさんはライセンス破棄だとかそんな脅迫しませんよね!」
「………………ごめんなさい」
ユラギが笑顔のまま畳みかけていると、長大な間を置いてリシュエルが白状した。
「で、でも、そんなつもりではなかったのですよ! 確かにちょっと悪いかなって思ったりもしましたけど、でもユラギさんだし丁度いいかなーとは思ったり……はい、しましたね……」
「いえ、いい勉強にはなりましたからね。ほんの一部分ですが秘境や害種ってのがどういう存在かも分かりましたし、いいですよ」
「ほ、良かったです……」
「これで机代はチャラですね」
「……はい。私のお財布から工面させて頂きます」
至極当たり前の要求をしたつもりだったユラギだが、何故かこちらが悪いことをしている気分になってきて首を傾げる。
けれど、それはそれ。
先ほどの会話から、リシュエルがキースのことに関してだけやけに負い目がありそうな台詞選びをしていたことが気にはなっていたのだ。
そもそもユラギは今日は人級の許可証を貰い、ちょっとした説明を受けに来ただけである。彼女の口車に流されるがまま秘境に来てしまったのだが、よく考えてみればこの秘境をユラギが踏破しなければならない理由など全くない。
それは昨日アドリアナが言っていたことである。
ということはつまり、この秘境を踏破するべき人間はユラギではなくキース。また彼の言葉から察するに、本来はユラギではなくリシュエルが一緒に付いていく予定だったのだろうか。
いずれにしても、これよりユラギがやることは変わらない。
右ポケットから一枚の紙を引っ張り出す。それは何も書かれていない白紙の紙。用途は自分の記憶力が信用できなくなった時のメモ帳とかだったが、当然暗闇の中では何も見えない――それを、リシュエルの手に握り込ませた。
「一つ言ってしまうと、俺は何でも屋なわけですよ」
「……知ってますけど」
「キース君のお守りは事前に聞かされていなかったことで、俺はそんなつもりで今日という一日を費やすつもりはありませんでした」
「お守りっていうか……続きをどうぞ」
「いえ。リシュエルさんが悪意とか打算で俺を扱き使うつもりでなかったのはわかっているんですよ。ならば――改めて、依頼という形で俺に頼んで下さい」
こちらから手を離す。そうして背後にいるハズのリシュエルへ身体を反転させ、こう述べた。
「彼と仲良くして欲しい。そんな依頼を俺にされるのであれば、俺は便利屋として全力を尽くしましょう」
「――なるほど、なのです」
暗闇の奥で彼女が深く頷いた気がした。
ようやくユラギの言いたいことが分かったのだろう。くしゃりと紙を広げる音がして、彼女は訊ねてくる。
「……依頼料は?」
「あなたの今日の給料分でどうでしょうか」
「あの、私の給料知らないですよね」
「それはまあ、色々手配してくれた分の恩情ということで」
「逆です! 一日分ってどれだけ持っていく気ですか! 私ここで毎日仕事してるわけじゃないですから!」
「えぇー……ほら、キースくん今大変な目に合ってるかもしれないですしほら」
「それこそ脅迫ですよね?」
微妙に逸れるやり取り数度、ならばこうしようと手を叩いた。
「分かりました、焼肉でも奢ってください」
「どうして焼肉になるのですか……」
今更であるが、ユラギは正常な金銭感覚を持ち合わせていない。それは声を大にしては言えないのだが、基本的にランシードに依存した生活をしているからだ。
しかし食物の、それも焼肉くらいの食事ならば金銭感覚を知らずとも妥当な線を突けるだろう、という最大限の計らいなのである。
「それ以外は認められません」
「はぁ。分かりましたよ、分かりました……依頼するのです。本当に焼肉でいいんですねユラギさん!」
「ええ、交渉成立です。では――請け負うとしましょう」
決め台詞のように言って、頭を下げる。
初めて自らが取った仕事。半ば毟り取ったようなものだがそれでも構わない。依頼に、仕事に昇華したのならばそれ
で勝ちだ。
「さて」
こほんと咳込みを一つ交え、ユラギは話題を切り替える。
「ひとまずはこの灰の闇から抜け出しましょう。お願いしますリシュエルさん」
「ああもう知ってました……」
深い溜め息が眼前より発されて、くしゃりと白紙が衣類の衣擦れに呑まれていく。
「出る方法は一つ。秘境をぶち壊すことなのです」
次いでリシュエルが言った言葉は、秘境の攻略方法だった。
禁止区域――研究区画跡。
それがこの秘境の呼び名。誰かがかつて造った建造物が風化し、異界と化した秘境。
秘境というものは探索者を追い出そうとする働きをするのが通常だ。そこで生まれた害種は人を近付かせんと動き出す、まるで一つの生き物のように秘境は秘境という場所を守護する。
しかしこの秘境は元の土地が影響しているからか、性質が真逆であった。
――入る人間は自ら奥へと招き入れ、秘境の奥で始末する――。
だからこそ脱出を目的とした秘境探索をユラギとキースの両名に求められていたわけで。
この秘境の役割は『侵入者を逃がさない』こと。
最初から秘境には一つの大部屋しか存在せず、その他通路区画は過去に存在した施設の夢幻が害種を通じて映し出されているに過ぎない。
故に上も下も存在せず、進めども先には進めず、後ろへ戻ろうとしてもその道は存在しない。そこにあってそこにはなく、道はあれども道などない。
そうやって侵入者が迷い果てた末に大部屋へ辿り付けば、そこに待ち構えているのは太古の防衛兵器を模した害種だ。
人間が体内に侵入したウィルスを除去するように、そいつは人間を除去する。それが、この秘境の全容。
ならばどうやっても秘境の思い通りではないのか――そうではない。秘境は侵入者の思考と行動を敏感に嗅ぎ取り、それによって相応しい場所を選ぶ性質がある。
探索する者には無限の迷宮を。逃げる者には無数の害種を。諦めた者には安らかなる死を。諦めない者には残酷な死を。そうやって秘境は即興で世界を造り続けるのだ。
ならば奥へ進むには、性質を利用すればいいだけ。
「最終的に探索者はこんな解答を導き出す。出口がなければ壊すしかない。壊して突き進めば先はあるのだから――秘境はそういった一際危険な者だけに本当の姿を見せ、絶対的な死を与えるのです」
「彼はそこで戦っているわけですか」
「ほぼ間違いなく。ですが、一応は大丈夫だと思います」
「へぇ、彼の実力は買っているんですね」
「そうではありません」
ぴしゃりと否定された。ユラギは彼の実力をそれなりに評価していたのだが、彼女にとって大丈夫だと決めた要因はそこではないらしく。
「ここが禁止区域と呼ばれている理由があります。それは――今も国が、この施設を使って研究をしているからなのですよ」
「……は? こんな場所で?」
「そうです。秘境ではありますけど、そんな秘境の最奥に住み込みで研究をしている奇特な人物がいるんです。いえ本当に」
それは初耳だった。というかそれはユラギなどに話していい情報だったのだろうか……いや職員が知っていることならそう問題はないのか?
こちらが固唾を飲んだタイミングで、彼女はその名を告げる。
「《科学者》シャインハート。ユラギさんがこの前守ったり壊したりした遺産の鑑定者ですよ」