二話 夢の始まり、その終わり
「――エクサル。お前がその名で呼ばれていた時代は、少なくとも私が知る内の中でのお前は、死にたがっていたよ。お前は、自分の意志で眠りに就いている」
何も知らない少女に、レイシスは呟くようにして語る。
記録を辿り、奥深くまで潜り込み――その情景を掘り起こす。
二十余年で一つの生を終える彼女にとって、少女エクサルは間違いなく知らない存在だ。
しかし、その記録には残っている。
少女のほぼ全てが眠っていて、赤の他人と呼べぬほどの歴史。
それはレイシスの原典と呼ぶべき記録の一端。
記録の中で最も古い群に位置するそれは、起こすのには時間を要する。
目の前でレイシスが着ていた上着を羽織って、レイシスの言葉に食い入るように目を輝かせて、全身全霊で耳を傾けている赤髪の少女。
掘り起こした記録の中に、同じ姿の少女が映る――。
◇
「どう。似合ってるかな」
映し出す景色は寂しげな場所。
一面に敷かれる大理石の地面。
石造のオブジェが並び、周囲は何重もの厚い壁が覆う。
そこは色とりどりのガラスと金細工とで装飾されていて、太陽の光で眩い輝きを放っている。
そんな景色の中心で。
様々な形のオブジェが並ぶ中で、無骨な岩のオブジェの前に少女は立っていた。
その小さな背丈に似合わぬ大人びた横顔が、こちらに視線をやった。
「綺麗にしておけって言われたからなんだけど。一応」
似合っているよ、とその時のレイシスは言う。
口調は現在とは違い、実に穏やかで女性らしい言葉遣いだ。
少女は赤毛を結い、後ろへ一つに纏め上げていた。
すっきりとしたうなじが覗き、肩の開いた漆黒のドレスが少女姿に妖艶な一面さえ魅せる。
飾り気の少ないそのドレスは、彼女に似合っていた。
「それで、私は弔うのって分かんないな。何をすればいいの?」
そう訊いた少女に、レイシスは少し返事を詰まらせてから説明していく。
少女は言われた通りに動いて手順を済ませていった。
弔い方に細かな手順はそうないため、時間は短い。
オブジェに片方の手を触れて、少女は頭の中だけで何か言葉を念じながら目を閉じる。
やがてそれが終わると、オブジェに送り物を飾る。
岩のオブジェには生憎と飾るような場所はなく、彼女は目の前にそっと小さな指輪を外して置いた。
「……これで終わり?」
これで終わりだよとレイシスは告げる。
すると少女はそっかと返して、馬鹿馬鹿しそうに笑って首を傾げた。
「要は折り合いを付けるための儀式なんだね。この思いは相手に届くものじゃないってことか」
それは分からないとレイシスは否定するけれど、少女はいいよと言葉を制した。
オブジェから一歩離れて軽やかに身を反転させる。
そうして背を向け、レイシスの肩へぽんと手を乗せた。
「教えてくれてありがとう。私はやらなくて良かったっぽいけど、こういう慣れないことするのは最後っぽくていいかも――あっ。来たんだ」
その顔には悲し気な表情は含まれていなかった。
代わり、場に関係のない驚きが声と共に少女から漏れ出る。
言葉を向けたのは肩を置かれたレイシスではなく、その後ろ。
一定の歩みで近付いて来る、青年の姿をした人物に向けられていた。
彼は灰色の髪に黒いスーツを纏っており、片手に箱に包まれた何かを持っている。
「やぁ、エクサル。君は……こういう場所には来ないかと思っていたけど」
少女の声に気付いて片手を緩やかに上げて返事をし、一定の歩みでオブジェに近付いて来る。
そうしてから片手に持ったそれだけを指輪の隣に置いて、すぐにエクサルへと振り返った。
「……こう、まじまじ見られるとむず痒いですね。シャインハートさんは付き添い?」
シャインハートさん、と彼は名を呼んで挨拶を交わしてくる。
その通りであることを伝えると、彼はなるほどと頷く。
レイシスは、少女と共にオブジェの前へ足を運んでいた。
その理由は既に行った通り、少女に弔い方の一連の動作を教えるため。この場所で偶然にも出会った、というわけではない。
「あなたは……よく気付いたね。ていうかこんな所に来ていいの?」
「実はたまたま、別の用事のついでみたいなものなんだよ。長居は出来ないけど、ちょっとなら大丈夫」
「用事? あなたが外に出るほどの?」
「ほどっていうか、僕個人にちょっと関係することでさ」
少女と青年はそれから、幾つか取り留めのない言葉を交わす。
長居は出来ないと言った通りに話は短いものだった。
少女とレイシスに一礼をした後、彼は同じようにこの場所から去っていく。
その背が遠く離れて入口から姿を消すまで見送って。
改めてといった風に、少女はレイシスへ告げる。
「私も眠るよ。あ、元々こうするっていうのは決めてたんだ」
いいのかいと訊くレイシスに少女は小さく頷き、ゆっくりと背後へと回った。
「うん。私は終わりがないからね、定める時は自分でって思ってた。じゃあ、帰ろっか」
少女はレイシスの後ろにある取っ手を掴む。
ぐぐ、広がっていた視界が僅かに揺れた。
ぎこぎこと車輪が回る音がして、周囲の景色が動き出す。
◇
――真っ先に掘り起こした記録は、エクサルとレイシスが交わした最後のやり取りだった。
そこでは一人の故人を弔い、別れるまでの一連の会話が遺されている。
記録の中のレイシスは既に歩くこともままならず、エクサルに車椅子を押して貰う必要のある年齢だった。
二十余年の生命のレイシスが肉体の衰えで車椅子に乗ることはない。
つまりは、まだホムンクルスではなかった時の記録になる。
人間としてのレイシスが最期を迎える手前の記録だったため最初に起されたのだろう。
掠れることなく引き継がれている記録も原典ともなると勝手が違うのか、狙った通りの正確な情報は引き出せなかった。無論、時間があれば全て起こすのは問題ないだろうが。
レイシスは一度思考の奥底から意識を引き起こし、現実へと戻ってくる。
実時間にすれば数秒といったところ。
自由に動く身体を堪能するように手振りを加えつつ、エクサルにその記録から得られた情報を伝えていった。とはいえ話すことなどそう多くはない。
エクサルがレイシスと共に大切な者の墓参りを行い、その後長き眠りに就いたというだけの事実に収まる話だ。
「――お前は私との会話の中で眠ると表現していたよ。ここで言う眠りは一晩ではなく、永遠を意味する。だがお前は何年生きようが老いも衰えもしない存在で、死による眠りは選べなかった」
人としての形を持っているが、人ではない存在がエクサルという少女だ。
その存在はレイシスが持つ最古の記録よりも昔から存在していたが故、起源がどこかは知る由もない。しかし人の姿を持つ以上、人と深く関りを得ている存在なのは間違いない。
いつかの時代で人からは神と称されていた少女は、ある人間と生涯を共にした。
少女は、オブジェの下で眠るその人間に別れを告げた。
その別れとは、決して悲しいモノではない。
事故や戦いの最中での死別ではなく、その者は老いで穏やかな死を迎えた幸せ者だ。
悲壮と呼ぶべきは少女が永遠の存在であったこと。
共に老いることはない。少女が死することはない。
だから、それを見送った少女は自らの死を望んだ。
――ああ、その意味で言えば、その死は成就されたのだろう。
レイシスは、記憶のない少女を見やる。
彼女と呼べる残滓が姿以外に残っていないのならば、それは立派なエクサルという存在の死だ。
「じゃあ、私は死なないの?」
「少なくとも当時のお前はという前提付きだがな。今のお前が死ぬか死なないかははっきり言って分からん。絶対に死なないことが分かり切っているなら血塗れになってまでお前を助けはしないだろ」
「それもそっか……あれ? なら、私はなんで眠っていたの?」
今の少女にかつての力はない。
何故ならその力は、都市の莫大なエネルギーとして何百年も消費され続けて来たからだ。
その消費された力の一部に、彼女の記憶も混ざっていたのだろう。
「お前は本来持っていた強い力を自ら封じ続けることで、永遠に目覚めない状態になっていたんだよ。だからお前は解放されなければ、今もまだ眠っていたはずさ」
「……えっと? 私は……うん。力なんてないと思う。レイシスみたいなことできないし」
「お前が眠る前だったら、私なんか羽虫以下の存在だろうよ。ともかくお前はそうやって眠ってた」
「うーん、そうなんだ……うーん……うーん……むむむ」
必要とはいえ、少し難解な話を混ぜたからかエクサルは難しそうな表情で唸っていた。
力を何と勘違いしたのか、手の平を前に突き出してみたり両手を叩いてみたり、まるで意味のない動作も挟んでいる。
「そら、言ってもお前の益にはならなかっただろ。そもお前は一生眠るつもりでいたんだ。だったら、思い出そうとする必要なんかないわけだ」
「うーん……そうみたい。そうだよね。でも、私はなんで死にたかっただろう? 私は……死にたくないよ?」
「さぁな。お前の心情を他人の私に訊かれても困る」
理由は知っていたが、レイシスは意図的に真実を伏せた。
彼女が眠ったのはその人間と共に時代を過ごすためだ。
全てを余すことなく伝えてしまえば、その願いは踏み躙られる。
その人間について一欠片でも伝えれば根掘り葉掘り聞いて来るのは、事前のやり取りで判明している事実だ。記録の中で話していた青年についても論外、レイシスも含めて当時の知人を理解する必要性はない。
だがレイシスの解答はお気に召さなかったようで。
エクサルは小さく頬を膨らませて、顔のパーツをくしゃりと中央に寄せた。
「それも、知ってるんだよね。教えちゃいけないこと?」
「あん? 何故そう思った」
「――さぁなって濁した。さっきもそれで知ってた」
「……私の口癖だよ。私は事実としての出来事は知っていても、他人の心の内を覗き込む力はない。あとそこにある情報から予想を立てるだなんて趣味の悪いこともせん。だからお前が死のうとした理由など知らん。自分が不老不死だったらどうするかは自分で考えろ」
咄嗟に嘘で濁した。口癖の部分だ。
ただはぐらかしているだけで、口癖のようにそんな気障な台詞を連呼してはいない。
だが全てに嘘を吐いたわけでもなかった。
レイシスが彼女の死の理由を知っていたのは直接聞いているからで、レイシスの答えではない。故にエクサルが死を願った真意が本当に生涯を共に過ごし、共に終わりたかったかどうかまでは本当の意味で知りはしないのだ。
――敢えて邪推をするのであれば。
事実、彼女が選択した死が無ければ円状拠点都市エクサルは成立しなかった。
当時何の力も持たなかった小さな町など、灰に呑まれてあっさり姿を消していただろう。
彼女がそうした理由は他にもあったのかもしれないが。
だったとして、歴史家でもない者の推量に意味はない。
「……そっか。ごめんなさい」
「謝ることはないだろう。お前は混乱してるし、私も混乱してる。まぁ色々と説明を求めるなら、勝手にお前を解放する選択を取った奴にすればいい。今頃必死こいて私達を捜索しているだろうさ」
だから彼に擦り付け、話を終わらせた。
事実として本来は関りを持つハズのない存在と邂逅し、余計な負担は発生している。
そんなことをしている暇などないのに、だ。
全てを記録し生き続けている外れた存在が漫遊などするものではない。
やるべきことがないのであれば、アリス・レイシス・シャインハートはこの世に遺る選択肢を取っていないのだから――。
レイシスは溜息一つ、遠目に景色を眺める。
「死なない私が、死のうとする……」
「今のお前には分からないのは当然さ。嬉しいも悲しいも感じる土壌がないんだしな」
「……うん、分からないや。レイシスはそういう気持ち、ある?」
「あるわけないだろ。死ぬのは御免だ」
ぴしゃりと言い切る。
その反応にエクサルは少し驚いたように目を丸くしたが、特に何かを聞いてくることはなかった。
自己解決はしたに違いない。普通は死にたくはないものだ。
それを、まるで何度も死んできたかのように言うのは解答として間違っている。
「……断言し過ぎたのは反省だな」
ぼそりと聞こえないように呟いた。
「――まぁそんなわけだから思い出すのは諦めろ。お前はエクサルではないのだからな。もしも奇跡があって記憶として蘇ったのならまた名乗ればいいが、今その名である理由がない。お前は前世をしっかり生き、少なくとも私が知る限りでは悔いを残していないさ」
「……そうなのかな? うん、分かったよ。なら、思い出そうとするのは止める……名前、かぁ」
エクサルではなくなった少女は、難しい顔で顎に手をやった。
「名前、かぁ……私は誰なんだろうね」
「そうだな。今は誰でもないだろうが、確かに呼び名を持たないのは面倒だ――そうだ。お前を勝手に助けた奴が戻って来たら、ソイツに名付けを頼んでみたらどうだ?」
にやりと厭らしい笑みと浮かべ、レイシスはそう提案する。
「……んー。そういえば、なんでそのソイツさんは私を助けたの?」
「いやソイツって名前じゃないからな」
「それは分かってるよ?」
それは分かっていたか。
精神年齢は幼児ほどに退行していなかったことを思い出し、咳払い一つ。
「いや――うん? ああ……そうだな、全然分からん」
「全然分からないんだ」
「お前が眠っている所までは来て、ある程度事情は説明したがな。まぁ、眠ってるお前が可哀想だとでも思ったんだろ」
「ふうん……でも、そっか。何とかしてくれようとしたんだよね」
じゃあ、と少女は頷いて。
「その人にお願いしてみるね」
「ああ。それとソイツにはちゃんと、『別に私は助かりたくなかったけど、勝手に助けてくれてありがとう』って言うんだよ」
「そんなひどいこと言わないよ?」
「『お陰でレイシスがぼろぼろの血塗れになった責任も取って欲しいな』と添えるんだ」
「もう私の言葉じゃなくなってるね……」
少女は苦笑いを浮かべ、レイシスの頬に手を添えてくる。
こびり付いていた血が少しだけ指先に付着し、少女は心配げに眉尻を下げた。
「……傷はない、けど……ほんとに大丈夫なの?」
「最初に言った通り大丈夫とは言えんが問題はない、あの怪鳥に付けられた傷じゃないしな。ただちょっと、強すぎる力を使うと反動でイカれるだけだから」
使用する力は強ければ強い程に反動は酷くなり、使えば全身から出血する程度には悲惨だ。
目も信じられないほどに充血するし、血が沸騰しているのか更に酷いと肌も赤く茹で上がる。
時間経過と共に収まるものの、多用していい力ではないのは言うまでもない。
「まあ、私にここまでさせたんだ。途中で力尽きるとかそんなバカみたいなことしたら許さんぞマジで。既に遅過ぎるから嫌がらせの一つか二つか三つか四つかは覚悟して貰うがな」
「だんだん多くなってるね……」
「っは、その程度の娯楽は私に提供して貰おう」
少女が再び苦笑いするのを余所に、レイシスは笑ってそう言った。




