四話 裏側の立ち回り
ユラギがその身に宿す『雷』の能力。
果たしてそれはいつ何処で身に付けたものだったのか。
それをユラギは知らない。
元々の出自がこちらの世界ではない彼では、こちらの世界に普通にあるような能力や、魔法や、異状や、超常や、幻想を正しく理解出来ていないからだ。
彼にとってはそれまで『雷』とは天から降り注ぐ災いでしかなかった。或いは電気であれば、世界中に巡るエネルギーでしか無かった。
便利で自らも利用するエネルギーの一つではあったが、決して自分が生身で扱うことになろう能力ではなく、そのような予定も刻まれていなかったのだ。
だとすれば、それが身に顕現したのは世界と世界とを転移した際の空白の時間以外では有り得ない。
ただしユラギがどの程度の時間を失っていたかは把握していないのだ。
何故ならば、ユラギが意識を取り戻した時は既に世界は移り変わっていたのだから。
そして最初から彼に寄り添っていたかのように、生まれた時から機能の一つとして存在していたかのように、手に身体に心に神経に骨に脳髄に、その『雷』は焼き付いていた。
――故に。
一日に一度の制約はあれど、その能力は確かにユラギの物となっており。どのような経緯と理由と運命と必然とで得た能力であろうとも、その事実だけは変わらない。
その程度の“異状”など、世界では普遍的な能力の延長線でしかなかったのだから。
遺産品によって強制的に呼び起こされた能力はユラギへ力を与え、ユラギは高密度の電子を纏った拳を振り抜く。
「……なに――」
その疾さは雷鳴が如く、人の認識を凌駕する。
一瞬だけの加速、されどその一瞬で勝負は決していた。
青白く輝く雷の余波で相手の仮面と装飾が砕け散り、表情にも苦渋が浮かび上がる。
突いた鳩尾から強烈な電流が迸る。黒い外套が瞬時に焼け焦げ、彼――彼女――いや。
ソレは、硬質で硬い衝撃音と共に屋上のフェンスを突き破り、宙に投げ出された。
「あ、な、人間じゃない……っ?」
高い屋上から落下し、視界から消えるソレを追いもせずにユラギは動きを止める。
振り抜いた右拳に激痛が走っていた。軟い腹部を殴ったハズの拳がひしゃげて潰れ、折れた指の骨が僅かに皮膚を突き破って血を滴り落としている。
少なくともこれは人間の軟い腹部を殴った衝撃ではない。鋼鉄の壁へ本気で殴り掛かればそうなっても可笑しくはないだろうが。
「まさか、今のも自動人形だって……こと、なのか……いってぇ」
周囲の自動人形は機能停止を起こして止まっている。
動く気配はなく、瞳のレーダーはもうユラギを捉えてはいないようだ。
「動かない……指揮はあれが取っていたってんなら……分からないけど、理屈は分かる」
司令塔が電撃を受けたことで、自動人形全体への命令伝達が中断された可能性が高い。
今殴ったのが人間ではなく――本当に自動人形か類する何かであるのなら、なるほど機械の身体に雷は有効打であった。
だが、全く予想していなかっただけに代償は凄まじい。
「そっか、機械の身体に雷を、ねぇ……そりゃ効くんだろうけ……いてて」
実際痛いで済む怪我ではない。
血の気が失せそうになるのを必死で抑えつつ、ユラギは現実逃避の為に視界から右手を外した。
それでどうこうなるわけでもないし早く応急処置した方がいいのだが、生憎その手の知識をユラギは持ち合わせていない。
既に知ってしまった痛みを視界に映さなかったところで痛みが引くわけではないが、どうにか歯を食い縛って我慢をしつつ、周囲を見やる。
動きの止まった自動人形達が不気味で、それ以外には何も見えない。精々が別の建物の屋上がちらちらと目に入るばかりで、他の脅威といった可能性は薄いだろう。
「まさかこんな自爆でやられるとは思わなかったけど……とにかく、こいつら回収するかどうにかしないと。でも俺じゃできないから、誰かに連絡を」
しなければと呟こうとしたところで、ユラギの動きも同じように静止した。
ぎゃり、ぎゃり。
物音が微かに聞こえている。
ぎちぎち、ぎちぎち。機械が駆動する音だ。それは壁を伝うように少しずつ近付いて来ていて、ユラギの背筋に怖気が走る。
「――が、ガギギ、寄越せ、寄越せソレはソレはソレ僕のモノモノモノモノ殺してでも奪い取って僕は力を手に入れてイマスグヨコセウバエコロセ、ツブセ――ガ、ガギ、――コ」
恐らくは見るのも億劫なほどにグロテスクな惨状であろう右拳を左手で押さえつつ、ユラギは無言で一歩後ずさった。
先程の能力使用で相当にキているのも分かっている。本来一度しか扱えないものを強引に二発も打ったのだから、それが肉体に返ってくるのは当たり前なのだけれど。
けれど、戦うと決めたその身で反動を考慮しなかったわけがない。アドリアナの忠告はしっかり聞き、その上でシミュレーションは行った。
痺れる身体を引きずって屋上の端まで下がり、落下防止の鉄柵に腕を半ばまで掛ける。
「よ――こ、せ、ソレ、を」
機械部分が見え隠れするソレを筆頭に、再度停止していた自動人形が動き出した。動きはおぼつかないが、命令を遠隔か何かで操作入力されたのだろう。
最初より単調な動作で迫ってくる自動人形に、ユラギはなんとか鉄柵の上に飛び乗った。
果たして下に降りられるか、と考えてはみたものの。
「……無理だな、この傷と痺れじゃ不味い。やめよう」
駄目ならすぐに棄却する。
隣接する建物も人間が数人分ほどは下の位置にあるため、この傷と身体の痺れで行うには賭けが過ぎていた。もし失敗なんかしてみろ、隙間を落ちて地面に衝突すれば即死だ。
かといって。
「相手も鈍っている以上、戦えなくはない……けど」
無闇に戦うのは好ましくはなかった。自動人形の行動が最初とは比べ、格段に荒くなっていることから単一な命令しか下せないのだろうが――フェンスに体当たりを行った自動人形を上から蹴り落とし、着地と同時にステップを踏んで端へ逃げる。
「ど、どうして、僕の邪魔をスル――それは僕の物だ、僕が僕で在るためにヒツヨウで絶対フカケツダ、ヨコセ――」
「そんなに欲しいのか? これが」
回線がショートしたような掠れ声。ユラギはふと、思考を巡らせる。
――機械。自動人形。遺産品。
――感情を埋め込む――殺戮機関。
「殺意……?」
まさか、と一つの推測が脳裏に浮かぶ。
誰もが使わないような地雷の遺産品、それを狙う輩が活動しているということだけが今回事前に公開されていた情報だ。
恐らく何らかの組織が絡んでいるだろうと目を付けていたが、実際にユラギが囮として動いて出会ったのは人間ではなく自動人形を従える自動人形だった。
それも最初に相対した一体だけは、感情を持ち自らの思考で動いていた自動人形で。いくらなんでもあれがプログラムされた設計通りに行動しているだけとは思えない。
殴り飛ばすまで人間だと誤認するほどに複雑な言語能力と話術、ソレは確かに人間と遜色がないように感じられたが、本人がそうは思っていないのだとしたら。
もしも今回の件、自動人形が己の意思で確かな感情を手にしようとやったことならば――。
だったら、感情などくれてやればいい。
「お目当ての品だよ、そら」
奴らの意識が一番に向いているのはユラギではなく、ユラギがもつ遺産品――殺戮機関。
投げた箱は空へと舞い上がる。手元から遺産品が離れた瞬間、狙い通り全ての自動人形が一斉に頭上へ視線を動かした。
それは弱ったユラギでも十分に狙える隙。
直線的に突貫したユラギは敵の一歩手前で飛び上がると、ソレのひび割れた腹部に飛び蹴りを食らわせた。ソレは空中からユラギの全体重を乗せた一撃で宙へ浮く。
これは機械であるが故の利点であり弱点だ。考えることは人間と変わらずとも、根本的な回路が人間とは違う。
優先順位は覆らない、少なくともユラギはそう信じて賭けを打って、それが成功する形となった。
「――キ」
攻撃されてから意識を戻したところで既に遅い。
蹴りで背後のフェンスに突っ込んだ顎部分へ掌底を合わせて打ち上げ、更に追い打ちを仕掛ける。
「機械ってのが面倒だけど、やりようがないわけじゃない」
度重なる衝撃と機械の重みにみしりとフェンスが悲鳴を鳴らす。ユラギはダメ押しとばかりに踏み込んで、ソレの腹部に飛び込む。
パーツが壊れてゆく音が耳元へ流れる。
決めるなら今しかない。
「そらぶっ飛べ!」
今度は相手が機械だと理解した一撃、先のようなヘマは繰り返さない。
左拳を握り込み、そのヒビ割れに拳を思い切り叩き込んだ。
――パキン!
最初の一撃から執拗に狙われていた腹部のパーツが、とうとう砕け散った。ソレは反撃しようと両腕を振り回すが、ユラギは関係なしに腹部を殴る。殴る。殴る。
と言っても僅か数秒の出来事ではあるが――。
とうとう限界に達したユラギが攻撃を止めるのとフェンスが斜めへ曲がるのは同じタイミングで。
傾いたソレの上半身が砕けてバランスを失い、断末魔の叫びを上げながら再びフェンスの向こうへ滑り落ちていった。もう上がってくるだけの身体は残っていまい。
静けさが漂う。
遠くの方で何やら落石でも落ちたかのような音がして、ユラギはふうと一息吐いた。自身の傍に崩れる機械の下半身へ目をやって、断面から吹く煙に眉をひそめる。
見覚えのない機器と細かい配線の断面図だ。それが人間を真っ二つにした時の肉のように蠢く光景を見て、気持ち悪いと思わない人間は少数だろう。
「……最初の一撃なかったら、ぶっ壊せなかったかも」
勿論それは雷による加速の一撃である。勢いを付けすぎて拳そのものが壊れてしまった対価は十分に価値のあるものだった。小骨数本を犠牲にすれば鉄の固まりにヒビを入れられたのだ、あれをしなければ勝機は無かったに違いない。
ユラギはもう一度自身の右拳へ視線をやる。
すぐに目を背けた。見ていられるような惨状ではなかったからだ。
ここに来て身体に更なる付加がかかったせいか四肢も重い。だらりと右腕の力を抜きつつ機械の半身から離れ、屋上へ転がる箱へ手を伸ばす。
「――?」
箱を懐に仕舞った時だった。
違和感に気が付いたのは、すぐ隣で停止しているはずの自動人形が動いた気がしたから、としか言いようがない。そして危機感知に委ねて即座に反対へと飛び退いた、が。
その動きを遥かに凌駕して、自動人形はユラギの上を取っていた。飛び退いた軌道へ跳躍し着地の上から真上にのし掛かってきたのだ。
無機質な機械の目と口元が邪悪に歪む。人工の毛髪が黒く、黒く、覆い被さる死の如くこちらに牙を剥いている。
「意識を、移した……のか?」
「ああ正解だ。正解だよ。つまり、君は僕という存在を狩り尽くすまでには、あと数十体全ての自動人形を相手にしなければならないという事実だ。だが君は僕を後何回殺せる?」
ユラギが倒したのは、他とは造形の違う本体ただ一人。他の自動人形は本体と比べて性能が劣っていると思いたいが、それでも倒すのは不可能だ。
今ユラギの首根っこを掴むこの一体でさえ、倒す手段は尽きているのだから。
「無理だろう。ようやく振り絞った一撃必殺が君の奥の手なんだろう? さあ渡せ、死んで捧げろ。それは僕が使う」
「……ふざけ」
どうする、考えろ、万策は尽きた。
けれどそれは元からあった策だけだ。何かあるはずだ。思考を遠隔で共有するほど高度な技術なら、必ず弱点はある――そこを突け。だが一体何が?
本体が破壊されるまでやらなかったということは、条件はあるはずだ。
ただそれが分からない、時間がない、刃がそこまで迫っている。喉に冷たい感触がある。もう猶予がない。
この一体を退かせる手段すらもない。
駄目だ、死――。
「いいや。よくやった、上出来だよ」
諦めかけたユラギの耳に、聞き慣れたその声が届いた。
首元の冷えた感触が消え失せる。
薄皮まで切れこみを入れていた刃が遥か後方に弾けていた。
目の前の邪悪な笑みが崩れて歪んだ瞬間、その顔面が四散していた。胴体がバラバラの物体に分解されていた。
――辺りの自動人形が、同じように物言わぬ鉄屑と化していた。
「とはいえ、君がそれを使った時は流石に肝を冷やしたけどね。ユラギ」
がしゃりと切り離された自動人形の後ろ。両手にナイフを構えて立っていたのは、ここには居るはずのない上司であった。
彼女は呆れ顔で自動人形の下半身を蹴飛ばすと、こちらに手を差し伸べてくる。
「あ、えっと……あれ? ありがとうございま――いだだだ! そっち折れてる! 折れてるほうだから!」
「馬鹿な奴だよ。私に無断で危険な依頼を受けただけじゃ飽き足らず、わざわざ危ない橋を渡ろうとするだなんてね」
ランシードは折れた方の手首を強引に引き寄せてから至近距離まで顔を近づけると、じっと睨んでくる。どこか可愛い痛い痛い。
「見上げた精神だよ。でもね、死の淵で生死を彷徨えば強くなれるだなんてことはないんだ。特に今回は追い込まなくて良かった部分が結構あるんじゃないか。なあ?」
「いや、あの、そうじゃなくて……そうなんですけど、というか何でここにランシーが」
「助けにきてあげた上司にその言い草かい? 今すぐ放り投げられたいと見えるね大馬鹿者」
一頻り悪態を吐いて、彼女は真相を告げてくる。
「――実は一枚、噛んでただけ」
「……やっぱりですか」
「でも一枚だけだよ。彼らが君をここまで危ない依頼に駆り出すことまで知らなかったし、何なら途中まで私は事務所で茶菓子を頬張っていたけれどね」
では何故ここにと問えば、ランシードはやれやれと首を振った。
「……近くで不穏な感じがしたから出てみればこれだ。君、運良く私が気づいて良かったと思え」
「本当は?」
「アドリアナが『やばいから助けて』と土下座しに来た」
「ですよね。俺もやばいと思いましたから」
もう少し語彙を豊かに表現出来ればよかったのだけど、正直に言って死を目前に感じていたのだ。あんまり高尚な感想は出てきそうにない。
相手の詳細を最初から掴んでいれば、今回の依頼に超絶不向きな遺産品など借りて来なかったほどに危険であったのだ。
これは能力を試すとか実力を示すとか、そういった次元を越えてしまっている。
よく生きていられたなあ。助けられたんだけど。
「自我を持つ自動人形、か。随分と厄介な代物を相手にしたものだね」
「ええ。しかも――アレは感情を求めていました。これが奪われていたら、不味かったでしょうね」
「そうでもないよ。調整はしたとアドリアナが言っていたんじゃないかい? それを求めた自動人形が期待するほどの効力は発揮できないはずだよ」
ユラギの持つ箱を手にすると、ランシードは言った。
「まあ、それでも馴染めば面倒にはなるだろうけれどね……さて、ユラギ」
「はい? あ、ああはい。アドリアナさんと合流して結果を報告しないといけませんね」
「うん、それより先にすることがあるんじゃないのかね」
「……えっと?」
どうやら今回も誤魔化せないらしい。
片手をわきわきさせる彼女に苦笑いをして、僅かに右手を背中側へと回しつつ。
「あ――すみません、でも。そろそろ、俺もあなたに“使える”って思って欲しくて……」
「だから私が一枚噛んで、私がやるべき仕事を譲ったんだ。想定外の危険を寄越してしまったのは私の落ち度で済まないとは思っているが」
彼女は滔々と今回の事を語る。
今回、ユラギが引き受けた依頼は本来ランシードが遂行する依頼であったらしい。依頼の性質上、今のユラギなら十分に遂行可能だと踏んで行われたもの。
ヴィリアやアドリアナを使ってある程度の台本が組まれて進行していたそれは、半ばランシードの監督の元に行われた試験であった。
「もう少し放っていたら君の我慢が爆発して、今回のような依頼を私の預かり知らぬところでやりかねないからね。そしてやはりというか、二つの選択肢を用意させた遺産品でもハイリスク・ハイリターンな能力幇助を選んだね。君は」
「そこまで噛んでたんですか……?」
「うるさい。あのね、危険な橋を渡るために自らを橋に追いやる理由がどこにある? 君がやった手段はどうしようもなくなってから初めて、それも仕方なく行う悪あがきだ。今の君はただの死にたがりだ。いいね? 分かったかい?」
「分かりまし、わ、分かりました! 次からしません!」
鋭い眼光に負けて二度三度頷くユラギ。
そう、分かってはいるのだ。
そして今回で学んだのは、常に想定外の事態は意識しておかなければならない、ということだった。ランシードでも予測しきれないものを今のユラギが把握し切れるはずもない。
相手が人間であるなら大丈夫だと判断した今回の遺産品は、本当に運良く役に立っただけで。
ユラギの能力の性質が雷でなければ、機械の相手に効果を発揮した保証はないのだから。
つまりは認識が甘かったということ。
今後迂闊なことは控えるべきだろう、首を切り落とされそうになった時に遅まきながらもユラギはそう心に誓っていた。
「そうかい」
小さく頷くと、彼女はユラギの肩にぽんと手を置いた。
「じゃあお仕置きだ」
「……今の流れで!? 何故に!」
「ああ君、また雷を使ったね」
「それもごめんなさい!」
「まあ楽しみにしていなよ、とびきり辛くて死にたくなるようなとっても楽しいのを考えておくからね」
「……ランシーをしてその所感って、俺普通に死にますよ」
「死にたいんだろう?」
――あ、とりあえず戻りません?
そんな言葉でお茶を濁せるわけもなく、ユラギはしばらくランシードに心を突かれた挙句、更なる追い打ちがユラギを襲う。
「……え?」
ぴきぴき、と何かが壊れる音がして。
背中側から軽い金属の音が二度鳴って、ユラギが恐る恐る足元を覗くと――そこには銀色の破片が落ちていた。
「おや、壊れたようだね。どうやら君が無理に力を使ったせいで、遺産品が耐えられなかったみたいだ」
「う、うそでしょう? じゃあ報酬は……」
「報酬は私からのお仕置きだ、良かったね」
「ですよねぇ!」
その日の夜のことである。
遺産品はひとまずランシードが所有し、彼女が遠方の遺産品保管庫へ届けるということで今回の依頼は落ち着いた。
ユラギの拳は然るべき処置を受け、現在は包帯でぐるぐる巻きとなってはいるものの、わずか三日で完全回復するとのことだった。都市の恐るべき医療技術は金さえ払えば部位欠損も治せるほどだというので、拳が潰れたくらいでは壊滅的な怪我と言えないらしい。
――だからと言って無茶を重ねるならいっそ私が殺してやる、とランシードには散々釘を刺されてお説教をされたわけなのだが。
しかし、今回の話は自動人形を倒しただけでは終わらない。
当事者は引っ掻き集められてアリシード二階事務所に集まり、会合が開かれていた。
その面子というのは言うまでもないが、ランシードにヴィリアにアドリアナの三人はまず入っている。
あと全然これっぽっちも事情を知らなかったけど同じく知らなかったユラギに巻き込まれたからそのまま連行されてきたリシュエル、合わせて五人。
「――というわけで、今回動いていたのは自動人形だけだった。人の手が加わった形跡は発見できなかった」
「ふむ……自動人形に自我がある以上、誰かがそれを付与したのは確かなのだけれどね」
「何れにせよ、手詰まりだ。調査は引き続き行うが、どちらにせよ公開が出来ない情報だしね。どこまで詰められるかは分からないけど分かったら伝えるよ」
「――巻き込む満々だね、アドリアナ」
「――うんごめん巻き込まれてくれ」
「ははは、次は僕を抜きにしてくれると助かる」
うわあ。全く笑っていない笑顔のヴィリアさんが可哀想。
「……あの、今回思ったことがあるんですけど」
直接戦闘まで行ったユラギも出せる意見は出しておこう、と口を挟む。
「自動人形の執念は凄まじいものでした――でも、実際狙っていた遺産品自体にそこまでの価値はなかったという話ですが」
「ああ、確かにここまで大掛かりなことをしてまで奪うレベルではないはずだ」
しかし「あくまでも都市全域に影響を及ぼさないレベルだぞ」とアドリアナは付け加える。
そんなことは自動人形の殺意に触れたユラギは身に染みるほどに実感していた。
アレに更なる強力な殺意が渡ったら数百人単位の死人が発生するのは確実だ。少なくとも放置していい危険度ではない。
「自動人形ってのは高価なんでしょう。それだけの物を放っておく人間がいるでしょうか。例えば、仮に自動人間が独断で動いていたとしても……それを促した人物がいる、とは考えられませんか?」
「ほう、つまり?」
「俺と同じように、自動人形が預かり知らぬところで陽動に使われていたかもしれません。具体的に何をと問われても答えられないですが、可能性は十分に考慮すべきでしょう」
自動人形は自ら遺産品を求めていた、それは確かだ。
けれどあれだけだった、などという簡単な事件であるはずがない。
「そうであれば、危険な手札である“自動人形”がいきなり繰り出された事にも腑に落ちます。自動人形の自発的な行動であればそこが終着点。その先へこちらの足は届きませんし、それだけの資金を消費してもっと巨大な企みを隠蔽していたというなら……その方が、自然ですから」
大量の自動人形が単独で行動をしていたことの説明を付けるならば、それが一番合理的である。人が絡まねばそんな物は産まれないのだ。素人目ながら、何かがあるべきだろうというのが結論だった。
「なるほど、道理だ。君は確かにそう感じたわけだな」
「はい。遺産品に調整がされているなら尚更、たったそれだけのために自動人形を何体も繰り出してくるとは思えません」
「奇遇だ、実は私も同じことを考えていてね。どうにも私達の目線をこちらに釘付けにしたかった、そんな気はしていたんだ。君に言われてより信憑性を得られた――それも踏まえ、引き続き調査を行う所存だ」
アドリアナは黒瞳をユラギに向けて軽く礼を行い、力強く返答する。
「して君……いや、ユラギ君、と呼ぼうか。冒険者登録を所望だったね?」
「えっ、ああはい。そうでしたね」
それは本当にちょっと忘れていた。
微かにアドリアナの眉がひそめられたが、ユラギは身振り手振りで誤魔化して続きを促す。
「まぁいい……で、それについては認可しよう。ユラギ君の実力は十分に見させて頂いたしわざわざ審査や試験は通さない、時間の無駄だ。ただしランクは一律最低ラインの《人級》からとなる、いいな?」
「はい、問題ないです」
しまった。
ここで更に「ランクってなんでしたっけ」とは流石に言い出せない。
勉強不足感は否めないが、大体フィーリングで理解可能なレベルだったため聞き返さずに頷いておくことに。
アドリアナは若干怪訝な顔をしたが、それについて特に咎めてくることはなく――ユラギの後ろを指差した。
その先にいるのは、所在なげに立っているリシュエル・ラウンジ。
彼女はびくりと肩を震わせると、前髪を弄っていた人差し指を止める。
まさか自分が指名されるとはみたいな顔だった。
「私、ここで必要でしたか……?」
「何呆けた顔をしているリシュエル、後で彼の証明書を発行するのは君だよ。それと私は面倒だからギルドの説明よろしく」
言い切ったぞこの上司。
大体アドリアナという人物がどういう性格をしているのか何となく理解し始めていたユラギもびっくり、ではないけれど。数秒ぽかんとしていたリシュエルは目を点にして小さく叫ぶ。
「あのう。私ですね、この後も結構お仕事残ってるんですけどぉ……」
「それは頑張れ。うんうん、それに初心者講習も巡り巡って君の為になるからね、教えることも自らを研鑽する鍛錬さ。な?」
「とってつけたような理由ですね」
「上司の権限は絶対!」
「最悪なのです……まあ、やりますけど……」
どうやらリシュエルはそういう役回りらしい。
可哀想だった。
ただしそう思っただけで別に口を挟むことはしないが、そんな彼女の姿に同情はしつつも小さくガッツポーズ。
証明書があれば仕事の幅も圧倒的に広がる。
しばらくギルド内のランクとやらも上げる必要がありそうだが、ようやくまともにユラギがランシードに貢献出来るようになると思うと胸がはやる気持ちであった。
金も稼げるし。
しかしこれは全員の厚意、特にランシード直々にユラギを認めてくれたからこその証である。
より気合を入れなければとユラギは意気込みを入れる。
「そういうわけなのです。今日は戻って仕事の山を片付けなければならないので、明日来て下さいユラギさん」
リシュエルは目の間を揉みほぐしながら呟くと、そのまま先に戻りますと言って外へ出ていってしまう。
そんなこんなで会合は終了となった。既に話すこともほとんど終わっていたこともあってか、別れの台詞も早々に各々出ていく。
懸念すべき事柄はあるが、それは地道に情報を集めていくしかないだろう。
明日、か。
「ふむ、ユラギ。私はコーヒーでも飲もうと思うけど、君も一杯いるかい?」
「ランシーの淹れてくれるコーヒーなら是非」
先程のきな臭い空気とは一変し、他愛もない会話へ戻っていく。
そんな日常。されど大切な日常。
そんな日々を続けられるように――。
ユラギは、熱いコーヒーに口をつけるのだった。
◇
太陽の光が一筋も届かない地下に、叫び声が響き渡った。
首から上が滑らかで機械的な床を滑って壁にぶつかり、生気を失った眼が静かに閉じる。
薄らな明かりが明滅する下に映るのは、首。首。首。首。首――。
床に伝う鮮血は全体を覆って、足の踏み場もないほどに埋め尽くされてゆく。
鉄と生臭さと薬品の臭いが充満する中、一人の黒装束が研究者然とした老人へ刃を向けていた。
滴り落ちる赤い雫が、ぴちゃりと血の池に波紋を呼んで。
しわがれた懇願が、虚しく室内に響き渡る。
「――ヒッ、や、やめて、やめてくれ」
「自動人形の製造番号はこちらと繋がっていたんだ、今更言い逃れが出来る身ではないと知れ」
「知らん! そんなものは、関係ない! 何も知らない、儂はただ」
「隠しても改竄しても磨り潰しても分かるのだよ。まぁ、君達を分解したところで情報はそこで途絶えていたけれど」
「っは、どこに証拠があるっていうん――」
「だから尚更、生かしておく価値はない」
最後の生命反応は、そこで消失した。
弾かれるように上へ飛んだ生首は、殺意を湛える少女を睨みつけ――その眼球に、二本のナイフが突き刺さって壁へと磔にされる。
「私が追えるのはここまでだね。怪しい機械も薬も実験体も造りかけの自動人形も沢山有るけれど、足はちゃんと消している……いや、わざとここまで辿り着くようにしていた?」
――そこで事件が終わりだ、と言わんばかりに。
淡い緑髪を掻き上げて、幼さを残した横顔は苦い顔を浮かべた。
首を跳ね心臓を穿ち足首を切り裂いてきた暗器を懐に回収していく間に、証拠として持って行かない機械類を全て完全に破壊して回る。
何やら一つ事がありそうだと。
吐き捨てるように台詞を残して、少女は暗がりに溶けていった。