六話 いざ、初の秘境へ
「――へぇ、まるで別世界ですね」
公共機関による転移にて到着の後。
一言、ユラギはそんな感想を呟いた。
背後に広がるのはどこまでも続く大自然。木々が生い茂り、雑草が生え、遠くからは虫や動物の鳴き声が断続的に聞こえている。
あぁ、ここには人が住んでいないんだ、と。
そう思わせる光景を目の当たりにして、ユラギは満足げに鑑賞モードに入っていた。
カメラや携帯があったらきっと撮影していたかもしれない。そういう幻想的な空間がそこにはあった。
件の秘境もユラギ達の目の前に見えていた。
灰色の降り積もる元凶であろう――研究区画だ。
真四角の箱形が幾つも積み重なり、周囲は厳重に柵か何かで覆われている不気味な外見。この緑の中でこんなのをぽつんと見つけたらまず近寄ろうとは思わないだろう。
一通りの感想を頭の中で纏めた後、ユラギはかがんで足元の灰を掬う。
「……あ」
しかし手のひらで山を作った灰は、さらさらと中空に溶けていってしまった。まるで現実には存在していない感覚で、重みもなければ触った感触もない。
はて、と右を視線をずらすと、リシュエルが言わずとも回答を寄こしてくれた。
「それは害種の元なのですよ。そこにはあるけどそこにはない、概念みたいなものなのです。これが多いほど害種の発生率が高いことを示しているってわけですね。触れますけどすぐに消えますし、持ち帰ることもできません」
「へぇ……不思議ですね」
都市から外に出ることが初めてであるユラギにとって、こうして触れた外の物に実感が湧くことはなかった。
ただただ幻想的で、どこか画面の外を眺めているかのような――そういったイメージだろうか。
それは、半年が経過した今も変わりはなかった。
もう一度掬うと同じように灰は消えてゆく。
二度三度繰り返してから、ユラギはその行為を止めた。再び立ち上がって建物を見据える。
「ちなみに害種ってのも俺は見たことありませんね。知識としては知っているだけです」
「じゃあこれから行って実際にお勉強です。見れば一発で分かりますよ」
「あーはい、そういうものなんですか」
「そういうものなのです」
じゃあ見てのお楽しみということにしておこう。
そう納得して、空を見上げる。
空の色は一部、灰が掛かっていた。
多分同じようなものだと考えていい。リシュエルがそう答えるということは、適切な説明がないということだろう。
一つだけ言えることは、害種という存在はあやふやなものだということ。
つまるところ、あまり深くは考えない方がいい。
「どうやって入るんだよ、これ」
柵に手を触れたキースがそう言う。
ガシャガシャと両手で揺さぶっても、頑丈な柵はびくともしていないようだ。
頑張れば壊せなくもないと思うが、わざわざ練習用に残しているとなると正規の侵入手段はあるはずだけど……。
「壊します」
「え、壊すんですか」
「この研究所には建造物を自動修復するシステムがあるので、設置した柵もシステムに組み込んであるのですよ。だから遠慮なく壊しましょう」
「――じゃあ俺がやる」
軽く返答すれば、キースは柵から一歩後ろへ後退した。
何をするのかと思えば――揺らめく炎髪が、見た目通りに炎の輝きを放った。
それは少し離れた後ろにいるユラギにも熱を感じる程度には強烈な炎で、やがて彼の周り一体は焦土と化していった。
触れれば一発で蒸発しかねない炎が拳の形を為し、それは真正面の柵へと激突――次の瞬間には、炎の拳が直撃した柵の部分は完全に消滅してしまっていた。
ごう、と肌を焼く熱気が遅れてやってくる。
「えっと。訳ありってのはこういうことですか?」
「その一端ですね」
手でひさしを作りながら、リシュエルは事も無げに言った。
ああ、なるほど――ユラギは納得する。彼がユラギと同じ待遇だったのは、“こういう異質”である、と。
「もういいのですよ。キース」
「ああ、すぐ消す」
分かってるよ、と言いたげにキースは呟く。
すると彼の意志に呼応して炎の勢いは弱まっていき、やがてはその熱量も元に戻っていった。
「そんな力があったんだね、キース君は」
「……名前で呼ぶんじゃねぇ。燃やされなかっただけ有難く思えよ」
「そうなんだ。ありがとうキース」
「……ッチ」
ユラギは適当に流すと、まだ熱を持つ柵の内側を越える。
その態度が気に食わなかったのかキースが舌打ちをしていたが、リシュエルに窘められてすぐ大人しくなった。
案外素直な奴だ、などと思いながら、ユラギは悪戯心で余計な言葉を付け加えておくことに。
「ああキース、これから一緒に秘境を攻略するんだし、それなりに仲良くしていこうじゃないか」
「……勝手にしろよ」
「そうだね。俺は君のペースに合わせるとしよう」
ふんと鼻を鳴らしてからキースも柵を越えると、わざわざユラギを通り越し大股で先へと進み出す。
苦笑するユラギも彼の後に続こうとすると――リシュエルだけは中には入らずに立ち止まった。
「では、私はここで待っています。なので二人で行って来てください」
「あれ、ついてこないんですか」
「二人で行って帰ってこられれば十分なのですよ。それと、言い忘れてましたけどここを攻略できないようならライセンスは破棄しますから」
あっさりと宣言すると、リシュエルはどこへやらから机と椅子を取り出して研究所の前に堂々と設置し始める――なにその異空間? そんなものもあるのか。驚いた。
……というか今言う?
なんて、最初から彼女もそのつもりだったのだろう。
ユラギも特に反応することなく場を茶化した。
「うわあスパルタですね、マジですか」
「本気ですよ? でもユラギさんもキースも実力的には申し分ありませんし、多分大丈夫ですよ」
言い切るとリシュエルは紙束を机の上に撒き散らしていく。それがつい先ほども抱えていた書類だと分かったため、ユラギはそっとしておくことにする。
元々イレギュラーな冒険者入りのユラギに、キースだって同じ枠だ。彼女は彼女なりに、二人が冒険者――その資格を持つに相応しいか見定めようしている。
それが秘境攻略というのは、一番分かり易く手っ取り早い方法なのは確かだった。
「分かりました。そういうことなら……っと、キース君がもう中に入っちゃってるんで、行ってきます」
会話している内にいつの間にか中へ入ってしまっていたキースを追いかけ、ユラギも急いで中に入っていく。
――その様子を眺めていたリシュエルは、ちらと紙束から目を逸らす。秘境と化した研究所の入口を見る目に、先ほどまでの軽薄な色はなく。
見送る二人が完全に見えなくなった後、不安げに呟くのだった。
「あ、これ……大丈夫なのかなぁ……」
◇
第一階層、攻略開始。
――とそれらしき文字列を頭に並べつつ、ユラギは先に進んでいた。
入口から長い通路を歩き、分かれ道を何度も越え、老朽化した建物を進んでからどれくらい経過しただろうか。
少し前を歩くキースが背後へ振り返り、嫌そうに告げてくる。
「なんでついてくんだよ」
「なんでって、そりゃついていくよ。君がどんどん先に進んでしまうんだから」
「何度も道が分かれてただろうが」
「二人で攻略するのが目的だからね。まぁ俺も秘境は初めてだから、どっちの道を進めば正解かだなんて分からないんだし君に任せるよ」
「そんなことリシュは言ってねぇぞ」
吐き捨てるようにキースが叫ぶ。
はて、とユラギは頭を傾げる。そんなことは確かに言っていた気がするが。
「行って帰ってくるのが目的。お前と攻略しろだなんて言われてねぇ」
「ああ。言葉にはしていないね。でも、それなら俺と君を一緒にする意味がない」
ユラギを無視するように歩みを再開したキースの後ろへぴたりとくっつく。
「勝手に付いていくだけだよ、そんなに気にしないでくれ」
まぁ、実際は別に同行する理由もないのだが。
リシュエルには恩がある。
アドリアナの命令の元、しっかりと冒険者への道を手配してくれたこと――それは彼女の通常業務に含まれてはいない業務である。そんな彼女が、キースと仲良くしてくれ、そう言ったのだ。
だからせめて、それくらいの恩は返そうというわけだ。出来るか出来ないかは別にして。
「しかし変わり映えのしない景色だね。色々風化しているし、何なら植物が生えてきているのが驚きだね。そう思わない?」
「知るかよ……」
苔にまみれた壁をつうと人差し指でなぞり、ユラギは広い通路に散らばる物々を眺める。
金属の床に放置されたままの様々な機械。それらに土が纏わりついたり植物が生えていたりしている空間が、ずっと続いている。
まだ階層を上がったり下がったりはしていないものの、見かけより広いらしい。全く外の様子がわからないため、また主導権をキースに渡しているため現在地は把握していないが――今のところ危険はないと言えた。
人がいなくなっただけの施設だ。
たかだか薄暗い照明のエネルギーで育つ植物類に自然の強さを感じることはあっても、しかし何か生物の気配は感じない。
気がかりなことと言えば、外ほどではないにしろそこらに降り積もる灰についてくらいだろうか。まだリシュエルの言う分かる時とやらは来ていないが、果たしてどうなることやら。
しかし、何もないまま終わりということにはならないはずだ。そんな場所は秘境に指定などされない、だからユラギもきちんと常に戦闘が行えるように気を張り続けていた。
キースは、あれでも中々に考えて動いているみたいだ。
先ほどから床や壁に敷かれた罠らしき物には全く触れずに歩いており、ほとんどなぞるようについていくだけで安全が確保されている。
秘境攻略に於いてその慎重さは非常に大切だと思う。彼はほとんど勘で避けているらしいが、きっと探索者としての才能が眠っているに違いない。
それが見えた時点で、ユラギは先ほど「冒険者には向いていない」と言ってしまったことについては反省しなければならないようだ。
反省反省。
――それにしても、妙である。
キースが立ち止まったのに合わせて、ユラギも足を止めた。
「おいお前、気付いてるかよ」
「あ、話は振ってくるんだ」
「……」
「冗談だよ、とっくに気付いている。さっきから景色が変わっていない。でも不思議なことに同じ場所を進んでいるわけでもなさそうだ」
外見的な判断で言えば、研究所は結構広い。
しかし広いとは言え建物であるのに変わりはない。ならば常識的に考えて、普通に何キロも歩いた事実は異常と言ってしまって何ら可笑しくはなかった。
「ループしているわけじゃないね。似たような道や部屋が続いてはいるけど、ちょっとずつ内装が違っている」
「ループしてるなら空間に細工されてるだけだろ、こっちはそんなんじゃない」
キースは壁の装飾や機械類の残骸を指差して言う。
注意しながら歩いていたようで、同じように続く部屋が違うことは理解しているようだった。
「君はそういうのは詳しい口かな」
「見て分かることが分かるだけだ、詳しくはねぇ」
「うん? ……まぁ、それもそうか」
さて。
空間を弄る、ということはそれほど難しいことではない。その感覚はよく分からないし、ユラギにそれが可能かと言われれば勿論不可能だけれど、都市の技術としての空間干渉は極めて一般的な技術として世に浸透している。
主な使われ方は建物内部のセキュリティシステムなど。
侵入者を奥へ進ませないため、道をループさせて物理的に幽閉する――そんな防衛機構に空間のループが使われている施設もあったりするのだ。
これはよく変な建物とかに不法侵入するランシードから教わった知識であった。実際にユラギが侵入したことなどないが、見ればそれがどのような防衛機構なのかは判別が付く。
そして。少なくともこれは、ユラギの持つ知識から判断すると――その類のシステムではなそうだった。しかしあくまでも人が造った建物が秘境と化したもの、流石に何もないなどと口が裂けても言えやしない。
実際に違和感はひしひしと纏わりついている。
何かもっと原始的な、物理的な仕掛けがあるようにも思えるが……。
「とにかくあまり常識で考えてはいけないらしいね。このまま進んでも最奥には到着できない」
「じゃあどうするんだよ?」
「うーん、逆に考えてみるのはどうだろうか」
ユラギはその問いにこう答える。
「そう、とっくにここが最奥なんだと。この建物に入った瞬間、俺と君はこの施設の一番奥に到着していた、とね」
「ああ――はぁ? 何言ってんだ、お前」
それは思わずキースが納得しかけて呆けた声を上げるほど、突飛な回答だった。
しかしユラギは極めて真面目に言っていた。
頭が狂っているわけでもイかれたわけでもおかしくなったわけでもない、と自分に言い聞かせながら、ユラギは自らの推論を口にする。
「まぁメタ的な視点が大半なんだけど」
「あ? メタ? なんだよそれ」
おっとこの言葉は通じなかったらしい。
造語か、造語はまぁ仕方ないか……。
それはさておき、リシュエルは戻ってくるだけでいいと言ったのだ。
果たして普通、秘境に入って無事出てこられるだけの内容の教習など彼女が持ってくるだろうか――。
いいやそれはない。ここを突破出来なければ冒険者を認めないとまで言っている彼女が、誰でもクリアできるような秘境を選んで寄こすはずがなかったのだ。
しかも彼女は一緒に秘境にも付いてこないという。
二人の動向を確認もせずに戻ってきたら合格など一体どういう話だ、それでは入ってすぐに戻ってくればいいだけになってしまう。秘境の奥地に遺産があって、それを取りに行けみたいな分かりやすい目的などないのだ。
何なら入口で時間を潰して戻ってきてもリシュエルは気が付かない。
裏を返せばリシュエルが見る必要などないということ。
既に秘境の中身が迷宮と化しており、入口まで入った時点で強制的に施設の奥底まで飛ばされてしまうのだとすれば。
「そんなわけあるかよ」
「いやいや、空間をループさせることだってできるんだ。そういう仕掛けがあっても不思議じゃない、だろう?」
「……一理はあるが」
「それに、一度でも入口を振り返ってみたかい? 君は」
う、とたじろいでキースは目を逸らした。
それもそうだ、だって彼は一度も振り返ってなんかいない。当然彼の後を追っていたユラギも後ろなんて確認していないし、今となっては背後は似たような空間である。
入口の確認などしようがなかった。けれどもあまりいい予感はしないのだ。これまで進んで来た違和感が悪い方に当てはまってくれない方が、ユラギとしてはよほど嬉しい。
「信じるとか信じないとかは別にいいんだよ、やってみれば分かることだからね。俺は一応来た道もある程度覚えてるから、一度戻ってみようか?」
普通に戻ることができるのならばユラギの考えが間違っていた、で済むだけに終わる。
が、果たして素直に同じ道を通らせてくれるか――さて。
「いや、俺は行かねぇ、怖気づいたんならお前一人で帰れ」
ユラギの言葉を言い訳と受け取ったか、キースは鼻を鳴らして背を向けてしまう。
「そうじゃないんだけどな……何も怖くなったから逃げようってんじゃなくて――?」
その瞬間だった。
ユラギがその背に声を掛けた瞬間、キースが逆方向へ一歩目を踏み出した瞬間――ふ、と彼の姿が消失する。
それはあっという間に。元々彼の姿などこの世になかったようにあっさりと。
それは突然に訪れた。
しんと静まった空間、居るのはユラギただ一人。口論を交わしていた相手は、気配は、どこにも存在しない。
「……不味い」
こういう状況はよく理解はしている。少なくとも突然人が消えるだなんて事態を通常通りだと考える奴はいないし、何より――ランシードから散々教育されていることだ。
こういう仕掛けに引っかかった場合、必ずそこには理由がある。何かをトリガーに施設の防衛機構が発生して彼を――或いはユラギの方を、どこかへ連れ去った。
原因はちょっと分からない。そもそもが分からない状態で突き進む方が悪いのだが、それはランシードの教育の範疇にはなかったことだ。
彼女が教えたのは建物や施設へ侵入の際に発生しうる脅威や警備や罠などの対処であり、未知の秘境に当て嵌まる中身じゃない。
幾分人の手が絡む以上は彼女の知識は頼りになるが――ここから先への対処は、ユラギが自分で考え抜くしかないということ。
けれど悠長に考えている時間はなさそうだ。
何故なら――。
「まああれだね。うん……何らかのトリガーは確実に踏んじゃったって、分かる光景だ」
両目に映った視界の奥。薄ら暗い廊下の奥からずるりと鈍く重い動作で現れたのは、ヒトガタの何か。
灰色の身体を引き摺って、言葉にならない叫び声と共に、それらはユラギを標的と認める。
ぎらり、とその目が青白く輝いた。
「ゾンビ……? ちょっと違うか、あの灰を被ったような単色の姿――あぁ、そうか。これが」
あれこそが、害種と呼ばれたそのものなのだと身体が瞬時に理解する。
リシュエルが言っていた通りだ。
見れば分かる――あれは理解とかそういう次元に存在しない、見た瞬間にそれが例外なく敵であると理解させられる、そういう存在。人だなんて生易しいものではなく。
あれは人間そのものを害する、そういうモノで――。
灰色に塗れた腕がこちらに伸びた。
それは瘴気を帯びて鞭のように右から振るわれ、ユラギを襲う。
それ自体は別段大した攻撃ではなく、後ろに下がって鞭の範囲から逃れた。びちりと飛んだ灰の飛沫が壁やら床やらに付着する。
「……っと。ふうん、なるほど」
じゅ。蒸発した飛沫は空気に溶けて、消失する。
まるでユラギが触ったあの灰のように。
――害種。
定義された存在は、人間でも動物でも生物でもなく――“この世を喰らう災厄”だ。それ自体は無形、形は決まっておらず、時には灰、時には塵、時には空気に溶け込んで世界を流れている。
だが一度意識を持ったそれは現存する何かへと変貌し、世界を喰らうとされている。
それが害種というモノ。
それが、人という種が世界を掌握できない理由。未だに世界が閉ざされ、未開の地がごろごろ存在している理由であり――。
「実際に見物してみれば、これほど恐ろしいモノもないね」
ユラギは無表情でそれらを見つめる。あの自動人形だって不気味に見えたというのに、これはそんな次元をとっくに超越していた。
悪寒が汗となって背中を流れる。いっそ殺意を向けてくれた方が幾分やりやすい――そんなことを頭の隅で考えつつ、ユラギは拳を固める。
生気などない。意志などない。
ただそこにあるから殺す。そこで動いているから喰らう。
目の前の人間は、動いているから獲物となっているだけ。
これほど危険なモノはないと、脳が逃げろと身体に信号を送っているが……しかし逃げ場はなさそうだ。
「俺がこうなっているってことは、早く合流しないとね」
仮にも秘境。
如何にリシュエルが連れてきた訓練用の秘境とはいえ、出てくる敵は本物だ。舐めて掛かれば痛い目も見るし、殺される。彼の実力を見たため実際にそこまで心配しているわけではないけれど。
それでも、今は一緒に歩むパートナーなのだ。
「さて、退いて貰おうか。お前らだって殺せば普通に殺せる連中なんだろう? それだけ分かってれば十分――」
ヒトガタは一度目の攻撃が防がれたと分かった途端、今度は二本の腕を鞭と化して左右から飛ばしてくる。
ユラギはそれを、見て下方へ躱す。そしてその動作は避けるだけに留まらない。
地面を踏みつけ、標的を狙い定めて拳を向ける。銃口を突き付けるような冷淡さで視界の中央に、そして――直線上を、一陣の風が駆け抜けた。
ヒトガタの心臓を貫いた右拳が灰を纏い、害種の背中側から突き抜ける。ごぼりと灰の液体を地面に撒き散らして、そいつは断末魔の叫びを上げた。
痛いのか苦しいのか怒っているのか判別は付かないが。
とにかく人間が全力で奇声を張り上げたら出そうな耳障りな音――鼓膜を潰される前に拳を引き抜いて頭部へ回し蹴りを叩き込む。
床へ灰を撒きながらヒトガタを崩したそれに、ユラギは問答無用で蹴りを入れて壁へ吹き飛ばす。
するとそのヒトガタはぴくりとも動かなくなって、ヒトの形を崩壊させた。どろりとゲル状に溶けたそれは少しの後に形を失い、粒となって空気に紛れて消失する。
「……ふう。まぁ、倒せることが分かっただけで上々かな」
倒した害種は灰と化す。
そうして再び世界へ還元されてゆく。
ユラギが事前の知識として持っていた情報の一つであった。
倒しても粉になって散らばるだけとは、どうにも倒した気分にはなれないが……今ある脅威を取り除いたことだけは事実として喜んでおくのがよさそうだ。
右手で掴んだ死骸がぼろりと剥がれ、手の内で消失する様を見つめてユラギはほっと一息吐く。
しかしなるほど、形を取っている間、害種はその形の強度を得るようだ。あのヒトガタを殴った時の感触は人そのもので、間違いなくあれは人の害種であった。
害種が形を為す原因は多岐に渡るとされている。
生物の思念から形を為すこともあり。
事象を姿に変えることもあり。
その時間、その場所で起きた情景そのものを切り取られることもある――かと思えば、ただ目の前に歩いていただけの生物を模倣するだけのこともある。
つまり未だ、倒すことが出来る以外何も解明されていないのが害種という存在だ。
「……追うしかないか。キースの奴を」
どこに行ったか分からないが、消え去った位置まで分からないわけではない。
それはこれからユラギが戻ろうとした位置とは当然正反対なのだが――今戻るのは、何か危ない予感がしていた。
これはただの勘でしかないが、今回はその勘を頼りにさせて貰おう。
ユラギはキースを追って、その場を離れていく。
ぼろぼろと、消えゆく灰を背に。